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Channel: 鳥肌音楽 Chicken Skin Music
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だって ただの北の町の歌なんだから

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music前回の記事「ニカラグアは勝利するぞ」にNyaromeさんから「作者のベン・E・キングとエルモ・グリック(もしくはその親族)ではなく、ソニーが著作権侵害で訴えるというのはどういうことなのでしょう?」というクエスチョン・マーク付きのコメントをいただいていたのですが、出張の忙しさにかまけてお返事をするのが遅れてしまいました(忙しくなくてもいつも遅いのですが・・・それは置いといて)。

当然作者に対しては死後70年間は著作権が保護されるはずですので作者もしくは作者の遺族が訴えるというのがスジなのでしょうが、一般的に音楽の場合作者は出版社に自身の楽曲の出版権(昔はレコードではなく楽譜を出版していたのでその名残で出版権といいます)の管理を委託していますのでSONY/ATVが版権を持っているのでストップをかけたということなのでしょうが、「スタンド・バイ・ミー」の場合も元々はアトランティック・レコードから発売された楽曲ですのでそれが何故ソニーという日本の会社が版権を持つに至ったかというのがNyaromeさんも不可思議だったのではと思います。

出張も終わり少し余裕ができましたので、くだんのSONY/ATVという出版社についてちょっと調べてみることにしました。この会社ビートルズの楽曲の版権を持っている会社としてご存知の方も多いかもしれませんね。以下米ウィキから拙い英語力で引用した部分が多々ありますので間違いもあるかと思いますことをお断りしておきます。

鳥肌音楽 Chicken Skin MusicSONY/ATVというのはマイケル・ジャクソンが所有者であったATV出版とSONYが合併して出来た会社で元々はATVという会社でした。ATVというのはAssociated Televisionの略名で1955年興行主であるルー・グレードによって創立されたTV放送局でITVネットワーク(The Independent Television network)の一員として英国中部をカバーしていました。グレードはATVとともに制作会社ITC(The Independent Television Corporation)も創立してパトリック・マグーハン、ロジャー・ムーアとトニー・カーチスといったスターをフィチャーした番組を制作し国内や海外の放送局に提供しています。もちろんATVにも。


TV会社であったATVが楽曲管理を始めるきっかけはパイ・レコードを買収したことでした。


$鳥肌音楽 Chicken Skin Musicロック・ファンにはお馴染みのパイという会社ですが元々は放送局を運営する会社でした。しかし1953年にニクサ・レコード(Nixa Record)を買収、そのニクサが1955年ペトラ・クラークのお父さんが娘を売り出すために作ったポリゴン・レコーズ(Polygon Records)を吸収し、パイ・ニクサ・レコード(Pye Nixa Records)となり本格的にレコード事業を開始します。1959年にはパイ・インターナショナル・レコーズ(Pye International Records)が設立されアメリカや他の諸国の楽曲の英国国内の発売権を獲得していきます。チェス、A&M、カーマ・ストラ、コルピクス、ワーナー・ブラザース、ブッダ、20センチュリーそしてキングとロック・ファンなら。お馴染みのレーベルの楽曲を紹介してデッカ、EMIと並ぶ英国三大メジャーとなっていきます。

1959年ATVはパイ・ニクサ・レコードの株式の半分を獲得します(66年には残り半分も獲得)。パイ・ニクサはパイ・レコードを正式名に従来のレーベルの楽曲の他にATVの番組テーマなどを発売していきます。

50年代後半から60年代にかけてグレードとATVは大成功を収めます。TV局の広告収入はどんどん膨らみ、パイ・レコードもビートルズから始まったロックの大爆発の最前線にいました。サーチャーズ、キンクス、ドノヴァン、ムーディ・ブルース、マンゴ・ジェリーそしてペトラ・クラークというそうそうたる歌手がパイに所属していました。自社の歌手から得られる利益だけでなく、チェスやA&Mといった楽曲管理からの収入もバカにならないことを知っていたATV/グレードは1969年ついにレノン=マッカートニーの楽曲の権利を手に入れることになります。

ビートルズの楽曲の権利については以前も触れたことがありますが、ここでもう一度おさらいを。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューした当初、ビートルズはまだどこの出版社とも契約をしておらず楽曲の管理はEMIに委ねられていたようです。「ラヴ・ミー・ドゥ」がヒットし続く「プリーズ・プリーズ・ミー」の発売に際し出版社を探していたブライアン・エプスタインは元歌手で出版社を経営するディック・ジェムスに契約を持ちかけます。エプスタインが「これはNO.1になる」と言って持ってきたレコードが気に入ったジェムスは「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」というABCの音楽番組のプロデューサー、フィリップ・ジョーンズに電話でレコードを聞かせ、「ヒットは俺が保証する」という言葉で番組への出演を約束させます。このTV出演のおかげもあってか「プリーズ・プリーズ・ミー」はエプスタインの予言どおりNO.1を獲得します。

この一件でジェムスを信頼したエプスタインはソング・ライターであるジョン・レノンとポール・マッカートニーを加えレノン=マッカートニーの楽曲を管理する会社「ノーザン・ソングス」を設立します。出資の比率はレノンとマッカートニーがそれぞれ20%、エプスタインが10%そして筆頭株主としてジェムスと彼のパートナー、チャールズ・シルヴァー残りの50%というものでした。この時にジョージ・マーチンも出資者の一人として参加しようとしますが却下されています。EMIの社員であることがネックだったのでしょうが、ディック・ジェムスとは歌手時代からの知り合いで、エプスタインを紹介したのもおそらくはマーチンだったでしょうから、少々可哀想な気もいたします。

とにかくレノン=マッカートニーの楽曲から得られる収益は莫大なものだったようです。1966年夏の時点でレノン=マッカートニーの楽曲は88曲で、もちろんヒット曲も多く大きな収益がありましたが、出版社はその楽曲が他の歌手に歌われればその度に収益が発生します。同じく66年夏の時点でのレノン=マッカートニーのカバーは2900曲を超えていたといいますからぬれ手に泡の美味しい商売だったに違いありません。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Musicノーザン・ソングスの設立メンバーになっているレノン・マッカートニーですが当初の出資金の配分を見ても、実質的な権限はジェムスが握っていて利益の配分もジェムス有利になっていたのではと想像します。楽曲の権利自体が現在のように重要視されていない時代ですし、天下のレノン=マッカートニーとは言え駆け出しのペーペーの時代ですから仕方がなかったのでしょうが、エプスタインが生きているか、マーチンが設立に加わっていれば文化遺産ともいうべきノーザン・ソングスがその後のマネー・ゲームに翻弄されることもなかったのではないでしょうか。

1967年のエプスタインの死後、ノーザン・ソングスの株の配分についてジェムスとビートルズの間で話し合いがもたれますが物別れに終わります。1969年初めジェムスはビートルズ側には何の相談もなく自分の持株をすでにノーザン・ソングスの株の一部を持っていたATVに売却してしまいます。売却価格は1152.5万ポンド(250万ドル)と言われていますので当時の日本円($=¥360)に換算すると9億円、今の目で見るとずいぶん安いなぁという気もいたします。こうしてノーザン・ソングスの筆頭株主をめぐりATVとレノン=マッカートニーが争いを繰り広げます。4月にはATVに対して総額900万ポンド(1475万ドル)、日本円で約53億という条件で譲渡を迫りますが却下されてしまいます。

ここで登場するのが悪徳マネジャー、アラン・クラインです。ジョン・レノンが信頼を寄せ、傾きかけたアップル・コープの立て直しをまかせられたクラインですが結果的にはアップルも解散させたばかりではなく、筆頭株主争いに負けそうなレノン=マッカートニーに対して会社の実権を握れないのだったら条件をつり上げて自分たちの株を売った方が得だと全くありえない提案をして最終的にジェムスがATVに売った時の倍という好条件(?)でATVにレノン=マッカ-トニーの持株全てを売却させてしまいます。レノンが64万4千株、マッカートニーが75万1千株(マッカートニーはこっそり株を買ってたようです)を総額350万ポンド(578万ドル)、日本円で約21億で1969年の10月にノーザン・ソングスは完全にビートルズの手を離れATVの物になってしまいます。ちなみにこの時リンゴ・スターは持株の0.8%をキープしたままでジョージ・ハリスンはすでに6月に持分の4万株を売り払っており”税金はタックスマンに持ってかれたよ”とうそぶいたとか。

70年代に入ってもATVは有能なソングライターと契約を交わし、多くのカタログを買収していきました。そんな中にはリーバー&ストーラーの楽曲も含まれていました。サンディニスタの「スタンド・バイ・ミー」替え歌にソニーが抗議したというニュースに”なんでアトランティックが発売したヒット曲にソニーがクレームを”と不可思議な思いを抱きましたが、現在はATV/SONYが版権を持っていたからなのですね。こうした買収にはビートルズの楽曲からの収益が使われていたのは間違いないでしょう。世の中金ですもんね。

こうして出版管理部門は順調に成長を続けていたATVですが他部門は必ずしも順調ではなかったようです。パイ・レコードにはカール・ダグラスやバリー・ホワイトといったヒット・アーチストはいましたが全体的に60年代に比べ小粒な印象は否めませんでした。英国中部の放映権をセントラル・テレビジョンに奪取されてしまったグレードがひとつの掛けにでます。ベストラー小説「タイタニックを引き揚げろ」を巨費を投じて映画化しますが、映画「レイズ・ザ・タイタニック」は全くヒットせず、グレードの没落に拍車をかけてしまいます。

結局、ATVとパイ・レコードは売りに出されることとなり82年にいったんオーストラリアのビジネスマン、ロバート・ホームズに買い取られます。マッカートニーもATVの買収を考えていて資金として2000万ポンドを用意するつもりでしたが、自分一人でビートルズの楽曲を買い占めることはレノン・ファンから大ブーイングとなることを考えレノンの未亡人であるオノ・ヨーコーに共同買収を持ちかけます。いったんは話にのったオノでしたがマッカートニーの予想額の半額で買えると踏み出資の話はなかなかまとまらず結局は買いのチャンスを逸してしまうこととなります。



買収に失敗したマッカートニーは1983年に「セイ・セイ・セイ」でマイケル・ジャクソンとコラボした際にジャクソンからビジネスについての相談を受け、自分が版権を管理する楽曲から244万ポンドの収益を得ていることを話し、音楽出版の重要性を教えました。それを聞いたジャクソンはマッカートニーに”僕はあなたの書いた(ビートルズの)楽曲を手に入れようと思う”と話します。マッカートニーは”素晴らしい、いいジョークだ”と答えましたがまさかその言葉が現実になるとは思っていなかったようです。

84年にロバート・ホームズはATVを売りに出します。最初にマッカートニーと交渉しますが金額面で折り合わず断念されます。ジャクソンの弁護士はマッカートニーとオノの弁護士に連絡をとり入札に参加することを伝えます。85年6月ジャクソンと弁護士はロバート・ホームズが別口と3050万ポンド(5000万ドル)で仮契約を行なったことを知ります。しかしジャクソン名義でアメリカの大学に奨学金制度を儲けるなどのオプションを加えることで金額的には低いにもかかわらず契約を行うことなります。買収金額は2440万ポンド(4000万ドル)ということですのでマッカートニーも交渉次第では買収できたのかもしれませんね。

何はともあれこうしてATVの持つノ-ザン・ソングス=ビートルズ楽曲の版権はついにマイケル・ジャクソンのものとなりました。いままで言及してきませんでしたがATVが所有するのはビートルズ・ソングスのあくまで出版権でありもちろん大元の著作権はマッカートニーと故レノン夫人のオノの許にあります。ロサンジェルス・タイムズによると、例えば「イエスタデイ」の著作権使用料が年間10万ドルとしたときレノン=マッカートニーに50%つまり5万ドルが入り2.5万ドルずつがレノン家とマッカートニーの取り分となります。そして残りの50%=5万ドルをジャクソンが受け取ることになります。ジャクソンの買収後にマッカートニーとジャクソンは疎遠になったと言われますが、ビジネスとは言えマッカートニーは面白くないですよね。

オノはジャクソンの買収を歓迎したようです。ビジネスマンによりマネー・ゲームにさらされるよりは楽曲に敬意を払う音楽家の手で管理されたほうがいいに決まっていると言うのです。そしてマッカートニーや自分が買収するよりもジャクソンで良かったと述べ、マッカートニーが手に入れれば”とうとうジョンまで手に入れた”と言われ自分が買えば”ドラゴン・レデイがまたやりやがった”と言われるのがオチだからと付け加えています。(そんなんマッカートニーが提案してるように共同で買えばいいやんと思いますがね、なんかいい子ぶってる気がします)

ジャクソンのレコードの販売元であるCBSを1988年に買収したソニーは音楽部門の拡大の一環として1995年ジャクソンに9000万ドルを提供しジャクソンとソニーが50%ずつ株を持ち合うSony/ATV Music Publisherを設立します。こうしてビートルズの版権の半分をソニーが持つこととなります。その後2001年にジャクソンが自分の持株を売りに出すという噂が流れたことがありました。しかし”ビートルズのカタログは売りにだしていませんし、売りにだしたこともなく、売りにだすこともないでしょう”とジャクソンは完全否定はしますが、ご存知のようにネバーランドの維持費やアルバムの売上不信、数々のスキャンダルなどがあり『スリラー』の蓄えもとうになくなっていたと見えて2006年には自分の持株の半分を250万ドルでソニーに優先的に譲るというオプションを付けることとなります。

そして2009年にジャクソンの突然の死によりビートルズ楽曲の版権の少なくとも75%はソニーが支配することとなったものと思われます。不謹慎ではありますが2009年と言えば9月9日はリマスターされたビートルズのカタログがバカ売れいたしましたし、ジャクソンの最後のリハーサルをソフト化した『ディス・イズ・イット』も大ヒットということでジャクソンの怪死によりソニーは大儲けしたのではないでしょうか。

といったところがSONY/ATVの略歴となります。なんだかほとんどビートルズ楽曲の話になってしまいましたが、勿論ノーザン・ソングス以外にもSONY/ATVは世界有数の出版会社ですので管理するレーベル/楽曲は沢山ありますし今現在も新たなレーベルを獲得しつづけています。最後にSONY/ATVが管理する主なレーベルを挙げておきます。Nyaromeさんが驚いた「スタンド・バイ・ミー」ではありませんが、ちょっと意外な名前もあったりします。

Joe Diffie /Third Rock from the Sun


Baby Mae Music 
カントリー歌手トニー・マーティンのレーベルで約600曲のカタログ。Joe Diffieの「Third Rock from the Sun」やJeff Carson「Not on Your Love」などが有名だそうですが、恥ずかしながら知りません。

Hank Williams: Lovesick Blues


Acuff-Rose
カントリー界の老舗出版社のエーカフ・ローズを1億5700万ドルで買収。管理楽曲は5500曲のカントリー・ミュージックでハンク・ウィリアムズ、エヴァリー・ブラザース、ロイ・オービソンなどを含みます。これだけでもアメリカじゃ十分飯が食える気がします。考えようによってはアップル社が日本コロムビアの音源を根こそぎ買ったみたいなものでしょうか?(なんていうまでもなくコロムビアって今外資でしたっけ?)

