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ニュー・フォーク・シリーズって?

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前回のエントリ後、私事でなにかとせわしなかったこともあってすっかり遅くなってしまいましたが大学時代のサークルのOBでいらっしゃるデューク中島先輩からママス・アンド・パパスのデビュー・アルバム『夢のカリフォルニア』のビクターから66年に発売された国内盤の写真を送っていただきましたので、アップさせていただきます。



基本的にはトイレをバナーで隠した米再発盤をもとにしているようです。バナーに書かれているのは「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN'」と一曲だけで前回アップした米再発盤の「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN' MONDAY MONDAY I CALL YOUR NAME」の3曲書かれたものとは違っていますが、米国でも再発盤の1stイシューは「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN'」だけだったようです。

後ビクター盤は当然なのですが右上にビクターのニッパー犬のロゴが印刷されています。あと細かいことですが写真自体が少しだけトリミングされているように見えます(ミッシェルの頭の上の窓の上の方がちょん切られています)。

デューク先輩からのメールにはジャケット裏面の写真も添付されていました。



これを見て面白いなぁと思ったのは「ニュー・フォーク・ソング・シリーズ」というフレーズです。ママス・アンド・パパスっていうのは「フォーク・ロック」のグループというのが現在の一般的な認識だと思います。しかし発売当時のレコード会社(ここではビクター)が名づけたカテゴリーは「ニュー・フォーク」というものだったのが見て取れます。確かにロックン・ロールやロックと比べればマイルドだけどエレクトリックなバンドがバックについていてフォークとも呼べないうーん困った(だからフォーク・ロックだって)、そうだこんな時は便利な言葉「ニュー」をつけて「ニュー・フォーク」としてしまえという感じだったのではと想像します。

じゃぁこの「ニュー・フォーク」というシリーズ他にはどんなの出てたのと調べてみましたが確認できたのは2枚だけでした。

『夢のカリフォルニア』の品番はSHP5557なのですがひとつ前の品番SHP5556はバリー・マクガイアの『フォーク・ロック傑作集』というもの。うん、待てよちゃんと「フォーク・ロック」という言葉が使われてるやんけ。



ジャケット裏面を見るとしっかりと「ニュー・フォーク・ソング・シリーズ」と書かれています。「フォーク・ロック」か「ニュー・フォーク」かどっちやねんと当時のビクターのディレクター氏に聞いてみたいものです。ひょっとして「フォーク・ロック」っていうのは「フォークとロック」っていう意味なのか?



ちなみに収録曲を見るとこのアルバムはダンヒルからの一枚目の『ディス・プレシャス・タイム』と二枚目の『イヴ・オブ・ディストラクション』からいいとこどりの日本編集盤のようですね。ジャケは『ディス・プレシャス・タイム』をトリミングしたもの。

以前取り上げたバリー・マクガイアが歌うオリジナル版「夢のカリフォルニア」も収録されていますね。
こんな寒い冬の日にはカリフォルニアを夢みてしまう


 

さて「ニュー・フォーク・シリーズ」のもう一枚は何か?感のいい方は上のバリー・マクガイアの帯を見てお気づきかと思いますが、ママス&パパスの一つ後の品番SHP5558で発売されているのがバリー・マクガイアの全米NO1ヒット「明日なき世界」を書いたP.F.スローンのアルバム『ニュー・フォークの鬼才』です。



こちらもいちおう確認のためジャケット裏面を。「ニュー・フォーク・シリーズ」確認できますね。



このアルバムも収録曲はダンヒルの一枚目『ソング・オブ・アワ・タイム』と二枚目『トゥエルブ・モア・タイム』からのいいとこどりのようなのですが、なぜか一枚目に収録されていた「明日なき世界」の本人バージョンが入っていないのが不思議です。

  


以上の3枚は品番が連番なのでおそらくは一斉に発売されたものと思われます。帯裏の広告を見る限りこの3枚から「ニュー・フォーク・シリーズ」はじまっているようなのですが、その後の品番で検索しましたがこれ以降の発売は無かったものと思われます。その原因としては発売元のダンヒル・レコードの日本での販売権がビクターから東芝に移ってしまい、ビクターからの販売自体が無くなってしまったことと、おそらくは「フォーク・ロック」という言葉が日本でも一般的になってきたため「ニュー・フォーク」って言い方はおかしいということになっちゃったんじゃないかなと思います。

下の画像は東芝から「孤独な世界」のシングルが再発売された際の解説文ですが、しっかりと「フォーク・ロック」と書かれています。っていうことで日本で「フォーク・ロック」という言葉が一般化したのは66年ということなのかな、でもバーズやディランの事も調べなきゃ断言できませんけどね。





デューク先輩のコメはストーンズのジャケについても貴重な情報が書かれていて、本当はそっちも調べてみたかったのですが、ママス&パパスがらみで力尽きました。ストーンズについてはまたいずれ。デューク先輩ありがとうございました。


P. F. Sloan - From A Distance 1966



夢のカリフォルニア/ママス&パパス

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いかすぜ この 恋の片道切符

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 最近は通勤のBGMとしてYOUTUBEで大瀧詠一さんのラジオ「GO!GO!NIAGARA!」の音源なんかを聴くことが多いのですが、「折り込みソング特集」(織り込みの方が合ってる気もするのですがアップされた音源のタイトルに従います)という歌詞の中に他の曲のタイトルが折り込まれた楽曲の特集を聴いていたらニール・セダカの「恋の片道切符 One Way Ticket (To The Blues ) 」が取り上げられていました。そういえば「恋の片道切符」を聴くときに、いつも”ハートブレイク・ホテル”っていうとこで”あっエルヴィス”と思ってはいたのですが、他にもいっぱい折り込みされてたんですね。

Neil Sedaka - One Way Ticket (To The Blues ) 1959



Choo, choo train, chuggin' down the track
Gotta travel on, never comin' back
Woo, ooh got a one way ticket to the blues

Bye, bye love my baby's leavin' me
Now lonely teardrops are all that I can see
Woo, ooh got a one way ticket to the blues

I'm gonna take a trip to lonesome town
Gonna stay at heartbreak hotel
A fool such as I that never was
I cried a tear so well

シュシュポッポ ガタゴト線路の上を
汽車は往く もう戻らない
僕の手には憂鬱行の片道切符

恋よバイバイ あの娘は往く
孤独の涙しか 僕には見えない
僕の手には憂鬱行の片道切符

僕は目的地の孤独街へまっしぐら
失恋ホテルに宿泊し
僕みたいなバカは世界にひとり
涙も枯れてしまった


原詞で赤字にしているところが他のヒット曲のタイトルの引用です。

「恋の片道切符」は1959年の秋に発売されたセダカ作で高校時代の同級生であったキャロル・キングをモデルに描いたとされるシングル「オー・キャロル」のB面曲として発表されました。



「オー・キャロル」は本国アメリカでは9位という大ヒットとなっていますが、なぜか日本でシングルが発売される際にはA面とB面をひっくり返して「恋の片道切符」として発売されています。

「恋の片道切符」はニール・セダカの作ではなく大瀧詠一さんをして「産湯を浸かった」とまで言わしめたソング・ライター、ジャック・ケラーの作品(作詞はハンク・ハンター)です。ジャック・ケラーとニール・セダカは1958年にアル・ネヴィンスとドン・カーシュナーによって設立されたアルドン・ミュージックのスタッフ・ライターとして働く「同僚」でした。それゆえセダカのシングルのB面曲としてハンター/ケラーの作品が選ばれることになった(小遣い稼ぎみたいな感じか?)のだと思われます。

ただ本人作曲歌唱のA面より目立っちゃいけませんから、ハンター/ケラーはみんなに知られたヒット曲のタイトルを織り込んだお遊びの歌=ノベルティ・ソングとして作っていると思われます。哀愁を帯びたメロディーなのですが、アメリカ人が聴けば、いきなり”シュシュポッポ”とドリス・ディのハネムーンを歌った曲のタイトルが引用されその後もベタな「バイバイ・ラヴ」や「ハートブレイク・ホテル」が次から次と出てくる。悲しい失恋ソングなのですが思わずクスクス笑ってしまうそんな歌なんだろうと思います。

ところが日本では事情が変わります。英語が分かる人が少なくというかほとんど存在せず、また引用元の楽曲もエルヴィスやエヴァリーズ以外は日本盤も出ていたのかあやしく(すみません確認していません)、アメリカのように歌われる歌詞ですぐに「あぁアレアレ」とピンときて、ニヤリとするような人はほとんどいなかったんじゃないかと思われます。なにせ、シングルを発売しようとしたビクターのディレクターでさえB面曲をA面にして「恋の片道切符」という切ない邦題をつけて売り出した=お遊びと思っていなかったということでしょうから。

よしんば、ノベルティのためB面曲だったという事情を分かっていたとしたら、「オー・キャロル」と「恋の片道切符」を聴き比べたときに、より哀愁味のあるメロディの「恋の片道切符」の方が日本人向きであろうという判断をディレクターが下したということになります。その際、歌詞の問題については、たぶん日本人には分かんねーだろうからOKという感じだったのかなぁと思います。

どちらにせよ、「恋の片道切符」は日本のポピュラー・チャートで1位となっているのですから、ディレクター氏の判断は正しかったということになるんだと思います。(日本で1位の件は米ウィキにも特記されているのですが何のチャートなのかの明記がありません、何のチャートなんでしょうね)


では、引用されているヒット曲をお聴きください。

Doris Day Choochoo train


1953年、全米20位のスマッシュ・ヒット。”Choo choo Foo,Choo choo Foo"という日本で言うところのシュシュポッポのところがチャーミングですね。

