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Channel: 鳥肌音楽 Chicken Skin Music
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元祖スクール・オブ・ロック?

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

先日アラン・フリードについて書いた際にディック・クラークとカメオ・パークウェイ・レコードにも触れ、その代表歌手チャビー・チェッカーのNo.1ヒット「ツィスト」をアップいたしました。ついでに少しチャビーについて調べてみましたらチャビーのカメオでの初ヒットは「ザ・クラスThe Class」という曲で”チェッカーのファッツ・ドミノ、コースターズ、エルヴィス・プレスリー、コジー・コールそしてチッピマンクスのコミカルなモノマネがフィーチャーされたノヴェルティー・ソング”と書かれていて興味がわき取り上げてみることにしました。

「ザ・クラス」はこんな歌です。

The Class - Chubby Checker - HQ


はいはい 先生ですよ

はーい 教室のみなさん席について
私は音楽の先生ですよ
誰だと思いましたか
子猫や子供のみなさん
宿題はやってきたかな
そう「メリーさんのひつじ」ですよ

サリー さぁ聞かせて
あなたの 宿題の答えを
わたしの おデブちゃん

”メリーさんのひつじ
雪みたい真っ白で
メリーの行くとこどこだって
気狂いひつじはついていく”

おデブちゃん ひどいもんね
じゃぁ お次
コースターズ ばっちり決めてね

”学校までついてきた
校則違反だよ
先生はムチでぴしゃり
だけどひつじは知らぬ顔”

チャーリ・ブラウンと一緒に
どんづまりですよ
じゃぁエルヴィスのを聞きましょう

”おまえは ただの子ひつじさ 子ひつじさ
メーリーもとうとう見放した
だって俺がいるからよ
あんたのテディベアがな”

エルヴィス さすがはキングだわ
コジー コジー 焦らないで
ノックアウトしてちょうだい
その時代物の打楽器で

この教室にはまだ言いたいことはあるけど
みなさんもう出ていきなさい 
この教室はおしまいにして
わたしは幼稚園に行くことにするわ
可愛いネコちゃんたちはどうかしら

リッキーいいかしら (はーい)
フランキーは(へへ)
フェビアン フェビアン フェビアンは (はーい)

”メリーさんのひつじ
雪みたいに真っ白で
メリーさんはひつじは
先生を追っ払う”

どういうこと わたしが追っ払われるって
待ちなさい 意味がわからないわ
待って みなさん そのままで
教室から出ちゃダメー


いかがでしょうか、くだらない歌ですね(笑)。こんな歌でも全米38位のヒットですからね。カメオ・パークウェイにからはチェビーやディー・ディー・シャープ(「マッシュポテト・タイム」)やタイムス(「ソー・マッチ・イン・ラヴ」)など黒人によるヒットも多いのですがアトランティックやチェスなんかに比べると真っ黒度は低いというか、ほとんど白人が歌っても良かったんじゃないかという曲が多い気がいたします。これはこの間も書いたようにディック・クラークが経営にかかわっていて、彼の人気TV番組「アメリカン・バンド・スタンド」に出演させてヒットを生むという仕組みがあったので、黒人であってもどうしても”白っぽい”歌にして保守的な白人視聴者からクレームをさけたということがあったのではと思われます。アラン・フリードはラジオDJなのでどんなに「黒い」音楽をかけても実際に肌の色が聴取者に見えることはありませんでしたが、TVの場合は肌の色がもろ分かりなので逆に歌の方で刺激を緩和したということです。「アメリカン・バンド・スタンド」の観客席が映ることもしばしばあった(クイズとかよく出してましたからね)のですが観衆はほぼ100%白人の若者、そういう時代だったんですね。

まぁ、そんな訳で”黒人が歌ってるけど、ちょっと面白いやん”てなことでヒットしたんでしょうか。「メリーさんのひつじ」を覚えるという宿題を与えられた有名歌手たちが教室で宿題を披露するという歌なのですが、まず最初に出てくるのは”おデブちゃん=Fats"、これはもちろんファッツ・ドミノFats Dominoのことですね。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

チャビー・チェッカー=丸顔のチェッカー(ボード・ゲームですね)という見るからに芸名くさい名前はファッツ・ドミノ=おデブのドミノ(これまた有名なゲームですね)がいるんだからチャビー・チェッカーがいてもいいじゃんというまるでパチもんくさい名前なので、いちおう敬意を表してファッツ・ドミノが一番なのでしょね。

次に登場するのはコースターズです。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

サックスの入り方がコースターズっぽいですね。

3番目は今更説明の必要もないエルヴィス・プレスリー。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

いきなり”ユエン・ナツバラ・リトル・ラム”とハウンド・ドッグのフレーズが飛び出し歌い方もよく真似ています。

そして次のコージーは、僕は今まで全然知りませんでしたがコージー・コールという50年代人気のあったドラマーがいたようです。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

とここまでは小学校でお次からは幼稚園児の「メリーさんのひつじ」になります。上にあげた3人と1組はチャビーの先輩にあたりますが、ここからは同年代や後輩(アニメキャラ含む)ということで幼稚園児扱いなのでしょね。

最初はリッキーですがこれはリッキー・ネルソンでしょうね。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

続いてのフランキーはフランキー・アヴァロンですね。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

そして3人目はフェビアン。フェビアンは先生に呼ばれても気がつかず、3度呼ばれて(3度目は先生も怒っています)ようやく返事をするというちょっとヌケたキャラになっています。実はフェビアンとチャビーは高校時代に同級生だったようで、これは同級生のよしみというやつじゃないかと思われます。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

そして3人で歌いだすのですが、幼稚園児ということで当時人気のあったチップマンクス3人のムシ声で歌われています。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

聴けば聴くほどナンセンスな歌に聴こえてきます、ちょうど先週、今週とやっていた山下達郎のSUNDAY SONG BOOKの「珍盤、奇盤特集」にリクエストすればよかったなぁ(笑)


素敵じゃないか 真夏に観るビーチ・ボーイズ

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

知り合いにお願いしてぴあの先行予約でチケットをゲットだぜ!

あと3ヶ月、真夏に聴くビーチボーイズをたっぷり堪能したいと思います。さぁ予習、予習。

Wouldn't it be Nice

ヒッパレー ヒッパレー みんなでヒッパレー

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beach boys medley up tempo


ひとつ前のエントリでビーチ・ボーイズのコンサートに向け予習、予習なんて書いてしまいましたが、撤回します。ビーチ・ボーイズの場合は隠れた名曲なんてのはやってくれなくてもいいんです。だから予習なんていらない。とにかくみんなが知ってる曲をガンガンやってくれればそれでいい。ニュー・アルバムからの曲はやっていただきたいのですが、個人的には、無くても別にいいんじゃないとも思います(極論ですか)。

beach boys medley ballad version


ALL JAPAN POP 20 1974年5月第1週

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すっかり忘れていましたが、1週間遅れの「AJP20」74年5月第一週のランキングです。

Paul Mccartney & Wings "Jet" 1976


上位3曲はまったく動きなしですが「燃えよドラゴン」のテーマがじわじわと上昇してトップ3入を狙っています。「パピヨンのテーマ」も11位から9位と純粋な映画音楽がヒットする時代だったんですね。新しくランク・インしたのは3曲。グランド・ファンクはかなりのジャンプ・アップで勢いがあります。

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(2位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
3位(3位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
4位(5位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
5位(6位) リンゴ・スター/ユア・シックスティーン
6位(4位) ジョン・レノン/マインド・ゲームス
7位(7位) ポール・サイモン/アメリカの歌
8位(9位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
9位(11位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
10位(8位) トニー・デフランコとデフランコ・ファミリー/アブラ・カ・ダブラ
11位(10位) ジム・クロウチ/タイム・イン・ア・ボトル
12位(13位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
13位(14位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
14位(12位) スリー・ディグリーズ/荒野のならず者
156位(16位) ディープ・パープル/紫の炎
16位(22位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
17位(17位) カーペンターズ/ジャンバラヤ
18位(20位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
19位(25位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
20位(21位) グラディス・ナイト&ピップス/イマジネーション

16位(22位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション

Grand Funk Railroad/Locomotion
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music

さぁみんな 最新のダンスだぜ
来いよ ロコモーションだ 
踊ってみな 気にいるはずさ
来いよ ロコモーションだ
可愛い妹にだって 踊れるんだぜ
ABCを覚えるより 簡単さ
来いよ 来いよ ロコモーションを俺と一緒に

お尻をふって
そうさ 来いよ
ジャンプして
そう 前へジャンプして
後ろへジャンプ
そう 後ろへジャンプ
いいぜ 
もう こつが分かったな
そう

さぁ踊ってみな くさりみたいにつながって
来いよ ロコモーションだ
機関車みたいにシュシュポッポやるんだ
来いよ ロコモーションだ
かんたんで素敵だからって はめを外すなよ
単純なリズムだけど ソウルはたっぷり
そうだ 来なよ ロコモーションを俺と一緒に

