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神の創りしアルバム 前段

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ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ/ビーチ・ボーイズ


実を言うと期待する気持ちが半分、「でもな」(byブラマヨ吉田)という気持ちが半分でした。何がって言うとビーチ・ボーイズのニュー・アルバムについてです。期待は85年の『ザ・ビーチ・ボーイズ』以来のブライアン・ウィルソンが参加したビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムであるということ。しかし27年ですよ、僕の人生の半分以上の長きに渡ってビーチ・ボーイズはまともなアルバムを作っていなかったなんて、今更ながらに唖然としてしまいます。なんたる時間の無駄遣い。もちろんこの間にビーチ・ボーイズはまったくアルバムを作っていなかったというわけではありません。

まずは89年夏に『スティール・クルージン』が発表されています。

スティル・クルージン/ザ・ビーチ・ボーイズ


どういう経緯なのかは分かりませんでしたがビーチ・ボーイズに映画「カクテル」に楽曲を提供する話が舞い込みます。ブライアン・ウィルソンはセラピストであるユージン・ランディの監理下ソロ・アルバムを作成中でビーチ・ボーイズとは別行動中。ビーチ・ボーイズの内規ではグーループに来た仕事はすべてのメンバーに伝えることになっていましたが、マイク・ラヴはブライアンが別行動をしているのをこれ幸いと旧知のテリ・メルチャー、ジョン・フィリップ、スコット・マッケンジーを呼び寄せ映画にぴったりのトロピカルなナンバー「ココモ」を書き下ろします。そして録音の前日に離れた場所にいるブライアンに連絡を入れます。つまり「ココモ」の録音には事実上参加は出来ないことを踏まえた上でブライアンに伝えるだけは伝えた、参加しないのはあんたの事情だろうということです。こうしてブライアンが参加しないまま「ココモ」は録音されることになります。

The beach boys - Kokomo

(余談ですが、この曲ライ・クーダーも参加してたんですね、知りませんでした)

88年7月「ココモ」はエレクトラから発売されていたサントラ盤からシングル・カットをされ「グッド・ヴァイブレーション」より22年ぶりとなる全米NO.1の大ヒットとなります。実は「ココモ」が発売される少し前にブライアンのソロからのリード・シングル「ラヴ&マーシー」(名曲だ!)がシングル・カットされビーチ・ボーイズのリーダーのソロ(奇しくも「キャロライン・ノー」以来22年ぶりのソロ・シングル)としてラジオでオン・エアーをされ始めたところでしたが、「ココモ」が発売されるや「ラヴ&マーシー」はプレイ・リストから外されます。ブライアン曰くラジオ局にビーチ・ボーイズ枠はひとつしかなく「実」より「名」を選んだというわけです。「ココモ」の方は「カクテル」の映像を挟み込んだプロモ・クリップがMTVでがんがん流れたのも大きかったようです。片や「ラヴ&マーシー」はプロモが作られることはありませんでしたので、当時の状況からすると勝ち目はないですね。

ビーチ・ボーイズとエレクトラは「ココモ」のみ、しかもサントラ用のみの契約であったようで、「ココモ」を含むアルバム発売の契約はまだなく、そこに目をつけたのが裁判の末にケンカ別れしたはずの古巣キャピトルでした。

全米NO.1の「ココモ」を含むアルバム1枚分の契約をしたキャピトルでしたが、それだけでは不十分と考えたのか新曲を含めブライアンの曲を必ず入れることをアルバム発売の条件としていたようです。恐らくはマイクは苦虫をかみつぶしながらブライアンに頭を下げ新曲を依頼しますが、ブライアンが提供してくれたのは「イン・マイ・カー」の一曲のみ。「ココモ」同様にテリー・メルチャー、ジョン・フィリップ、スコット・マッケンジーの手を借り「スティル・クルージン」「サムホエア・ニア・ジャパン」を書き上げます。あとアル・ジャーディンの新曲「アイランド・ガール」やファット・ボーイズのドキュメンタリーの中で共演したサファリーズのカバー「ワイプアウト」などを用意しますが、それでも全然曲が足りません。そこで思いついたのが「ココモ」が映画に使用された曲だったということで過去に映画で使われたビーチ・ボーイズの楽曲をかきあつめてアルバムの体裁を整えるというものでした。

The Beach Boys - Still Cruisin'

(ココモの「浜辺」のイメージの後は「車」というのがなんとも安易な気がします。アルバムからのリード・シングルとして7月に「ココモ」をB面にシングルが発売されますが結果は93位とかろうじてTOP100入。49秒あたりに録音には参加していないブライアンがカメオ出演しています。人がいいというか・・・)

結果的に新曲と過去楽曲が入り交じったなんとも半端な企画盤になってしまった『スティル・クルージン』ですが、それでも前作『ザ・ビーチ・ボーイズ』の60位を上回る42位でゴールド・ディスクを獲得はしています。映画使用楽曲でこじつけるのなら同時期のメル・ギブソン主演の映画「テキーラ・サンライズ」で使用されていたエバリー・ブラザースとのコラボ「ドント・ウォーリー・ベイビー」なんてのも入れてくれれば良かったのに、同じキャピトル音源なんだから。

The Everly Brothers - Don't Worry Baby


ゴールド・ディスクは獲得したもののアルバムのいいかげんさに呆れたのか元々の契約通りキャピトルとの契約は切れてしまいます。マイクとしてはブライアン抜きでも「ココモ」級のヒットは作れるところを見せようと「スティル・クルージング」、「サムホエア・ニア・ジャパン」と立て続けにシングルを発売(どちらもカップリングは「ココモ」でした、トホホ)したもののチャート的にはほとんど無視されてしまいます。マイクとしては不本意なのかもしれませんがやはりビーチ・ボーイズにはブライアンの楽曲が必要なのだということです。しかしながらブライアンはユージン・ランデイにマインド・コントロールされビーチ・ボーイズのためではなくソロのための楽曲しか作ろうとはしません。よってビーチ・ボーイズはユージン・ランディとブライアンを引き離そうと裁判を起こします。

80年代後半から90年代前半にかけビーチ・ボーイズとブライアンの確執が続きますが、世間ではアナログ・レコードからCDへの切り替えが進みビーチ・ボーイズのカタログもキャピトル~リプリーズ~カリブ時代の音源が全てCD化され一気に再評価が進みます。特にブライアンの才能が炸裂した『ペット・サウンズ』の評価はアナログ時代以上の評価を得ることとなります。