Gotta Travel On Billy Grammer


1959年、全米5位の大ヒット。カバーの多い曲ですが個人的にはニール・ヤングが『アメリカーナ』でカバーしたやつが記憶に残っています。ディランもカバーととにかくカバーの多い曲。

Everly Brothers - Bye Bye Love


いまさら説明の必要もない1957年のエヴァリー・ブラザースの全米NO.1ヒット。僕らの年代だとエヴァリーズよりサイモンとガーファンクルの歌という印象を持っている人が多いと思うのですが、今は逆にS&Gバージョンは知らずにエヴァリーズの方は知っているという人が多いんじゃないでしょうか?時代は変わるですね。

Jackie Wilson - Lonely Tear Drops


1958年11月発売で全米7位、R&Bで見事に1位を獲得したジャッキー・ウィルソンの大ヒット。ベリー・ゴーディと姉妹のグゥエンドリンとロクエル・ディヴィス作。個人的には映画「デュエット」の中でヒューイ・ルイスがカラオケで歌ったバージョンが印象に残っています。

Ricky Nelson - Lonesome Town


リッキー・ネルソンの1958年8月発売のシングルで全米7位、R&Bチャートでも15位のヒット。

Elvis Presley Heatrbreak Hotel


1956年1月に発売された、これまた説明の必要のないエルヴィス・プレスリーのメジャー・デビュー曲にして全米NO.1の大ヒット。作者はメイ・アクストン、トーマス・ダーデン、エルヴィス・プレスリー。エルヴィスが全米の若者たちを席巻するきっかけとなった一曲です。

Elvis Presley - A Fool Such As I


元々はハンク・スノウが1953年に歌いカントリー・チャートで4位を記録していたカントリー・ヒット、また同じ年にジョー・スタッフォードも歌い全米20位となったものを1959年3月にエルヴィスがカバー。当初は「アイ・ニード・ユア・ラブ・トウナイト」のB面曲であったがA面を超え全米2位となる大ヒットに。後に地下室セッションでディランもカバーしています。

I Cried a Tear Lavern Baker


ラーヴァン・ベイカーか1958年に歌い全米6位、R&Bでは2位となる大ヒット。間奏のサックスはキング・カーチス。

ジャック・ケラーで産湯を浸かった大瀧さんは、この折り込みソングがお得意の人でしたが、とうとう歌詞すべてがエルヴィスの歌のタイトルという「いかすぜこの恋」というノベルティ・ソングを作ります。今日はその曲で締めたいと思います。



「いかすぜこの恋」についてはコチラの過去記事を⇒烏賊酢是!此乃鯉! Elvis! Forever!


ベスト・オブ・ニール・セダカ/SMJ

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黒く長い 奇妙な列車で あいつは逝っちまった

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列車に乗る 16両の長いやつ
列車に乗る 16両の長いやつ
黒く長い列車で あの娘はいっちまった

列車 列車が来る カーブを抜けて
列車 列車が来る カーブを抜けて
あの娘が乗っている 二度と行かせやしない
二度と

列車 列車が来る 線路を 線路を下って
列車 列車が来る 線路を 線路を下って
あの娘を連れて だって彼女のすべては俺のもの 
彼女は俺のもの すべては俺のもの

列車 列車が来る カーブを抜けて
カーブを カーブを抜けて
列車 列車が来る カーブを抜けて
カーブを カーブを抜けて
あの娘が乗っている 二度と行かせやしない
二度と


R.I.P. Scot "Scotty" Moore III (December 27, 1931 – June 28, 2016)

ビートルズ・オールタイム・ベスト・ソングス・20

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アップするのが遅くなってもう昨日のことになってしまいましたが、6月29日はビートルズの来日50周年でした。ということでSNSでビートルズの楽曲をアップされたり自分だけのランキングを書かれている方も多く見かけました。

いちおう私もビートルズ・ファンですのでランキングを作ってみました。来日50周年ということで最初50曲選ぼうかと思いましたが、もう20曲選ぶのでも数時間かかってしまい、無謀なことはやめることにいたしました。では「鳥肌音楽」が選ぶビートルズ・オール・タイム・ベスト・ソング20はこんな感じです。


01 ア・デイ・イン・ザ・ライフ
02 アンド・ユア・バード・キャン・シングアアドバイス
03 ハッピネス・イズ・ウォーム・ガン
04 イン・マイ・ライフ
05 ひとりぼっちのあいつ
06 レット・イット・ビー
07 ヘイ・ジュード
08 恋のアドバイス
09 恋する二人
10 ツイスト・アンド・シャウト
11 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
12 ペニー・レイン
13 サムシング
14 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
15 テル・ミー・ホワイ
16 ホエン・アイム64
17 ユア・マザー・シュッド・ノウ
18 オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ
19 ナット・ア・セカンド・タイム
20 ユー・ノウ・マイ・ネーム




以下は選曲の理由なのですが、時間がなかったのでほとんど過去記事からのコピペとなります事をお許しのほど。


01 ア・デイ・イン・ザ・ライフ


ジョンとポールという二つの才能が並び立った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン」のシングルがビートルズ最高の一枚になるのですが、あくまで合わせ技での一本勝ち、では究極の一曲はということになれば、その最高の一枚とほぼ同時期、ふたりの脂が乗りきった時期のコラボである「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とさせていただきます。

02 アンド・ユア・バード・キャン・シング


いわゆる「赤の時代」の曲ではいちばん大好きな一曲。ジョン自身は軽い気持ちで書いた曲なのか”(この曲)好きじゃない”みたいなことを言っているのですが、ボクなんかは”また照れやがってこの野郎、ホントは違うんでしょ”なんて勝手な深読みをしてしまいます。
ジョージにしてはかっこいいリフが登場するイントロ、前へ前へと曲を押しやるジョンのリズム・ギター、やたら歌っているポールのベース、そしてもちろんジョンの歌。自分の欲しいものをすべて手にしているという女に”でもお前は俺をモノにしていないぜ”という強気なところを見せるかと思うと”俺もお前のものにして”というM的に叫んだりという揺れ動く感情がダブル・トラックのボーカルで歌われています。実験的な「リボルバー」の中ではあまりにもストレートなフォーク・ロックなのであんまり評価されてなかったのですが、JAMのカバーもあってか最近は人気出てきています。好きです。

03 ハッピネス・イズ・ウォーム・ガン


ビートルズ時代のジョンの最高傑作はこの曲だと思います。ということは僕にとってジョン・レノンの最高傑作。

もともと3つの曲であったものを無理矢理に力技でひとつにした曲。最初のパートでは変態カップルの行為をみながらの不快感、哀しみ、嫌悪といった気持ちが、次のパートでは禁断症状で麻薬に頼るしかないといういらだちと諦めの気持ちが、そして最後には鉛の弾で全てを終わらせた(麻薬を注射した、射精したのトリブル・ミーニング)という快楽、喜びの気持ちがジョンの声により表現されています。こうした複雑な感情の世界をを3分弱のポップ・ソングの中に詰め込んでしまえるジョンの歌の表現力は唯一無比。

ジョンの気持ちを補足するリンゴのドラム、ジョージの悲鳴のようなギターも素晴らしい。

04 イン・マイ・ライフ


掛け値なしの名曲。音楽好き100人に聞いたらおそらく97人は名曲というのじゃないでしょうか。そりゃそうですジョンの素晴らしい歌詞と歌声にポールのこれまたシンプルだけど実り豊かなメロディが合体しているのですから名曲にならないはずが無い。

 リンゴのドラムにも注目。ジョンの楽しい思い出や悲しい思い出の詰まった故郷を頭の中で回想していく、そんな山あり谷ありを感情表現するボーカルにリンゴのドラムは並走したり立ち止まったりという感じでビートのニュアンスを変えながら、ぴったりと寄り添っています。けっこうリンゴのドラムがオンになっていますが、普通はこの曲調だったらもうちょっとドラム押さえるだろうと思います。それを自由に叩かせているのはメンバーがリンゴというドラマーが曲のニュアンスを理解してドラムを「歌わせる」人だと知っているからだと思います。ドタバタやってるんだけど歌の邪魔にならないそんなドラムです。

05 ひとりぼっちのあいつ


最初にこの曲を聴いたのは「赤盤」の中だったと思います。その後「ラバーソウル」を聴き名曲ぞろいの「ラバー」の中でも特に心惹かれた曲でした。歌詞の内容がこれまた大好きだったサイモンとガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」と似てなくもない気がいたしますが、ポール・サイモンが”ボクは自分の周りに城壁を築き、そこに閉じこもる”とボクのお話として歌うのに対してビートルズは”あいつはどこにもいくあての無い男”と彼のお話として歌っていてこのあたりの違いが面白く感じます。

 この歌が彼の物語であったために後に「イエローサブマリン」の中で使用されたときにはどこか物悲しいキャラクター”ノーホエア・マン”が生み出されます。映画の中でも最も印象に残るこのシーンを見てからは「ひとりぼっちのあいつ」を聴くたびに”ノーホエア・マン”のこっけいな姿が頭に浮かぶようになってしまいました。これってちょっと迷惑だったりします。

06 レット・イット・ビー


解散後の72年、中学生でビートルズを聴き始めた僕のような世代にとっては、ビートルズっていうバンドがいて人生なすがままに生きなさいと歌ってて、歌謡曲のちゃらちゃらした歌とは違うすごい歌を歌ってるんだ、だからビートルズを聴かなきゃだめなんだ、あそれレリピーレリピーみたいな感じだった一曲。でも40年以上たった今聴いてもぐっと来る、名曲です。

07 ヘイ・ジュード


掛け値なしの名曲でしょう。ジョンの離婚により落ち込んでいる息子ジュリアンを励ますためにポールが作ったナンバーということのようです。小学生の時にいとこの家に遊びに行ったときにいとこがかけてくれたシングルの中にこの曲があったのを何故かよく覚えています。他にはボサリオの「サン・ホセへの道」やゼガーとエバンスの「西暦2525年」なんてのがあったから1969年だったのかな。とにかく小学4年生が聴いても十分に印象に残るメロディでした。特に最後のダーダダ ダダダッダダーのとこはあれだけ繰り返されれば頭に残りますよね。

 中学の時は聞いたままのカタカナ英語で歌っていましたがあらためて歌詞を読むといい歌詞ですね。”Take a sad song and make it better”とか、そう気持ちの持ちよう次第なんだよ人生はな、なんてね。


08 恋のアドバイス


これと次の9位に選んだ「恋する二人」あたりが個人的にはジョンだポールだではなくR&Rバンドとしてのビートルズの魅力をもっとも感じる曲です。このメロディ、このハーモニー、この演奏、どこを切ってもビートルズ印!