ロコモーションに乗って部屋をぐるぐる
来いよ ロコモーションだ
なんにも考えずただ手を取りな
来いよ ロコモーションだ
こんなかんたんなダンスって無かっただろ
憂鬱な気分も吹っ飛ぶぜ
来いよベイビー ロコモーションだ
来いよ 来いよ ロコモーションを俺と踊ろうぜ
来いよベイビー ロコモーションだ
来いよ 来いよ ロコモーションを俺と踊ろうぜ

来いよベイビー ロコモーションだ


”なんやゴールデン・ハーフのカバーやん”と思った方も多いのでは(笑)。僕らの世代だと冗談抜きにゴールデン・ハーフでこの曲を知ったという方が圧倒的じゃないかと思います。

ゴールデン・ハーフのロコモーション
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music

ジャケを見るとマリアの顔が一番大きくコラージュされてますね。ってことはマリアが一番人気だったのでしょうか、中学生だった僕なんかは8時だよ全員集合などでボケるエバが一番好きだったりしたのですが、も少し上のレコードを実際買うような人からすればマリアが一番きれいで魅力的だったということなのでしょうね。全然ハーフに見えないユミの小ささときたら可哀想になります(実際にハーフじゃなかったみたいですね、看板に偽りありです)。しかしゴールデン・ハーフというグループ名って今じゃ考えられないネーミングです。

さてこのカバーの日本語詞は聴いていただけばお分かりかと思いますが”さぁさぁダンスのニュー・モード”という出だしからほとんど英詞の直訳になっています。訳詞はあらかわひろし。この人については以前「国境の南by音羽たかし」というエントリで触れましたがキング・レコードの社員が作詞を行うときのペンネームです。ゴールデン・ハーフは東芝なのに何故にあらかわひろしが?って思いますが、伊東ゆかりが歌ったものの歌詞をそのまま使用しているからです。

伊東ゆかり/ロコ・モーション


伊東ゆかりのカバー・シングルがでたのは1962年、オリジナルのリトル・エヴァのシングルも62年ですからほとんどダイレクトにカバーされたという感じでしょうか。それだけ原曲が大ヒット(全米1位)していたのもあるしキャッチーで覚えやすいナンバーだったからでしょうね。書き忘れていましたが原曲の作者はゴフィン/キング、リトル・エヴァは二人の娘(ルィーズか)のベビー・シッターで子守唄が上手いので歌わせたということになっています。

Little Eva / Locomotion


リトル・エヴァで1位、グランド・ファンクでも1位とこの曲は2組のミュージシャンにより全米1位という珍しい記録を持っていますが、87年にもカイリー・ミノーグによりユーロ・ビートにアレンジされて大ヒット。2度あることは3度かと思われたのですが残念ながら3位どまりでした。

Kylie Minogue-The Loco-Motion


何度も大ヒットしているので世代によって「ロコモーション」と聞いて思い出す曲は上記のどれかが多いのでしょうが、若い世代だとSMAPのCMの歌として思い出すのかもしれないですね、もちろん歌はグランド・ファンクではありますが・・・



もひとつ、盗作問題で騒がれたというか実際盗作以外の何ものでも無かったこの曲を思い出すのかも。

オレンジレンジ / ロコローション


ローションの名前で「ロコローション」ということみたいですが、曲調や歌詞やタイトルとどれをとっても「ロコモーション」が踏まえられているのはモロ分かりなのですが、これをオレンジレンジというクレジットで出すことにプロデューサーやディレクター、スタッフが何も言わなかったというのは不可思議な気もしてしまいます。

しかし、考えてみればグランド・ファンク・レイルロードが「ロコモーション」をカバーするというのはビートルズがaikoの「カブトムシ」をカバーするようになんともストレートなカバーといっていいんじゃないでしょうか(笑)。

19位(25位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス

Gilbert O'Sullivan - Happiness Is Me And You


なんでこの人の歌ってこんなに憂いがあるんでしょうね。

20位(21位) グラディス・ナイト&ピップス/イマジネーション

Gladys Knight & The Pips "I've Got To Use My Imagination" (1974)


ブッダからということもありつい忘れがちですが、ライヴで聴くとやっぱりこの人ディープですね、ピップスの踊りもクール。



神が創りしラジオ

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ウォークマンだi-podだYoutubeだ音楽の聴き方はいろいろ増えたけど、やっぱり好きな曲はラジオで聴くのが一番です。

Carpenters - Yesterday Once More


子供の頃 いつもラジオの前で
大好きな曲が流れてくるのを待っていた
曲がかかると 一緒にくちずさみ
ニコニコ笑ってた

幸福なひととき ついこの間のことなのに
すっかり忘れちゃっていた でも今思い出したの
幼馴染と再会するみたいに
大好きだった歌が聞こえてきたの

あの シャララやウォウォウ
今だって輝いてるし
シンガリングリングなんて聞こえたら
歌わずにはいられなくなる
なんて楽しいの

Bruce Springsteen - Radio Nowhere


ラジオ無しだって そんな所で誰か生きていけるのか?
ラジオ無しだって そんな所で誰か生きていけるのか?
そんな所で誰か生きていけるのか?

リズムをくれ なんだっていい
リズムをくれ


佐野元春/アンジェリーナ


シャンデリアの街で眠れずに
トランジスタ・ラジオでブガルー
今晩ひとり情熱だけ吠えて
ジェームス・ディーンきどりの
ティーン・エイジ・ブルース

Reunion: Life is a Rock


人生はロック ラジオが俺を狂わす
音量をめいっぱいあげなってDJが言う
人生はロック ラジオが俺を狂わす
虹の根元には 黄金のオールディズが埋まってるんだ

RCサクセション/トランジスタラジオ


彼女 教科書ひろげてるとき
ホットなナンバー 空に溶けていった
あぁ こんな気持ち上手くいえたことがない Ai Ai
ベイエリアからリバプールまで
このアンテナがキャッチしたナンバー
彼女 教科書ひろげてるとき
ホットなメッセージ 空に溶けていった

The Ramones - Rock N' Roll Radio


変革が必要だ 一刻も早く
ロックが過去の遺物になっちまう前に
最近どの曲も一緒に聞こえちまう やばいぜ

ロックン・ロール・レディオ さぁ行け
ロックン・ロール・レディオ さぁ行け

アン・ルイス/甘い予感


ふとつけたの カーラジオ
流れてくるのは ビーチ・ボーイズ



そしてビーチ・ボーイズの新曲は最高のラジオ讃歌です。

The Beach Boys - That's Why God Made the Radio


流行りのスターにチャンネルを合せれば
ダッシュボードから流れてくる
天国行きのボタンをおして 朝からドライブ
車にいながら
遠い記憶を思い出す

これぞ 神が創りしラジオ
どこへ行こうとチャンネルさえ合わせれば
電波にのせ 最高のR&Rを届けてくれる
まるで恋のサウンド・トラック
神が創りしラジオだからね




ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ/ビーチ・ボーイズ




おまけ

Shaggs / Yesterday Once More

I keep singin' them sad sad song y'all,

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Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 1 OF 6


Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 2 OF 6


Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 3 OF 6


Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 4 OF 6


Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 5 OF 6


Stax Volt Tour of Norway 1967 - PART 6 OF 6








ぶっといベース弾く人やったなぁ。R.I.P.

1967年5月6日のスマイル

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4月30日(日)

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

ビーチ・ボーイズ広報担当デレク・テイラーのコメントがレコード・ミラー誌、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌(NME)によって伝えられる。

”「英雄と悪漢」には技術的障害が立ちはだかり、完成が遅れている。しかし現在名前があがっているニュー・シングルがある。ビーチ・ボーイズのニュー・シングルのタイトルは「ヴェジタブル」で、軽くて高揚感がある日常生活に身近な野菜や果物の歌である。”

またディスク誌には次のようなコメントが発表された。
”ビーチ・ボーイズのニュー・アルバムのための全12曲が完成した。またグループとキャピトル・レコードとの訴訟問題も解決したことにより、ニュー・アルバムはすぐにでもリリースされる予定である。”

なんとも楽観的なコメントによりファンは期待を抱かされるのですが、「期待は失望の母である」(ナイアガラ語録より)の言葉通り1週間後には全く正反対のコメントが同じデレク・テイラーより発表されることになります。

5月6日(日)のディスク&ミュージック・エコー誌

”全てが緻密にデザインされ、ブライアンと彼のビーチ・ボーイズという職人たちが、そのインスピレーションを駆使して何ヶ月もかけ丹念に繋ぎ合わせて作った音楽作品の数々がゴミ箱行きとなった。壊されるのではなく、捨てられるのだ。ウィルソンが作り上げ、壊してきたものは全て廃棄処分となる。これはビーチ・ボーイズの1ファンとしても、誠に残念である。”