そんな再評価に乗じたのかビーチ・ボーイズはブライアン抜きで「ココモ」や「スティル・クルージング」などにみられたトロピカル路線を基調にした新しいアルバムの録音を行います。しかしながらブライアン抜きのアルバムに興味を持つレコード会社はなく結果的には自主制作に近い形で1992年に発売されたのが『サマー・イン・パラダイス』でした。

サマー・イン・パラダイス/ザ・ビーチ・ボーイズ


自主制作ということもあり今回はブライアンの曲は一曲もなしかと思いきやデビュー曲の「サーフィン」をブライアン抜きでセルフ・カバー、おまけに「スティル・サーフィン」(「スティル・クルージン」の後にこのタイトルっていうのもなぁ)というマイクのイタチ声炸裂のナンバーまで収録されており、デビューから30年経っても俺たちの夏は永遠だぜと宣言している、そんなアルバムになっています。まぁいろんな意見はあるかとは思いますが、ライヴ班としてのビーチ・ボーイズを率いてきたマイク・ラヴが護りたかった「ビーチ・ボーイズ」はこういうものだったのかと思って久しぶりに聴き返すと、悪くはないアルバムかなぁ思ってしまいました。なにせブライアン抜きではありますがまだまだ若々しいビーチ・ボーイズの4/5のハーモニーが聴けるのですから(カールの声が泣けます)。

The Beach Boys - Still Surfin' - 1992


たしかにそれなりには聴けるアルバムなのですが、60年代のビーチ・ボーイズのアルバムとは決定的に何かが違う気がします。燦々と輝く太陽を歌いながらも、いつか夏は終わるということを知る「切なさ」のようなものがビーチ・ボーイズの歌にはありました。しかしながらこのアルバムからはその「切なさ」が感じられない。何故なのか、それはもちろんブライアンの不在に尽きるかと思います。

さて、そのブライアンなのですが、ビーチ・ボーイズが起こした裁判により94年ユージン・ランデイとの関係を断たれることとなります。ユージンに依存していたブライアンにとっては当初は不安を抱かせる判決でしたが、ブライアンをコントロールしようとしたユージンに代わりブライアンをリスペクトする世代とのコラボレートを行う機会が生まれ、結果的にブライアンを独り立ちさせライヴ活動に対しても積極的になり最終的にはあの永遠に消し去りたかったはずの『スマイル』までを復活させることにつながっていきます。

おっと先を急ぎすぎました、自信を取り戻したブライアンはソロのためではなくビーチ・ボーイズ用に曲を作りメンバーに歌ってもらおうとします。ところがマイクは、歌ってやってもいいけど、まずは自分の企画したコンサートにブライアンが参加することを求めます。そのコンサートというのがビーチ・ボーイズの名曲の数々をカントリーの有名歌手に歌わせビーチ・ボーイズがバック・コーラスを付けるというもので、ナッシュヴィルで行われたコンサートは好評価を得、その余勢をかってスタジオでコンサートを再現したのが1996年のアルバム『スターズ・アンド・ストライプVol.1』でした。

Stars & Stripes Vol.1/Beach Boys


個人的にカントリー・ロックが好きなのでこのアルバム嫌いではないです。ビーチ・ボーイズ・ナンバーってけっこうカントリーと親和性が高いなぁなんておもったりもします。

The Beach Boys and Lorrie Morgan - Don't Worry Baby (1996)


マイク以上にブライアンの気持ちを理解したウィリー・ネルソンのカバーもありますしね。

Willie Nelson The Warmth Of The Sun


しかしながら、リード・ボーカルを全てメンバー以外が務めたアルバムを果たしてビーチ・ボーイズのアルバムといっていいのか大いなる疑問です。

ブライアンは先のマイクとの約束を信じてこのアルバムのレコーディングに参加しますが、結果的にはこのアルバムから今回の『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ』が発売されるまで、ビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムは16年間発売されることはありませんでした。つまり約束は反故にされたということです。おそらくはこのことが契機になったのかブライアンはビーチ・ボーイズに見切りをつけソロ活動に本格的に取り組むようになっていきます。

そしてビーチ・ボーイズがアルバムを16年間発表できない間にブライアンは7枚のスタジオ・アルバム(その中にはマイクやカールに反故にされた楽曲「ソウル・サーチン」や「ゲティン・イン・オヴァー・マイ・ヘッド」なども含まれる)と2枚のライヴ・アルバムを発表しています。そしてあの『スマイル』をビーチ・ボーイズとしてではなくブライアン・ウィルソンとして発表。これは完全にビーチ・ボーイズを離れ独り立ちをしたことを意味していると思いました。そして98年のカールの死。これで兄弟をすべて失ったブライアンにとってはマイクという従兄弟はいるものの、戻るべき場所ではなくなった、名より実で考えればブライアンのソロ活動こそが正統「ビーチ・ボーイズ」なのですから、と意識はしないまでも心のどこかで思っていました。

ところが、結成50周年という年に再構築されたソロ版『スマイル』を残されていたビーチ・ボーイズのテープを編集してビーチ・ボーイズのアルバムとして『スマイル』を再々構築するにおよび、やはりブライアンはビーチ・ボーイズに対して未練があるのかと思ったのですが、ついにはデビッド・マークスまでを巻き込んで無理やり5人編成のビーチ・ボーイズ(BB5)でのアルバム録音というニュースを聞き、あぁやっぱりブライアンといえども「実」より「名」を取るのかと思いながら新しいアルバム『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ』を聴いたという訳ですが・・・

ということで、ようやくというかまた最初に戻ってしまいましたが、何度か聞いた上での感想はまた次回に。とにかく、いいアルバムですよ、コレ。

The Beach Boys- Beach in mind



お陽さま いっぱいの場所を見つけよう
みんな ファン ファン ファン なとこさ

心の中の浜辺だ
ずっと そこに在るんだよ
僕がどこにいたって関係ないさ
サーファーと砂と海のある場所さ






Plug in, flush out and fire the fuckin' feed

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

タワーのサマー・セールでもベロ・マークが使われていますね。なんか知らないところで、ストーンズ来てるんですか?