イントロなしでジョンが”おまえ彼女にふられるぜ”と忠告し、残りのメンバーが”そう、ふられちゃうよ”とコーラスで追っかける、そしてリンゴがドコドコドンとフィル・イン。イントロなしで始まるビートルズの歌はどれも名曲だと言われますが、この曲は中でも名曲中の名曲です。「恋のアドバイス」という邦題に騙されそうになりますが実はこの歌アドバイスどころか友達に”お前の彼女をボクがもらっちゃうよ”という横恋慕の歌なのだということをかなり遅れて知りました。

 人間とは勝手なものでそれまではやさしい忠告と聞こえていたジョンのボーカルが、内容を知ったとたん喉を鳴らし獲物を狙う猫のような声に聞こえるようになってしまいます。でもこういう具合で単純に甘いラヴ・ソングじゃない、というところがジョンらしくって、いつ聴いても飽きない所以なのでしょうね。

ここで歌われる”that girl"は「She loves you」の”She”なのでしょうね、きっと。

09 恋する二人


リンクはったYOUTUBEの動画は映画「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の中でのこの曲の演奏シーンなのですが、ここでジョージがリッケンバカーの12弦を弾いているのを見て感動したロジャー・マッギンは後に彼のトレード・マークとなるリッケンバカーを手にしたんじゃなかったな、確か。竹内まりやの「マージービートで歌わせて」の間奏で達郎がリッケンバッカーの12弦を使ったソロを弾いているのもすべてはこの映画のこのシーンのおかげじゃないでしょうか。全世界のR&Rバンドをやりたい若者たちがこの映画のこのシーンをお手本とした、そんな一曲。

 この曲もビートルズらしさがいっぱい詰まった曲で、”あったとたんひとめぼれ、君に会うまでは恋なんて知らなかった、もっと僕を愛しておくれ”という内容で、5位の曲とはまったく違う甘々のラヴ・ソングなのですが、これがまたいい。さっき言ったことと矛盾しているって、いいんです(byカビラ)、ジョンが歌えばすべては名曲。ジョンお得意の母音伸ばしが出てくるのですが、所々音程がふらつくような気がするのは二人の世界でメロメロになっていることの表現ということなのでしょうね(笑)、流石はジョン。

10 ツイスト・アンド・シャウト


デビュー・アルバムのラストをかざるR&Rナンバー。意図してかどうかは分からないけど憧れの女の子と踊りたいという「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」で始まったビートルズの初めてのアルバムは”踊ろうよベイビー ツイストしようよ可愛い娘ちゃん 楽しくさ”というジョンが歌う「ツイスト・アンド・シャウト」で幕を閉じます。一曲目からラストまでの30分間にダンスミュージックがいっぱいあったのに結局彼女を踊りに誘えなかったということなのでしょうか?案外おくてな奴等ですね。

まぁベイビー・フェイスのポールの歌では落ちない女の子もジョンの流し目と扇情的なシャウトにかかればイチコロになることでしょう。この曲はアイズレー・ブラザースのヒットが元歌なのですがジョンの手にかかるとアイズレーのバージョンですらお上品な曲に思えてしまうくらいフェロモンだしまくりのボーカルに僕もイチコロでした。


11 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー


12 ペニー・レイン


頭にも書いたようにこの2曲を両A面としたシングルはビートルズ最高の一枚ということで。


13 サムシング


これまた掛け値なしの名曲中の名曲。ジョンとポールからお子ちゃま扱いされながら耐え忍んできた、そのすべてが結晶したような名曲です。メロディの素晴らしさはもちろんなんですが恋に落ちたときの盲目感を平易な言葉で歌った歌詞がこの歌に普遍性を与え大御所フランク・シナトラ他数多くのカバーを生み出したのではと思います。”彼女のちょっとした仕草の何かが 今までの女の子とは比べられないほど僕を夢中にさせる”老若男女誰もが経験する気持ちじゃないでしょうか?

 シナトラはこの歌を本当に気にいって歌っていたようなのですが、実はずーっとレノン=マッカートニーの曲だと思っていたらしいのです、やっぱり日陰者ですね、ジョージって。


14 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア


本国イギリスでのデビュー・アルバムの1曲目。

「ラヴ・ミー・ドゥー」と「プリーズ・プリーズ・ミー」という2枚のシングルでやられたビートルズ・ファンが初めてのアルバムをレコード店で買って、わくわくしながら家に帰りポータブル・プレイヤーにLP盤を乗せ針を落とすと軽いスクラッチ・ノイズの後”ワン・トゥ・スリー・フォー”というポールのカウント、そしてドライヴするR&R。さぞかし「かっけぇー」と思ったことでしょうね。

 この曲で初めてビートルズを体験するというのは遅れてきたビートルズ・ファンとしてはもちろん味わえませんでしたが、何百回も聴いた後なのに、いまだに”あの子が立ってるのみたら他の女の子とのダンスなんか出来っこないぜ、ウーッ!”というサビのジョンとポールの”ウーッ!”を聴くたびに「かっけぇー」と思ってしまいます。歌詞も含め他愛も無いR&Rなんですけどね。

15 テル・ミー・ホワイ


実をいうとこの曲の良さを再発見したのは学生の時にビーチボーイズが「パーティ!」で失恋の歌にもかかわらず実に楽しげにカバーしているのを聴いてからでした。頭から3人のコーラスが全開なのですが、途中でジョンが”全部アンタにあげたのに”といらだちながら歌うと”おいてきぼりやもんあなぁ”と慰めるように全員が唄い返す。この繰り替えされるコール・アンド・レスポンスがこの歌のキモだと思います。そして”僕にできることがあるのなら・・・”のところで感極まったジョンの声はひっくり返ってしまい、あわててトーンを戻した後”だってダメなんだよ君を愛しすぎてるから”と恋人にひざまずきます。笑って歌う曲じゃないんだけどなぁ、ビーチボーイズめ!


16 ホエン・アイム・64


思えばこの曲を初めて聴いたころ、自分が64歳になるのって半世紀以上先のことだったのに、気がつけばもう数年先になっちゃってる、30歳の自分ですら想像できなかったのに・・・。

17 ユア・マザー・シュッド・ノウ


これはもうたまらなくポール・マッカートニーなメロディ。こうやって20曲を選んでいるとついついジョンの歌う曲が多くなってしまうのですが、メロディを聴いて「あぁビートルズやなぁ」と思うのはこの曲みたいなポールの作るメロディだったりします。


18 オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ


19 ナット・ア・セカンド・タイム


上にも書きましたが、ポールは確かに素晴らしいメロディを書くのですが、どうしても声の持つ力でジョンの方に強く惹かれてしまいます。

「オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ」なんて地味な曲なんですがジョンの声で歌われると魔法がかかったような悲しみを帯びた名曲になってしまう。
 
 「ナット・ア・セカンド・タイム」のほうも頭の”わかってるやろ泣くのはお前のせいやで”というジョンの声を聴いただけで切ない気分になってしまいます。そしてジョンのお得意の母音を伸ばす歌い方”アイ・シー・ノー・ユース・イン・ワンダ~リング・ホワァワァ~イ、ア、ア、ア、ア~イ・クラァ~、ア、アイド、フォー・ユゥ~ウ、ウ、ウゥ、イェ”で完全にジョンに同情してしまい、最後にはジョンと一緒に”ノー・ノー・ノー ナッタ・セカンダ・タイム 嫌だ、嫌だ、嫌だ 二度とゴメンだ”と口にだして歌っている自分に気がつきます。魔法のような声ですホント。
 演奏面ではジョンの沈んだ気持ちを代弁するように低音を強調したピアノを弾くジョージ・マーチンの貢献が大きいですね。それとリンゴのドラムもよく歌っています。

20 ユー・ノウ・マイ・ネーム


友達の家で「レット・イット・ビー」のシングルを聴いているときにB面の曲がアルバムにも入っていない曲と気がつきかけてもらいました。その時の印象は”なんだコレ”、その印象は今聴いても変わりません相変わらず”なんだコレ”。とにかく真面目にロックを聴いていた中学生にこんなふざけた歌を聴かせるなんて。

 完全にジョンのおふざけとしか言えないう歌なのですが、ジョンの”デニス・オーベルに拍手を”と紹介され歌いだすデニス・オーベルはポールで、ジョンのおふざけに”真剣”につきあっている。この辺にジョンとポールの切っても切れない絆のようなものを感じてしまうというのはいい過ぎでしょうか。最後もエヘン虫にやられたようなジョンのうなり声に”オーイェー オーイェー”と応えているし、どこまでやんねんポール。とにかくいつまで経っても変な歌やから何回聴いてもあきない、これって凄いことや思います。