一方、ビーチ・ボーイズ・ライヴ班はロンドンでファンの喝采を浴びていました。

5月7日(月)

ロンドンのエンパイア・プール・ウェンブリーでNMEの人気投票受賞者による「NMEアニュアル・ポール・ウィナーズ・コンサート」が行われ、クリーム、ダスティ・スプリングフィールド、クリフ・リチャード、スモール・フェイセズ、スペンサー・ディヴィス・グループ、キャット・スティーヴンスなどなど豪華なメンバーが出演するのに混じり「最優秀グループ賞」受賞者として出演し「バーバラ・アン」「神のみぞ知る」「グッド・ヴァイブレーション」の3曲を演奏しつめかけた1万人の若者からこの日一番の大喝采を浴びる。

長引くレコーディングにより新しいレコードも出ないような状況ではあってもビーチ・ボーイズの人気は衰えるようなことは全くないように見えてはいたのですが・・・。当時の時代状況はどんな優れたアルバムであろうと気長に待ってくれるような状況ではありませんでした。まさに秒単位で状況が変わるそんな時代だったのに、ブライアンときたら・・・



PS.前回とりあげたニュー・シングル「神が創りしラジオ」ですが、いただいたmazuさんのコメにブライアン作ではないんですねという一文があったので、米ウィキで調べたら元サバイバーのジム・ピートリック(Jim Peterik)の作となっておりコメ返しにもそう書かせていただきました。ところがそれから2日、あらためて米ウィキを見ると作者はジョー・トーマス/ブライアン・ウィルソン/ジム・ピートリック/ラリー・マイルスという4人に変更されていました。ジョー・トーマスはブライアンのソロ『イマジネーション』をプロデュースしていた人、ラリー・マイルスはピートリック周辺でエンジニアとして活躍している人のようなのですが、なんで変更されたんでしょうか?なんらかの政治的、経済的配慮があったのか。

しかし、「アイ・オブ・ザ・タイガー」を書いた人があんな曲を書くとは。サバイバーと聴くとビーチ・ボーイズのファンとしてはサヴァイヴァーズの方を思い出したという方も多いのではないでしょうか。

SURVIVORS- PAMELA JEAN


サヴァイヴァーズはブライアンのサイド・ワーク的なグループだったのですがBB5に負けないすばらしいハーモニーですね。もしブライアンが血の絆にとらわれずサヴァイヴァーズを本活動にしていたら・・・、歴史に「もし」はないですね。



ALL JAPAN POP 20 1974年5月第2週

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Paul McCartney & Wings - Jet [Rehearsal]


この週も上位4曲はまったく動きなし。なので1位の「ジェット」の動画を変更してみました。74年ということで発表当時の映像のようです。5位以下はちょこまかと動きがあるのですが、先週のエントリでも書きましたが「パピヨンのテーマ」が11位から9位そして今週は5位と確実に上昇しています。初登場は2曲おなじみのエルトンとグラム・ロック・バンド、マッドの2組です。

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(2位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
3位(3位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
4位(4位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
5位(9位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
6位(8位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
7位(11位) ジム・クロウチ/タイム・イン・ア・ボトル
8位(12位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
9位(5位) リンゴ・スター/ユア・シックスティーン
10位(15位) ディープ・パープル/紫の炎
11位(7位) ポール・サイモン/アメリカの歌
12位(13位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
13位(16位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
14位(10位) トニー・デフランコとデフランコ・ファミリー/アブラ・カ・ダブラ
15位(6位) ジョン・レノン/マインド・ゲームス
16位(19位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
17位(18位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
18位(23位) マッド/タイガー・フィート
19位(22位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ
20位(20位) グラディス・ナイト&ピップス/イマジネーション

Mud - Tiger Feet (Live TOTP 1974)


もうこの手の音といえばチニチャップ(Chinnichap)ことニッキー・チンとマイク・チャップマンの独壇場という感じですね。スージー・クアトロ、スウィート、アロウズそしてこのマッドと73年から74年の2年間で英国チャートに19曲のTOP40曲を送り込みうち5曲がNO.1ヒットということで当時はチニチャップノクレジットがあればすべて売れるといわれたとか。この「ダイガー・フィート」も全英1位を獲得しただけではなく74年で最も売れたシングルになったんだとか。

当時の日本では海外のバンドの動く姿はほとんど見ることができず、レコードで音を聴くだけが多かったこともあり、音だけを聴く分にはT-REXなんかと同じようなグラム・ロックに聴こえるのですが、映像を見ちゃうとなんじゃコリャです。泥を意味するバンド名MUDにはつまらないものみたいな意味もあるし、おそらくMADともかけたバンド名と思うとまさに名は体を表すという感じがします。はっきりいって”おバカ”。どう見ても竜鉄也にしか見えない中年体型のボーカリスト、マイクの持ち方が変だし踊りもばかげてるし隣にはアルフィーの高見沢のような王子キャラのギタリスト、なんともアンバランス。バンド4人の脇を固めるムキムキのダンサーたちもなんともいかがわしい雰囲気を増長しています。

こういうのをTVで目にしながらも年間NO1にしてしまうイギリスの若者たちって・・・。

Elton John - Bennie and the Jets


音と映像のギャップということでいえばエルトン・ジョンの方が強力だったかもです。ミュージック・ライフなんかで写真は見ていたのでエキセントリックな格好をする人とは認識してはいましたが中1くらいの時にNHKのヤング・ミュージック・ショウで見た動くエルトンのルックスと短い足を鍵盤の上に乗せピアノを弾きまくる姿は”この人があの名曲「僕の歌は君の歌」を本当に歌っているのか”と純朴なロック少年に強いショックを与えてくれました。

電気靴をはいてモヘアのスーツを着たベニーをリーダーとする、ぶっ飛んだバンド、ベニー&ジェッツを主人公にした歌物語。それで頭に観衆の声が入っていたんですね、歌詞を見直すと”ウォール・オブ・サウンド”なんていう言葉も出てきたりします。

ジギー・スターダストとかズウィンク・アロイとか架空のスターを歌うというのが一種のトレンドだったんですかね、今振り返ると・・・


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1967年5月18日のスマイル

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1967年5月11日(木) スマイル・セッション 82
ゴールド・スター・スタジオAst カリフォルニア州ロサンゼルス


デレク・テイラーの発表を全く無視するかのように約1ケ月ぶりにブライアンはスタジオ入を行い、3月2日に行なった「英雄と悪漢」に再度手を加えている。

1967年5月15日(月)
ゴールド・スター・スタジオAst カリフォルニア州ロサンゼルス


ブライアンの感じる悪いヴァイブを理由にレコーディングがキャンセルされる。

1967年5月16日(火) スマイル・セッション 83
ゴールド・スター・スタジオAst カリフォルニア州ロサンゼルス 2:00-5:30PM


組曲「エレメンツ」の水のセクションのために「アイ・ラヴ・トゥ・セイ・ダ・ダ」の録音を始める。




参加ミュージシャン:ハル・ブレイン(Dr) ライル・リッツ(Upright B) ビル・ピットマン(G) マイク・ルビーニ(Key) ジーン・エステス(Per、Bell、P)

1967年5月17日(水) スマイル・セッション 84
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st カリフォルニア州ハリウッド 8:00PM-12:30AM


前日に引き続き「アイ・ラヴ・トゥ・セイ・ダ・ダ」のセッションが行われる。鳥のさえずりのようなフルートが入れられる。

参加ミュージシャン:ハル・ブレイン(Dr) レイ・ポールマン(B) ライル・リッツ(Upright B) キャロル・ケイ(G,B) ビル・ピットマン(G) マイク・ルビーニ(Key) ジーン・エステス(G) ジム・ホーン(Horn) ジェイ・ミグリオリ(Sax)

1967年5月18日(木) スマイル・セッション 85
ゴールド・スター・スタジオAst カリフォルニア州ロサンゼルス 2:00PM-


引き続き「アイ・ラヴ・トゥ・セイ・ダ・ダ」のバック・トラック・セッションとヴォーカル・セッションが行われる。
このセッションが実は幻のアルバム『スマイル』のための最後のセッションとなることは当のブライアン・ウィルソン自身も知らないことであった。

参加ミュージシャン:フランク・デ・ヴィート(Per) レイ・ポールマン(B) ビル・ピットマン(B,ナイロン弦G) メルヴィン・ボラン(Upright B) マイク・ルビーニ(Key) ジーン・エステス(Per) ジェイ・ミグリオリ(Pic、Whistle)