ちなみに、この間のベロ・マークが使われたサントリーの発泡酒のTVCM(発泡酒単体ではなくストーンズ・バーというキャンペーンみたいです)ではアルバム「メイン・ストリートのならず者」のオープニング・ナンバー「ロックス・オフ」が使用されていて、それにあわせて新しいシングルも切られているようです。


ロックス・オフ/ザ・ローリング・ストーンズ

1. ロックス・オフ
2. ブラウン・シュガー
3. 悲しみのアンジー
4. イッツ・オンリー・ロックン・ロール
5. スタート・ミー・アップ

やっぱり、この辺がストーンズのパブリック・イメージということなのでしょうね。僕もそうですが・・・





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ALL JAPAN POP 20 1974年6月第2週

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すっかり更新をサボってしまっているAll Japan Pop 20です。18日はポール・マッカートニーの70歳の誕生日でしたのでこのエントリーの中でお祝いしようと思っていたこともすっかり忘れていました。20日のブライアン・ウィルソンの誕生日のことも・・・。しかしこの二人同い年で誕生日が2日違いというのも、海をへだてつライバル意識をもつ大きな要因だったのでしょうね。

Paul McCartney - Jet (Live in Quebec 2008)


またまた1位は「ジェット」、6週連続の1位。上位3位は動きなしですがやはりカーペンターズ強し、先週の9位からジャンプ・アップして5位に。初登場は2曲ロジャ-・ニコルス/ポール・ウィリアムスらしい大きなメロをアト・ガーファンクルが歌い上げる「青春の旅路」とポップなバブル・ガムの「恋のハート・ビート」。この2曲は曲調はまったく違うのですが、ある共通点があります。おわかりになりますでしょうか?

1位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
2位(2位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
3位(3位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
4位(5位) ディープ・パープル/紫の炎
5位(9位) カーペンターズ/愛は夢の中に
6位(4位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
7位(7位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
8位(11位) スージー・クワトロ/悪魔とドライヴ
9位(6位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
10位(12位) スリー・ドッグ・ナイト/ショウ・マスト・ゴー・オン 
11位(10位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
12位(8位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
13位(13位) アート・ガーファンクル/ひとりぼっちのメリー
14位(17位) アルバート・ハモンド/ダウン・バイ・ザ・リバー
15位(16位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ
16位(24位) アート・ガーファンクル/青春の旅路
17位(19位) リンゴ・スター/オー・マイ・マイ
18位(15位) カーリー・サイモン&ジェームス・テイラー/愛のモッキンバード
19位(18位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
20位(27位) デフランコ・ファミリー/恋のハート・ビート

16位(24位) アート・ガーファンクル/青春の旅路

Art Garfunkel - Travelling Boy


おきなよ 可愛い人
もう お昼だよ
また 独りになる時だ

この 旅する男ときたら
町から町へと通り過ぎるだけ
だけど いつだって
君のことを思っているよ


アートの代表作『天使の歌声Angel Clare』のオープンニング・ナンバーで大好きな一曲なのですが、シングル・カットされてたんですね、知りませんでした。おまけにシングルはアートの壮大なバラードへの文字通りの序章となるイントロをすっぱりカット、それだけでなくドラムがぐいぐいひっぱり大きく盛り上がるアウトロまでもすっかりカット(計1分20秒ほど)されており、受ける印象が大きく違ってしまっています。もちろん、圧倒的にアルバム・バージョンが素晴らしいので上の動画はアルバム・バージョンをアップしています。シングル・バージョンはランキングの方からリンクを貼っていますので聴き比べたいかたはそちらもどうぞ。

上にも書いた1分以上あるアウトロなのですが、もうほとんど主役と言っていいくらいにドラムが歌っています。そうですね、ハル・ブレインですね。

20位(27位)デフランコ・ファミリー/恋のハート・ビート

Defranco Family - Heartbeat Lovebeat


これまた大好きな一曲、50を超えた今でもバブルガムな音楽が大好きなのは中学時代にハード・ロックやプログレを聴く傍らでこういう曲を聴いていたおかげかなと思います。そしてプログレやHR/HMではなくバブルガムが残るっていうのはどうよという気もしますが・・・

軽快なポップスですがドラムに耳を傾けていただくと、もう好き放題やっているのがお分かりいただけるのではないでしょうか。キース・ムーンとまでは行きませんがかなりはっちゃけています。そうこれもハル・ブレインなんですね。最初に書きました「共通点」とはドラムスが同じ人ということでした。これだけ曲調の違う2曲で印象的なドラムが叩けるというのは流石は”4万曲でドラムを叩いた”と豪語するハルならではノプロの仕事といえるでしょう。ちなみに5位のカーペンターズもハル・ブレインですね。

スリー・ドッグ・ナイトに関しても「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」のあたりはハル・ブレインなので、「ショウ・マスト・ゴー・オン」もひょっとしてと思いましたが、違いますね。

「ショウ・マスト・ゴー・オン」をネットで調べていて、そうだったのかと初めて知ったことがありましたので最後に少しだけ。

このアルバムが日本発売された時は下のようなジャケットでした。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

病院での出産シーンで、マネキンのようではありますが、赤ちゃんが産んでいる女性の局部を隠すためにバンドエイドが貼られたデザインになっているんだぐらいにしか思っていませんでしたが。オリジナルのジャケットはこのバンド・エンドがないもので下のようなデザインだったのです。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

なんと、産まれているのはレコードだったんですね。タイトルの『ハード・レイバー』というのは重労働という意味ですが出産の重労働にスリー・ドッグ・ナイト自信がレコードを作る時の苦しみをかけていたというわけなんですね。思いついた時はなかなかいいアイデアだったのでしょうが、いざジャケにしてみるとちょっとグロい感じがしていますね(妊婦さんの足がなぜか鳥の足だし)。アメリカでは最初このオリジナル・デザインで出されたのですが、ユーザーからのクレーム(?)があってセカンド・プレスからバンドエイドを貼ったデザインに変更されたようです。日本では最初からそっちが使われたということだったようです。CD化されたときにはオリジナル・ジャケに戻されているみたいです。ちなみに日本盤は未発売、あれほど売れていた3DNですが日本では現在は評価低いですね。

オリジナル・ジャケを見ながら、ビートルズのブッチャー・カバーのことを何故か思い出してしまいました・・・。

雨の歌 #1

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悲しき雨音


恋のフーガ


ローマの雨


さよならは突然に


RIP

夏はこれからというのに・・・

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マイク・ラヴ相変わらずやっちゃってくれてます。

2012.06.27
ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴ、ブライアン・ウィルソンらを含まないメンバーで南米公演をブッキング
(ROCKIN'ON WEBより)

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music4月から活動50周年記念ツアーを敢行し、新作『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ~』も今月リリースしたザ・ビーチ・ボーイズ。ツアーはいよいよ7月から世界ツアーへと突入し、8月の来日公演も経て、9月末にイギリスでフィナーレを迎えることになっているが、マイク・ラヴが今回のオリジナル・ラインナップとは別の、これまでのザ・ビーチ・ボーイズ・ツアー・バンドとして秋以降の南米ツアーをブッキングしていることが明らかになっている。