でも中には”なんだこのやろふざけやがってもっと真面目にやれー、責任者でてこい”と怒り心頭の人もいらっしゃるでしょうし、その気持ちをジョンに伝えたいという人もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。それを見越してかジョンはなんども繰り返してるじゃありませんか”僕の名前しってるよね だったら電話番号は自分で調べてね”って。やるね、ジョン。


最後、本文と全く関係はありませんが、個人的にビートルズ・ソングの最高のカバーだと思う一曲をおまけとして。レリピーレリピーです。




I will make your dreams come true

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半年ほど前からなぜか本を読むスピードが遅くなってしまい、読まなければいけない本が山積み状態になってきています。ビーチ・ボーイズ特集だったレココレ7月号もようやく読み始めたような次第で、選ばれた100枚の記事を読みながら、あぁそうそうとか、ゲッそんな見方あったのかなどと、そのたびに曲を聴きなおしたりしてますますスピードが遅くなっているなんて有様です。そんな中で気になったことをいくつか取り上げてみたいと思います。まずは。

The Beach Boys - Surfer Girl


1963年の㋈に発売されたビーチ・ボーイズの3rdアルバム『サーファー・ガール』のタイトル曲である「サーファー・ガール」です。7月に先行シグルとして発売され全米7位というヒットを記録した曲です。

ビーチ・ボーイズにとって初めてのバラード・シングルとなった「サーファー・ガール」ですが作詞作曲ともにブライアン・ウィルソンの手によるものです。発表は1963年ですが作曲をしたのは1961年、ブライアンが19歳の時の作品です。




1961年、僕は生まれてこのかた1曲も書いたことなどなかった。19歳の時だった、ある日車を試運転してたんだ。ホットドッグ・スタンドまで車を走らせている途中、ピアノで弾いた訳でもないのに、なぜかこのメロディーが突然頭に浮かんできたんだ。僕はひとりで歌ってみた。車の中で声も張り上げず静かにね。家へ帰ってブリッジを書き、ハーモニーをつなげ、そして曲が完成した。僕はそれを「サーファー・ガール」と呼んだ。(ブライアン・ウィルソン、76年のCBSラジオ・インタビュー)

ビーチ・ボーイズ・ファンであれば多くの方がご存知のように、この「サーファー・ガール」は1940年のディズニー映画の「ピノキオ」の中でジミー・クリケット(吹替はクリフ・エドワーズ)が歌う「星に願いを」を下敷きにしていたようです。

When You Wish Upon A Star - sung by Jiminy Cricket (Cliff Edwards)


>「星に願いを」を下敷きにしていたようです。

と、ちょっと曖昧な書き方をしてしまったのは、実はその下敷きにしていたという一文を記事かライナーか何かで読むまでは「サーファー・ガール」のベースが「星に願いを」だったとはまったく気づいていなかったからです。

そう言われて聴くとたしかに似ているなぁとは思うのですが、映画館の闇の中で聴くために作られたクリフ・エドワースのソロ・ボーカルとカリフォルニアの陽光が降り注いだようなビーチ・ボーイズの見事なコーラスではまるっきり印象が違って聴こえてしまうと思うのですが、みなさんはどうだったでしょうか。

ちなみに家にあるビーチ・ボーイズについての書籍やCDのライナーなんかをざっと確認してみたのですが「サーファー・ガール」と「星に願いを」の関連について書かれ出すのはキャピトル時代のアルバムが93年に2in1,ボートラ付きで再発された際に付加されたデヴィッド・リーフによる解説から始まったように思われます。

ここでレココレ7月号のビーチボーイズ・ベスト・ソングス100の話になるのですが、「サーファー・ガール」は第6位とかなりの高位にランクされているのですが、曲目解説で除川哲朗さんはこのように記述しています。

ディオン&ザ・ベルモンツが歌ったディズニー映画「ピノキオ」の挿入歌「星に願いを」を車の中で聞いたとたんに閃いて、直帰して一気にピアノで書き上げたというブライアンのロマンティック・メロディーと得も言われぬコーラス・ワークの美しさ。

うん?ディオン&ザ・ベルモンツが歌っていた?何それ?ということでネットで早速探してみました。

Dion And The Belmonts - When You Wish Upon A Star


ベルモンツ版は1960年の4月に発売され最高位30位というマイナー・ヒットだったようです。上述のようにブライアンが「サーファー・ガール」を書いたのが1961年のおそらくは後半なので時期的にはちょっとズレている気はしますが、1961年という年を考えるとカーラジオから流れるとしたらオリジナルの「星に願いを」よりはベルモンツの「星に願いを」の方がありそうな気はします。米ウィキにも「要出典」の断りはあるもののラジオで聞いたのはベルモンツ版「星に願いを」と書かれています。

ピノキオの「星に願いを」と「サーファー・ガール」という関連にはピンとこなかった僕ですが、間にベルモンツ版をはさんでみると「星に願いを」がベースだったということも腑に落ちる気がいたします。もちろんブライアンはピノキオ版も知っていたはずで、1940年という自分が生まれる前のスタンダード・ナンバーをロッカ・バラードのドウー・ワップにアレンジしたベルモンツ版を聴いて、「閃いた」のは”コレだったら僕の方がうまくやれる”ということではなかったのかなと想像します。

上述のインタビューでは「サーファー・ガール」はブライアンが初期に書いた曲となっているのに実際にシングルとして発売されたのが63年7月とちょっと間が空きすぎています。実は61年11月にインディーズのキャンディックスからシングル「サーフィン」がローカル・ヒットとなる中、次のレコードのためのレコーディングがキャンディックスのオーナーであるモーガン夫妻の下で、翌62年の2月に行われ、そこで「サーファー・ガール」のオリジナルのバージョンが録音されてはいたのですが、その後のキャピトルとの契約などでいったんお蔵に入りそのままになってしまっていたからなのです。

余談ですが、このキャピトル契約前に行われた一連のレコーディングは通称「モーガン・テープ」と呼ばれており、CDの時代となった91年に『ロスト・アンド・ファウンド』というタイトルで発売されて以降、手を変え品を変え様々な会社から発売されてきましたが、きたる8月26日に2枚組60バージョン以上と言う”完全版”が発売になるということなので非常に楽しみにしています。では「サーファー・ガール」のモーガン・テープ版を。

→Becoming The Beach Boys: The Complete Hite & Dorinda Morgan Sessions

The Beach Boys - Surfer Girl Morgan tape


演奏についてはほとんど素人同然だったということもあってか、なんとも粗削りな感じのするバージョンです。これが1年半後の、あの完成度の高いシングルになるかと思うと何と言う進化のスピードよという気がします。しかし、こちらのバージョンを聴くとベルモンツ版がベースで作られたという事もより納得がいくんじゃないでしょうか。デニスのドラムとかひどいなぁと思いますがコーラスに関しては早くもベルモンツ以上に思えるのがすごいところ。

ところでモーガン・テープ版と正式版での一聴して分かる違いは、正式版ではイントロ部分でブライアンによるファルセット・コーラスが大きくフィーチャーされているということです。ビーチ・ボーイズと言えばコーラス、中でもハイトーンで縦横無尽に歌いまくるブライアンのファルセット・ボイスというイメージを持たれる方も多いことと思いますが、実はこの「サーファー・ガール」までブライアンあのファルセットはほとんど封印されているのです。アルバムで言えばデビュー・アルバムの『サーフィン・サファリ』と大ヒットしたタイトル曲を含む『サーフィンUSA』ではあのファルセットはなし。そんなアホな「サーフィンUSA」でファルセットありますやんと思われるかもしれませんが、印象とは違い”エーブリーバディーカンサーフィン”のとこの”カン”のとこだけ声が裏返っているだけで後はハイトーンではありますが、地声で歌っているのです。

後に多くのミュージシャン仲間からも「天才」と呼ばれ、デビュー当時からその才能の片りんを見せつけていたブライアンなのですが、幼いころから父マーリーに押さえつけて育てられたせいか、自分に自信が持てず、自分のハイトーンのボーカルについても女の子の様だということで積極的には歌わなかったようなのです、もったいない。そしてデビュー当時はレコード会社が決めたプロデューサーの指示に従ってのレコーディングを余儀なくされていたこともあり、思うような曲作りが出来なかったのですが、発売したシングルが次々ヒットしてその才能が認められ、次第に発言権を獲得。ついには音作りの部分でブライアン自身が実質的にプロデュースをすることが許されます。




そして、その最初の成果がシングル「サーファー・ガール」であり、直後のアルバム『サーファー・ガール』だったということになります。ブライアンからすれば「自分」に自信を持てたことで、それまで周囲に気がねをして押さえていた「自分」を解放することが出来たんじゃないかと思います。その「自分」が表に出たのが「サーファー・ガール」のイントロのファルセットだったと思います。そして自信がついたからこそ、作曲してから2年間も寝かせていた「サーファーガール」を完成させ、シングルとして持ってきたということだと思います。

そしてアルバム。一曲目に置かれた「サーファー・ガール」のフェイドアウトしていくコーラスに酔いしれている聞き手を叩き起こすようなノックのごときドラムのフィルインに続き、青い空とはじける波しぶきを思わせるハーモニーが飛び出し、その後マイクは目立ちたがり屋の自分を抑えた低音でつづき、そして空に駆け上るような開放感に満ちたブライアンのファルセットが響き渡ります。これぞ「ビーチ・ボーイズ・サウンド」です。

Beach Boys Catch a Wave 1966


「サーファ・ガール」から「キャッチ・ア・ウェイヴ」という2曲の配置はビーチ・ボーイズの独立宣言だと僕は思います。

さらに言えばブライアンのファルセットというのは、この「キャッチ・ア・ウェイヴ」や同じくアルバムB面に収録された「夢のハワイ」のような曲では「開放感」を感じさせるものなのですが、「サーファー・ガール」や「サーファー・ムーン」においては「憂い」や「切なさ」を感じさせるという二面性を持っていて、それが「サーファー・ガール」のような曲をたんなるサーフィン・ミュージックではない普遍性を持った楽曲たらしめている要因となって入る気がします。