1967年5月19日(金)
ゴールド・スター・スタジオAst カリフォルニア州ロサンゼルス 


またもやブライアンがスタジオに姿を見せずレコーディングはキャンセルに。ただし今回はBB5側からの事前連絡もなかったためスタンバイしていたセッション・ミュージシャンに対してユニオン規定により料金の支払いが生じることになってしまった。長引くレコーディングによる経費の高騰、いつまでも出ないシングルやアルバムのためにどぶに捨てられた広告宣伝費、たびたびのキャンセルによる経費の無駄遣いに業を煮やしたキャピトルは『スマイル』の制作を中止させることを決定してしまいます。

こうして『スマイル』は6日に広報担当のデレク・テイラーが発表していたとおり廃棄処分にされてしまうことになりました。ただし、その一部はこの後のアルバム数枚に渡りゴミ箱から拾い集められリサイクルされています。



The Beach Boys: QVC Performance - May 16th, 2012


ネットを検索してたらこんなんありました。QVCってのはTV通販の大手のようです。そのQVCがニュー・アルバム『神が創りしラジオ』とBB5のゴールデン・ヒッツ11曲を収めたボーナスCDのセットを通販するにあたりつい3日ほど前に本人たちを招いてライヴを行なったものがアップされているようです。10曲演奏しているのですが、おそらく来日時もこのメンバー、このアレンジでの演奏になるのではないかと思われます。

現役で歌い続けてきたとは言え、さすがに70を超えたマイク・ラヴのボーカルには衰えを感じてしまいました。低音はしっかり出ているようなのですがリードになるとちょっとばかり残念な気がしますが、こればっかりは。ブライアンのコーラスのパートはやはりジェフリー・フォスケットが歌っているようですね、さすがにリード・ボーカルをとっていた歌については本人が歌っていますが、いつもながら”がんばれブライアン”って思って見てしまうのがいいのか悪いのか複雑。しかしブライアンもすっかりおじいさんですね。演奏については原曲のイメージを壊さないストレートな感じで、まぁブライアン・ウィルソン・バンドもそうですし、今更BB5に何か新機軸を求めるお客さんはそんなにいないでしょうからこれでOKかな。

I will remember Massachusetts

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レヴォン・ヘルムの追悼記事の時にPurple_Haze先輩からビージージのロビン・ギブも容態が良くないというコメをいただいていましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまったようです。ただいま出張中とあってあらためて追悼記事を書く暇が無いので、こういう時の苦肉の策としてビージースについて書いた過去記事を再アップして追悼に変えさせていただきます。

記事中にもありますが、僕が生まれて初めて自分のお金で買ったレコードがビージーズでした。ということで個人的にもとても大切な人たちでした。ビーチボーイズもそうですが兄弟のうち弟たちが先に逝ってしまい残された長兄の悲しさは計り知れない気がいたします。

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music-beegeesきっかけはPurple_Haze先輩による美味しそうなラーメンのエントリで記事の後にいつものように懐かしい1枚のレコードが紹介されていたのですが、この日はビージーズの「マサチューセッツ」

実はこの曲は僕にとってのハジレコ(初めて買ったレコード)なのです。家にレコード・プレイヤーの無かった僕はもっぱらステレオのある友達の家に遊びにいってそこにあるレコードをかたっぱしから聴かせてもらうという日々をすごしていたのですが、いつもいつも聴かせてもらうだけでは悪いので自分でも何か1枚くらい友達にオススメしたいと思い購入したのがビージーズの「マサチューセッツ」でした。

72年僕が中学校1年の時です。67年末に発売ということで僕が買った時点ではヒットから4年くらたったシングルでした。何故買ったのかと記憶をたどると、そんな昔のヒットにも係わらずラジオでもよくオン・エアされていて流れるたびにいい曲だなぁと思っていたこと、そしてB面の「ホリデイ」も名曲だったのが第一の理由。二番目の理由としては当時のシングル盤は¥500でしたが、このシングルは4年前の発売ということもって¥400だったからです。中学1年生にとって¥100の差は大きく、購入の決め手となりました(笑)。

そんなわけで僕にとってとても大切なシングル(のわりには現在手許にはありません)なので気になって調べてみると、この曲67年暮れに発売され68年に全米8位と、アメリカで初のTOP10ヒットとなり世界にビージーズという名前を定着させたシングルでした。日本ではさらに凄い人気で68年にオリコンで1位を獲得し51万枚という特大ヒットとなっています。タイガース(阪神ではなくジュリーのいた方)が「ホリデイ」をカバーしていたというのもヒットを後押しとなったかもしれませんね。ちなみに日本でのみシングル・カットの「メロディ・フェア」はオリコン3位(45万枚)、全世界を躍らせた「恋のナイト・フィーバー」がオリコン4位(37万枚)ですから日本でのビージーズの最大のヒット曲ということになります。


(この金魚を買うシーンをご記憶の方も多いのでは。トレイシーちゃん可愛いです。)

考えてみたらこのシングルを買った前の年71年の6月に映画「小さな恋のメロデイ」が公開され「ある愛の詩」を越えるロング・ランとなっていました。主題歌的な扱いの「メロディ・フェア」も71年の秋に日本で大ヒットとなり、世界的には少し人気が落ちていたビージーズなのですが日本での人気は相変わらずでした。そんな流れの中で彼らの代表曲「マサチューセッツ」もひんぱんにラジオでオン・エアされ僕の耳にも届いていたということだったのだと思います。

Bee Gees /Massachusetts


いろいろ調べている中でいつも歌詞を訳す際に参考にさせていただいているThose Were Days(なつメロ英語)とういうHPで興味深い記述を読みました。

>パッと見,マサチューセッツに残した恋人に対して故郷がなつかしい,マサチューセッツに帰りたい,と歌うラブ・ソングのように読めます。が,私はこれはりっぱな1960年代の社会が見える一種のメッセージ・ソングと読みました。それは2番の1行目 Tried to hitch a ride to San Francisco にあります1967年はスコット・マッケンジーの花のサンフランシスコがヒットした年です。いわゆるフラワーチルドレンがこぞってサンフランシスコに集まったヒッピー文化全盛期。『マサチューセッツ』の主人公の若者も,ヒッチハイクで東海岸から西海岸へ行ってみようとしたようです。でもやはり故郷がなつかしい,忘れられない。でI will remember Massachusettsと歌うわけです。

そうなんです、この歌ヒッピー・ムーヴメントを象徴するスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ San Francisco」に対するアンサー・ソング的な意味合いが見てとれるというのです。

Scott MacKenzie / San Francisco Live


サンフランシスコへ行くなら
髪に花を飾るがいい
サンフランシスコへ行くなら
やさしい人々に逢うことだろう

サンフランシスコへやってくる人々のために
夏の日は愛に満ちるだろう
サンフランシスコの通りには
髪に花を飾ったやさしい人々がいる
国中に満ちた この不思議なヴァイブレーション

覚醒しつづける人々
新しい意識に目覚めた 全ての世代が集い 
共闘し 行動する
サンフランシスコへやってくる人々のために
髪に花を飾るがいい
サンフランシスコにやってくるのなら
夏の日は愛に満ちるだろう


あらためて聴き直すと確かに曲の感じも似ているような・・・。そ

れにしてもなんとも楽観的な歌詞ですね、作ったのはママス&パパスのジョン・フィリップス。「夢のカリフォルニア」というこれまた楽天的なカリフォルニア讃歌を歌った人ですからこういう脳天気な歌詞になったというか、時代の雰囲気がそんな感じだったのでしょうね。ラヴ&ピース、映画モンタレー・ポップ・フェスティバルの冒頭でヒッピーたちと警察が笑いながら話しているのを後年見た時には”なんて素晴らしい”と思わず感動してしまったくらいですから、当時のカリフォルニアの人々は永遠にサマー・オブ・ラヴが続くと信じて疑わなかったことと想像いたします。



ただその後ヒッピー・ムーヴメントがどのような結末を迎えたかはご存知の通りです。モンタレイと69年のウッドストックの間に「マサチューセッツ」は発売されていますが、非常に醒めているというかその後の結末をしっていたかのような歌詞になっていることに40年近くたって初めて気がつきました、トホホ。

マサチューセッツに帰りたい気分だ
何かが”帰れ”と言っているみたい
マサチューセッツの灯りは全て消えてしまった
彼女ひとりをそこに残してきたあの日に

ヒッチハイクでサン・フランシスコに行こうとした
自分のやりたい事をやるべきだと思ったんだ
マサチューセッツの灯りは全て消えてしまった
君と一緒の道に僕を引きもどすかのように

マサチューセッツでの暮らしについて話したい
出会ってきた人々のことも
マサチューセッツの灯りは全て消えてしまった
そして僕の想い出の場所になった

マサチューセッツのことを忘れはしないだろう・・・


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以上の記事を書いた祭にmmmさんからいただいたコメントにイギリス生まれオーストラリア育ちのビージーズがなぜマサチュ-セッツを懐かしむ歌を書いたのかはいろんな都市名の中でマサチューセッツがメロディに一番フィットしたからのようです。ただしゴロが良かっただけでなくこれまたThose Wer Daysに書かれていたように西海岸の自由な雰囲気のサンフランシスコとの対比を明確にするために”アメリカの中でも歴史と伝統のあるリベラルなアングロ・サクソン系白人の州というイメージ”のマサチューセッツを選んだというのもあるんだろうなぁと思います。

「ナイト・フィーバー」以降のディスコ路線もあってビージーズのイメージは割りと軽いイメージがあるような気がしますが「ニューヨーク炭鉱の悲劇」なんていう曲があったり、やはりサマー・オブ・ラヴを通り抜けたメッセージを持ったグループだったんですね。

R.I.P.