Breakfast at Tiffany's(1961) - Moon River


Famous Music
元々はパラマウントの映画音楽を管理していた会社で「ムーン・リバー」や「フットルース」など125000曲のカタログを持っています。映画音楽だけではなくエミネムやエイコン、リンダ・ペリー、ビョーク、シャキーラ、ベックなどのヒットも含んでいます。そしてパラマウントの映画で使用される楽曲の使用権も獲得しています。

SONY/ATVが管理するアーチストの一覧

The Beatles - Only A Northern Songby George Harrison


この歌聴いたら
コードを間違えてる思うかもね
ちがうんだよ
こういう歌なんだ

夜遅くに聞いたなら
ヘタクソなバンドと思うかも
ちがうんだよ
そんな風に演奏してるだけ

気にしないでくれ
どんなコードを弾こうと
どんな歌詞だろうと
今が何時でも
だって ただのノーザン・ソングだぜ

気にしないでくれ
どんな服を着てるのか
どんな暮らしかも
髪が茶色だろうが
ただのノーザン・ソングだもん

ハーモニーを聴いて
暗くて調子っぱずれと思うなら
大正解
誰もいないんだよ
だから(ノーザン・ソング)には誰もいないんだって


作者のジョージによるコメント"personal denunciation of the Beatles' music publishing business"は元々はレノン=マッカートニーと自分との格差を皮肉ったものなのですが、ノーザン・ソングスの歴程を書いた後でこの歌の歌詞を読むとマネー・ゲームに翻弄される未来を予見していたんじゃないかと思ってしまいます。

There's nobody there,And I told you there's no one there


おじさんとこだけだったはずなのに 本当にはらたつのりー

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「チームがどこでも自分がやる野球は変わらない。新しい舞台のスタート地点が楽天に決まった」。
2007田中将大

「監督と両親と相談して決めたい。まだ考えていない」
2011菅野智之

マー君って楽天に指名された時にこんなこと言うてたんですね。高卒ながらちゃんとプロとしての田中将大をイメージしていたんですね。だから今日の押しも押されもせぬ球界のエース田中将大があるのでしょうね。方や大卒の菅野くん、おいおいそんなん言うてて大丈夫なん?自分で決めたら?という感じです。

巨人ファンじゃないけどプロ野球のファンだったらマー君を全面的に応援したくなりますよね。

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二人の心は春でいっぱい

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今回はブライアン・ウィルソンのニュー・アルバム『In The Key Of Disney』について書こうと思ったのですが書き出しからどう書こうかと迷路に迷い込み、気晴らしにYOUTUBEでブライアンヤビーチボーイズの関連音源をサーフィンしていたらこんな音源に出くわしました。

Surfer Girl - The Four Freshmen


フォー・フレッシュメンが歌う初期ビーチ・ボーイズのバラードの代表作「サーファー・ガール」です。ご存知のようにビーチ・ボーイズの代名詞であるあの美しいコーラスはフォー・フレッシュメンから大きな影響を受けています。「自叙伝」でブライアン・ウィルソンはフォー・フレッシュメンとの出会いをこんな風に書いています。

ある日の午後、母と車に乗っていた。デニスとカールは他に用があった・車のラジオのチャンネルはポップスの専門局に合わされていた。母はかなりヒップな趣味だった。その時、僕がいままで聴いたことのない曲が流れてきた。母がボリュームをあげた。最初の一音を聴いて、僕は全身をラジオに近づけた。



Day by day
I'm falling in love with you
and day by day
my love seems to grow.

その曲はジャズっぽいリズムの、モダンなボーカル・サウンドだった。僕はそのボーカルにひきつけられた。今まで聴いたことのないサウンドに興奮して叫んだ、「かあさん、僕、これ好きだ!このサウンド、最高に好きだな、誰なの?」。母は笑いながら、座りなさいと言った。「ザ・フォー・フレッシュメンよ、ブライアン」、「ザ・フェレッシュメンだって?」「ザ・フォー・フレッシュメン」母が言い直した。「コーラス・グループよ」。


ブライアンは42年生まれですから14才の頃といえば56年。「デイ・バイ・デイ」の発売は55年で、56年といえば名盤の誉れ高い『フォー・フレッシュメン・アンド・ファイヴ・トローンボーン』が発売された年で、ブライアンは母にねだってアルバムを買ってもらったのをきっかけに彼らのアルバムやシングルを溝がすり減るほど聞き込んだようです。そして地元でフォー・フレッシュメンのコンサートがあることを知り、父マリー同伴でコンサートを楽しみ、終演後マリーのコネで楽屋にメンバーを訪ねるという僥倖に恵まれます。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
フォー・フレッシュメン&5トロンボーンズ

(コンサートの)次の晩、僕は家族にミュージック・ルームに集まって欲しいとしつこく迫った。そしてフォー・フレッシュメンの歌を教えた。興味がないデニスは出かけてしまったが、父と母とカールと僕で4パートのハーモニーを創った。次の晩、もう一度トライした。彼らはフォー・フレッシュメンの歌を完全に覚えるには至らなかったが、ビーチ・ボーイズのトレード・マークになるみずみずしいサウンド、僕が初めて創ったモダンなハーモニーに対する試みは、僕の考えるところ成功した。

ブライアンにとってフォー・フレッシュメンの存在が如何に大きいものだったかお分かりいただけるものと思われます。フォー・フレッシュメンのコーラスのどこがそれまでのコーラス・グループと違っていたのか?(楽器もできず音痴な僕には上手く説明できないかもしれませんが・・・)。

フォー・フレッシュメン以前の4声の男性コーラス・グループの場合メロディ・ラインをセカンド・テナーが歌いその上下を残りの3声が挟み込み1オクターブの中でハモるクローズド・ハーモニーでコーラスを行なっていました。その昔、街の社交の場でもあった床屋の店先で黒人たちコーラスを聴かせるというのが風物詩としてあったようなのですが、ほとんどがクローズド・ハーモニーで歌われていたこともありアメリカではバーバショップ・ハーモニー、4声のコーラス・グループのことをバーバーショップ・カルテットと呼ぶ伝統があります。狭い音域の中でハモるためリード以外も割と主旋律に近いメロディの流れになり音程も取りやすく比較的手軽に安定したコーラスで歌うことができるようです。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

このバーバーショップ・スタイルに対してフォー・フレッシュメンのコーラスのスタイルはオープン・ハーモニーによるものでした。オープン・ハーモニーの場合は第一テナーが主旋律を担当しオクターブの幅を超えてハーモニーが展開されるためその名の通り開放感のある澄んだコーラスとなるようです。オープン・ハーモニーの場合必ずしもパートが固定化されておらず、一人のパートだけを取り出すと僕らのような素人からすると音痴に聴こえてしまうのですが、4声がひとつになった時には洗練された素晴らしいハーモニーになります。

4声ではなく5声なのですがオープン・ハーモニーのことをわかり易く教えてくれる映像がありましたのでアップしときます。個々のパートは?なのですが一緒になると!!となります。

タイム・ファイヴ/北の宿から


デビュー当時はキャピトルの社員ニック・ヴェネットがプロデュースを担当していたせいもあってかアップ・テンポのサーフィン・バンドというイメージを押し付けられていた感のあるビーチ・ボーイズですが3枚目の『サーファー・ガール』以降はブライアン自身がプロデュースを担当するようになったこともあってかブライアン本来のコーラス嗜好がサウンドに反映されるようになっていきます。そしてサーフィン・ブームが下火になったのでサウンドの意匠はそのままに歌詞の内容だけをガラっと変えたホッド・ロッド・アルバムの『リトル・デュース・クーペ』(63年)に至っては歌詞が車絡みだったら曲はなんでもOKだろうとフォー・フレッシュメンの持ち歌である「ゼア・ハーツ・アー・フル・オブ・スプリング」の歌詞を車の事故で亡くなったジェームス・ディーンに捧ぐものに変更して収録しています。まぁそれほどにブライアンはフォー・フレッシュメンが大好きで自分であのコーラスをやってみたくてしょうがなかったんでしょう。

The Beach Boys/A young man is gone. The Four Freshmen - Their Hearts Were Full of Spring
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ビーチ・ボーイズ=ロック界最高のコーラス・グループを世間に知らしめるのにはアカペラで歌われるこの曲がうってつけだったのかライヴの定番曲として歌われていたようで、映像も沢山残っています。

The Beach Boys - Their Hearts Were Full Of Spring (Shindig! 1965)


そしてフォー・フレッシュメンの素晴らしさをビーチ・ボーイズのメンバーに教えたブライアンがライヴ活動からリタイアした後のライヴ・アルバム『ビーチ・ボーイズ’69(ライヴ・イン・ロンドン)』でもブライアンの代わりにビーチ・ボーイズに参加したブルース・ジョンストンを加えた4声による見事なカバーを収録しています。そしてブラインが居なくても俺たちゃばっちりやれるぜとでも言いたいのかマイク・ラヴは歌の前に”みんなが静かに聴いてくれたら僕たちがミスるのが分かるかもよ”とMCを入れます。ミスを探せるものなら探してみろという自信たっぷりのマイクのドヤ顔が浮かんでしまうのは僕だけでしょうか。

先ほどアルバム『サーファー・ガール』からブライアンがプロデュース権を獲得したと書きましたが、そのアルバムの1曲目で歌われているのがタイトル曲「サーファー・ガール」でした。そしてこの曲はフォー・フレッシュメンもカバーしているように明らかにフォー・フレッシュメンのオープン・ハーモニーの影響を受けた曲、ということで実権を握ったブライアンからフォー・フレッシュメンへ向けたオマージュだったのじゃないでしょうか。ちなみにこの歌メロディ・ラインが「星に願いを」に似ているということからディズニーに対するオマージュも感じられます。ということでニュー・アルバム『イン・ザ・キイ・オブ・ディズニー』につなげたいところですが、今日は力尽きました(笑)

Beach boys / Surfer girl


とここまで書いて最初のフォー・フレッシュメンの映像を見ると?何かメンバー若くないです。どう見てもブライアンよりも若く見えます。??。そこで現在のフォー・フレッシュメンについて調べてみました。2010年に開かれた「富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル 2010」に参加した際のプロフィールにはこう書かれています。

コーラスグループの草分け、伝統のクリスタル・ハーモニー、フォーフレッシュメン。モダン・ジャズ・コーラスの開祖とも言われるフォー・フレッシュメン。その誕生は1948年、メンバー4人が、インディアナポリスのバトラー大学の新入生だったことから、「フォー・フレッシュメン」と名付けられた。それぞれが楽器をこなし、自らのコーラスの伴奏をしてしまうという彼らのスタイルは、後のミュージシャンに大きな影響を与えたと言われる。
ビーチボーイズをはじめ、ハイ・ローズやレターメン、ママス&パパス、ABBAやマンハッタン・トランスファー、Take 6など、ロック、フォーク、ポップス等ジャンルを超えてつながりを見せている。現在のメンバーは22代目で、グループは何と62年の長きに渡ってスタイルを貫き、美しいハーモニーを紡いでいる。
2000年には「米ダウンビート誌」読者によるベスト・ヴォーカル・グループ部門1位、2007年の米「ジャズタイム誌」読者投票でベスト・ヴォーカル・グループ部門1位を獲得している。富士通コンコードでは初めての男性コーラス・グループの登場となるだけに、彼らの演奏とハーモニーに期待したい


なんと映像のグループは22代目のフォー・フレッシュメンのようです。道理で若いわけです。ってことは「サーファー・ガール」を歌っているのはフォー・フレッシュメンズ・チルドレンであるビーチ・ボーイズの楽曲を貫禄で取り上げたのではなく、ひょっとしたらメンバーたちはオープン・ハーモニーもフォー・フレッシュメンではなくビーチ・ボーイズでお勉強しているかも知れないですね。やれやれ。

おまけ。

Tatsuro Yamashita - Their Hearts Were Full Of Spring

サニー・ボーイって誰?