そして、勇み足になることは踏まえたうえで言ってしまえば、僕には『ペット・サウンズ』は2分半のマジックである「サーファー・ガール」をアルバムに引き伸ばしただけなんじゃないかと思ったりするのでした。

あんたにゃ負けない from アニーよ銃をとれ

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音楽情報のチェックのためにいつも覗いているサイト「amass」でバーブラ・ストライサンドが偽トランプとデュエットという記事がありました。
バーブラ・ストライサンドが米TV番組で音楽コントに出演、偽ドナルド・トランプとデュエットを披露



記事としては以下のようなそっけないものでした。

>バーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand)が米TV番組で音楽コントに出演。米TV番組『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』より。米共和党大統領候補のドナルド・トランプに扮した番組の司会ジミー・ファロンとデュエットを披露しています。映像あり。

アップされているYOUTUBEの動画。デュエットされているのは「エニシング・ユー・キャン・ドゥAnything You Can Do」という曲です。



Barbra:あなたがやれることはなんだって
私の方がうまくやれる
私の方がなんだって
あなたよりうまくやれる

Trump:いいや お前にはできない 

Brbra:いいえ 私ならやれる

Trump:いいや お前にはできない

Brbra:いいえ 私ならやれる やれる やれる!


Trump:壁をこしらえるなら 俺の方が高くできる

Barbra:私 壁なんて作らないわ

Trump:お前より高い壁を俺なら作れる

Barbra:いいえ あなたはできない

Trump:いいや 俺ならやれる

Barbra:いいえ あなたはできない

Trump:いいや 俺ならやれる・・・


Trump:それから
カジノも作れるし
ラテン移民を追い返せる

Barbra:私はヒラリーに投票するわ

Trump:あいつは負けるぜ

Barbra:いいえ彼女は勝つわ 彼女の大大勝利よ!(she's going to win huuuuge!)

Trump:俺の口癖を盗みやがって なんて最低なやつだ

Barbra:それ あたしのこと、あなたの投票数くらい最低かしら?

Barbra:あなたが言う言葉はなんだって あたしならもっと優しく言えるわ

Trump:いや 俺の言葉の方がやさしいぜ

Barbra:いえ あなたにはできないわ

Trump:いいや できるさ(Yes,I can!)

Barbra:いえ あなたにはできないわ

Trump:いいや できるさ できるったらできる

Barbra:いえ あなたには絶対できない

Trump:お前は正しい 俺にはできない!


てな感じでしょうか。見事にドナルド・トランプのことをおちょくっています。このデュエットがオンエアーされた「ザ・トゥナイト・ショウ」といえば月-金の夜11時半スタートのトーク・バラエティで54年放送開始ですから半世紀以上続いている米NBCの名物番組です。日本人の常識で言えば実に「政治的」な歌が全国放送の番組で、それもバーブラ・ストレイサンドというアメリカのショウ・ビジネス界の最高の歌手が歌っている。

バーブラと言えば昔から民主党の支持者として有名で映画「追憶」の主人公ケイティのようにリベラルな発言を積極的に行ってきた人です。最近のコンサートでも歌の合間のMCで公然とトランプをバッシングしたりしています。




どうやら向こうのセレブリティというのは自分の思想信条をはっきりと口にすることが、セレブとしての矜持というか当然のことと思っているように感じられます。逆にいえば自分の信条もはっきりと表現できないような人間が、歌手を生業にするのはおこがましいと思っているのではと。そして、こういうブラック・ジョークのような歌をオンエアーしたとしても、気に入らないひとは「くだらんジョークだ」くらいのもので、日本のように、わざわざ局に「けしからん」みたいなクレームをいれることは然程ないのじゃないかと思います。バーブラもこれで「共和党をバッシングするのをやめろ、もうレコード買わないぞ」とか言われても「あっそう、じゃぁシャナイア・トゥエインでも聴いてたら」くらいの感じじゃないかと思います。



最後にいくつか補足を。

ここで歌われている「エニシング・ユー・キャン・ドゥ」はアーヴィン・バーリンによる1946年発表のミュージカル「アニーよ銃をとれAnnie Get Your Gun 」の中の一曲です。

Annie Get Your Gun (Original Trailer)


バーブラが「いいえ彼女は勝つわ 彼女の大大勝利よ!(she's going to win huuuuge!)」と歌うと偽トランプが「俺の口癖盗むな」みたいなやりとりがあります。トランプは演説の中などでやたらと「huge」=巨大な、でっかいという単語をはさむのですが、発音がyugeと頭のhを抜いた発音になっていて、その発音がトランプを揶揄するときの材料になっていたりするようで、バーブラはそれを真似ているということみたいです。



あと、歌の最後のところで偽トランプが「Yes,I can!」を連呼してるところ。ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが現大統領のバラク・オバマが大統領選の時に連呼していた言葉が「Yes,I can!」でした。ここも笑いどころなんでしょうね。

さて、11月の大統領選、いったいどうなるんでしょうね。

ALL SUMMER LONG 2016

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「鳥肌音楽」恒例、夏の終わりのビーチ・ボーイズです。




そういえば『神が創りしラジオ』の日本盤はラストの「サマーズ・ゴーン」の後にボーナス・トラックとしてこの曲が入っていました。



このボートラ収録にはおそらく賛否があるでしょうが、僕は「どっこい、俺たちの夏はまだまだ終わりまへんで」という「未来」を感じさせてくれてオーライだったのですが、肝心のバンドがまた空中分解しちゃったのが残念です。

次の再集結は60周年かな・・・。考えればビーチボーイズって、いろいろご意見はあるでしょうが、一度も解散していない現存する最古のロック・バンドなんですよね。もう「世界遺産」に認定していいんじゃないでしょうか。それとも「隣の人間国宝」か?(関東の方分からんやろね)。

おまけ、元ビーチ・ボーイズによるメドレーです。

僕らは どこへ行けばいい  夏が終わってしまったら

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昨日のビーチ・ボーイズの「サマーズ・ゴーン」について、読者の耕作さんからコメをいただきました。

>ドアーズのオールモストサマーゴーンの歌詞。<註略>「夏が終わった後僕らはどこにいれば良いんだろう?」サマーズゴーンの世界と被ります。

ドアーズの「サマーズ・オールモスト・ゴーン」、そういやそんな歌ありましたね、と久々に(たぶんドアーズのこのアルバム30年は聴いてない)引っ張り出して聴いてみました。

The Doors Summer's Almost Gone Video by "The Doors Portal"



夏は終わりかけ
夏は終わりかけ
もう終わりかけている
そう もう終わり
僕らは どこへ行けばいい
夏が終わってしまったら


「そうか、そういうことだったんか」と(30年間、聴いていなかったこともありますが)、還暦をあと数年で迎えるころになってようやく気が付きました。ドアーズのアルバム『太陽を待ちながら(Waiting for the Sun)』は1968年の2月から5月にかけ録音されて7月3日に発表されています。という時期を考えるとここで歌われている「夏」というのは前年の1967年に一大ムーヴメントとなった「サマー・オブ・ラヴ」の「サマー」のことだったんじゃないかと思ってしまいます。

「サマー・オブ・ラヴ」を代表するバンドのひとつだったドアーズですが、もうすでに68年の春くらいの時点で「ラヴ&ピース」の時代は終わっていることを感じ取っていたといえるのかもしれません。「サマー・オブ・ラヴ」の徒花的なウッドストックにも出演を依頼されながら断っていますからね。

ということで、夏の終わり=人生の終わり、みたいなことを感じさせてしまうビーチボーイズの「サマーズ・ゴーン」とは「夏」の捉え方が違う気がいたします。


さて、耕作さんがFBにルースターズのライヴのCDについて書かれていて、それに触発されて久々にルースターズを聴いて興奮してしまったお礼に、ルースターズのデビュー前のデモ音源とデビュー直後のロフト・ライヴの音源を焼いて送らせていただいたところ、そのお返しにCDをもらってしまいました。

そのただいたCDというのがこいつです。トニー・コジネクの69年のデビュー・アルバム『プロセス』。



CDなんで画像のようなカット・アウト状態にはなっていないのですが、ジャケの画像を探したら最初に出てきたのがこのカット・アウトのやつで、実は僕も『プロセス』のLPを持っていたのですが、やはりカット・アウトだったのでつい懐かしくなってこの画像にしてしまいました。しかし、カットアウトの画像とは、それだけ売れていなかったということなのでしょうか。

ということで、『プロセス』も30年ぶりくらいで聴いたのですが、惹きこまれてしまいました。懐かしくなって、これまた10年ぶりくらいで名盤の誉れ高い2ndの『バッド・ガール・ソングス』を引っ張り出してきて聴きながらこのブログを書いています。



『プロセス』を聴きながら気になったのがライナーノーツの渚十吾氏の解説。

いきなり”トニー・コジネク、彼は音楽の通りがかりのシュルレリスト”とくる、嫌な予感。

1曲目の「DOWN ON WORDS」では”どうしようこのアレンジ、三流のTVドラマ挿入曲のようになっている”2曲目の「TYRANT」でも”ポール・ホファートはよくこんなアレンジにしてくれたものだ・・・”といった調子、よっぽどアレンジが気に入っていないようでオーバー・プロデュースだと決めつけている。まぁ、たしかにトニー本人もこのアルバムには満足していないとも聴きますが。

で、思ったのはこの人にとってトニー・コジネクと言えば『バッド・ガール・ソングス』なんだろうなぁってこと。



いやぁ確かにあのアルバムは音数が少ないから余計にトニーの歌心が伝わってくるような良いアルバムだったと思います。でも順番的には『プロセス』が先で、その経験を元にトニー・アッシャーを迎え『バッド・ガール・ソングス』が作られているわけで、後出しじゃんけんのように2枚目を基準にデビュー・アルバムがオーバー・プロデュースだといわれてもなぁという気持ちになりました。例えとして適当かどうかは自信ありませんが、「グッド・ヴァイブレーション」を書いたブライアン・ウィルソンの初期の作品を評するときに”「グッド・ヴァイブレーション」を
書くブライアンにしてはお粗末な楽曲だ”みたいに言うようなものじゃないのか。

実際、『バッド・ガール・ソング』も長いこと聴いていない耳で『プロセス』を聴いたら「おっ、いいじゃん」と思ってしまったのですから、2枚目は置いておいて初めて聴くような耳でライナーを書いてほしかったなぁと。まぁ『バッド・ガール・ソングス』のライナーもわざわざ手書きで書くような、なんとも思い入れたっぷりの文章を書く方なのでしょうがねぇなぁという気もしてしまいますが。

ま、とにもかくにも耕作さんありがとうございます。久々にいい歌聴きました。


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真夜中のカーボーイ? カウボーイ? カウボイ?