マイク・ラヴは1998年からバンド名のライセンスを得て、元メンバーのブルース・ジョンストンとその他のミュージシャンと共にビーチ・ボーイズとしてツアーを行ってきていて、マイクが10月にペルーでブッキングしたライヴはこのバンドとしてのものだとか。なお、ブライアンは今回のツアーまではソロとしてツアーも展開してきていて、アル・ジャーディンも自身のエンドレス・サマー・バンドを率いてライヴ活動を行ってきたが、それぞれの活動は今回の50周年記念ツアーのために見合わせてきている。

マイクが南米でのライヴをブッキングしていたことについてブライアンは驚きを隠せずにいて、「マイクが南米でライヴを予定しているのは知らなかったよ。ぼくには初耳だね」と『ローリング・ストーン』誌に語っている。しかし、現在の再結成ツアーについてはあくまでも前向きに構えていて次のように心境を語っている。「ビーチ・ボーイズとしてのライヴをもっとやれないかという話もあるし、さらなる新作の可能性もあって、ぼくとしてはぜひやってみたいところなんだ。今度の再結成はぼくにはちょっと想像を超えてるんだよ」

ブライアンとしてはツアーも順調だし、みんなとステージを分かち合うのを満喫しているとのこと。また、23年ぶりの新作となった『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ~』がチャート3位にまでつけたことがなによりも格別だったと語っている。

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相変わらずの「オレ様」という感じですね。50周年記念のお祭りを盛り上げるためには、エゴを封印してブライアンとアルに頭を下げたものの、成果は十分と見るや、後はオレ様がやるから二人はまた自分の好きなことやってよ・・・てなことを思ってしまいます。

まぁ確かにニュー・アルバムはビーチ・ボーイズ名義ではありますが、誰が聴いてもマイクのビーチ・ボーイズではなくブライアンのビーチ・ボーイズになっちゃってますからね。アルバムを発表を決めた時点では、それは致し方のないこととマイクも割り切っていたのでしょうけど、いざ出してみてチャート3位となると自分よりブライアンが賞賛されるのが我慢ならなくなってきた。ましてや『神の創りしラジオ』でブライアンは”夏は終わった”なんて歌ってしまったわけで、「永遠の夏Endress Summer」のバンドとしてツアーを続けて金儲けをしているマイクからしたら夏が終わるなんてとんでもないこと。

ガーシュインやディズニーのカバー・アルバムを聴くと個人的にはブライアンにはもうビーチ・ボーイズにこだわらなくてもいいんじゃないという思いを持っていますが、インタビューではけっこうやる気出してたみたいなので、も少し展開があっても良かったのかなとも思います。まぁこの二人のこと今後何があるかは分かりませんが・・・

The Beach Boys - She's got rhythm

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ALL JAPAN POP 20 1974年6月第3週

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Grand Funk Railroad Locomotion live 1974


ついに来ましたグランド・ファンクのロコモーション、ウィングスの連続1位を阻止し見事にNO.1に。曲はもちろんキャロル・キング作でゴフィン/キング家のベビー・シッターであったリトル・エヴァが歌い大ヒットした「ロコモーション」のカバー。ただその頃の僕は元歌はゴールデン・ハーフだとばっかり思っていたので、いきなりラジオから英語で歌われる「ロコモーション」が流れたときは”びっくり仰天有頂天(by詠一)でした。ばりばりのハード・ロック時代のグランド・ファンク・レイルロードってちゃんと聞いたことないのですが、この頃のトッド・プロデュースでパワー・ポップっぽい音のグランド・ファンクは好きでした。
2位以下ではカーペンターズが確実に上がってきているのとスリードッグナイト、アート・ガーファンクルといったあたりが上位を狙っている感じです。
初登場は2曲、どちらもアイドルのようでどこか隠微な感じもする怪しい二人です。


1位(3位) グランド・ファンク・レイルロード/ロコモーション
2位(1位) ポール・マッカートニー&ウィングス/ジェット
3位(2位) ジェリー・ゴールドスミス アンディ・ウィリアムス/パピヨンのテーマ
4位(5位) カーペンターズ/愛は夢の中に
5位(5位) ディープ・パープル/紫の炎
6位(10位) スリー・ドッグ・ナイト/ショウ・マスト・ゴー・オン 
7位(8位) スージー・クワトロ/悪魔とドライヴ
8位(6位) そよ風のバラード/テリー・ジャックス
9位(11位) ギルバート・オサリバン/ハッピネス
10位(16位) アート・ガーファンクル/青春の旅路
11位(9位) ティーンエイジ・ドリーム/マーク・ボランとTレックス
12位(22位) ミッシェル・ポルナレフ/悲しみのロマンス
13位(7位) ラロ・シフリン/燃えよドラゴン
14位(14位) アルバート・ハモンド/ダウン・バイ・ザ・リバー
15位(15位) エルトン・ジョン/ベニー・アンド・ジェッツ
16位(17位) リンゴ・スター/オー・マイ・マイ
17位(12位) ミッシェル・ポルナレフ/僕はロックン・ローラー
18位(20位) デフランコ・ファミリー/恋のハート・ビート
19位(19位) オズモンズ/ムーヴィー・マン
20位(24位) デビッド・エセックス/魔法のランプ

12位(22位) ミッシェル・ポルナレフ/悲しみのロマンス
michel polnareff / la vie, la vie m'a quitte 


先週の22位かたいきなり12位ですからね、何度も書いていますがこの頃のポルナレフの日本での人気のほどがおわかりいただけるかと思います。ポルナレフはフランス人なんで当然曲の原題もフランス語ということで原題はほとんど憶えることなく邦題だけを憶えているせいかタイトルを見てもどんな曲だったか思い出せない場合が多いです。これもそんな一曲で実はぜんぜん違う局を思い描いていました、そうかこの曲だったのか。

20位(24位) デビッド・エセックス/魔法のランプ
David Essex-Lamplight


これも邦題から曲が思い出せなかったのですが、聴いてみたら、そっかこの曲かと思い出しました、けっこう好きだった曲です。デビッド・エセックスってデビュー時にミュージック・ライフなんかでもかなり大きく取り上げられていた「期待の大型新人」という感じの人というイメージです。イケメンということもありアイドルっぽいのかと思えばデビューの「ロック・オン」なんかに特に顕著ですが、イギリス特有の屈折したPOPという感じで、グラムを経るとアイドルもこうなるのか思ったものでした。ところが今回改めてプロフィールを調べてみるとこの人47年生まれで63年に一回歌手としてデビューして鳴かず飛ばずで苦節十年の再デビューだったんですね。だから主演映画でもリンゴと友達役だったりキース・ムーンとバンド組んだりしてたんですね、なるほど、今頃理解しました。