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さて本日もブライアンの新譜についてじゃなくて、またまたスピン・アウト(?)ものです。前回YOUTUBEをサーフィンしていてフォー・フレッシュメンの動画を見つけたことを書きましたがその時に「ゼア・ハーツ・ワー・フル・オブ・スプリング」を歌うサニー・ボーイズというバンドの動画が見つかりました。「ゼア・ハーツ・・・」で名前がサニー・ボーイズとくればどう考えてもビーチ・ボーイズのパチもんだろうなぁと思ってみたら・・・

The Sunny Boys - Their hearts were full of spring


ライヴを個人撮影したものがアップされているようで映像も音もよくないのですが、ハーモニーはばっちり決まっている感じでこりゃただのパチもんではなさそうです。ということで関連動画を探したらありました、ありました、それもTVに出ている映像が。どうやらプロのバンドのようなのです。

The Sunny Boys - Hawaii


いかがでしょうか5人編成のギター・バンドでストライプのシャツ着てこのハーモニー、いやーここまでやってくれると嬉しくなります。よく見るとブライアンのパートとマイクのパートはどちらもベースの人が声を変えて歌っているようです。司会のMCからもお分かりのようにイタリアのバンドでどうやらイタリアでは「イタリアのビーチ・ボーイズ」と言われているようです。他にもいっぱいアップされていましたので拾えるだけ拾ってみました。お暇なBB5ファンの方はどうぞ。

The Sunny Boys - Surfin USA


サーフィン・サウンドとくれば水着の美女、というわけかモデルさんのような美女がぞろぞろ出てきます。サニー・ボーイズのメンバーと並ぶとみんなでけぇなぁと思ったのですが、ようく見るとメンバーがみんな背が低いようなんですよ。歌とは関係ないですけど。

The Sunny Boys - I Get Around


The Sunny Boys - Wouldn't It Be Nice



The Sunny Boys - Don't Worry Baby


The Sunny Boys - Sloop John B


アルの持ち歌ということでギターの人がボーカルをとっています。

The Sunny Boys - California Girls


The Sunny Boys - Do You Wanna Dance


デニスの歌なのでドラムが歌うのかと思ったら違いました。でもベースじゃなくてもう一人のギターの人がボーカルをとって雰囲気ですます。

The Sunny Boys - Barbara Ann


次はどこかのライヴハウスのような映像なのですが、これだけ妙にパンキッシュ。メンバーも少ないし、これ同じバンドなの?

The Sunny Boys - Fun Fun Fun

そらをあおいで ランラ ランランランランラン 幸せのうた さあ歌いましょう

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斉藤和義/ドレミの歌


いきなりですが、せっちゃん(斉藤和義)の歌う「ドレミの歌」。誰もが一度は口ずさんだことがあるであろうこの曲、せっちゃんの先ごろ発売されたアルバム『45 Stones』の初回盤のボーナス・ディスクに収録されています。『イエロー・サブマリン』の中の「オール・トゥゲザー・ナウ」を思い出させるような楽しいナンバーになっていてお気に入りです。この曲一曲だけとってみればたんなる童謡(とも言えない曲ですが)のカバーです。けれど問題はこの曲の置かれた場所とそこに置かれたことでこの曲がたんなる童謡のカバー以上の意味をもって耳に届いてくるということです。

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45 STONES(初回限定盤)

もちろん、その置かれた場所というのはニュー・アルバム『45 Stones』ということになります。今回ひさびさに斉藤和義のアルバムを買ったのはミュージック・マガジンの特集を読んだからでした。MMに限らず音専誌のアルバム・レビューを読まれた方ならばこのアルバムが3.11以降の斉藤の心情、特に原発に対する信条を吐露したものであるということはご承知かと思います。

以前拙ブログでも取り上げましたが、斉藤はあの事故のあとすぐにYOUTUBEに最初は覆面で(すぐバレる覆面でしたが)自身のヒット曲「ずっと好きだった」の歌詞を原発批判の内容に替えた「ずっとウソだった」をアップします。

斉藤和義/ずっとウソだった


ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です。


「ずっとウソだった」はさすがに今回のアルバムには収録されませんでしたが、3.11から半年、直接的、比喩的な言葉で「原発」を歌っています。

”進化するテクノロジー 上手く乗りこなせない人間 戻れないんじゃなくて 戻りたくないだけ”(ウサギとカメ)

”回り回って巡り巡って振り向けば また同じ場所 ここ掘れ! あっちも掘れ! もっと掘れ! よく見れば己の墓穴 悪の華が咲く 世界中から 渋滞のハイウェイ 僕は降りるよ きみもどう?”(桜ラプソディ)

”Would you join me? 一緒に行こう Would you join me? 一緒にやろう Would you join me? 黒い罠を Would you join me? ひっくり返そう”(Would you join me?)

”隠蔽 増税 おなじみ不公平 サディスティックモンキー 停電 狂言 どう? 今日の湯加減 サディスティックモンキー あぐらかいても儲かる村じゃ 責任逃れで右往左往”(猿の惑星)

”美しい昔話 戻れない 時が連れ去っていく バカになりきれ男なら あとはどうにでもなれ”(負け犬の詩)

”オオカミが来るぞ! オオカミが来るぞ! オオカミが来るぞ! オオカミが来るぞ! 「電気が足りません」 「平和利用です」 「安全です」 「安全です」”(オオカミ中年)

”聞いてほしい話を あなたはどう言うだろう たぶんあの時のように 「気にするな」というかな テレビも新聞のニュースも 誰かに気を使ってばかり そいつを鵜呑みにしてる 思考停止の悦楽主義者 身分不相応の夢を捨てるつもりもなく ただひたすら闇雲に「がんばろう!」”(雨宿り

「あなた」はきっと清志郎ですね。

”あれもタブー これもタブー それじゃ「がんばれ」って言うしかないだろう 帰れない? 帰りたくない? 初めて知った付きの眩しさ”(おとな)

”この世界がゆっくり教えてくれた 大切なのは始まりなんだって この気持ちも この歌も この風も この虹も 嘘じゃないよね”(虹が消えるまで)

元々は映画「ホノカアボーイ」の主題歌として小泉今日子のために書いた曲ですが、このアルバムで聴くと新しい意味を感じます。

小泉今日子/虹が消えるまで


アルバムの最後の曲「ギター」では誰かが決めたものに無理に合わせるのではなく自分のペースで協力し合って前に進もうと締めます。
”Fになんて負けないで 自分流に押さえりゃいいのさ 夢だけは置いていかないで 譜面なんて気にしないで 混ざり合った自由なハーモニー 抱きしめ合って もっと愛のメロディーを Yeah Yeah Yeah! Yeah Yeah Yeah! Yeah Yeah Yeah! 迷路の終わり Yeah Yeah Yeah! Yeah Yeah Yeah! Yeah Yeah Yeah! 涙の終わり”(ギター)



と、以上のようなアルバムを聴き終わった後、ボーナス・ディスクに手を伸ばすと聴こえてくるのが冒頭の「ドレミの歌」という訳なのです。いかがでしょうか単なる童謡以上の「意味」を感じないでしょうか。この辺のバランス感覚が斉藤和義の斉藤和義たる由縁の気がします。

「ずっとウソだった」がアップされた時の賛辞の中に「これこそロックだ!」というコメントが多く見られました。ロック=反体制という幻想を未だ多くの人が持っているんだなと感心してしまいました。だってジョン・レノンのボロボロの歯一本を244万でおそらくは金持ちが買う時代ですよ全然<ロック>じゃないでしょ、これって(→ジョン・レノンの「歯」を競売に出品、244万円で落札)。

斉藤和義=ロックだとすれば僕はこの「ドレミの歌」を歌う柔軟性こそがロックじゃないかと思います。


ちなみに「ドレミの歌」のタイトル横には「江崎グリコ企業CM「みんなに笑顔を届けたい」斉藤和義デモ・バージョン」という説明が付加されています。あんまり記憶に残っていないのですがもともとは3.11後にグリコが企業CMとして流していたものだったんですね。

ドレミの歌 /江崎グリコ 「みんなに笑顔を届けたい。」CM


ドはドーナツのド レはレモンのレ
ミはみんなのミ ファはファイトのファ
ソは 青い空 ラはラッパのラ
シは幸せよ さあ歌いましょう


どんなときにも 列をくんで
みんな楽しく ファイトを持って
そらをあおいで ランラ
ランランランランラン
しあわせのうた さあ歌いましょう
   作詞:Oscar Hammerstein/ペギー葉山 作曲:Richard Rodgers



PS.
3.11以降の状況に対する歌としては「ずっとウソだった」よりは>菊池成礼も書いているように「歩いて帰ろう」がぴったりくるような気がします。ずいぶん前の歌ですがまるで今の次代のために書かれたような気がします。その時その時の聴手の置かれた状況で新たな意味が生まれてくるというのが「歌」の面白さだと思います。山下達郎もよく言っていますが一旦歌い手から発せられた歌はもう歌い手だけのものではなく聴き手のものにもなるのだと思います。

歩いて帰ろう


走る街を見下ろして 
のんびり雲が泳いでく
誰にも言えない事は どうすりゃいいの?おしえて

急ぐ人にあやつられ 右も左も同じ顔
寄り道なんかしてたら 
置いてかれるよ すぐに


嘘でごまかして 過ごしてしまえば 
たのみもしないのに 同じ様な朝が来る


走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく

だから歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう


嘘でごまかして 過ごしてしまえば たのみもしないのに 
同じ様な風が吹く 急ぐ人にあやつられ 言いたい事は胸の中 

寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ いつも 

走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく 僕は歩いて帰ろう 

今日は歩いて帰ろう


いい歌です。

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拝啓EMI殿

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EMI 部門ごと売却の見通し
11月12日 5時45分

$鳥肌音楽 Chicken Skin Musicビートルズを世に送り出したことでも知られるイギリスの大手音楽会社、「EMI」が部門ごとに売却される見通しとなり、音楽ソフト部門は、業界トップの「ユニバーサル・ミュージック」のグループへの売却が決まったほか、著作権管理などの部門は、日本のソニーが詰めの交渉を進めています。
「EMI」は、ビートルズをはじめ、多数のアーティストの作品を扱う大手音楽会社です。4年前、投資会社が買収して経営再建に乗り出しましたが、業績が伸び悩み、その後、アメリカの金融大手、シティグループが株式を取得して売却先を探していました。こうしたなか、業界トップの「ユニバーサル・ミュージック」とその親会社にあたるフランスの企業は、11日、「EMI」の音楽ソフト部門を買収することでシティ側と合意したと発表しました。買収金額は12億ポンド、日本円で1500億円規模に上り、ユニバーサル側は、著名なアーティストを抱えるEMIをグループに加えて事業のさらなる強化を図るねらいです。一方、著作権の管理などを行う音楽出版部門については、日本のソニーがシティ側との間で買収に向けた詰めの交渉を進めているということです。欧米メディアは、音楽出版部門の買収金額が日本円で1700億円規模に上ると伝えており、交渉がまとまった場合、名門音楽会社は部門ごとに分割されて売却されることになります。


構造的な不況で業界再編が続く音楽業界、プレスリーがソニーから発売というのも違和感があったのですが、ビートルズがユニバーサルからですか、まぁレーベルはEMIのままではあるんでしょうが。

そういえばUK盤を買ったスペクターのBOX、レーベル面はフィレス、EMI、ソニー・ミュージックというなんとも不思議なロゴの並びだなぁと思っていたのですが、今回の件と何か関係あるのでしょうか?