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先だってハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスが亡くなった際にFBに追悼の思いでシールマンが参加した楽曲を何曲かアップいたしました。その中の一曲として70年のグラミー賞で最優秀インスト楽曲を獲得した69年公開の映画「真夜中のカーボーイMidnight Cowboy」のテーマ・ソングをYOUTUBEにあったサントラ盤の音源からアップしていたのですが、実はこの音源でハーモニカを吹いているのはシールマンスではなかったようなのです。

この「真夜中のカーボーイのテーマ」は音楽監督であったジョン・バリーの作曲になるもので、「Midnight Cowboy」「John Barry」で検索すると以下のような動画がヒットしました。

Midnight Cowboy - John Barry


なるほど確かにハーモニカを吹いているのはシールマンスとは似ても似つかむ人物です。では映画でシールマンが吹いているというのは間違いということなのでしょうか?

日本版のウィキで調べてもテーマの演奏についてはまったく記述がないのですが米ウィキの中には以下のような記載がありました。

>The movie's main theme, "Midnight Cowboy", featured harmonica by Toots Thielemans, but on its album version it was played by Tommy Reilly.

>映画のメイン・テーマ「真夜中のカーボーイ」にはトゥーツ・シールマンスのハーモニカをフィチャーしている、しかし、そのアルバム・バージョンではハーモニカをトミー・ライリーが吹いている。


ということで、劇中に流れるのはやはりシールマンスがハーモニカを吹いたバージョンのようなのです。では、シールマンスが吹いている動画はないのかと探してみたのですが、なかなかなくて、見つかったのはジョー(ジョン・ヴォイト)が病気のラッツオ(ダスティ・ホフマン)を連れてラッツオの憧れの地マイアミ行きのバスに乗るもののラッツオはどんどん衰弱していき、最後には亡くなってしまうというラスト・シーンにかぶってくるやつです。下の動画の8分あたりから聴こえてきます。

Midnight Cowboy Ending / Final scene


サントラのバージョンは映画を観た人のイメージを崩さぬようにシールマンスのバージョンをできるだけコピーしてるものと思われます。もちろんそれを知らないでいた僕は完全にシールマンスの演奏と思っていたほどです。でも、こうやって聴き比べるとやっぱり違ってますよね、当り前か。

このテーマが大当たりしたせいか、シールマンスは70年代けっこう映画界からのお誘いがあったようです。そのうちのいくつかをアップしておきますが、あの哀愁身のあるハーモニカの音色がぴったりくるのか、人間くさいドラマといった映画が多いように思います。


ゲッタウェイ The Getaway(72) - End credits - Quincy Jones - Toots Thielemans


ルトガー・ハウアー/危険な愛 Turkish Delight(73) (Dutch: Turks fruit) 日本未公開?


シンデレラ・リバティ Cinderella Liberty(73) / Nice to be Around ( Harmonica Solo ) outstanding


続・激突 The Sugarland Express (74) end credits


ミスター・グッドバーを探して Theme From Looking For Mr Goodbar(77)



さて、話を「真夜中のカーボーイ」のサントラに戻します。なぜサントラにはシールマンスではなくカナダのハーモニカ奏者トミー・ライリーが起用されているのか?調べてみましたが、はっきりいって分かりませんでした。何らかの権利関係でシールマンスを使えなかったのか?ただひょっとしたらヒントがあるかなと思ったのは、このサントラに限らず映画で使用した音源というのは映画のシーンに合わせて編集(編曲)されている場合があります。特に歌ものの場合はセリフに被さる場合は歌詞を抜きインストになるとか、上のラスト・シーンの動画でも3分46秒あたりからニルソンの「うわさの男Everybody Talkin'」が流れるのですがセリフに被るところは歌が無い、録音テープから消したというよりは最初から歌がない編曲になっているように聴こえます。全体の編曲もラジオなどで耳にするバージョンとかなり違うようにも聴こえます。

サントラに収録されている「うわさの男」は耳慣れたバージョンとなっています。つまりこのサントラは映画の劇伴を録音したときとは、別のセッションで録音しなおされているようなのです。ということで映画の劇伴の時はOKだったけどサントラの録音の時にはシールマンスのスケジュールが取れなかったとか。勝手な妄想です。


ここからは余談。

今回のエントリの中で「Midnight Cowboy」の邦題として何度か「真夜中のカーボーイ」と書いているのですが、お若い方だと”なんだよカーボーイってCowboyだからカウボーイだろ”って思われてる方もいらっしゃるでしょうね(ちなみにバラカンさんだとカウボイ)。でも、いいんです、これで。封切り時の邦題が「真夜中のカーボーイ」だったんですから。

ちなみに現行の映像作品も「真夜中のカーボーイ」のままですね。

真夜中のカーボーイ [Blu-ray]/ジョン・ボイト
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もちろん、Cowboyですから一般的なカタカナ表記だとカウボーイが正解です。こんなヘンテコな邦題をつけたのは、あの水野晴郎さんです。この件はけっこう有名なのでウィキにもしっかり記載されていますね。

>本作品の邦題は本来ならば 『真夜中のカウボーイ』 であるが、当時日本ユナイト映画(ユナイテッド・アーティスツの日本法人)の宣伝部長であった水野晴郎が「都会的な雰囲気を演出したかった(Car=自動車=都会の象徴)」ことを理由に「カーボーイ」としたものがそのまま邦題となった。しかし、当時の字幕では何故か「カウボーイ」となっている。

水野さんといえば音楽ファンに有名なのはビートルズの「A Hard Day's Night」を「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(’64)という邦題にしちゃったことです。なんでイェ!イェ!イェ!(Yeah!Yeah!Yeah!)じゃないのかが謎ですが、待望のビートルズ(映画)が日本にやってくるという当時のファンの気持ちがよくでたいい邦題だと思います。今『A Hard Day's Night』のアルバムは普通に『ハード・デイズ・ナイト』ってカタカナになっちゃってますが、LP時代は映画と同じ『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』でジャケットも映画のワン・シーンをコラージュしたものでした。



ウィキには水野宣伝部長が担当した映画として以下のようなものがあがっています。

「史上最大の作戦」
「夕陽のガンマン」
「007/危機一発」
「女王陛下の007」
「夜の大捜査線」
「華麗なる賭け」
「眼下の敵」
「卒業」

これらの邦題はすべて水野宣伝部長が名づけたかと思われます。まんま訳した「卒業」なんていうのもありますが、「いちばん長い日」という意味のタイトルを「史上最大の作戦」にしたり「トーマス・クラウンの情事」を「華麗なる賭け」になんていうあたりは日本のヒットにかなり貢献していると思います。「華麗なる賭け」がピアーズ・ブロスナンでリメイクされたときの邦題が「トーマス・クラウン・アフェア」とまんまカタカナの邦題になっているのを見たときは心底ガッカリしてしまいました。

ちなみに上の8本の映画の原題は以下の通りなのですが、今封切りされればほとんどがただカタカナにしただけのタイトルでロードショーされるのでしょうね。なんかつまらないなぁ・・・。

The Longest Day
Per qualche dollaro in più( For a Few Dollars )
From Russia with Love
On Her Majesty’s Secret Service
In the Heat of the Night
The Thomas Crown Affair
The Enemy Below
The Graduate


さてもう一つ余談を。

「真夜中のカーボーイ」から約10年後に「カーボーイ」という造語をうまく使ったCMが登場し、”うーん、なかなかやるやんけ”と思ったものでした。そのCMの動画がありましたのでアップしておきます。



この動画をアップされた方は間違いだと勘違いされて「1982年 パイオニア ロンサムカウボーイ(60秒)」というタイトルでアップされていますが、もちろんパイオニアのカーステレオのCMですから、COWBOYじゃなくてCAR BOYの含みがあるわけで「カー・ボーイ」が正解なんですね。

それにしてもペキンパー映画を思わせる荒野のウォーレン・オーツにライ・クーダーの歌声、そして深夜のFMで聴きなじんだ片岡義男のナレーション、今の若い人には”分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ”の世界ですが、当時のナウなヤングはグッときたものでした。

安田南 in 気まぐれ飛行船 with 片岡義男[1/6]




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シュッシュッシュ シュッシュッシュ シュッシュッシュッシュ シュガータウン