「魔法のランプ」は恋する娘の部屋からこぼれるランプの明かりを窓の下から眺めている男の歌です。というとロミオとジュリエットを思い出すでしょうが、どうもこの恋は男の片思い、それもかなり一方的な思いのようで、ほとんどストカーのような恋の歌でした。”雨どいをよじ登り一晩中眺めていたい”とか・・・。邦題の「魔法のランプ」はないでしょうね。

おまけ、他の曲も捨てがたい魅力があります。

David Essex - Gonna Make You A Star


Midnight Special-David Essex "Rock On"



雨の歌 #2 

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Neil Sedaka / Laughter In The Rain


田舎道を彼女と歩いていたら
雨が降り出し どしゃぶりに
傘もなくて すっかりびしょぬれで
背筋に寒気を感じてしまったよ

つないだ手に彼女のぬくもりが伝わる

あぁ 雨の中笑い声が聞こえる
愛する彼女と手をつなぎ歩く
あぁ なんて素敵な雨の日
幸せな道を歩いているようだ

雨を避け木陰に入り
彼女を振り返ると 唇がふれあう
葉っぱを叩く雨の音の中
彼女の穏やかな息遣いを聞きながら 瞳を閉じる

嵐の中 愛を分かち合う

あぁ 雨の中笑い声が聞こえる
愛する彼女と手をつなぎ歩く
あぁ なんて素敵な雨の日
幸せな道を歩いているようだ

つないだ手に彼女のぬくもりが伝わる
あぁ 雨の中笑い声が聞こえる
愛する彼女と手をつなぎ歩く
あぁ なんて素敵な雨の日
幸せな道を歩いているようだ


突然降り出した雨のおかげで見知らぬ二人が知り合ったり、友達であった二人の気持ちがぐっと近づくという内容の歌って何曲か頭に浮かびますが、ニール・セダカの「雨に微笑みを」なんかもその代表ともいえる名曲かなと思います。

ただし土砂降りではあっても、昨日の晩のような雷は鳴りまくるわバケツをひっくり返したような凄まじい土砂降りだととてもじゃないけどロマンチックな気分にはなれないですね(笑)。

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雨の歌 #3

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The Hollies - Bus Stop (Top Of The Pops, June 1966)


バス停 雨の日 そこには彼女
入りなよ僕の傘
バス停 発車するバス 残る彼女
傘の中 芽生える愛


前エントリで ”突然降り出した雨のおかげで見知らぬ二人が知り合ったり”と書いたのはこの歌が念頭にあったからでした。降りだした雨の中傘がなく濡れるがままの女の子に傘を差し出して二人は恋に、なんていうスレた今の自分からすると、なんとも陳腐な歌詞とも言えるのですが、このへんを楽しめるかどうかも60年代POPSを楽しめるかどうかにもつながる気がします。

陳腐かどうかはさておき映像が浮かんでくる歌詞ですよね。プロモ・ビデオも作りやすいんじゃないでしょうか。

対訳が体言止めでブツ切れのように感じられるかもしれませんが原詞の方も

Bus stop, wet day, she's there, I say
Please share my umbrella
Bus stop, bus goes, she stays, love grows
Under my umbrella

てな感じになっているゆえのことです。「よこはま たそがれ」のような感じの対訳にしたかったのですが、難しいですね。

もう日付が変わりそうですが7月7日に雨から生まれる恋の歌をアップするというのも、どうなんでしょうね。やっぱ「晴れ」の音楽をピック・アップすべきでした(笑)。


雨の歌 #4

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A Hard Rain's Gonna Fall /Bob Dylan ( The concert for Bangladesh 1971)


あぁ 何をしてるんだい 青い目の息子よ
あぁ 何をしてるんだい 愛しい息子よ
雨が振り出す前に 出かけたいんだ
うっそうとした森の奥深くへ歩いていきたい
そこでは 多くの人々いて 手には何もない
そこでは 毒の錠剤が洪水の中に漂い
そこでは 谷間の家は泥まみれの監獄と向き合う
そこでは 死刑執行人の顔はいつも隠れている
そこでは 醜いまでの飢えで 魂は忘れ去られている
そこでは 黒のみが色で 無こそが数
そのことを 話し 考え 喋り 息をする
それを山に反射させ みんなの魂に見えるようにする
そして沈み始めるまえに 海に立ち 
だけど歌い始めるまえに 歌の意味を知る 
そして とても激しく 激しく 激しく 激しく
とても激しく雨は降るだろう 


ディラン最初期のプロテスト・ソングとされる「激しい雨がふる」です。ディランらしいメタファーに富んだ歌詞で、発表された時期がキューバ危機でアメリカに終末感が漂っている時だったので「激しい雨」というのは一般的に”雨のように落ちてくる核ミサイル”や各戦争による”放射能の雨”とされています。ディラン自身は”キューバ危機の時代の気分は歌ったけど、雨はミサイルや放射能の雨じゃないよ”みたいな発言をしているようで、相変わらず食えない男という感じです。

ディランは別のところでは「雨」は”人々から自分で考えることを奪ってしまうような、ラジオや新聞で流される嘘っぱちの情報のこと”だなんていうことも言っているようです。

3.11以降の日本に当てはめれば、僕たちはずっと「激しい雨」にふられびしょ濡れになっているってところかも知れません。早く晴れて欲しいものです。

フリーホイーリン・ボブ・ディラン/Sony Music Direct



雨の歌 #5

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STEPHEN BISHOP /SAVE IT FOR A RAINY DAY


母を乗せて買い物に行く車の中でダッシュボードにあったルーマーの1stアルバムを聴いていました(ニュー・アルバム聴きたい!)。その中でスティーヴン・ビショップの「君に想いを」を聴きながらそう言えばスティーヴンの歌に「雨の日の恋Save it for a rainy day」という雨の歌があったなと思い出した次第で・・・

save ○○○ for a rainy dayというのは”万一に備えて○○○の用意をする”という成句です。ネット辞書Weblioには”It is wise to save money for a rainy day.=万一の場合に備えて貯金するのは賢明だ。”という例文が載っていました。

ではスティーヴン・ビショップの「雨の日の恋」ではどんな出来事に対して備えをするのかというと。美人でリッチだけどたちの悪い女に惚れた男に周りの友達たちが”注意しなよ あいつはまるでおもちゃのようにお前の心をズタズタにしてしまうぜ”と諭し、だからポイされても大丈夫なように心の準備をしときなよというわけです。

そんな友人たちの忠告にもかかわらず、盲目の恋に落ちている男は彼女から離れることができません。

”彼女が僕に触れると それだけでもうドキドキ 僕の心は彼女の手の中でドギマギ”してしまい、最後には白旗を上げてしまいます。”彼女に”いいわね いいわね いいわね”なんて言われたら とてもじゃないけどNOなんて言えないよー”