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music


拝啓EMI殿


詐欺や、金返せなんてそんな大人気ないことは言いまへんけどなぁ

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Philles Album Collection
$鳥肌音楽 Chicken Skin Music 先週頭にamazon.japanに注文していた『スマイル・セッションズ』とamazon.ukに注文していた『ザ・フィレス・アルバム・コレクション』が同時に到着しほとんど盆と正月が一緒に来たような心持ちで深まる秋を過ごしています。

 『スマイル・セッションズ』の方は1枚目のブライアン版『スマイル』を下敷きにしたビーチ・ボーイズ版『スマイル』以外の4枚については聴くのに結構集中力が必要なので、どっちかというとスペクターBOXの方を良く聴いています。内容としては62年から64年にフィル・スペクターとレスター・シルが設立したフィレス・レコーズ(Phil+Lester=Philles)から発売された6枚のオリジナル・アルバム、名盤『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』は未収録、と初CD化のシングルB面曲を集めたボーナス・ディスクの7枚組のアルバムです。音源的にはほとんどCDで持っているのですが、フィレスのオリジナル・アルバムがCD化されるのは初めてということとボーナス・ディスクに惹かれ買うことにいたしました。

 クラシックやジャズを別でしたが、スペクターがヒットを飛ばしていた時代のポピュラー音楽と言えばシングル盤が中心の時代でアルバムといえばシングル曲のA面B面と同時期に売れている他人曲のカバーなどをさっと吹き込んで曲数を揃え発売するという悪く言えばヒットのオマケ的なものでした。とまぁ、そういった時代背景は理解はしていましたが、今回のBOX収録の当時のアルバムというものをあらためて聴いて唖然としてしまいました。(まーしーさんの記事と一部ダブります

Crystals / There's no other


フィレスの初ヒットはクリスタルズの「ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー」で62年1月6日に発売され全米20位のヒットになります。5月26日に発売された2ndシングル「アップタウン」は順位を上げ全米13位のヒットとなります。この2曲のシングル・ヒットを受けて発売されたのがクリスタルズの初めてのアルバム『アップタウン』でした。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

CD One ' THE CRYSTALS TWIST UPTOWN by The Crystals (Philles PHLP-4000, originally issued 1962):
1. Uptown (A-side, Philles single #102, Hot 100 #13, R&B #18)
2. Another Country ' Another World
3. Frankenstein Twist
4. Oh Yeah, Maybe Baby (B-side, Philles single #100)
5. Please Hurt Me
6. There’s No Other Like My Baby (A-side, Philles single #100, Hot 100 #20, R&B #5)
7. On Broadway
8. What A Nice Way To Turn Seventeen (B-side, Philles single #102)
9. No One Ever Tells You (B-side, Philles single #105)
10. Gee Whiz Look At His Eyes (Twist)
11. I Love You Eddie (B-side, Philles single #106).

曲名横の( )内に記載しているようにヒット・シングル「ゼアズ・ノー・アザー・・・」「アップタウン」のAB面4曲に埋め合わせ曲7曲というものでした。アルバム・ジャケットの裏には誇らしげな大きな文字で”PRODUCED BY PHIL SPECTOR"と書かれてはいますが、アルバムタイトルや収録曲に当時リバイバルでブームになっていた”ツイスト”の文字を入れ便乗しようとするなど、まだまだスペクターの名前だけでは売れないという思いがあったのかもしれないですね。上にも書きましたが当時のアルバムはだいたいこんなもんだったようなのでこのアルバムについてはまぁ良いとして・・・

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

クリスタルズは続いてゴフィン&キング作の「ヒー・ヒット・ミー」を発表しますが、浮気症の女の子が嫉妬深い彼氏に殴られるというDVを扱った歌詞だったためにラジオ局はオンエアを控えヒットすることはありませんでした(なにせ半世紀前ですからね)。LAでリバティ・レコードのための楽曲を探していたスペクターはアーローン・シュローダーのオフィスでジーン・ピットニー作の「ヒーズ・ア・レベル」に出会い、「ヒー・ヒット・ミー」の発売が決まっていたにもかかわらずクリスタルズに歌わせることを思いつきます。この曲もタイトル通り(rebel=反逆者)世間からはみ出した男を歌ったものということである意味「ヒー・ヒット・ミー」と同傾向の歌なわけでスペクターの頭の中にはクリスタルズを可愛い子ちゃんグループから脱皮させようという思いがあったのでしょうか?

スペクターは「ヒーズ・ア・レベル」を録音するためNYからクリスタルズをLAに呼び寄せようとしますが、東海岸をツアー中のため断られてしまいます。困り果てたスペクターにレスター・シルが”その曲はブロッサムズに歌わせた方がいいぜ”と提案します。そうしてゴールド・スタジオでブロッサムズの歌を聴いたスペクターは彼女たちの歌声特にダーレン・ライト(後にダーレン・ラヴに改名)の歌声に惚れ込み、ブロッサムズを使い「ヒーズ・ア・レベル」を吹き込みシングルとして発売することを決めますが、グループ名は当初の予定通り(その方が名前が知れている分ヒットが出やすいので)クリスタルズを使うこととなります。

Crystals(Blossams)/He's a rebel


「ヒー・ヒット・ミー」の失敗に間髪を入れず発売されたこのシングルはLAのスタジオ・ミュージシャンを存分に使った新しいサウンド、ブロッサムズの素晴らしい歌声、そしてクリスタルズというネーム・バリューによりスペクター初の全米No.1ヒットとなりました。

このヒットに気を良くしたスペクターは今度は真クリスタルズのスケジュールに関係なく新クリスタルズ(=ブロッサムズ)を使いシングル「ヒーズ・シュア・ザ・ボーイ・アイ・ラヴ」を63年2月に発表、これも全米11位というヒットを記録します。ちょっとした躓きはあったものの2曲の全米ヒットも生まれたので再びアルバムをということになったのか2ndアルバム『ヒーズ・ア・レベル』が発売されます。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

CD Two ' HE’S A REBEL by The Crystals (Philles PHLP-4001, originally issued 1963):
1. He’s A Rebel (A-side, Philles single #106, Hot 100 #1, R&B #2)
2. Uptown (A-side, Philles single #102, Hot 100 #13, R&B #18)
3. Another Country ' Another World
4. Frankenstein Twist
5. Oh Yeah, Maybe Baby (B-side, Philles single #100)
6. He's Sure the Boy I Love (A-side, Philles single #109, Hot 100 #11, R&B #18)
7. There’s No Other Like My Baby (A-side, Philles single #100, Hot 100 #20, R&B #5)
8. On Broadway
9. What A Nice Way To Turn Seventeen (B-side, Philles single #102)
10. No One Ever Tells You (B-side, Philles single #105)
11. He Hit Me (It Felt Like A Kiss) (A-side, Philles single #105)
12. I Love You Eddie (B-side, Philles single #106).

ジャケットはタイトル通りハーレーにまたがるこわもてのお兄ちゃんが写っており、アルバムというのはテーマとかコンセプトがあって作られるということに慣れている僕からすれば中身は「ヒーズ・ア・レベル」や「ヒー・ヒット・ミー」のような世の中から少しはみ出した不良たちへの憧れみたいなものを歌っているのかと思ってしまうのですが、こういう期待(?)はあっさりと裏切られます。曲名を見ていただければお分かりのように「ヒー・ヒット・ミー」「ヒーズ・ア・レベル」「ヒーズ・シュア・ザ・ボーイ・アイ・ラヴ」という3枚のシングルA面曲は収録されてはいるものの残りの9曲は1枚目の『ツイスト・アップタウン』とダブっているのです。この時期スペクターはとにかく寝る間もないくらいの忙しさであり、新しくやりたいことも山積み状態だったと思われシングル以外の新曲をあらたに録音する余裕が無かったのじゃないかと思われます。またクリスタルズというグループについてもブロッサムズに出会ったことにより昔のように魅力的な素材とは思えなくなったことそしてロネッツという新しく超魅力的(後にスペクターの妻になるなヴェロニカ・ベネットもいましたしね)素材も手にしていたことから、おそらくやる気がなかったんだとは思われますが、ファンからしたらひどいアルバムですよね。全米1位と11位という大ヒットが収録にもかかわらずアルバムが113位とシングルに比べほとんど売れなかったのも理解できます。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

手抜きであることを自分でも自覚していたのか1枚目に比べプロデューサーのクレジットがかなり小さいなっています。スペクターもかわいいとこありますね。完全ではありませんがバック・ミュージシャンのクレジットがあるのも当時としては珍しかったんじゃないでしょうか。

本当はボーナス・ディスクについて触れたかったのですが、力尽きましたのでまたの機会に。


Bonus CD Seven ' PHIL’S FLIPSIDES by The Phil Spector Wall of Sound Orchestra:
1. Flip And Nitty (B-side, Philles single #107)
2. Walkin’ Along La La La (B-side, Philles single #109)
3. Dr. Kaplan’s Office (B-side, Philles single #110)
4. Git’ It (B-side, Philles single #112)
5. Annette (B-side, Philles single #113)
6. Brother Julius (B-side, Philles single #115)
7. Tedesco And Pitman (B-side, Philles single #116)
8. Nino And Sonny (Big Trouble) (B-side, Philles single #117)
9. Miss Joan And Mister Sam (B-side, Philles single #118)
10. Harry And Milt Meet Hal B (B-side, Philles single #119)
11. Harry (From W. Va.) And Milt (B-side, Philles single #119)
12. Big Red (B-side, Philles single #120)
13. Larry L. (B-side, Phil Spector single #1)
14. Chubby Danny D (B-side, Phil Spector single #2)
15. Bebe And Susu (B-side, Philles single #121)
16. Irving (Jaggered Sixteenths) (B-side, Philles single #122)
17. Torpedo Rock (Surfing Corrido) (from the Phil Spector International album Phil Spector Wall Of Sound, Vol. 5: Rare Masters Vol. 1)

もしもし亀よ 亀さんよ 世界のうちでお前ほど××××なものはない

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清水、タイトル“剥奪”!?/BOX 2011年11月11日(金)08:00
 プロボクシングの亀田ジムは10日、世界ボクシング協会(WBA)Sフライ級1位の亀田大毅(22)が、12月7日に大阪府立体育会館で同級王者のテーパリット・ゴーキャットジム(22)=タイ=に挑戦すると発表した。

 王座を獲得した8月の試合で右眼窩底骨折のけがを負った清水は、来年3月にも初防衛戦を行う予定で練習を再開していた。12月7日の「亀田祭り」で大毅の世界戦を望む亀田サイドは、暫定王者だったテーパリットとの交渉を開始。JBCが国内選手のWBA暫定王座への挑戦を認めていないため、清水の休養扱いに言及し、現在ウクライナで開催中のWBA総会でも正規王座戦への格上げを要請していた。

 「休養王者」は通常、負傷などで1年近く防衛戦を行う見通しが立たない王者が対象。復帰した場合は正規王者に挑戦する最優先権を持つが、事実上「前王者」の立場になり、清水は国内で初の例だ。大みそかの防衛戦を発表したWBA世界Sフェザー級王者・内山高志(ワタナベ)は負傷から現在まで10カ月半のブランクがあるが、休養扱いになっていない。

 清水は金子ジム創設46年目で初めて誕生した世界王者。地元福井ではローカルCMに出演するなど人気者で、13日には都内のホテルで王座奪取祝勝会が予定されている。今回、金子ジムにはWBAから事前に通知すらなく、興行の思惑で世界タイトルが“剥奪”されたとの批判も受けかねない。

元王者が清水に「夢あきらめるな」/BOX 2011年11月13日(日)08:00
 元WBA世界フライ級王者で、現稲城市市議の坂田健史氏(31)が12日、WBAから「休養扱い」とされた世界Sフライ級王者・清水智信(金子)にエールを送った。「やるせない気持ちはよく分かる。夢をあきらめないでほしい」。自らも2009年に世界挑戦が決定していたが、WBAの裁定によって挑戦者が亀田大毅(亀田)に変更された経験がある。

もし世界王座が政治力で操作できる印象を与えてしまえば、プロボクシングは終わってしまう」と強い危機感を口にした。

清水「人生をバカにされた気がする」/BOX 2011年11月14日(月)09:19
 プロボクシングのWBAから「休養扱い」とされた世界Sフライ級王者・清水智信(金子)が13日、都内で会見。「休養王者の意味が分からない。事実上の剥奪で前王者扱いになる。人生を賭けてやってきたことを全部バカにされた気がする」と声を詰まらせた。代わって12月に亀田大毅(亀田)の同級正規王座挑戦が決まったが、「亀田兄弟には今後一切かかわりたくない。彼らは別次元。このスポーツを冒涜(ぼうとく)している」と胸の内を爆発させた。

清水の休養&復帰後の支援確認/BOX 2011年11月15日(火)08:00
 ジム会長らで組織する東日本ボクシング協会は14日の理事会で、WBA世界Sフライ級王者の清水智信(30)=金子=が日本選手で初めてWBAから休養扱いと認定されたことと、復帰後の活動をサポートする方針を確認した。清水は8月末に王座を獲得したが、右眼窩底骨折で復帰に時間を要している。

 WBAから通達を受けた日本ボクシングコミッション(JBC)は同日、正規王者と「休養王者」の間に序列はないとの見解を示した。清水は休養扱いに不満を示しているが、金子ジムの金子健太郎会長はWBAへの提訴などは「今は考えない」と話した。

清水側、亀田プロは「許し難い暴挙」/BOX 2011年11月18日(金)08:00
 プロボクシングのWBA世界Sフライ級王者・清水智信(30)=金子=がWBAから「休養扱い」とされた問題で、同ジムの金子健太郎会長(50)が17日、日本ボクシングコミッション(JBC)に要望書を提出した。

 WBAは清水を「休養扱い」とし、12月7日に大阪で行われる「前暫定王者テーパリット・ゴーキャットジム(タイ)-同級1位・亀田大毅(亀田)」を正規王座戦に格上げした。WBAからJBCに届いた通知には大毅戦の勝者と清水との対戦指令や期限の記載はなく、清水の次戦のめども事実上立たない状況にあることから、要望書では(1)亀田プロモーションに対する処罰(2)清水の王座の権威が「正規王者」として守られること(3)WBAが承認しても、金子ジムの承諾なしでJBCは12月7日の試合を世界戦として認めないこと-の3点を要求している。