ALL JAPAN POP 20 1974年5月第3週

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Paul McCartney & Wings - Jet [Rehearsal]


ついにTOP3の一角が崩れました。なんと「パピヨン」が3位に食い込むことに。初登場の2曲はどちらも素晴らしい名曲です。

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(2位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
3位(5位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
4位(3位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
5位(8位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
6位(4位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
7位(10位) ディープ・パープル/紫の炎
8位(6位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
9位(13位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
10位(7位) ジム・クロウチ/タイム・イン・ア・ボトル
11位(12位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
12位(9位) リンゴ・スター/ユア・シックスティーン
13位(16位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
14位(11位) ポール・サイモン/アメリカの歌
15位(15位) ジョン・レノン/マインド・ゲームス
16位(19位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ
17位(23位) スリー・ドッグ・ナイト/ショウ・マスト・ゴー・オン 
18位(18位) マッド/タイガー・フィート
19位(27位) カーペンターズ/愛は夢の中に
20位(17位) オズモンズ/ムーヴィー・マン


Three Dog Night - The Show Must Go On (1974)


前年に英国でヒットしたレオ・セイヤーの曲(全英2位)をカバー。この時期のスリー・ドッグ・ナイトはシングルを出せば全てヒットという状況で、この曲も最高位2位という大ヒットになっています。おかげでレオ・セイヤーも脚光を浴びることとなり76年には「恋の魔法使い」で全米1位を獲得するなど世界的なヒットを連発するようになります。

ではレオ・セイヤーのオリジナルを。

Leo Sayer / The Show Must Go On


イントロの部分にサーカスをイメージさせる曲として有名なフチークの「剣士の入場」(別名「雷鳴と稲妻」)を引用というフックを用意してヒットを狙った曲なのですが、動画を見ると完全に道化師に扮して歌っていますね。成功を得るためとはいえ涙ぐましい努力です。

サーカスのピエロの悲しさを歌った(それじゃ動画そのままですね)曲というイメージだったのですが、歌詞を読み直すとドロップ・アウトし独りで生きていくという道を選んだ男が壁にぶち当たり逡巡するが、そんなことはお構いなしにショー=人生は進んでいってしまうって感じの歌でしょうか。全然気づいていませんでしたが、セイヤーのオリジナルでは最後が"I won't let the show go on"で結ばれていたのですがそれでは救いがなさすぎると感じたのか、スリー・ドッグ・ナイトは歌詞を少し変え "I must let the show go on"と締めているようです。

この曲はセイヤーとデヴィッド・コートニーの共作で、セイヤーはソング・ライティングもできるのですがシンガー的な資質が強いのか、アルバート・ハモンド/キャロル・ベイヤー・セイガー作の「はるかなる想い」やボビー・ヴィーで有名な「星影のバラード」、ビートルズの「レット・イット・ビー」といったセンスのいい選曲と素晴らしいボーカルで魅了してくれます。

本文からは脱線してしまいますが、いい機会なので名曲「はるかなる想い」「星影のバラード」をアップさせていただきます。久々にセイヤーのベストでも引っ張り出すとしますか。

LEO SAYER-When I Need You ________________________ More Than I Can Say
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脱線ついでに、80年代以降にセイヤーを受け継いだのがシンプリー・レッドのミック・ハックネルじゃないかと個人的には思ったりします。僕の中ではロッド・スチュワート、レオ・セイヤー、ミック・ハックネルというのが英国三大バラディアーという位置づけです(ヴァン・モリソンは別格)。


Simply Red - The Air That I Breathe____________________ Ev'ry Time We Say Goodbye
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閑話休題。もう一曲の初登場はカーペンターズの「愛は夢の中に」です。カーペンターズの楽曲の中でオール・タイム・フェヴァリットな一曲です。

The Carpenters - I Won't Last A Day Without You


くる日も くる日も
相容れない世界の 
見知らぬ顔ばかりとの暮らし
私はそんなに強くない
でも私を気にかけてくれる
そんな誰かがいつだって居てくれる
そう思えるのは素敵なこと

虹を超えていけない時や
ちっぽけな夢すら叶わないと思う時には
世界中の馬鹿げた事も全て受け入れよう
あなたさえ居てくれるなら


孤独な生活を送りながらも自分のことを見つめていてくれる大切な人を思うことで前向きに生きようとするそんな気持ちをカレンが歌い上げています。そんなカレンの歌の背中を優しく押すようにボーカルに絡むドラムがいいんです。ドラマーはもちろんハル・ブレイン。スペクターとの仕事が有名ですけどカーペンターズのバックでもジョー・オズボーンのベースをパートナーにいい仕事をしています。カレン自身もドラマーですが、ハルからの影響をかなり受けているんじゃないかと思います。

この曲が最初に発表されたのは72年のアルバム『トップ・オブ・ザ・ワールド』の収録曲としてでした。ロジャー・ニコルスとポール・ウィリアムスというゴールデン・コンビによる楽曲はリチャードのお気に入りで2ndシングルとして発表しようとしますがA&Mの反対にあい断念します。カーペンターズがシングル化しなかったこともあり作者のポール・ウィリアムスやモーリン・マクガヴァンがシングルを発表します。そうこうしている間にファンからシングル化のリクエストが寄せられ異例なことですが2年後の74年にシングル・カットされることとなったというわけです。

Paul Williams ________________________________________Maureen McGovern
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内容としては「ショー・マスト・ゴー・オン」と同じく「孤独」を歌っています。しかし、いつも自分の側に「誰か」がいてくれたら「孤独」も怖くないと歌われているため救いを感じることができる曲です。カーペンターズのシングルが発表された74年頃からカレンが太っているという中傷記事がタブロイド紙などに乗り出しカレンは精神的打撃を受けご存知のように拒食症になってしまいます。自分を愛する仲間たちに囲まれているはずなのに、すべてを信じきることができず「孤独」に苛まれたカレンの気持ちを歌ったようなこの曲が74年にシングルとなったことはある意味皮肉な出来事だったと思えてしまいます。さらに悪いことには歌に出てくるような自分をいつも見てくれている「誰か」の存在も信じられなかったんだろうなぁ・・・。

ALL JAPAN POP 20 1974年5月第4週

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Paul McCartney & Wings - Jet 2002


1位は相変わらず「ジェット」ですが、「パピヨン」がとうとう2位に、さらに「燃えよドラゴン」も4位と、いかに両方の映画が日本でヒットしていたかの証でしょうね。「ジェット」今回は2002年のライヴに変えています。
下位ではGFRが順調に上昇しておりトップ3入を十分狙えそうな感じです。逆にエルトンの「ベニー&ジェッツ」は早くも失速気味、米英では評価の高い曲なのですが日本には合わなかったのか・・・

初登場は2曲、ランキングの下で紹介しています。

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(3位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
3位(2位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
4位(6位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
5位(5位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
6位(9位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
7位(7位) ディープ・パープル/紫の炎
8位(4位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
9位(8位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
10位(10位) ジム・クロウチ/タイム・イン・ア・ボトル
11位(11位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
12位(13位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
13位(12位) リンゴ・スター/ユア・シックスティーン
14位(17位) スリー・ドッグ・ナイト/ショウ・マスト・ゴー・オン 
15位(19位) カーペンターズ/愛は夢の中に
16位(14位) ポール・サイモン/アメリカの歌
17位(21位) スージー・クワトロ/悪魔とドライヴ
18位(20位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
19位(22位) アルバート・ハモンド/ダウン・バイ・ザ・リバー
20位(16位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ


17位(21位) スージー・クワトロ/悪魔とドライヴ

Suzi Quatro - Devil Gate Drive


たった5歳で 独り遊びを憶え
悪魔の門へアクセル全開
6歳の時には最高の刺激を憶えた
悪魔の門へアクセル全開
ママは娘が何をやってるか知りゃしない
ドライヴに夢中で お楽しみはこれから
体を上下させ
頂きへと上りつめる
こきざみに体を揺らしながら