最後は延々と友達の忠告♫Save it for a rainy day♫が繰り返される(途中入る伸びやかな女声ボーカルはチャカ・カーン)のですが、この男、死ななきゃなおらないでしょうね。

ところでアップした動画はディック・クラークのアメリカン・バンド・スタンドのもののようです。この番組基本的に出演者の歌はリップ・シンクいわゆる口パクなのですが、スティーヴンさんももう少しレコードに合わせる努力をした方が良かったのではと思ってしまいます。途中から完全にズレてますもんね。間奏に短いけれどすぐにクラプトンと分かるギター・ソロが入るのですが、その部分ではスティーヴンさんたらまるで自分が弾いてるかのようにアコギでチョーキング(ベンディングか)してますね、ひょっとしたらリップ・シンクなんてやりたくなくてちょっと反抗的になってるのかな(笑)。


おまけ

映画トッツィーのテーマだった「君に想いをIt might be you」をアップしときます。どうも日本でのライヴのようですが、心にそっと寄り添う素敵なメロディです。



僕には恋の歌や 子守唄のストックがある
ほとんどが まだ誰にも聞かせていないものなんだ
何かが教えてくれるんだ それを聴くのは君だって
そうさ 君に違いない
僕の人生を託した歌 それは君のための歌だと感じるよ

君に違いないよ (君だよ)
君に違いないよ (君だよ)
僕が人生で待ち続けていたのは・・・


スティーヴンを思い出させてくれたルーマーのバージョンも




ベスト・オブ・スティーヴン・ビショップ/スティーヴン・ビショップ


シーズンズ・オブ・マイ・ソウル(初回限定バリュー・プライス盤)/ルーマー



ビア樽のような胸にブルドッグの顔

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

これでオスカーもらっていたとは、知らなかった。

Marty


リー・マーヴィンとむさいおっさん同士が殴り合う映画、こんなん誰がみるんや・・・

"Emperor of the North Pole"


毎週見ていたのに忘れてました、そういや、出てましたね。

Airwolf vs Airwolf


主役のジーン・ハックマン以上に印象に残りました。

The Poseidon Adventure - Lindas Death And Scotts Sacrifice


一度見たら忘れられない顔、イケメンだけが役者じゃないですよね。

アーネスト・ボーグナイン、95歳、大往生ですね。安らかに・・・・


Maureen Mcgovern - "The Morning After" from the Poseidon Adventure


マーティ [DVD]/アーネスト・ボーグナイン,ベッツィー・ブレア


北国の帝王 [DVD]/リー・マーヴィン,アーネスト・ボーグナイン,キース・キャラダイン


エアーウルフ シーズン 1 バリューパック [DVD]/ジャン=マイケル・ヴィンセント(声:磯部 勉),アーネスト・ボーグナイン(声:富田耕生,アレッ...


ポセイドン・アドベンチャー [DVD]/ジーン・ハックマン,アーネスト・ボーグナイン,レッド・バトンズ


ディレクターズカット ワイルドバンチ 特別版 [DVD]/ウィリアム・ホールデン,アーネスト・ボーグナイン,ロバート・ライアン



四人もアイドル

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広川太一郎で検索していて見つけてしまったのですが、続きがみたいです、この吹き替え版。

[日本語吹き替え版] ラットルズ 四人もアイドル


仕事しろ

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NEIL YOUNG WITH CRAZY HORSE /GET A JOB


電車にゆられながら、仕事をしながら、お風呂に浸かりながら、気がつくと頭の中でこの曲がなっている。なぜかくせになる曲なのだ。デビューから46年という年月を経ているのに、洗練ということを知らないようなこのアマチュアのような歌声は・・・・、クレイジー・ホースのせいなのか。「初心忘るるべからず」という言葉があるがこの人の場合ずっと初心のまま。長生きして欲しい。

しかし、この調子じゃ仕事みつかりそうにないな(笑)。

Silhouettes - Get A Job



Americana/Neil Young & Crazy Horse

(思ったよりもいいアルバムでした、やっぱクレイジー・ホースのおかげか・・・)

HAPPY BIRTHDAY TO KANAKO

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いつも訃報ばっかり書いてるのでたまにはお誕生日を祝うことに

ももいろクローバーZ「Z女戦争」


ももクロの赤色、でこちゃんこと 百田”エクボは恋の落とし穴”加菜子の18回目の誕生日です。\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!

百田といえばやはりエビ反り大ジャンプ。



動画の1分あたりをご覧ください。このジャンプには意味も無く感動してしまいました。

ももクロ、フランスでも絶賛されたみたいです。



しかし、(自称)いんちきアイドルがポケモンに続いてセーラー・ムーン主題歌ですか、どんどん本物(笑)になってきてますね。いんちき気分を忘れないで欲しいのですが。

天然ボケというか天然のアホさかげんが、たまらん坂




最後に鬱陶しい雨を吹っ飛ばすももクロの名曲を

ココ☆ナツ



ココココココココココココココ・・・・・ってとこが頭から離れなくなりますのでご注意を

雨の歌をと思ったのですが・・・

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「雨の歌」ということでストレートな雨の歌ではありませんが「Over The Rainbow」を取り上げようと思いつき、誰の「Over The Rainbow」が良いかと考え個人的にフェイヴァリットのリヴィングストン・テイラーで検索したのですが、こんなん出てきて当初の目的を忘れ見入ってしまいました。



55分40秒あたりからちらっと「Over The Rainbow」歌ってはいますということで。

ノーザン・ソングス その1

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ビートルズのビジネス戦略(祥伝社新書244)/祥伝社


最近読んだ本なのですが、ビートルズの成功を音楽的な面からではなく「商品開発」「マーケティング」「プロモーション」「財務政策」といったビジネス面からスポットをあてて書かれた本で、すでに既出の本からの引用も多いようですが、個人的には知らなかったことも多く興味深く読ませていただきました。

本の中にノーザンソングスについて触れた部分があり、以前このブログでも書いたことはあった(→だってただの北の町の歌なんだから)のですが、その時には知らなかった事もいろいろあったので、以前の文章をベースにまとめ直してみたいと思います。



ジョージ・ハリスンが皮肉たっぷりに「オンリー・ア・ノーザン・ソング」として歌ってもいる「ノーザン・ソングスNorthern songs」とはビートルズ特にレノン=マッカートニーの楽曲を管理する音楽出版社です。