 また、要望書では日本ボクシング界から永久追放処分にある大毅の父・史郎氏(46)が、今月のWBA総会で清水の休養扱いと大毅戦の正規王座戦昇格を要請し、承認されたことを「自分勝手な許し難い暴挙」と非難している。JBCの森田健事務局長(76)はこの日、「協議中」とだけ話した。


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休養王者とか暫定王者とか正規王者とかなんだかわかりづらいですね。

整理すると今回問題になっているイケメン・ボクサー清水智信は9月に世界戦を行いスーパーフライ球の王者(正規王者)になったのですがその際に眼底を骨折し現在は休養中。同級1位の亀田大毅との防衛戦という話もあったようなのですがいったんお流れになっているようです。ただ来春には防衛戦を組みたいという意向はあるようで通常半年ほどだと王座はそのまま保持されるようです。

ただし長期に渡り世界戦が組まれないとボクシング協会としても興行として大きな損失となるため正規王者が試合ができない時に代わりの王者として暫定王者をつくります。そして今回暫定王者に指名されたのがタイのテパーリットです。テパーリットは当初暫定王座の防衛戦として仲里ジムの久高寛之との試合が予定されていたのですがどうやら亀田プロが裏から手をまわし12月の亀田祭りの中に大毅のタイトル戦として組み込んだようなのです。

ただしJBCは暫定王者というもの自体を正式には認めていないため国内の試合では暫定王者戦にタイトルマッチの肩書きはつけられません。そこで今度は日本ボクシング界を永久追放になった亀田父がWBAの総会で試合ができない王者は正規王者から外すべしと訴えたようで、WBAは結局清水を正規王者から外し同等資格の休養王者とし暫定王者であったはずのテパーリットを正規王者に格上げしたというわけで、これで大毅の一戦は「暫定王者」のタイトルマッチどころか正規のタイトルマッチとなってしまったというわけです。

まぁプロボクシングという興行の世界ですから裏でいろんな政治力や金が動くのは仕方のないことなのでしょうが、これほど露骨にやられるとなんだかなぁ。しかし何故亀田父にそれほどの政治力があるのか、金子ジムやJBCはWBAに対してもっと毅然とした態度が取れないものなのか。。。

清水も自分のブログなどで亀田批判を書いているようですが、そんなことは会長にまかせ休養に専念しケガが治り次第、万全の体制で大毅とグラブを交わしはっきりと決着をつけてもらいたいものです。あっその前にテパーリットが大毅をマットに沈めるかもしれないですけどね。



ニューヨークからやって来たまがい物

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いただいたコメントに対するレスが昔から遅かったのですが、コメの中に気になる事や全然知らなかった事があると、ちょっと調べてからお返事しなけりゃなと思ってしまいさらに遅れてしまうことがままあります。「拝啓EMI殿」にいただいた耕筰さんのコメもそんなひとつでコメの中に

>後、初歩的な質問ですが彼らの曲で「ニューヨーク」という曲があるじゃないですか?アレッて元は「ドールズ」というタイトルだったとか。てことはニューヨークドールズをけなした曲なんですか? ピストルズってもろニューヨークドールズに影響受けてるはずなのになぜ批判してるのか?全く分かりません。

というのがあって、僕の高校の頃にピストルズはデビューしてるので全くの同時代なのですが、恥ずかしながら彼らの音楽はほとんど聴いたことがなく、ニューヨーク」そんな曲あったっけ?みたいな状態なのです。

SEX PISTOLS / NEWYORK


これじゃコメ返しできないなぁと、YOUTUBEで音源を聴きながら歌詞検索をかけてみました。

An immitation from New York
You're made in Japan
From cheese and chalk
You're hippy tarts hero
'cos you put on bad show
Oh don't it show

Still oh out on those pills
Oh do you remember

You think it's swell playing Max's kansas
You're looking bored
And you're acting flash
With nothing in your gut
You better keep yer mouth shut
You better keep yer mouth shut
In a rut

Still oh out on those pills
Do the sambo

You four years on
You still look the same
I think about time
You changed your brain
You're just a pile of shit
You're coming to this
Ya poor litlle faggot
You're sealed with a kiss
Kiss me

Think it's well playing in Japan
When everybody knows Japan is a dishpan
You're just a pile of shit
You're coming to this
Ya poor litlle faggot
You're sealed with a kiss

Still oh out on those pills
Cheap thrills anadins
Aspros anything you're condemned
To eternal bullshit
You're sealed with a kiss
Kiss me

A kiss a kiss you're sealed with a kiss
A looking for a kiss you're coming to this
I wanna kiss anything
Oh kiss this gay boy



のっけから”あんたらニューヨークからやって来たまがい物 チーズとチョークでできた日本製 くそったれなショウを見せ 淫売ヒッピーたちのヒーロかい”ですよ。歌詞にはニューヨク・ドールズがそのくそったれなショウの拠点としていたマックス・カンザス(・シティ)というライヴ・ハウスの名前もあるし、「Pill」とか「Looking For Kiss」という(僕でも知ってる)ドールズの代表曲が出てくるし耕筰さんのコメにあるようにどうみてもドールズのことを揶揄しているように思えます。

New York Dolls - Looking For A Kiss


ただパンクだからかスラングが多いようで、よく意味がつかめません。国内盤のCDを持ってたはずなのでライナーの対訳を見てみようと部屋を探し、カラーBOXの中に無造作に突っ込まれたCDの山の中からようやく発見しました。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
スパンク・ボックス

出てきたのは1996年に発売された『勝手にしやがれ』にデモやレアな音源をあつめたCD、して「アナーキー・イン・ザ・UK」と「ゴッド・セヴ・ザ・クイーン」のオリジナル・カラオケの8cmCDがついた『スパンク・ボックス』というやつです。ライナーでは「ニューヨーク」はこんな対訳でした。

ニューヨークからのご招待
まがい物かどうかなんてお前に関係ない
ヒッピーみたいなお前の振る舞い
まるでヘタクソな見世物さ

お前はエロ写真のショウ
見せるんじゃない
沈黙
虫酸が走るぜ

覚えてないのかい

マックスの”カンサズ”をマジに演ってるんだろ
だけど気の抜けた
ケバいだけの演技
お前ら
黙った方が身のためだぜ
黙った方がいいぜ
発情しやがって
いっそサンボでも演った方が
まだマシじゃないのかい

4年間いろいろやってみたらしいけど
脳ミソがイカれちまっただけじゃないのか
お前はまるでクソの山だぜ

ここまで来たら
ホモにでもなっちまえ
キッスで唇を封印されてるんだろ
ほら 俺にもキッスしてみろよ

日本で演ってる気にでもなってるのか
みんなお前を皿のカケラかなんだと思ってるぜ
お前はまるでクソの塊だぜ
ここまで来たら

ホモにでもなっちまえ
キッスで唇を封印されてるんだろ
俺をゾクゾクさせてくれよ


あれれ、なんだコレは、この対訳だとドールズに言及してる歌とは気づきませんよね。しかし頭から

ニューヨークからのご招待
まがい物かどうかなんてお前に関係ない
ヒッピーみたいなお前の振る舞い
まるでヘタクソな見世物さ


”ニューヨークからやって来たまがい物”が”ニューヨークからのご招待”ですよ、なんでこんなに違うのと国内盤につけられた歌詞を見てみると

An invitation from New York
You made a jump clear from cheese and chalk
Your hippy types here on
'cos you put on a bad show


なるほど確かに元の歌詞では「invitation」ってなっていますから対訳も「招待状」になりますよね。どうやら聞き取りを誤ったままで歌詞載っけ、それを元に対訳をしたからこんなことになってしまったようなのです。僕が検索かけた歌詞検索にしたって多分は聞き取りなのでしょうが、海外のサイトから拾っているし、いくつかのサイトを見てもだいたい同じような内容だったので当たり前ですが国内盤のライナーよりは間違いのない歌詞と思われます。ただし歌詞を見ながら音源を聴いても何を歌っているのかわかりにくい部分がほとんどで、ネイティヴですら意味が分からず聴いている人が多いのではと思われます。そんな歌を日本人が聞き取りをして対訳をしたのだとしたら、間違ったものになるのは当たり前です。

だけどこの対訳をした方にも問題があるのと思われるは”You think it's swell playing Max's kansas”という部分について国内盤の歌詞でもちゃんと”You think it’s swell playing Max's kansas"と正しく聞き取りがなされているのにもかかわらず、対訳は”マックスの”カンサズ”をマジに演ってるんだろ”と訳している点です。当時のパンク・シーンを知っている人ならMax's kansasと言えばニューヨークにあったライヴ・ハウスのマックス・カンザス・シティのことだというのはすぐ分かるはずなんですけどね。ということでこの対訳をした方は英語には堪能なのかも知れませんがパンク・シーンについての知識の薄い人と思わざる得なく、あきらかに人選ミスという気がしてしまいます。

かってボブ・ディランが日本盤のライナーに歌詞を掲載するのはままならぬとソニーに厳命したことがありましたが、確かにこんな間違った歌詞を掲載されさらにひどい対訳をされたらたまったもんじゃないですね。といいながら、僕自身もこのブログに拙い訳を載せたりしているので「目くそ鼻くそを笑う」になってしまいますが・・・。

しかし、この歌日本人としては”Japan”という言葉が何度か出てくるのが気になります。冒頭ではドールズのこと(ですよね)を”日本製のまがい物”と行っているし後半にはこんな歌詞も出てきます。

Think it's well playing in Japan
When everybody knows Japan is a dishpan
You're just a pile of shit
You're coming to this
Ya poor litlle faggot
You're sealed with a kiss


日本で演る方がいいぜ
日本は洗い桶(便器?)だからな
お前らクソの山だし
お似合いさ
ちんけなゲイ野郎
キッスでその口ふさいだるぜ


こんな対訳でいいのかなと心配になりますが、日本人としてはええ加減にせえよという歌詞ですね。ただ「Japan is a dishpan」というキャプテン・ビーフハートのインスト曲もあり、それと何か関係があるのかも。

Japan In A Dishpan - Captain Beefheart & His Magic Band


「ニューヨーク」がニューヨーク・ドールズを歌ったのかどうかは、ドールズのメンバーであったジョニー・サンダースのアルバムの中の「ロンドン・ボーイ」という曲の中に答えがあるような気がします。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
So Alone

オレがニューヨークから来たのは知っとんな ワレ
”黙っとけ”とか抜かしよって
ワイがキスせえへんかったら 
おんどれはおらんかったんじゃ
ゲイ野郎やと
乳ばなれもでけへんガキが
うちでママにお守りしてもらいや
しょんべんも独りじゃでけへん
手をとり チンコとり シーシーか
おまえはお上品な 郊外住宅の飼ネコ
くそったれな街を変えたろうと思わへんかい

ちんけなロンドン野郎
お前は ちんけなロンドン野郎や
ちんけなロンドン野郎や
お前にオレを馬鹿にでけるんか あぁん

このちんけで貧しい操り人形が


めっちゃ怒っていますね。これを聴くと「ニューヨーク」が可愛い歌に聴こえてきます。おそらくピストルズはマルコム・マクラーレンがマネージメントしているといったことでニューヨーク・ドールズと比較されることが我慢できずに実際は影響を受けているにも関わらずドールズのことを”俺たちはお前らとは違うんじゃい”といちびってみせたというくらいのものだったのじゃないかと想像します。それを真にうけちゃったのがジョニー・サンダースだったってことじゃないのかな。それを横で見ているマルコム・マクラーレンはニヤニヤ笑いが隠せない、そんな光景が目に浮かびます。




PS.とまぁ書いてきたのですが実際のとこピストルズのことよく知らないのでどなたかこの件詳しい方いたら教えてください。drac-ob先輩とか何かご存知ないですか?