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なぜか時々、訳もなく無性に聴きたくなる歌があります。その一曲がこれ、ナンシー・シナトラの66年のヒット「シュガータウンは恋の町」、原題は単純に「Sugartown」です。




いろいろ悩みもあるけど 
それももうおしまい
その草の中に横になれば
あっというまに悩みともおさらばよ

だって私がいるのは
シュシュシュ シュシュシュ
シュシュシュシュシュシュ
シュガータウンだから


という1番にはじまりますが、愛だの恋だのといった言葉は一切なく
4番にいたっては

もし私が百万長者や億万長者だったなら
それを世界中のみんなにあげるわ
だからみんなどこかに行って
そうすれば 私だけの生活がすごせるわ

シュシュシュ シュシュシュ
シュシュシュシュシュシュ
シュガータウンでね


「シュガータウンは恋の町」という邦題からシュガータウンであなたと二人幸せに過ごしたいみたい思ってると完全に肩透かしをくらう、全財産を他人にあげてまでシュガータウンで独りで過ごしたいという愛だの恋だの全く関係ない歌です。

それどころかこの歌、作者のリー・ヘイズルウッドによればドラッグでハイになっている女の子のことを書いた歌詞なんだとか。66年のある日リーがLAのフォーク・クラブに行った時のこと、テーブルに角砂糖を並べ目薬の壜から何かをたらしている若者に、そりゃなんだと訊ねます。すると若者は「LSDさ、こいつをやるとシュガータウンみたいな気分になるんだ」という風に答えたようで、そこから歌詞を思いついたんだとか。

LSDのことを歌っていることについてはナンシーも知っていたようですが、リーいわく今まで書いた中で最低の歌詞とそのあっけらかんとしたような曲調に騙されたのか発売元のリプリーズは(ってことは親父のフランキーも)全然気づかなかったようでシングルとして発売とあいなったということです。

まぁ、そういった裏話とは関係なく時折聴きたくなるのは、やっぱサビの「シュッシュッシュ シュッシュッシュ シュッシュッシュッシュ シュガータウン」ってのが頭にこびりついちゃうからという気がします。まぁこれは僕だけじゃなくてあの山下達郎も同じようにこびりつちゃったようで、シュガーベイブ時代に引用しちゃっているのは皆さまご存知かと。




ちなみに「シュガータウンは恋の町」のリズム隊はハル・ブレインとキャロル・ケイ、ここも頭に残っちゃう理由かもしれません。

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Archie Meets Ramones

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音楽ニュースのサイト「amass」をご存知でしょうか?ブログやFBのネタ探しでチェックしてるのですが、今朝こんなタイトルを見つけました。

「ラモーンズ×米人気コミック『アーチー』のコラボ漫画『Archie Meets Ramones』、プレビュー画像公開」


へぇー、今時ラモーンズ・ネタとは奇特なことよなぁと思いながら、ちょっとまてコラボしてるコミックの「アーチー」ってひょっとしてアレか?とリンクをクリックするとやはりアレでした。



>ラモーンズ(Ramones)公認のコミック『Archie Meets Ramones』がいよいよ出版へ。米国で10月5日に発売されます。
この作品は、70年以上の歴史を誇るアメリカの国民的なコミック『アーチー(Archie)』とのコラボレーション漫画。『アーチー』は高校に通うティーンエイジャー、アーチーが主人公のコミック。
今回の『Archie Meets Ramones』では、アーチー達がラモーンズがデビュー・アルバム『Ramones(邦題:ラモーンズの激情)』をリリースした1976年にタイムワープ、そこでラモーンズと出会ったことで起きる様々な物語が描かれるようです。


以上が記事内容なのですが、なんともそっけない記事ですよね。そっけないどころか音楽ニュースのサイトなのに肝心のことにまったく言及されていないですよね。何がって、アーチーズのことです。




ニュース・タイトルにあるように「アーチー」というのは1941年に初めてコミックが発売された、今話題の「こち亀」以上に長い歴史をもつマンガなのですが、日本人でコミックを読んだことあるよという人はあんまりいないんじゃないかと思います。でも、「アーチーズ」なら知ってるよというPOPSファンは日本にも多くいると思います。というかPOPSファンを自称する人であればアーチーズを知らなきゃモグリですよね。

もしPOPSファンじゃないとしてもアーチーズの代表曲「シュガー・シュガー」あたりはどこかで聴いたことあるんじゃないでしょうか?



アーチーズに関してザクっと説明しておくとコミック「アーチー」の主人公アーチーと高校の仲間たち・ベティ、・ヴェロニカ、レギー、ジャグヘッドがバンドを組んだという設定で68年に米CBSが土曜日の朝に放映したアニメーションで、上の「シュガー・シュガー」はじめ「バンシャガラン」や「ジングル・ジャングル」などのヒット曲を実際の全米チャートに送り込む人気者になりました。

仕掛け人はアメリカン・ポップス界のまさにドンであったドン・カーシュナーで、ドンがアニメを手掛けることになったのにはわけがありました。それはモンキーズのおかげでした。



(以下、以前のブログより引用します。)
65年、アメリカの音楽業界がイギリスからの四人組(もちろんビートルズ)に完全に制覇されるのを見たスクリーン・ジェムスのスバート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはアメリカにもビートルズのようなバンドがあれば大もうけができるのではないかと考え「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!=A Hard Day's Night」のようなバンドを主演にしたドキュメント・タッチのTV番組を作り出すことを考えます。そしてオーディションに参加したた400人の中からスター性のある4人を選びモンキーズを結成しスクリーン・ジェムス子飼いの作家達に曲を書かせスタジオ・ミュージシャンを使ってすべてのオケを制作、そこに4人のボーカルを乗せて66年9月にTVドラマをスタートさせます。そして翌10月にはデビューアルバム『恋の終列車(The Monkees)』も発売。今で言うメディア・ミックスを使った売出しは大成功、アルバムはなんと500万枚の大ヒットとなります。

このモンキーズのプロジェクトで音楽面での全権を任されていたのがドン・カーシュナーでした。大成功に気を良くしたカーシュナーは2枚目以降ではメンバーたちにも曲作りや演奏をさせるという約束をしていたのを反故にして再びスタジオ・ミュージシャンを使ってアルバムを制作しようとします。そしてスタジオ・ミュージシャンを使った先行シングル「アイム・ア・ビリーヴァー」を発売し1位を獲得しますが、カーシュナーの独裁体制に不満を抱いたメンバーたちは独自にシングルを録音しマスコミを使い「これこそが本当のモンキーズだ」と反撃に出ます。

この時までにモンキーズは全米中の少年少女の人気を獲得しており、スクリーン・ジェムスもモンキーズを押さえることはできず、結果としてカーシュナーはモンキーズの音楽プロデューサーをクビされてしまいます。

しかしながらそこは業界の荒波を幾度も乗り越えてきた海千山千のカーシュナーのこと、転んでも只では起きませんでした。カーシュナーがモンキーズから学んだのはろくに演奏もできないようなバンドでもTVとタイアップすれば大ヒットが飛ばせるということ、しかしながら生身の人間だとヒットが生まれると誰のおかげで売れたのかをすっかり忘れてしまい自己主張をしだし自分を裏切ってしまうということでした。この反省を踏まえカシュナーが考えたのは絶対自分に逆らうことのないアニメのバンドを使ってTVドラマを作るということでした。

そうして生まれたのがアーチーズだったというわけです。



ガキ向けのアニメーションの中の架空のバンドではあるのですが、ドン・カーシュナー様がやるからには手を抜くわけにはいかないというわけか、劇伴をつとめるバンドがすごいんです。

Ron Frangipane - keyboard
Chuck Rainey - bass
Gary Chester - drums
Dave Appell - guitar
Harry Amanatian - guitar
Ray Stevens - handclaps

ベースがチャック・レイニーでドラムがゲリー・チェスターでっせ。リード・ボーカルのアーチーの吹替えはあのロン・ダンテ(ダンテについてはこちらを⇒またまた最も有名な無名の人 アメリカ編 答えはロン・ダンテ)、その他のボーカルの吹替えはアーチズほとんどの曲を書いたジェフ・バリーとアンディ・キム、そしてジェフのパートナーエリー・グリニッチといった面々。これで悪かろうはずがないですよね。

とまぁ、そんな「アーチーズ」について一言も触れていないのは、どうよ。

ちなみにamassの記事にリンクが貼られているラモーンズのHPの説明によれば。

>リバーデル高校のバンド合戦に挑もうとしているアーチーズは運命のいたずらで過去へとタイムスリップするがそこで出会ったのが誰あろうラモーンズだった!伝説のパンクスによりアーチーズはロックンロール魂を取り戻し、現在へと帰れるのだろうか?

ってことで「アーチーズ」のことは外せないと思うのですが・・・。


おまけ、ラモーンズのロックンロール魂を!





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音楽史上 最もレコードを売った歌手は?

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米ヤフーを見ていたら「The 50 best-selling music artists of all time」という記事がありました。

アメリカにおいて音楽史上もっとも成功した人は誰かというリストでアメリカでのアルバムの売り上げ枚数を元にベスト50が選出されていました。売り上げ枚数は何をベースにしているのかというとRIAA(The Recording Industry Association of America®)のデーターでした。記事に貼られたリンクからRIAAのウェッブにとんでみると、さらに詳しいというか120位までのリストがあったので引用してみます。





1.ザ・ビートルズ THE BEATLES  178(million)=1億7800万枚!