最初に出版社というものについて簡単に説明しておくと、音楽家が新しい楽曲を作った際にそこにはその楽曲に対する著作権が生まれます。その楽曲を自分がCDにして誰かが買ったり、コンサートで他の音楽家によって演奏された場合にはそこから得られた収入の中から数%が使用料(ご存知の「印税」というやつですね)が著作権を持っている音楽家に支払われることになります。これは音楽家にとっての大きな収入源となります。ただしどんなに素晴らしい楽曲を音楽家が作ったとしても、それをCDとして出してくれる会社や演奏してくれる人がいなければその音楽の印税が著作者に入ってくることはありません。がんばってレコード会社に売り込んだり、音楽家に売り込めばいいのかも知れませんが、個人が行うには限界がありますし、そもそも音楽家の本分は曲を作り演奏し歌うといったことで営業することにあるわけではありません。

そこで著作者に代わって営業や宣伝活動を行い楽曲を売り込んでくれるのが音楽出版社です。レコードのような音楽そのものをユーザーに届ける時代がなかった頃には「楽譜」を出版しレンタルや販売することを生業としていたので名前が音楽出版社となっていますが、現在は著作権を管理しプロモーションするのが主な仕事となっています。楽曲の著作権を著作者から譲渡してもらう契約を結び、それを管理しレコード会社や媒体、演奏家などに売り込みそこから生まれる著作権を徴収し(直接ではなくJASRACのような会社が代行する場合あり)契約による配分で著作者に印税として還元するということです。一般的な配分としては出版社に入ってきた使用料の50%を音楽出版社、50%を著作者(作詞、作曲が別であれば25%ずつ、複数のクレジットであれば人数分で頭割り)というものだったようです。

LOVE ME DO
-$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

さてビートルズです。デビュー曲の「ラヴ・ミー・ドゥ」が出された時のビートルズとレコード会社パーロフォンの間の印税に関する契約はシングル1枚につき1ペニー(小売価格の1%程度)というものだったといいます。これだともしシングルが100万枚売れたとしてもビートルズに入る印税は2400ポンドで日本円で240万円ほどという大変低いものでした。契約期間は1年間で4回まで延長が可能で契約が延長された場合は都度1ファージング(1/4ペニー)ずつ上乗せされることになっていました。これだとビートルズが成功し契約が4回更新されてもシングル1枚あたり2ペニーにしかなりません。

天下のメジャー・レーベルEMIの傘下とは言え、コメディのレコードがメインという恐らくはお荷物的なレーベルであったパーロフォンとしてはいい条件が出せないというのもあったのかもしれませんが、デモ・テープをあらゆるレコード会社に持ち込み全て蹴られていたビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインとしてはレコードを出すということが最優先で条件面は二の次だった更に言ってしまえば、マネージャー業が初めてで、これが最低条件であることをそもそも知らなかったんじゃないかと思ったりします。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

そしておそらくエプスタインは音楽出版社という存在についても知らなかったものと思え、「ラヴ・ミー・ドゥ」の著作権の管理はEMIの系列のアードモア&ビーチウッドという出版社によって管理されています(現在はポールの出版社MPLが管理)。「ラヴ・ミー・ドゥ」は全英17位というポッと出の新人バンドとしては出来過ぎのヒットとなります。ただ、シングル発売時も、売れ出してからもパーロフォン/EMIはほとんどプロモーションを行なってはくれず本当であればもっとヒットしたのではないかという不満をエプスタインはもったようです。そこで楽曲をきちんと管理しプロモートしてくれる音楽出版社を探すこととなります。しかし、エルヴィスの楽曲を管理している米の大手ヒル&レンジと契約しようとしたり(海外の新人バンドに誰が力を入れるでしょう)と的はずれな出版社探しを行なっているエプスタインを見に見かねてジョージ・マーチンが自分の知っている出版社で新人でも宣伝してくれそうな出版社を何社か紹介します。こういうの見るとジョージ・マーチンという人ずいぶんとミュージシャン側に立ってくれる人という感じで、ビートルズが彼に見初められたのは本当に幸運だったと思います。

How Do You Do It


エプスタインは紹介された出版社の中から昔TVドラマの主題歌でヒットを出した音楽家としての経歴もあるディック・ジェイムズの出版社と契約をすることとなります。マーチンがビートルズの2ndシングルとして考えていた「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」を管理していたのがジェイムズで、たまたま息子が「ラヴ・ミー・ドゥ」に夢中になっていたことなどからビートルズに「もしや」という予感を感じたのか、ジェイムズは快くビートルズと契約を結びます。そして早速コネクションのあったTV局のプロデューサー、フィリップ・ジョーンズに電話をかけ電話口でニューシングルの音を聴かせ、ジョーンズが担当する「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」という全国ネットの人気番組に出演させる予約をとりつけます。そしてこのTVへの出演が起爆剤となりビートルズの快進撃は始まることなります。

さてビートルズと契約したジェイムズですが、「プリーズ・プリーズ・ミー」のNo.1ヒット後に当時としては常識外の提案を持ちかけます。それはビートルズの楽曲の管理をジェイムズの出版社ではなくビートルズとジェイムズが共同出資した新しい出版社を立ち上げそこで管理するということでした。出資の比率は著作者であるレノンとマッカートニーがそれぞれ20%、エプスタインが10%そして筆頭株主としてジェイムスと彼のパートナー、チャールズ・シルヴァーが残りの50%というもので、こうして新しい音楽出版社「ノーザン・ソングスNorthern Songs Ltd」が設立されます。今ではこういうことは当たり前に行われていますが当時はまったく画期的なものだったようです。先にも書いたように通常の契約では印税収入の50%が出版社、50%が著作者へとなりますから、もし1000万の印税があれば500万をジェイムズの出版社が取り500万をビートルズが手にすることになります。ところがノーザン・ソングスが管理する場合は出版社が取る500万のうち約半分の250万はビートルズ側のものということになるため結果として750万がビートルズの手に入る、つまり通常の50%ではなく75%の印税収入が得られるということになります。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

ノーザン・ソングスの出資に関してはビートルズのレコード契約を承認し、プロデューサーとしてヒットにも貢献をし、ジェイムズを紹介してくれたジョージ・マーチンにもエプスタインから共同出資が持ちかけられますが、自分はEMIの社員であるという道義的な理由に出資を断ったといいます。さすがはサーの称号を持つ人ですね。ただもしマーチンがこの時出資していれば後のノーザン・ソングスをめぐるドロドロの争いも無かったのじゃないかという気もしてしまいます。