チリも積もれば山 フィルズ・フリップサイズbyフィル・スペクター

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いつものごとく間があいてしまいましたが、本日は前回に引き続き『フィレス・アルバム・コレクション』についてです。前回書けなかったボーナス・ディスク「フィルズ・フリップサイズbyザ・フィル・スペクター・ウォール・オブ・サウンド・オーケストラ」をご紹介いたします。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music- 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

Bonus CD ' PHIL’S FLIPSIDES by The Phil Spector Wall of Sound Orchestra:
1. Flip And Nitty (B-side, Philles single #107)
2. Walkin’ Along La La La (B-side, Philles single #109)
3. Dr. Kaplan’s Office (B-side, Philles single #110)
4. Git’ It (B-side, Philles single #112)
5. Annette (B-side, Philles single #113)
6. Brother Julius (B-side, Philles single #115)
7. Tedesco And Pitman (B-side, Philles single #116)
8. Nino And Sonny (Big Trouble) (B-side, Philles single #117)
9. Miss Joan And Mister Sam (B-side, Philles single #118)
10. Harry And Milt Meet Hal B (B-side, Philles single #119)
11. Harry (From W. Va.) And Milt (B-side, Philles single #119)
12. Big Red (B-side, Philles single #120)
13. Larry L. (B-side, Phil Spector single #1)
14. Chubby Danny D (B-side, Phil Spector single #2)
15. Bebe And Susu (B-side, Philles single #121)
16. Irving (Jaggered Sixteenths) (B-side, Philles single #122)
17. Torpedo Rock (Surfing Corrido) (from the Phil Spector International album Phil Spector Wall Of Sound, Vol. 5: Rare Masters Vol. 1)

全曲初CD化ということで今回のBOXの目玉といっていいのかもしれません。

ただし内容も目玉かといえば?です。というのも収録された17曲は62年から64年にフィレス・レコーズから発売されたシングルのB面で全てインストゥルメンタルのナンバーなのです。(14、15はフィル・スペクター・レコーズから発売したヴェロニカのシングルB面、17は未発表だったインスト曲)

ミック・パトリックのライナーによれば、両面にシングル曲のA面曲をいれたラジオDJ用のプロモ盤が一般的になる以前はDJはしばしばA面ではなくB面曲をかけることがあり、思うようにプロモーションが進まないことがありました。そんな事態を防ぐためB面にはあえてコマーシャル性の低い曲を収録しA面のみをかけるように仕向けることが行われていました。スペクターの場合はB面にバッキング・ミュージシャンによるジャムやシングル曲のバック・トラックの一部をリサイクルした2分間のインストを収録し、捨て曲のB面曲をファイン・アートに昇華させたとのことです。

FLIP AND NITTY - WALKIN' ALONG - DR KAPLANS OFFICE


ファイン・アートかどうかは疑問ですが収録されたスタジオ・ミュージシャンたちのジャムによるサウンド・トラックぽかったり、ジャズぽかったり、ラウンジぽかったりするインストを聴いているとA面曲との大きな違いが感じられ、A面曲の数々はスペクターの、スペクターによる、スペクターのためにプロデュースされた曲であったことをあらためて教えてくれている気がします。

Teddy Bears - To Know Him is to Love Him / Don't You Worry My Little Pet 1958


スペクターはハイスクール時代にテディ・ベアーズというグループとして発表したシングル「逢ったとたんにひとめぼれTo Know Him is to Love Him」が見事に全米一位という素晴らしい業界デビューを果たしています。実はこのシングル元々は「くよくよするなよ」(どこかで聞いたことがある邦題ですが同名異曲で原題はDon't You Worry My Little Petです)をA面として発売したのですが、ラジオのDJは「くよくよするなよ」ではなくB面曲であった「逢ったとたんにひとめぼれ」をオンエアし大ヒットしたのです。「くよくよするなよ」後のスペクターを感じさせる良くいえば分厚いぐしゃっとした新しいサウンドなのですが歌詞も聞き取りづらくラジオでかけるには音がちょっと悪いかなという気がします。それに比べ「逢ったとたんにひとめぼれ」の方は割と標準的なホワイト・ドゥーワップでキュートな女声がリードということでDJがこちらをかけた気持ちもわかる気がします。

結果オーライではあったのですが、自分が本当に聴いて欲しい楽曲が評価されなかったスペクターがA面曲をプッシュするためにB面に「捨て曲」としてインストを入れたというのはそんなエピソードの影響があったのではと思います。

ところでスペクターがプロデュースしたシングルとしては4枚目となるボビーBソックス&ザ・ブルージーンズの「ジップ・ア・ディ・ドゥ・ダー」からB面曲がインストとなっていますが、これは前回にもちらっと書きましたが録音スタジオがNYのミラ・サウンド・スタジオからLAのゴールド・スター・スタジオに代わりバッキングを務めるミュージシャンがLAのセッションメンに変わったことが影響しているようです。ユニオンの力が強く、決まった時間にスタジオに入り譜面通りにかっちりと演奏を行い時間が来ると家に帰るというNYのミュージシャンに比べるとヘッド・アレンジもお手の物で比較的自由度が高い演奏をするLAのミュージシャンたち(後にレッキング・クルーと呼ばれます)はスペクターの指揮で繰り広げられる地獄(!?)のセッションの合間を縫ってお遊び的にジャム・セッションを行なっていたようです。スペクターはそのジャムを聴いていてフレーズをつなぎ合わせればインスト曲になるなとひらめいたようなのです。こうして「フリップ・アンド・ニッティ」と名付けられたインスト曲がB面曲としてシングルに収められます。

FlipsidesにはシングルのB面という意味がありnittyには馬鹿げたという意味があるので「フリップ・アンド・ニッティ」というタイトルは「馬鹿げたB面」というそのまんまの意味になると思われます。ここから約2年間フィレスのシングルのB面には「馬鹿げたインスト」が収録され続けることとなります。ただし「馬鹿げたB面」とは言いながらスペクターにとってはA面曲がヒットすれば同等の印税が入ってくるわけで、自分がきちんと作曲したわけでもないのでボロもうけだったことと思われます。曲のタイトルにはレッキング・クルーの面々の名前や家族、知人の名前がちりばめられていたりします。

5の「アネット」はスペクターの最初の妻、7の「テデスコ・アンド・ピットマン」はギタリストのトミー・テデスコとビル・ピットマン、8の「ニノ・アンド・ソニー」はニノ・テンポと悪名高きソニー・ボノ、10の「ハリー・アンド・ミルト・ミート・ハル」ではハリー・ベッツとミルトン・バーンハートそして我らがハル・ブレイン!といった具合にです。厚顔無恥なスペクターとは言え自分ひとりが金儲けすることに悪気を感じたというところでしょうか(笑)。

そんな中3曲目にはスペクターがニューヨーク時代にかかっていた精神科のお医者さんの名前をつけた「Drカプランズ・オフィス」という曲が入っています。今回この曲を目当てにこのBOXを買われた方も何人かいらっしゃるのではないでしょうか。

Dr. Kaplan’s Office


大滝詠一のファンの方ならみなさんご存知の「GO!GO!ナイアガラのテーマ」の元歌ですね。

大滝詠一/GO!GO!ナイアガラのテーマ


今回BOXを買って気づいたのですがこの曲だけシングルのB面だけでなくボビー・B・ソックス&ザ・ブルージンズのアルバムの中にも収録されていたんですね。確かに曲としてのデキは他のフィリップサイド曲に比べると良いのですが、何故この曲だけが特別扱いだったのか?まぁボビー・B・ソックス&ザ・ブルージンズ自体が完全なデッチあげのグループだったのでなんでもありということなのかも知れませんが、どなたかご存知ないでしょうか?

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

Philles Album Collection
$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

















PS.そういえばもうすぐ発売されるマーチン・スコシージ監督のジョージのドキュメンタリーに牢屋に入る前のスペクターにインタビューした部分があるみたいですね。

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ナイアガラー業務連絡 音楽の学校スコラ「ロックへの道」

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$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

坂本”教授”龍一による「音楽の学校スコラ」本日からのテーマは「ロックへの道」。ロック最初のイコンであるプレスリーにつながる様々なルーツ・ミュージックが紹介されるようです。番組で紹介される楽曲の選曲は大瀧”師匠”詠一(一部北中正和)とのことなのでナイアガラーの皆様はお見逃しのないように。勿論(笑)御大本人の出演はございません、残念!

追記:番組の選曲を大瀧師匠と書いてしまいましたが、大瀧師匠が選曲したのは↓の本の方で番組とは別でした。申し訳ございません。プレスリーへたどり着くまで(下の本のような音楽)を詳しくやるのかと思いましたが第1回でさっと終わっちゃいました。第2回はプレスリーの登場ということです。

The Dominos / 60 Minute Man


俺は60分間の男

15分間はキスの嵐
もうやめて とおまえが叫ぶまで
15分間は何もせず じらすのさ
そして15分間 強くおまえを抱き
最後の15分 おまえはたまらんようになる

彼氏がおまえにつれなくしたら
来いよ 俺んとこ
一晩中ロックンロールして寝かせないぜ


R&Rらしい、いい歌詞ですね。


コチラも買いたいですね。
$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
commmons: schola vol.8 Eiichi Ohtaki Selections:The Road to Rock
テレビ放送(NHK教育)、京都芸術劇場春秋座における公開講座など、各種メディアへの展開も好評な音楽全集『commmons: schola(コモンズ・スコラ)』。
シリーズ第8巻のテーマは、非クラシック3作目となる「ロックへの道(The Road to Rock)」。アメリカのスーパースター、エルヴィス・プレスリーを軸に、そこへ集約される壮大なロックンロールの源流を辿ります。
今回、この野心的なテーマで選曲を担当するのは、日本有数のミュージシャンであるとともに音楽界屈指の理論家でもある大瀧詠一氏。そして大瀧氏とともに多角的な視点から選曲を補完・解説するのは、長年のキャリアをもち専門家の尊敬を集める執筆家・北中正和氏。いずれも、さまざまな時代や地域の音楽を膨大に吸収した視点から、テーマとなる音楽が生まれた背景やアーティストたちの特性をわかりやすく示します。果たして、ロックの起源に迫る重要な楽曲群と貴重な解説から坂本龍一が見る深奥の世界とは?
現代の音楽を大きく方向づけた激動の時代を一冊に収めたschola第8巻をぜひお楽しみ下さい。

大瀧詠一・選

ロケット88●ジャッキー・ ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツ
シクスティ・ミニット・マン●ザ・ドミノズ
カウント・エヴリ・スター●ザ・レイヴンズ
サッチ・ア・ナイト●クライド・マクファター&ザ・ドリフターズ
ハートブレイク・ホテル●エルヴィス・プレスリー
ロック・アイランド・ライン●ロニー・ドネガン
トレイン・ケプト・ア・ローリン●ザ・ジョニー・バーネット・トリオ
トレイン・ケプト・ア・ローリン●タイニー・ブラッドショー
キープ・ア・ノッキン●リトル・リチャード
キープ・ア・ノッキン(バット・ユー・キャント・カム・イン)●ルイ・ジョーダン
クロスロード・ブルーズ●ロバート・ジョンスン
ロック・アラウンド・ザ・クロック●ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ
ザッツ・オール・ライト・ママ●アーサー・“ビッグ・ボーイ”・クルーダップ
ブルー・スエード・シューズ●カール・パーキンズ
アイヴ・ガット・ア・ウーマン●レイ・チャールズ
ジョニー・B. グッド●チャック・ベリー

北中正和・選

ア・フール・サッチ・アズ・アイ●ハンク・スノウ
ブルー・ムーン●メル・トーメ
マルディ・グラ・イン・ニューオーリンズ●ファッツ・ドミノ
ビッグ・テキサス #2●パパ・カイロ&ヒズ・ボーイズ
マン・スマート(ウーマン・スマーター)●ハリー・ベラフォンテ
ウィモウェ●ザ・ウィーヴァーズ
ミザルー●ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズ

2003年12月に行われた対談以来、7年ぶりに実現した坂本龍一・大瀧詠一の対話を掲載した鼎談、萩原健太・北中正和による収録曲解説、後藤繁雄によるロック引用集(フラグメンツ)他を掲載。

想像してごらん 天国なんてないって

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家のHDプレイヤーの容量に余裕がなくなってきたので、録画したままになっていたもの慌てて見ては、どんどん消去もしくはDVDに残しているところです。そんな中2年くらい前の年末にBSでやっていたジョン・レノンの「イマジン」についてのドキュメンタリーをようやく見ることに。

途中ヨーコが何度か出てきて「イマジン」の中の素晴らしいメッセージを多くの人に広めたいということを語るのですが、中にちょっとそれはアカンの違うと思ってしまった発言があったので、そこまで深くつ突っ込まんでもええやん、どうでもええやんと言われるかも知れませんが取り上げてみたいと思います。



鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「もうワールド・ツアーできない ジョンの代わりに」

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「作品が世界を回っています」

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「おもちゃやベビー用品で」(おもちゃからイマジンのメロディが流れています)

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「彼のメッセージを 広めることができます。」

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「ベビー服を着ている間に メッセージが潜在意識に刷り込まれ」

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「大人になってから それを思い出すかもしれません。」

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「この歌のメッセージを伝え 広めたいのです。」


鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「そのためにはあらゆる媒体を使って」


鳥肌音楽 Chicken Skin Music

「浸透させていかなければなりません。」



You, you may say
I'm a dreamer, but I'm not the only one
I hope some day you'll join us
And the world will live as one


地球には70億人の人が住んでいます。地球に住む人々にはその人数分の人生があり、考え方あるはずです。それを踏まえた上でジョン・レノンという人は「いつか君もドリーマーになって欲しい」と歌っているのだと僕は理解します。”みんな一緒でみんないい”ではなく”みんな違ってみんないい”そんなことを考えるのは確かにドリーマーだけですから。

ヨーコのやろうとしていることは、”みんな違ってみんないい”じゃなく”みんな一緒でみんないい”ということなのかなぁと思ってしまいます。それって国や宗教とおんなじじゃないのかなぁと。




なんの意味もない くだらないものかもしれないが、それでも忘れられることを拒むもの

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昨日の「イマジン」の件でもやもやとしていたら、たまたま読んでいた本の中にそのもやもやを晴らしてくれるいい文章が見つかりました。

 リーシーはラジオのスイッチを入れた。ハンク・ウィリアムズの<ホンキー・トンキン>が流れてきても、そこに驚きはまったくなかった。リーシーは低く声をあわせて歌った。歌詞をすべて覚えていた。これにも驚きをまったく感じなかった。世の中には決して忘れられないことがある。実利一辺倒の世界では”はかない”の一語で片づけられてしまうものが多々あるが---歌、月の光、あるいはキスのようなもの---いまリーシーは、そういったものこそ、なによりも長く命脈をたもつものだ、と信じるようになっていた。なんの意味もない くだらないものかもしれないが、それでも忘れられることを拒むもの。だからこそすばらしい。

 だからこそすばらしいのだ。
  スティーヴン・キング「リーシーの物語Lisey's story」より


Hank Williams / Honky Tonkin'


さみしく 独りぼっちで 行くとこもない時には
僕のとこへおいでよベイビー 少しのお土産と
そして ホンキートンクへ行って 一緒に踊ろう
ホンキートンクで さぁハニー
街のはずれの ホンキートンクへ



>なんの意味もない くだらないものかもしれないが、それでも忘れられることを拒むもの。だからこそすばらしい。

本当に心に残るものというのは、放っておいてもいつの間にか記憶され忘れられることはない。「イマジン」だって「忘れられることを拒む」力があれば心に残るしふとした折に口ずさむ歌になるのだと思う。放っておけばよいのだ。自分で気づけば良いのだ。

だから”ベビー服を着ている間に メッセージが潜在意識に刷り込まれ”といったことは必要ないことだと思います。むしろやっちゃいけない。ヨーコの言葉に僕は「1Q84」ならぬ「1984」のビッグ・ブラザーを思い出してしまいます(って言い過ぎですね)。

もし赤ちゃんの時に刷り込まれるなら「イマジン」じゃなくて「トゥッティ・フルッティ」にして欲しいものですね(笑)。

"ア・ウォップ ボッパ ルー・モップ ア・ロップ バム・ブーム トゥッティ・フルッティ アウ・ルーティ!"