悪魔の門へまっしぐら
それだけが 生きるってこと


$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

シングルにもありますが、”陶酔のアイドル”はたまた”SMロックの女王”なんていうコピーで日本でも大人気のスージー姉御でしたがアップしたトップ・オブ・ザ・ポップスの動画を観ると”SMロック”という感じではないですよね、こういう動く姿を当時の日本ではほとんど見ることが出来ませんでしたから、スージーというと身体の線もあらわな革のジャンプスーツでバックの男たちを日夜鞭打ちながらみたいな妄想ばかりが膨らんでいたのですが・・・・。

ただし、歌い方はちょっとコミカルですが歌詞はけっこうきわどいですよね。頭の” Well, at the age of five they can do their jive”のじ”ジャイヴ”というのは音楽のジャンルやダンスの名前でもありますが、”小刻みに揺れ動かすこと”みたいな意味合いでして。例えばクラプトンの『461オーシャン・ブールバード』の頭に入っているジョニー・オーティスのカバー「ウィリー&ハンド・ジャイヴ」なんていうタイトルは”ウィリー”はスラングで”男根”の意味があり”ハンド・ジャイヴ”=”手を小刻みに動かす”ということでモロに男の独り遊びを意味するので、スージーの場合は女ではありますが、同じような意味だろうと上の訳にしています。

そう言えばサザンの歌で”たまにや Making Love そでなきゃ Hand Job”というのが有りましたが、あれも同じ意味ですよね。クラプトン・ファンの桑田さんですから本当は”Hand jive"にしたかったけれど、それじゃ日本では意味だ分からないだろうということでわかり易く”Hand Job”にしたのではないかと思います。

閑話休題。

今になって思えば以前紹介したマッドと同じくチン&チャップマンがプロデュースしていたわけで、ストレートにかっこいいのではなくマッドと同じくキモかっこいいという感じがします。初期ロックンロールやR&Bグループにも通じるようなこのかっこよさ、個人的にはけっこう好きです。

チン&チャップマンがパンク/ニュー・ウェイヴ時代にプロデュースしていたのがバウ・ワウ・ワウなのですが、これってスージー・クワトロにロリ風味をまぶしましたという感じでやってることはほとんど同じという気がしてしまいます。

Bow Wow Wow - I Want Candy


余談ですが、ドラマーがドラムを離れ歌手と一緒に踊りだすというスージーの映像、このパターンどこかで見たことあるぞと考えたらウガンダが居た頃のビジーフォーでした(笑)

ビジーフォー SOUL MUSIC MEDLAY 初期1981


モータウン、JB、フィリーとちゃんと押さえるべきところを押さえギャグにするあたり、よーく判っていた人たちだったんですね。ウガンダがマイクスタンドに当たるタイミングとか絶妙ですね。

19位(22位) アルバート・ハモンド/ダウン・バイ・ザ・リバー

Albert Hammond - Down by the river


「ダウン・バイ・ザ・リバー」といえばニール・ヤングの方を思い出してしまいます。あちらは恋人を愛するあまり川辺で撃ち殺してしまった男の歌でしたが、アルバート・ハモンドの方は週末になったら川辺に行ってキャンプしてゆったりとした時間を過ごそうみたいな自然回帰の歌でした。60年代のヒッピー・ムーヴメントの名残なのか、こういう自然回帰の歌ってけっこうありますよね、ビートルズの「マザー・ネイチャーズ・サン」とかスリー・ドッグ・ナイトの「アウト・イン・ザ・カントリー」なんていう曲が思い出されます。


グレイテスト・ヒッツ/スージー・クアトロ



Greatest Hits/Albert Hammond


Love Peace & Harmony: Best of Bow Wow Wow/Bow Wow Wow


Ben's Prayer a/k/a the Kill Mike Love Song

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Rio Grande - Brian Wilson


1988年、ワーナー/サイアー・レコードのレニー・ワロンカーとシーモア・スタインの後押しもあり、ブライアンは『スマイル』を思い起こさせる大作「リオ・グランテ」を完成させた。続いて発表された初のソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』は各誌で高く評価され、その夏、ビルボードのアルバム・チャートの40位近くまで上がった。ローリングストーン誌の年末の読者投票で、ブライアン抜きのビーチ・ボーイズによる「ココモ」の大ヒットがマイケル・ジャクソンと並んで[今年最も喜ばしくないカムバック]に選ばれた一方で、『ブライアン・ウィルソン』は評論家が選ぶ[今年一番のカムバック]に選ばれた。
<中略>
ビーチボーイズ側としても、ブライアンがソロとして好意的に受け止められていることはおもしろくない。そこで、『ブライアン・ウィルソン』のレコーディングと同時期、すでにリマスタリング作業を終えていた『ペット・サウンズ』のCDリリースをやめさせ、ブライアンのソロとの相乗プロモーションを食い止めようとした。
ブライアンが何かやろうとする時、ビーチ・ボーイズ側から横槍が入る、という図式は決してこれが最後ではなかった。


上の一文は遅ればせながら読んだドミニク・プライア著の「スマイル」からの引用です(P268-269)。

スマイル/ドミニク プライア


読みながら思い出したのが、ビーチ・ボーイズ(BB5)により本国では発売中止となったと書かれている『ペット・サウンズ』がこの時日本ではCDとして発売されていたことです。発売日は1988年12月21日、東芝EMIの廉価リイシュー・シリーズ”GREEN LINE 2800”の一枚としてでした。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

『ペット・サウンズ』が20世紀最高のアルバムとして評価されるようになった現在では想像できないかもしれませんが、実はこの日本盤CDが『ペット・サウンズ』の世界初CD化だったのです。東芝EMIはビートルズでも『アビー・ロード』をフライング発売したことがありましたが、この『ペット・サウンズ』もフライングだったようで発売後すぐに生産中止/回収が行われ早々と市場から姿を消しています。

この時に、何故日本で世界初CD化だったの?と思ったものでした。確かに世界に先駆けマニアックなCDを初CD化(確かスモール・サークル・オブ・フレンズも世界初は日本でした)することが多い国ではありますが、『ペット・サウンズ』といえばビーチ・ボーイズのいちおうは代表作の1枚ですからね。実はBB5がブライアンを妬んで発売を阻止していたからだったとは。確かにソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』という”天才未だ健在”を感じさせるアルバムとその天才がかって作り上げた最高傑作がレコード店の店頭に並んで飾られれば、相乗効果が生まれブライアンの評価およびビーチ・ボーイズの再評価が高まることは必至でした。確かに『ペット・サウンズ』の評価はその全ての楽曲(一曲除く)を生み出したブライアンの評価ということになってしまうのでしょうけど、あくまでビーチ・ボーイズのアルバムですから、他のビーチ・ボーイズにとっても結果的にはいろいろと恩恵が生まれるはずなのですが、そうは思ってもらえなかったようです。

というか、基本的にこの時期はまだまだ『ペット・サウンズ』なんてCDにしても大して売れないんじゃないかという評価がビーチ・ボーイズやキャピトルにはあったのかも知れませんね、だから簡単に発売を見送れた。ビーチ・ボーイズからすればライヴで演奏できる曲の少ないアルバムだし、こんなん出すよりは『終わりなき夏』のようなサーフィン/ホットロッドのヒットは満載のベスト盤の方がCDにする価値があるってなもんだったんじゃないかと想像します。

実際ビーチ・ボーイズのアルバムのCD化の状況を見てみると86年にLP2枚組のベスト『メイド・イン・USA』が発売されたときにCDも同時に発売されていて、このアルバムがビーチ・ボーイズの初CDじゃないかと思います。そして翌87年にはLP時代の楽曲に「グッド・ヴァイブレーション」を加えた『終わりなき夏』が発売されています。ではオリジナル・アルバムは、となるのですが88年1月5日発売の前述のグリーン・ライン・シリーズの第一回発売の中に『サマー・デイズ』の名があり、これが記念すべきビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムの初CD化ということになります。



レコード・コレクターズの88年2月号に森勉さんによるアルバム・ガイドがあり、それによれば”「アミューズメント・パークスUSA」「アイム・バックド・アット・マイ・オール・マン」がカットされたアメリカ盤の救いの道はなし。ここは迷わず国内盤を。”ということだったみたいです。収録時間の制限が有るわけでもなし、何故にアメリカ盤は2曲をカットしてCDにしているのでしょうか?まったく理解できません。まぁ当時のキャピトルにとってみればビーチ・ボーイズのカタログ特にオリジナル・アルバムなんて勝手に改変したって売上には関係ないと思えるほど評価の低いものだったということだったのでしょう、トホホ。

The beach boys - I'm bugged at my ol'man (studio)


ただキャピトルやビーチ・ボーイズの味方をする訳ではありませんが、当時のアメリカではまだまだCDのシェアは低くアナログ盤がメインであったのでCD化が遅れていたというのはあるかと思います。対して日本の場合は88年には若干アナログの生産枚数がCDを上回っていましたが翌89年になると完全にCDが主流となり世界で見ても異例な位にCDの再発も進んでいました。なにせ『サマー・デイズ』のCD評が載ったレココレ88年2月号はトッド・ラングレンのベアズヴィル時代のアルバムが全てCD化(もちろん世界初)されたのを受けてのトッド・ラングレン特集ですからね、今思えばすごい。