それにしても、たった一曲のNo.1ヒットでそこまでミュージシャン側に有利な条件の会社を作るとはジェイムズもお人好しのように思えますが、逆に言えばデビュー間もない若造のレノン、マッカートニーも出資出来るくらいの小さな出版社ですからジェイムズからすればさほど懐が痛むこともなかったことでしょう。おそらくは「プリーズ・プリーズ・ミー」を管理するだけでも元は取れるくらいのもんだったとも想像します。それだけのことでジェイムズは1963年2月末から3年間にレノン=マッカートニーが作る楽曲について全てをノーザン・ソングスに帰属するという条件を取り付けていました。先にも書いたようにすでにヒットしている「プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ」で元を取り、その人気が落ちる前に後数曲のチャート・ヒットが生まれるだろうから、そこそこの儲けにはなる位の考えじゃなかったかと思います。

まさかね・・・びっくりしたでしょうね。関係者はみんな。

契約期間の1966年の時点でレノン=マッカートニーの楽曲は56曲で、もちろんヒットにつぐヒットでその印税収入だけでも莫大な収益がありますが、出版社はその楽曲が他の歌手に歌われれば、その度に収益が発生します。同じく66年夏の時点でのレノン=マッカートニーのカバーは2900曲を超えていたといいますから、まさにぬれ手に泡の美味しい商売だったに違いありません。

忘れていましたがノーザン・ソングス設立時はビートルズのソングライトはほぼ全てレノン=マッカートニーが行なっていたために著作権管理の契約はジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人のみと交わされジョージ・ハリスンとリンゴ・スターは蚊帳の外状態でした。70年代にメンバー個々のベスト・アルバムが発売されていますが、何故かジョージのベストのみはA面はビートルズ時代の代表曲、B面にソロになってからの曲ということで唯一ビートルズ時代も含めたベストになっていて、何故レノンやマッカートニーはこういうベスト作らないのかと不思議に感じたことがありましたが、今思えば、ハリソンは自分の楽曲に関する権利をビートルズ時代を含め自分自身が持っていたからだったんでしょうね。

ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン/ジョージ・ハリスン


閑話休題。ビートルズが大ヒットし売上も急激に拡大したノーザン・ソングスは1965年は500万株を新規発行することとなりうち1/4の125万株が市場に売りに出されることとなります。確かに会社というものは規模の拡大の為に株式を公開し資金を集め新たな投資を行うといった事を行いますが、ノーザン・ソングスの場合経営者でもあるレノン=マッカートニーの才能によって急成長した会社であり、わざわざ株式を公開する必要もなさそうなのですが。実はこれにはレノン=マッカートニーのやむにやまれぬ事情があったようです。

原因は当時の英国の税制度にあったようです。レノン=マッカートニーのような高額所得者は9割という法外な税金を徴収されており、この税金を如何に節税するかにずっと頭を悩ませていました(後のアップルも要は節税のための会社でした)。株式の公開を行えば元々の株主は多額の配当金を手にすることができるし、尚かつこの配当金には税金が掛からないという税制上の抜け道がありました。この株式公開でレノン=マッカートニーの二人はそれぞれ9万4270ポンド(日本円で1000万円程度)を受け取ったと言われます。たったそれだけの金を得るためにと考えてしまうのは、ビートルズの楽曲の本当の価値を知っている後世の人間だからであり、当時の二人にとってはとにかく目先に税金対策となるアイデアがあれば金額にかかわらず何でも試していたということなんだと思います。この時に売りに出されなかった株はハリスンとスターも買うこととなり、非公開株での持分はディック・ジェムス関係が50%、ジョン・レノンとポール・マッカ-トニーが19%ずつ、ブライアン・エプスタインが9%そして残り3%がジョージ・ハリスンとリンゴ・スターという配分でした。

Tax Man


この株式公開も?なのですが、レノン=マッカートニーはさらにとんでもない税金対策を行ってしまいます。レノン=マッカートニー50%、ノーザン・ソングス50%という根本的な契約のうちの二人の持ち分50%の権利をノーザン・ソングスに譲渡してしまいます。この売却で二人はそれぞれ14万6千ポンド(約1500万円)を手にしています。たったそれっぽっちでと思うのですが、この売却にかかる税金は3割であり、ノーザン・ソングスは自分たちの会社なので権利を売って印税取り分の額面が減ったとしても最終的には自分たちに税金の少ない金が入るからそれで良しという判断だったのでしょう。

繰り返しになりますが「未来」を知っているものとしては全くの蛮行だったとしか言えません。しかし当時の一般的な考えとしてはピークはそれほど続くわけもなく、ビートルズもそろそろ飽きられるだろうと思われていました。そしていったん飽きられてしまえば二人の楽曲がカバーされることもなくなり楽曲の著作権もほとんど価値がないものになってしまう、ちょうどビートルズが登場したことにより、それまでヒットしていた歌手たちが全く売れなくなり印税がほとんど発生せず無価値になってしまったのと同じことが起こると思われていたのです。だったら売れるうちに売っとけ思ったことを誰が責められるでしょうか。マーリー・ウィルソンが代表でビーチ・ボーイズの楽曲の権利を管理するシー・オブ・チューンズが69年にロンドー・ミュージック(ハーブ・アルバートとジェリー・モスの出版社)に黄金時代のビーチ・ボーイズの著作権を売却してしまったというのも、サイケ全盛の音楽界ではブライアン・ウィルソンの楽曲なんて時代遅れのクソでしかないという判断だったのでしょうが、こちらもとんでもない蛮行ですよね、特に実の父親が息子の作品を完全に見捨てたわけですから、ブライアンの心中は察してあまりあるものがあります。とにかくそのくらいに60年代までは楽曲の著作権というものが軽く見られていたということを忘れてはいけません。

目先の税金対策のために行われた株式公開がノーザン・ソングの未来に大きな影響を与えるのですが、長くなってきたので、その辺はまた明日以降に。つづく。

Matt Monro - Yesterday

(ビートルズ・ナンバーで最も多くのカバーを生んだのが「イエスタデイ」でした。1986年時点で1600曲以上、現在はどのくらいになっているのでしょうか?)

三文ソングじゃなかったサマー・ソング特集

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本日のFM COCOLOは海の日にちなみ一日サマーソング特集です。ビーチ・ボーイズのインタビューもあり、お聞き逃しなく。ちなみに関西在住ですが姫路は電波届かないのでradikoで聞いています。いやはや便利ま世の中になったものです、まさに神の創りしラジオという感じ。

おまけの曲は期待に反してビーチボーイズじゃなくロス・ロンリー・ボーイズ。たまたま流れていたのですがいい曲ですね。もうちょっとゴリゴリのイメージを持っていたのですがこんな爽やかな曲もやるんですね。ディッキーがメインのオールマンを思い出します。

LOS LONELY BOYS/HEAVEN
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