リーシーの物語 上/スティーヴン・キング

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リーシーの物語 下/スティーヴン・キング

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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)/ジョージ・オーウェル

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ジャンバラヤ~ベスト・オブ・ハンク・ウィリアムス/ハンク・ウィリアムス

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いちご白書がもう一度

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二日続けてジョン・レノンについて、というよりはヨーコについてかな、書いたせいかちょっとばかしジョンの曲を聴き直していました。たとえばこんなやつ。

平和を我等に


で、この曲を聴くと、クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を思い出すのですが、じゃなかった映画「いちご白書」のラスト・シーンを思い出してしまいます。ふと思うと「いちご白書」のDVDって出ていないんですよね。特に日本ではユーミンじゃなかったバンバンの歌のタイトルのおかげもあってよく知られた(観ているかは別にして)映画なんですけどね。海外でもビデオが出たきりでDVD化はされていないようですから、何らかの権利問題があるのでしょうね。サントラCDの方も90年に一度国内盤も出たことあるようなのですが、それっきりで現在は絶版状態のようなので、楽曲絡みで権利がややこしくなっている可能性もあるかもしれないですね。


$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
いちご白書

「いちご白書」では体育会系のノンポリからリベラルな運動家に変わっていく(きっかけは下心からなのですが)主人公サイモンの心の変化をサウンド・トラックの楽曲が上手く補完していました。一番印象に残ったのはニール・ヤングの「ヘルプレス」かな。

Helpless


青い青い風が星の下を吹き抜け 黄色い月が登ってくる 大きな鳥が空を横切っていくという歌詞そのまんまの映像でした。

ニール・ヤングの曲は他にも「ダウン・バイザ・リバー」と「ローナ」が使われています。「ローナ」のシーンは喫茶店でテーブルの上に砂糖の山(Sugarmountain!)を作りながら、老人たちをぼんやり眺めているうちに、自分もいつかはああなるのだから、その時に後悔の無いような生き方が今できているのか?と内省するシーンがあってそこに使われていると思ったのですが、動画を見たら全然違ったシーンでした。じゃぁあのシーンでは何が流れてたんだろう?クロスビーの「ロング・タイム・ゴーン」か?


Loner


最後にもう一曲。最初聴いたときにはその声にニール・ヤングかと思った、サンダークラップ・ニューマンの「革命ロック」。この邦題はもちろんこの映画に使われたからなんでしょね。(追記:調べるともともとのタイトルは「レボルーション」だったのですがビートルズが「ヘイ・ジュード」のB面で先に「レボルーション」というタイトルを使っちゃったので変更したみたいです。ただ邦題がいつからついたのかは確認できませんでした。)


Something in the Air



「ダウン・バイ・ザ・リバー」の入ったニールのアルバム『ウィズ・クレイジー・ホース』は映画と同時期に出ていたこともあってか『いちご白書』という邦題の帯が付けられていました。僕が75年か76年にアルバムを買ったときもまだ『いちご白書』という帯が付いていました、なんだかなぁ・・・


ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース/ニール・ヤング with クレイジー・ホース

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PS.君といつか行った映画がまた来ているようです→映画「いちご白書」公式サイト

シビれさせたのは誰? 素晴らしき哉<お囃子ソング>

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さて本日もいただきネタです。
先日<通りすがり>というHNの方から2年ほど前に書いた大瀧”師匠”詠一の『レッツ・オンド・アゲン』ついてのエントリにコメントをいただきました。内容は『レッツ・オンド・アゲン』の中の一曲「空飛ぶカナヅチ君」の間奏部分のメロディの元歌を教えて欲しいというものでした。意識していませんでしたが、言われて聴き直してみると確かに間奏部分では<通りすがり>さんもご指摘のようにトーネイドスの「テルスター」やマンシーニの「ムーン・リヴァー」のメロディが使われています。で、ご質問だったのは1分22秒辺りから始まるメロディは何かでした。

空飛ぶカナヅチ君/宿霧十軒
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
レッツ・オンド・アゲン

あぁこのメロディはアレですよ、知ってますよ、だからアレですよと完全に分かってはいるんだけど名前が出てこない状態に。「空飛ぶカナヅチ君」で他に使われているのが「テルスター」や「ムーン・リヴァー」と空絡みだから、この曲も確か”スター”が付くんじゃなかったっけ・・・。でこのメロを歌っている女性の声が頭の中で鳴っているのですが、これって誰の声だっけ?と10分ほど考え続けて思い出しました!アン・ルイスの声だ!


$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
チークⅡ

アン・ルイス、大瀧師匠とかければ答えは『チークⅡ』の中だとCD棚から引っ張りだして探すと、分かりました「リトル・スター」ですね、間奏のメロは。アン・ルイスのものは勿論カバーで元歌はリンダ・スコットという人が歌った楽曲です。

Linda Scott - Little Star
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
Complete Hits of Linda Scott

今まで流して聴いていたのですが、あらためて聞いてみるとさすが大瀧師匠いろいろ仕掛けをしていますね。それもまるっきり無関係ではなく全て「空」絡みとちゃんとした意味があっての仕掛けなのが師匠です(「リトル・スター」の次も何か聴いたことあるメロなのですが今のところ思い出せていません。加山雄三あたりの歌謡曲っぽいのですが・・・)。ちなみに「空飛ぶカナヅチ君」の元歌「泳げカナヅチくん」では「太陽の彼方」などのサーフィン・ソングが引用されています、きっちりしてますね。

こういった細かいネタ探しをしだすといっぱい出てくるんでしょうが、さすがに師匠とは年季が違うので若輩者の僕などでは聴いていても気づかないことも多いんだろうなぁ。

そんなことがあったすぐあとに某所のTSUTAYAのバーゲン・コーナーで手に入れたもののしばらく放置状態だった『バリー・マン・ソング・ブック』というアルバムを聴いていたら1曲目から思わず”そっか、師匠これだったんだ。”と独り部屋で叫んでしまいました。その曲とはバリー・マンにとって初のヒット曲(全米18位)となった58年のダイアモンズの「シー・セイShe Say (Oom Dooby Doom)」です。

The Diamonds /She Say (Oom Dooby Doom)
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
バリー・マン・ソングブック

お分かりでしょうか、曲中何度か出てくるコーラス部分の

She say
A oom dooby doom
Dooby doom
Dooby, dooby doom
Dooby doom
Dooby doom
Dooby, dooby doom
Dooby doom
Dooby doom
Dooby, dooby doom, doom, doom


がヒントでおそらく「FUN×4」の頭の部分は作られたんじゃないかと思います。

FUN×4
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
ロング・バケーション

それにしてもこの「シー・セイ」、バリー・マン作曲というのもありますが、いかにも師匠好みの楽しい楽曲です。曲も楽しいのですがマイク・アンソニーが書いた歌詞がこれまた面白いというか・・・こんな感じです。

あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム

あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム

ブン・ブン・ブーン
あの娘が止まれと言えば 僕は止まる
揺れろと言えば 僕は揺れだす
ブラブラしろと言えばブラブラするさ
あぁ 僕はあの娘が望むがまま
あの娘は僕にとって心のキャプテンだから

あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム

ブン・ブン・ブーン
あの娘が騒げと言えば 僕は騒ぎ出す
飛び跳ねろと言えば 僕は飛び跳ねる
驚けと言えば驚く
あぁ 僕はあの娘が望むがまま
だってあの娘は僕にとって唯一のポップだから

あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム

ブン・ブン・ブーン
あの娘が動けと言えば 僕は動くし
楽しんでと言えば 僕は楽しむ
呑めと言えば大呑する
あぁ 僕はあの娘が望む通りに動くのさ
だってあの娘は僕にとっての最高の楽しみだから

あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム


あの娘が言うのさ アー 
ウーム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム 
ドビィ・ドゥム・ドビィ・ドゥム
ドビィ・ドビィ・ドゥム・ドゥム・ドゥム


ただただ”ダン・ドゥビ・ドゥビ・ドゥビ”って言ってるだけという気もしますが、ドゥー・ワップやそこから派生した初期のロックン・ロールでは歌詞以上にこのダン・ドゥビとかシャララとはワオワオーといった意味不明の<お囃し>(by師匠)が心に残ることが多々あります。この<お囃子>の魅力はカーペンターズも歌にしちゃっていますよね。

Carpenters - Yesterday Once More
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
ナウ・アンド・ゼン

日本でもニール・セダカあたりがヒットしていた昔はけっこう「ケメ子の歌」みたいに<お囃子>付きの歌もあったような気がしますが最近は歌詞も「意味」が尊重されるようでこういった無意味な<お囃子>付きの歌が消えちゃったなぁと思っていたら、今年大ヒットした「マルマル・モリモリ」は一種の<お囃子>ソングといえるんじゃないでしょうか。

-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
(すぐ削除されるでしょうが・・・)

ところで、”あの娘が○○と言えば僕は○○する”という部分で、英詞ではこんな部分があります。

She say rock and I rock
She say roll and I roll


とか

She say hip and I hip
She say hop and I hop


とか

She say move and I move
She say groove and I groove


当時rockやrollといったスラングがあったのはRock'n'Rollがすでにあったので分かりますがHipやHop、Grooveという言葉が(おそらく)かっこいいスラングとしてあったんですね。

さて『バリー・マン・ソング・ブック』の2曲目には61年にバリー・マン自身が歌って全米7位大ヒットした「シビれさせたのは誰Who Put The Bomp」が続いているのですが、この曲もかなりの<お囃子>ソングです。

Barry Mann - Who Put The Bomp
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music
バリー・マン・ソングブック

この曲を書いた人 僕は好きだなぁ
おかげで あの娘が僕に恋したんだから

誰が思いついたの
ボン・バー・ボン・バー・ボム?
誰が思いついたの
ラマ・ラマ・ディン・ドン?

誰が思いついたの
ボッ・シュー・ボッ・シュー・ボップ?
誰が思いついたの
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ?

誰なんだ
握手がしたいよ
あの娘が僕に恋したんだもん、やったー

あの娘が聴いた
ボン・バー・バー・ボン
バー・ボン・バー・ボン・・バー
歌の全てがあの娘の心に響いたんだ

やつらの歌うのを聴いた時
ラマ・ラマ・ラマ 
ラマ・ラマ・ディン・ドン
二人はずっと一緒よとあの娘はいったんだ

そうさ誰が思いついたの
ボン・バー・ボン・バー・ボム?
誰が思いついたの
ラマ・ラマ・ディン・ドン?

誰が思いついたの
ボッ・シュー・ボッ・シュー・ボップ?
誰が思いついたの
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ?

誰が思いついたの
ボッ・シュー・ボッ・シュー・ボップ?
誰が思いついたの
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ?

お互いに離れ離れの時には
ブギティ・ブギティ・ブギティ・ブギティ
ブギティ・ブギティ・シュー
あの娘のハートは熱くなるんだ

二人で踊る時は
ディップ ダ ディップ ダ ディップ 
ディップ ダ ディップ ダ ディップ 
あの娘はいつだって愛してるとささやくんだ

誰が思いついたの
ボン・バー・ボン・バー・ボム?
誰が思いついたの
ラマ・ラマ・ディン・ドン?

誰が思いついたの
ボッ・シュー・ボッ・シュー・ボップ?
誰が思いついたの
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ?