『ペット・サウンズ』ではフライングをしてしまった東芝EMIですが米キャピトルがなかなか重い腰を上げないのに業を煮やしたか89年7月にキャピトル時代の全てのオリジナル・アルバム(『クリスマス』除く)を全てCD化してしまうという快挙を行います。実をいうとこの時の発売で僕はビーチ・ボーイズの楽曲をベストではなくオリジナル・アルバムの形で初めてちゃんと聴くことになり、一気にファンとなりました。なんだビーチ・ボーイズについてあれやかれや書いてるくせに随分遅いなと思われるかもしれませんが、おそらくキャピトル時代のカタログが国内盤できちんとレコード店の店頭に並んだのは10年ぶり位だったんじゃないかなと思われ、とにかく80年代ってビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムってほとんどレコード店にはなく、聴きたくても聴けなかったんですから。

キャピトルがついに重い腰を上げたのが翌90年夏でオリジナル・アルバムを2イン1、あぁでもやっぱそんな扱いかい、という形で再発をスタートします。ただこの再発には貴重なボーナス・トラックが追加されていたのと収録曲についての詳細な解説が載ったブックレットが付いていてこれがファンにとっては勉強になるものでした。

そしてこのCD化によりビーチ・ボーイズのシングル以外の素晴らしい楽曲が手軽に聴けるようになったのが契機になったのか、ビーチボーイズ・チルドレンとも言うべきミュージシャンも生まれてきます。そんな中の一人が今回のビーチ・ボーイズのツアーでもバンマスとしてサウンド面を仕切るダリアン・サハナジャでした。

DARIAN- Do You Have Any Regrets


上の動画は未発表に終わった『スウィート・インサニティ』に薄っぺらいラテン・サウンドで収められていた「ドゥ・ユー・ハヴ・エニィ・リグレッツ」を”俺ならこういう風にアレンジするぜ、こっちの方がすっとアンタらしいぜ”とブライアンに伝えたかったんじゃないかと思えるビーチボーイズ愛に満ちたダリアン・サハナジャのカバー・シングルです。アーチスト名をダリアン・サハナジャじゃなくて「ダリアン」としてるのもDARIANとBRIANがパッと見似てるからじゃないかと。こういう若い世代からのリスペクトがブライアンに自信をとりもどさせステージに再び立ち、プライア著「スマイル」によればマイクを中心とするビーチ・ボーイズによって幻とされてしまった『スマイル』を復活させることとなります。

ふと思ったのですがレコードからCDへとメディアが変化する際の音楽の聴き方の変化により評価が大きく変わったアーチストやアルバムがたくさんありますがビーチ・ボーイズも大きく評価が変わった、再評価されたひとつかと思います。もしメディアがレコードのままだったら、ブライアンはここまで長生きできなかったかも知れないし、訃報を伝えるニュースには60年代ヒットを飛ばすがドラッグなどにより70年代以降はすっかり人気がなくなりロスの自宅で寂しく亡くなったみたいに書かれていたかもしれませんね・・・。歴史にもしは無いのですが、そんなもしじゃなくて良かったと思います。

Ben Vaughn Quintet - Ben's Prayer a/k/a The Prayer (the Kill Mike Love song)

過ぎゆく夏

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ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ/ビーチ・ボーイズ


遂に発売されましたビーチ・ボーイズのニュー・アルバム。出張先の名古屋で飼って帰って、まだ家で一度聴いただけなのですが、いいです。ブライアンのソロもまぁ言うてしまえばビーチ・ボーイズみたいなもんなんですが、やっぱこうやってマイク、アル、ブルースの声と共にブライアンの歌声が聴こえてくるとやっぱ魔法が生まれます。

1. あの頃に... Think About The Days (B.Wilson/J.Thomas)
2. ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ~ That's Why God Made The Radio
(B.wilson/J.Peterik/L.Millas/J.Thomas)
3. 今がその時 Isn't It Time(B.Wilson/M.Love/J.Peterik/L.Millas/J.Thomas)
4. スプリング・ヴァケーション Spring Vacation(B.Wilson/M.Love/J.Thomas)
5. ビルとスーの私生活 The Private Life Of Bill And Sue(B.Wilson/J.Thomas)
6. シェルター Shelter(B.Wilson/J.Thomas)
7. 海に輝く夜明け Daybreak Over The Ocean(M.Love)
8. 心のビーチ Beaches In Mind(B.Wilson/M.Love/J.Thomas)
9. ストレンジ・ワールド Strange World(B.Wilson/J.Thomas)
10. バック・アゲイン From There To Back Again(B.Wilson/J.Thomas)
11. パシフィック・コースト・ハイウェイ Pacific Coast Highway(B.Wilson/J.Thomas)
12. 過ぎゆく夏 Summer's Gone(B.Wilson/J.B.Jovi/J.Thomas)

13. 恋のリヴァイヴァル (2012ヴァージョン) Do It Again 2012(B.Wilson/M.Love)

ちょっと、びっくりしたのは最後の3曲(10~12)。ビーチ・ボーイズのパブリック・イメージには合わない内容です。特にラストの「過ぎゆく夏Summer's Gone」。「終わりなき夏Endless Summer」というコピーで売られてきたバンドが”夏は終わった”と歌っています。



夏は去った
陽が沈むように終わってしまった
新しい日が始まるとき
古い日は終わる
僕はその全てを生き そして戻ってきた

夏は去った
僕は座り込み 波を眺めていよう
僕たちは笑い 泣き
生き そして死んでいく
過ぎ去った昨日を夢に見ながら


これでビーチ・ボーイズはおしまいなのだろうか?

と、しんみりとしていると数秒おいて聴きなれたイントロが・・・・

当たり前なんだけど ガキ時代のツレと話してると
女の子の話になっちまう
柔らかくて長い髪の女の子たちがいる
そんな浜辺には行かずにいられなかった

日焼けした身体と 太陽のキラメキ
カリフォルニアの女の子と美しい波打ち際
暖かい気候 さぁ行こうぜ
もう一回 楽しむんだ


日本盤のみに追加されたボーナス・トラック(本国では以前紹介した通販会社QVCのおまけのCDに収録)「恋のリバイバル2012」です。これってアルバムの流れを全く無視したボーナス・トラックと言えるのでしょうが、正直このボートラが最後に聴こえてきたことでひょっとしたら次もあるのかな、あって欲しいなと思ってしまいました。しかしこの脳天気さはマイクの歌詞ならではという気がします。マイクとブライアンやっぱりいいコンビだな(笑)。

That's Why God Made The Radio〜神の創りしラジオ〜

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John Barry (1933-2011) - The Midnight Cowboy Theme


ラジオ讃歌、それはかってのビーチボーイズ讃歌とも言える表題曲の下敷きに、何故に陽光を目指しながら決してたどり着くことのできなかったラッツオの物語のテーマを選んだのか・・・・。

ブライアンらしい、のかな?




ついでにこの曲を
Harry Nilsson - Everybody's Talkin' (1969)


おひさまの有るところなら
どこへだって出かけるさ
激しい雨の中だろうと

R.ブラッドベリの夏、B.ウィルソンの夏

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

書くのが遅くなりましたがブラッドベリがさる6日になくなりました。僕が外国人作家で名前を意識して読み漁ったのが最初はコーネル・ウールリッチ(akaウィリアム・アイリッシュ)、そして次が高校時代のレイ・ブラッドベリでした。なんでブラッドベリを読んだのか思い返した時に萩尾望都のせいかなと思ったりもしたのですが萩尾望都がブラッドベリを漫画化しはじめたのが「霧笛」からで「週刊マーガレット」の1977年9号からのようなので、その前から読んでいましたね。とするとやっぱり「たんぽぽのお酒」なんだと思います。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
たんぽぽのお酒/レイ ブラッドベリ 

高校に入ってアメリカン・ロック聴いていて、「宝島」読んでいてみたいな友達が何人かできたのですが、そいつらから薦められたというか部屋なんかに遊びに行くと本棚にあったのがブローティガンの「アメリカの鱒釣り」であり、ハインラインの「異星の客」であり、そしてブラッドベリの「たんぽぽのお酒」でした。

余談ですが、「鱒釣り」「たんぽぽ」の出版元である晶文社のロゴはサイ、そして80年代ガールズ・グループやガレージ・ロックのLPを買いあさっていた頃に内容も解説も一番充実したコンピを出していたのがサイのマークの(今はかわりましたが)ライノ・レコードと「サイ」のマークは僕にとって品質保証の証と言えるかもしれません(笑)。

>輝く夏の陽ざしのなか、12歳の少年ダグラスはそよ風にのって走る。その多感な心にきざまれる数々の不思議な事件と黄金の夢…。夏のはじめに仕込んだタンポポのお酒一壜一壜にこめられた、少年の愛と孤独と夢と成長の物語。「イメージの魔術師」ブラッドベリがおくる少年ファンタジーの永遠の名作。

Amazonに書かれたコピーを引用しましたが、太陽に向かって誇り高く咲くたんぽぽは夏の象徴であり、そのたんぽぽを使って作られる「たんぽぽのお酒Dandelion Wine」には毎年の「夏」が閉じ込められています。そして12歳のダグが作る「たんぽぽのお酒」には夏と一緒に無垢な少年性が永遠に封じ込められます。

The Beach boys - All summer long


たまたまビーチ・ボーイズのニュー・アルバムの発売が重なっていたことで、今までは考えもしなかったことですが、ブラッドベリの小説のテーマとビーチ・ボーイズというかブライアンの音楽のテーマってけっこう共通している気がしてきました。永遠の夏、永遠のイノセントに憧れながらも大人になってしまう時の喪失感、そんなものを二人は描こうとしている気がします。

ブラッドベリの作品を数年、いや十数年ぶりに読み返してみたのですが、コブスキさんが「「師」を悼む」というエントリで取り上げられていた「十月はたそがれの国」の中の短編「みずうみ」がやはり印象に残りました。

この作品、宇野利泰さんの訳文も素晴らしいのですが、ネットに原文がありましたのでリンクを貼っておきます。ブラッドベリの肩書きには「詩人」というのもあるのですが、この作品など小説というより散文詩のような美しさがあるのではと思います。お時間がありましたらブラッドベリ節をご堪能ください。
→ The Lake by Ray Bradbury

”肉とモラルが意味をもちはじめる以前の恋。横たわっている風と水と砂とおなじに、永遠に汚れを知らない恋。ものういばかりにしずかな日の、ねむけをもよおす授業のあいだと、あたたかい夏の日を、なぎさでいっしょに遊ぶことで育て上げた恋。
It was that love that comes before all significance of body and morals.It was that love that is no more bad than wind and sea andsand lying side by side forever.It was made of all the warm long days together at the beach,and the humming quiet days of droning education at the school.”

12歳の少年ハロルドのそんな恋の相手であった同級生の少女タリーは5月に湖でおぼれ、その死体も行方不明のままハロルドから失われてしまう。

夏の終わり、それはハロルドの少年期の終でもあるのだが、引越し前の母子は湖で最後の時を過ごしている。タリーを忘れられないハロルドは湖にタリーの名を何度も呼び、波打ち際にいつも二人で半分ずつ作った砂の城の半分をこしらえ”タリー、ぼくの声が聞こえたら、もどってきて、このあとの半分をつくってくれ”と言い残し、遠くにメリゴーラウンドをすぎる風の音が聴こえる湖を去る。

10年の時が過ぎ大学で知り合ったマーガレットという美しい女性と結婚したハロルドは新婚旅行でかって過ごした東部の湖の町を訪れる。そして2週間のハネムーンを終え最後に湖のほとりに散歩に出かけます。湖畔ではタリーと思われる変わり果てた亡骸がライフ・ガードにより発見されていました。

その亡骸を見たハロルドは今も変わらぬ少女タリーへの想いに気づきます。

I thought: people grow.
I have grown.
But she has not changed.
She is still small.
She is still young.
Death does not permit growth or change.
She still has golden hair.
She will be forever young and I will love her forever,
oh God, I will love her forever


そして亡骸が発見された水辺には半分だけ作られた砂の城、その傍らには湖の中から砂の城に向い、そしてまた水に戻ったように見える小さな足跡。

”ぼくも、仕上げを手伝おうI'll help you finish it,”

そうして半分だけだった砂の城を完成させたハロルドは波が城を壊してしまうのを見まいとして水辺を後にします。

"渚に戻ったぼくを待っていたのはマーガレットいう名の見知らぬ一人の女性だった・・・・"

I walked back up the beach to where a strange woman named Margaret was waiting for me,smiling..............

怖いけど美しい作品ですね。

スマイル/EMIミュージックジャパン


半分だけの砂の城を『スマイル』だとすると、『スマイル』を完成してしまったブライアンにとってビーチ・ボーズはもはや"a strange band named The Beach Boys"なのかも知れませんね。だからかビーチ・ボーイズのニュー・アルバムであるにもかかわらずブライアンこんな風に歌っています。

My life, I'm better off alone
My life, I'm better to my own

Pacific coast highway

なんか最後は無理やりビーチ・ボーイズに結びつけてしまいましたが、しばらくはブラッドベリの作品を読み直しながら彼の安らかな眠りを祈りたいと思います。 RIP



PS.「みずうみ」は萩尾望都が素晴らしいマンガにしていますので、こちらも興味があればご一読を。


ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ/EMIミュージックジャパン



ウは宇宙船のウ (小学館文庫)/萩尾 望都


ダウン・アンダー

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Mental As Anything - 'The Nips Are Getting Bigger' 1979


日本代表のオースラリア戦を見ながらこのバンド、メンタル・アズ・エニシングを思い出していました。初めて聴いたのが84年くらいだったのでその頃デビューかと思ったのですが、79年デビューだったんですね。ということはメン・アット・ワークなんかもこのバンドの影響を受けたりしてるのかも知れませんね。どこかヘンな音楽という意味で(笑)。

Men At Work - Who Can It Be Now (1981)


コリン・ヘイ、やっぱり変な声です。

オーストラリアってダウン・アンダーと呼ばれることありますが、失礼な別名ですよねコレ。

Men At Work - Down Under




Get Wet/Mental As Anything


Business As Usual/Men At Work

ALL JAPAN POP 20 1974年6月第1週

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Paul McCartney & Wings - Rock Show~Jet


この週も1位は「ジェット」、これで6週連続の1位獲得です、ポール強し。3位には「ロコモーション」6位からジャンプ・アップ、1位も狙えそうな勢いです。以下は上昇したり下降したり(ジギー・スターダストみたい)かなり混乱したランキングになっていますが、カーペンターズがきっちり順位を上げているのが彼らの人気の高さを証明している気がします。

リンゴの「ユア・シックスティーン」が圏外に消えてしまいましたが、入れ替わりで同じくアルバム『リンゴ』からのシングル「オー・マイ・マイ」が初登場しています。

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(2位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
3位(6位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
4位(5位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
5位(7位) ディープ・パープル/紫の炎
6位(9位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
7位(4位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
8位(3位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
9位(15位) カーペンターズ/愛は夢の中に
10位(12位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
11位(17位) スージー・クワトロ/悪魔とドライヴ
12位(14位) スリー・ドッグ・ナイト/ショウ・マスト・ゴー・オン 
13位(8位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
14位(10位) ジム・クロウチ/タイム・イン・ア・ボトル
15位(11位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
16位(20位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ
17位(19位) アルバート・ハモンド/ダウン・バイ・ザ・リバー
18位(18位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
19位(23位) リンゴ・スター/オー・マイ・マイ
20位(16位) ポール・サイモン/アメリカの歌


19位(23位) リンゴ・スター/オー・マイ・マイ

Oh My My - Ringo Starr


1,2,3,4

医者に電話した 調子が悪くってさ
”診察に来てください”
”やっぱ行かなきゃダメ?”
膝はガタガタ 腕は痛み出す

医者はこういった

”患者さん 患者さん あんたブギー ブギーは踊れますか 
 患者さん 患者さん あんたブギー ブギーを試すべき
 患者さん 患者さん 死にたくなかったら ブギーだよ” 


ノリが信条のブギ・ウギ・ナンバーってことで、歌詞は適当に書きましたという感じですね、深い意味はなし。リンゴとヴィニー・ポンシアの共作となっていますのでこのナンセンスな歌詞は主にリンゴが書いたのでしょうきっと。

アルバム『リンゴ』のブックレットには一曲毎のパーソネルが書いてあったはずなのでこのアーシーな演奏に誰が参加しているのか確認しようと思ったのですが、いつもの整理の悪さのため結局CDは見つからず確認できませんでした。ただウィキを見ると女性コーラスとしてメリー・クレイトンとマーサ・リーヴスが参加しているようで、そう言われると後半のコーラスはどこか「ギミー・シェルター」を彷彿とさせます。ストーンズということを意識して聞くとピアノはニッキー・ホプキンス、サックスはボビー・キーズなのかなんて思ってしまいます。『リンゴ』は本人の顔の広さから大勢の有名ミュージシャンが参加しているけど何故かストーンズのメンバーは参加していないのが不思議。



It's Only Rock'n'Roll, But I Like It !

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なんじゃ、こりゃ。ぜんぜんロックン・ロールやないやんけ、と思いながらもとりあえず1本買ってしまう自分もロックン・ロールやないなぁ・・・。



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