誰なんだ
握手がしたいよ
僕のあの娘が僕に恋したんだもん、やったー

ダーリン ボン・バー・バー・ボンプ バー・ボン・バー・ボン・ボン
そうさハニー ラマ・ラマ・ディン・ドンは永遠さ
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップと僕が言う時
僕の心はブギティ・ブギティ・ブギティ・シューと君は気づくのさ

ボン・バー・ボン・バー・ボン
ラマ・ラマ・ディン・ドン
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ
ブギティ・ブギティ・シュー

ボン・バー・ボン・バー・ボン
ラマ・ラマ・ディン・ドン
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップ
ブギティ・ブギティ・シュー


「シビレさせたのは誰」という邦題を見てクレイジー・キャッツの「シビレ節」を思い出しmasita.
クレイジーの歌で流行語になってこの邦題つけられたのかと一瞬思いましたがシングルが出たのは66年ですから、全く時代が違いました。それにしても面白い歌ですね。片思いの彼女をダンス・パーティに誘い踊っているとご機嫌でウキウキするようなナンバーが流れ、踊りながら会話もはずみ(♫お~どりなぁがら カレッジのな~まぁえを ききだぁ~した♫っていうのありましたね)彼女も僕に恋をした。万歳。あのすばらしい曲を作ったのはいったい誰なの、思いっきり感謝したいんだ。ってな歌だと思うのですが歌っている本人が曲を作っている分けですから見事な我田引水、自画自賛ソングじゃないかと思います。

タイトルの「Who put the bomp」についてですがまずBompという言葉が無いので困ってしまいます。Bombであれば”爆弾を投げたのは誰?”となって彼女の恋心が破裂するように仕掛けたのは誰なんだみたいな意味で通りがよくなるのですが(おそらく、ダブル・ミーニングとしてありなんだと思います)。歌詞の中ではWho put the bomp In the bomp bah bomp bah bomp?やWho put the ram In the rama lama ding dong?みたいな歌われ方をしていますのでラジオで流れた曲のボム・バー・ボム・バー・ボムやラマ・ラマ・ディング・ドンの”ボム”や”ラマ”なんていう言葉を思いついたのは誰なんだみたいな意味じゃなのかと思います。

大瀧師匠が過去の名曲から歌詞やフレーズを引用しているようにバリー・マンもbomp bah bomp bah bompやrama lama ding dongというお囃子前者はマーセルズから後者をエドセルズから引用しています、流石は師匠の師匠です。

Blue Moon-The Marcels-1961          Rama Lama Ding Dong-The Edsels song-1957-58
-

最後の方のセリフになる部分は1曲目のダイアモンズの「シー・セイ」の前のヒット「リトル・ダーリン」のセリフの部分を参考にしていると思うのですが、ダイアモンズでは”ダーリン、君が必要だ”なんて切々と訴えかけているのに対しバリー・マンは感極まって意味不明の<お囃子>をつぶやいているのがとにかく笑えます。

darling, bom-bobo-bom-bom-bobo-bom-bom
now honey, rama-lama-ding-dong forever!
and when I said du-dudu-du-du-dudu
you know, I mean it from the bottom of my boogely-boogely-boogely-shu


ダーリン ボン・バー・バー・ボンプ バー・ボン・バー・ボン・ボン
そうさハニー ラマ・ラマ・ディン・ドンは永遠さ
ディップ・ダ・ディップ・ダー・ディップと僕が言う時
僕の心はブギティ・ブギティ・ブギティ・シューと君は気づくのさ


本当は
ダーリン 君を愛してるぜ
そうさ ハニー 二人の愛は永遠さ


とか何とか言いたかったのでしょうが、そんなありきたりな愛の言葉を訴えるよりも何倍も感情がこもっているんじゃないでしょうか(笑)


Little Darlin'-The Diamonds-1957


日本における<お囃子>ソングの第一人者(?)大瀧師匠の影響もあるのでしょうが、オールディズの中でも<お囃子>ソングが好きであることにエントリ書きながら気づいてしまいました。最近は「大人のロック」なんていう言葉がまかり通っていますが、ロックン・ロールというのは元々若者たちの音楽でした。大人のように物事を理路整然と考えられない、筋の通る言葉にできない気持ちを音楽に託したというのが始まりだったんだと思います。その意味では歌の中に意味不明だけど言葉にできない<お囃子>が含まれている歌っていうのはロックン・ロールの正しい姿だったんじゃないかと思ってしまいます。

崇高な言葉で歌わなくても気持ちは伝わるんです。ラララだけで伝わる愛もあるんです。

La La Means I Love You Video - Delfonics
-$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
ベスト・オブ・デルフォニックス

個人的には「イマジン」よりこっちの方が好きだな・・・・
(結局そこかい)

PS.忘れていましたが「シビれさせたのは誰」を作詞したのはゲリー・ゴフィンでした。

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アウトロー・ブルース

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The Beach Boys - SMiLE Sessions Release Day Brian Wilson Signing Event


さて輸入盤で買ったものの5枚組中4枚が未完成トラックということで、同時に届いたスペクターの箱の親しみやすさに逃げていてなかなか聞き込むことができなかった『スマイル・セッション』ですが、レココレの特集なんかを読みながらぼちぼち聴き始めたところです。

拙ブログの読者で若いながらビーチ・ボーイズ・ファン(以下BB5)の耕筰さんからは、早く『スマイル』についてエントリを書けとリクエストを受けているのですがまだまだ全然聞き込めていない状態なので、ごめんなさいです。

代わりといっては何ですが、アルバムの内容についてではないのですがレココレの特集を読みながら”あぁそうやったんか”と思ったことを少しばかり。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music
レココレ12月号

特集の冒頭にブライアン・ウィルソンへのインタビューがあるのですが、質問の項目を考えたBB5ファンだったら名前は知っているであろレコード店「ペット・サウンズ」の店長、森勉さんのあとがきのような文章の中に以下のようなくだりがありました。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

思えば『スマイル』というアルバムの存在を知ってから、個人的には39年がたつ。72年に音楽評論家ポール・ウィリアムスによる『アウトロー・ブルース』(晶文社刊/室矢憲治訳)を読んだのが、幻の『スマイル』をはっきり意識した最初だったと思う。”ブライアン”と表題のついたパートの「スマイルの悲劇」という項目だった。それまで日本の音楽雑誌には書かれていない出来事ばかりだった。
(註:ポール・ウィリアムスと言っても音楽評論家の方でシンガー・ソング・ライターの人とは別人です。)

森さんについてネットで調べたら林立夫さんや小原礼さんと同年とのことなので1951年生まれ、ということはデビュー時からBB5を知っていてもおかしくない年代の方ということになります。

そのようなBB5ファンの森さんでも70年代に入るまで『スマイル』について知らなかったというのですから、こと日本に関しては全くその存在さえ知られていない本当に「幻」のアルバムだったということなのでしょうね。森さんが触れている『アウトロー・ブルース』を僕も持っているのですが、それを読む限りポール・ウィリアムスはじめアメリカの業界人や(おそらくは)BB5ファンの間では『スマイル』というアルバムが発売されるはずだったことは公然のもののようです。実際キャピトルは発売告知のラジオ・スポットを流したりジャケを印刷したりしていますからね。

そんなアメリカのBB5だったら誰でも知っているような情報が日本では70年代になるまで一般的ではなかったという事実(おそらく)はインター・ネットで、ほぼリアル・タイムで海外の情報が得られる現在から想像するのは難しいかもしれませんね。

59年生まれの僕が意識的に洋楽を聴きだしたのは中学校に入った72年くらいからなのですが、ラジオを聴いていてもリアル・タイムのBB5の局がが流れることはほとんどなくあったとしても夏に「サーフィンUSA」といった一連のサーフ・ヒッツが流れるくらいだったと記憶します。念のためいつも参考にさせてもらっているALL JAPAN POP 20の記録を見てみると BB5のシングルがAJP20にランク・インするのは69年春の「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」が60年代最後で70年代入ってからは76年夏の「ロックン・ロール・ミュージック」ということでやはり70年代の前半はほとんどラジオでかかっていなかっただろうことが推測できます。しかしこの2曲も両方ともカバーというのがまた涙を誘います。

ラジオ以外で雑誌などにしても当時バンド・ロゴのステッカーなどの付録付のときにたまに買っていたミュージック・ライフなんかでもビーチ・ボーイズの写真を見ることはほとんど無かったと思います。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

とまぁ、そんな具合で70年代前半の日本ではBB5は完全に過去のバンドという扱いだったと思います。1974年には彼らを語るときの常套句となる『終わりなき夏Endless Summer』というタイトルを持ったベスト・アルバムが全米1位という大ヒットとなり日本でもそれなりに売れたと思われますが、これとてそのタイトルどおりサーフィン/ホット・ロッド時代のヒット曲を集めたもので『ペット・サウンズ』からは一曲も無し(ジョンBくらい入れろよな)という現在の『ペット・サウンズ』偏重の評価からすると考えられないLPでした。

おまけにアメリカでは片面5曲ずつの2枚組計20曲入りだったものを、片面に10曲ずつ詰め込み無理やり1枚もののアルバムとして出してしまっているあたりも、”日本ではBB5を2枚組で出しても売れるわけないよ”という当時の評価が透けて見えるようで悲しくなってしまいます。

僕の中学時代でいえば、『サーフス・アップ』(1971)、『カール&ザ・パッションズ/ソー・タフ』(1972)『オランダ』(1973)『イン・コンサート』(1973)といったアルバムが発売されていましたが、リアル・タイムではそれらのアルバムを知ることはありませんでした。上記の『終わりなき夏』をのぞくとリアル・タイムでBB5のLPを目にするのは結成15周年ということでアメリカで大々的にキャンペーンがはられた『15ビッグ・ワンズ』(1976年)で、僕は高校生になっていました。このアルバムについては日本でも雑誌などに広告もけっこう載ってたりして、かなりプッシュされていたように思います。

The beach boys - Rock'n' Roll Music _________The Beatles / Rock'n' Roll Music -

アルバムからの1stシングルは「ロックン・ロール・ミュージック」でラジオでもよくかかっていましたが、感想としては”何だかかったるいなぁ、これやったらビートルズの方が何倍もかっこええやん”というものでした。オリンピックの五輪をもじったアルバム・ジャケットもなんかいまいちだったし、やっぱりダサいバンドだなぁというのが正直な感想でした。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music 15ビッグ・ワンズ

そしてちょうどこの頃に森勉さんが触れているポール・ウィリアムスの「アウトロー・ブルース」手に入れたはずなのですが、くだんのブライアンについてのデヴィッド・アンダール(元ブラザー・レコード代表)との長い対談記事を読んでもぜんぜんピンと来ず、いったい全体、何故この人たちはこれほどまでにBB5というかブライアン・ウィルソンという男を天才として評価するのかまったく理解できませんでした。そして『スマイル』という幻のアルバムをどうしてそんなに追い求めるのかも・・・。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

森さんの文章を読んで何十年かぶりで「アウトロー・ブルース」本棚から引っ張り出してきて読んだのですが、いやぁ実に面白い対談でした。ブライアンの章の扉にはブライアンがあくびをしている写真が使われていて、高校時代は”なんでこんなバカみたいな男が天才なんだよ”と思いながら眺めていましたが(白状しますが、ブライアンがウィルソン兄弟の長男でBB5の歌を作っている音楽面でのリーダーであることをこの本を読むまでしりませんでした(*´д`*))、今この写真を見ると、実にブライアンらしいいいショットだなと思ってしまいます。

時が経てばいろんなものが変わってしまうものですが、ポール・ウィリアスはとうとう発売されてしまった『スマイル』をどんな思いで聴いているのか少し気になります。

The Beach Boys SMiLE Sessions - Heroes and Villains

レココレの特集を読んでいて、「ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリー」というビートルスで言えば「ザ・コンプリート・ビートルズ レコーディング・セッションズ」のような本が出ているのを恥ずかしながら初めて知りあわててアマゾンに注文しました。既に絶版のようでプレミア価格の中古本で手に入れました。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

届いた本で45年前の昨日、今日の日付を見るとこんな記述がされていました。

5日(月) [レコーディング]『スマイル』セッション34/ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st.カリフォリニア州ハリウッド

「ジ・エレメンツ・パート1」(「ファイアー」として知られている)をビーチ・ボーイズが更なるヴォーカル・トラックをオーヴァー・ダブするセッションが行われる。またこのほかにも「サフス・アップ」の作業、恐らくヴォーカルのレコーディングが行われた形跡がある。

6日(火) [レコーディング]『スマイル』セッション35/コロムビア・スタジオAst.カリフォリニア州ハリウッド6;00-9:00PM/10:00PM-1:00AM

10月3日の「キャビネッセンス」のレコーディングに、更なるヴォーカルをオーヴァーダブする。特にマイクとカールが「グランド・クーリー・ダム」の部分、及び”Over and over the crow flies・・・”のコーラスを入れた点が注目される。またこの日もブライアンは「チャイルド・イズ・ファーザー・オブ・ザ・マン」の10月7日のインストゥルメンタル・トラックに、更なるヴォーカルをオーヴァーダブするセッションも監督している。ブライアンは「キャビネッセンス」の2つ目のミックスをして、この日のセッションは終了。


録音が長期にわたっていたせいもあってかレコーディング・スタジオを転々としながらセッションは行われていたんですね。しばらくはこの本を膝にのせ(でかいサイズなので片手にというわけにはいきません)『スマイル・セッション』を疑似体験していきたいと思います。(偶然ですが45年前と現在の日付の曜日が一致しているようです)



$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

ブライアンとヴァン・ダイク。こういう珍しい写真も満載です。

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