1位は誰もが予想した通りのビートルズです。

つい先日の9月9日にも40年近く前にリリースされたものの未CD化であった『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル』のアップデート盤がCD化されたばかりですが、解散後に出されたアルバムも現役時代と変わらず売れ続けているし、その影響力の大きさはもちろん売り上げ枚数ということでも1億7800万枚ということでアメリカ人の5人に3人くらいは持っている、ってことは一家に一枚は必ずあるくらいの圧倒的な枚数です。

2.ガース・ブルックス GARTH BROOKS 137



日本人には絶対理解できませんよね。ガース・ブルックスが2位。
日本でも90年代くらいは国内盤が出てたかとは思います。でも、今やタワレコのカントリー・コーナーでも行かなきゃお目に書かれない歌手ですが、アメリカではとんでもないスーパースターってことです。とにかく80年代以降日本ではカントリー・ミュージックはまるっきり無視されているのでしょうがないことなのですが。日本じゃ最初からポップ・アイドル的に売られたテイラー・スウィフトにしたってアメリカじゃ基本はカントリー歌手ですからね、どこがどう違うのかアメリカ人じゃないと分からないとこなのかな。


3.エルヴィス・プレスリー ELVIS PRESLEY 136



これはまぁ順当な感じがします。ビートルズとくれば次はエルヴィス、間のガースが邪魔ですけど(笑)。

4.レッド・ツェッペリン LED ZEPPELIN 111.5



ゼップが4位というのも少し意外でした。ロック界における影響力の高さは分かってはいましたが実売もこれほどにあるとは。ビートルズはロックも含んだポピュラー・ミュージックのチャンピオンで、ガースはカントリーのチャンプ、エルヴィスはR&Rのチャンプとすればロックのチャンプはゼップということですか。

5.イーグルス EAGLES 101



やはりアメリカを代表するロック・バンドはイーグルス。狙って付けたかどうかは知りませんがアメリカの国鳥は鷲ですからアメリカン・ロックのチャンプは決定づけられていたというべきか。このイーグルスまでの売り上げ枚数が1億枚超えなのですが、70年代当時日本ではイーグルスと人気を二分していたドゥービーは104位で2200万枚、この「差」というのはなんなんだろう、今後の研究課題です(笑)。

6.ビリー・ジョエル BILLY JOEL 82.5



強いですね、70年代半ばから80年代はとにかく売れていましたからね。さしずめシンガー・ソング・ライターのチャンプといったところか。

7.マイケル・ジャクソン MICHAEL JACKSON 79



予想に反して以外と低かったのがマイケル。アルバム枚数というところがひょっとして要因か。もちろん『スリラー』は超特大ヒットだけど、この人の場合シングルもかなりの枚数売ってそうなので、その辺含めたらもっと上なのかも。


8.エルトン・ジョン ELTON JOHN 77



この人のベスト10入りはまぁ順当な感じか。70年代にはとにかくアメリカのチャートを荒らしまくっていましたからね。ちなみに71年の「僕の歌は君の歌」から97年の「キャンドル・イン・ザ・ウィンド97」までの27年間連続でTOP40入りというおそらく今後も破られないであろう記録をもっています。


9.ピンク・フロイド PINK FLOYD 75



マイケルと違いアルバム・アーチストのピンクフロイド、とはいえ全米アルバム売上歴代5位の『ウォール』が2300万枚、26位の『狂気』が1500万枚ということでこの2枚だけで3800万枚、アメリカじゃプログレじゃなくてMOR(Middle of the road)として聴かれているんでしょうね。

10.AC/DC AC/DC 72



ブライアン・ジョンストンの突然の脱退と、それに代わる新しいボーカルがガンズのアクセル・ローズということで大きな話題となっているAC/DC。あんまり得意じゃない音楽なのでこれまた意外だったのですが、アルバム『バック・イン・ブラック』は全米歴代6位で2200万枚とアメリカで大売れということでのベスト10入りのようです。そういや山下達郎もAC/DC大好きだったなって全然関係ありませんが。


とまぁ雑感を交えながらベスト10をご紹介いたしましたが、11位以下は下記の様な感じ。

気になったことをいくつか書いておくと
11位のジョージ・ストレイトこの人もカントリー歌手ということで日本じゃ知名度ほとんどないでしょうね。ストーンズが13位けっこう売ってますね。エアロやボスやマドンナ、ホイットニー、ヴァン・ヘイレンなどこの辺りは日本人でも納得。クラプトンが35位というのは日本に比べると低いかな、まぁ日本は女性ファンけっこういるしな。HIPHOP系の最高位がエミネムの40位、2パックの43位というのも少し低すぎるかなと。それを含め総じてブラック系は低めですね、カントリー系は多いのに比べ。購買層の所得格差があるのかな。

ディランが44位、まぁそんなもんなんでしょうね。(ディランよりは下だろうけど)あの方の名前が50位までに見つからなかったので50位以降も調べたのですが結局120位までに入っていないようで、それが一番の驚きでした。

ディラン同様に爺さんになった今も毎年のようにアルバムを出し続けてるんですけどね・・・。
誰かって、それは僕のHNがヒントなのですが、お分かりになるでしょうか。



11.ジョージ・ストレイト GEORGE STRAIT 69
12.バーブラ・ストレイサンド BARBRA STREISAND 68.5
13.ザ・ローリング・ストーンズ THE ROLLING STONES 66.5
14.エアロスミス AEROSMITH 66.5
15.ブルース・スプリングスティーン BRUCE SPRINGSTEEN 65.5
16.マドンナ MADONNA 64.5
17.マライア・キャリー MARIAH CAREY 64
18.メタリカ METALLICA 62
19.ホィットニー・ヒューストン WHITNEY HOUSTON 57
20.ヴァン・ヘイレン VAN HALEN 56.5

21.U2 U2 52
22.セリーヌ・ディオン CELINE DION 50
23.フリートウッド・マック FLEETWOOD MAC 49.5
24.ニール・ダイアモンド NEIL DIAMOND 49.5
25.ジャーニー JOURNEY 48
26.ケニーG KENNY G 48
27.シャナイア・トゥエイン SHANIA TWAIN 48
28.ケニー・ロジャース KENNY ROGERS 47.5
29.アラバマ ALABAMA 46.5
30.ガンズン・ローズ GUNS N' ROSES 44.5

31.アラン・ジャクソン ALAN JACKSON 43.5
32.ボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・バレット・バンド BOB SEGER & THE SILVER BULLET BAND 43.5
33.サンタナ SANTANA 43.5
34.リーバ・マッキンタイア REBA MC ENTIRE 41
35.エリック・クラプトン ERIC CLAPTON 40
36.シカゴ CHICAGO 38.5
37.サイモン&ガーファンクル SIMON & GARFUNKEL 38.5
38.ロッド・スチュワート ROD STEWART 38
39.ティム・マッグロウ TIM MCGRAW 37.5
40.エミネム EMINEM 37.5

41.バックストリート・ボーイズ BACKSTREET BOYS 37
42.フォリナー FOREIGNER 37
43.2パック 2 PAC 36.5
44.ボブ・ディラン BOB DYLAN 36
45.デフ・レパード DEF LEPPARD 35
46.クイーン QUEEN 34.5
47.ボン・ジョヴィ BON JOVI 34.5
48.ブリトニー・スピアーズ BRITNEY SPEARS 34
49.フィル・コリンズ PHIL COLLINS 33.5
50.デイヴ・マシューズ・バンド DAVE MATTHEWS BAND 33.5

51.ジョン・デンヴァー JOHN DENVER 33.5
52.ザ・ドアーズ THE DOORS 33
53.ジェームズ・テイラー JAMES TAYLOR 33
54.R・ケリー R. KELLY 32
55.ウィリー・ネルソン WILLIE NELSON 31.5
56.パール・ジャム PEARL JAM 31.5
57.トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS 31.5
58.ボストン BOSTON 31
59.ディクシー・チックス DIXIE CHICKS 30.5
60.リンダ・ロンシュタット LINDA RONSTADT 30

61.レイナード・スキナード LYNYRD SKYNYRD 28.5
62.マンハッタン・スチームローラー MANNHEIM STEAMROLLER 28
63.クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL 28
64.マイケル・ボルトン MICHAEL BOLTON 28
65.インシンク 'N SYNC 28
66.ジョン・メレンキャンプ JOHN MELLENCAMP 27.5
67.ブルックス&ダン BROOKS & DUNN 27.5
68.バリー・マニロウ BARRY MANILOW 27.5
69.オジー・オズボーン OZZY OSBOURNE 27.25
70.ボーイズⅡメン BOYZ II MEN 27

71.フランク・シナトラ FRANK SINATRA 27
72.ビー・ジーズ BEE GEES 27
73.エンヤ ENYA 26.5
74.ジェイZ JAY Z 26
75.ジャネット・ジャクソン JANET JACKSON 26
76.ルーサー・ヴァンドロス LUTHER VANDROSS 25.5
77.テイラー・スウィフト TAYLOR SWIFT 25.5
78.フェイス・ヒル FAITH HILL 25.5
79.ケニー・チェズニー KENNY CHESNEY 25.5
80.クリード CREED 25

81.レッド・ホット・チリ・ペッパーズ RED HOT CHILI PEPPERS 25
82.トビー・キース TOBY KEITH 25
83.ZZトップ ZZ TOP 25
84.ラッシュ RUSH 25
85.ニルヴァーナ NIRVANA 25
86.モトリー・クルー MOTLEY CRUE 25
87.ザ・カーペンターズ THE CARPENTERS 24.5
88.シティーヴ・ミラー・バンド STEVE MILLER BAND 24.5
89.グリーン・デイ GREEN DAY 24
90.ヴィンス・ギル VINCE GILL 24

91.ジョニー・キャッシュ JOHNNY CASH 23.5
92.シャーデー SADE 23.5
93.キッド・ロック KID ROCK 23.5
94.アース・ウィンド&ファイアー EARTH, WIND & FIRE 23.5
95.REOスピードワゴン R.E.O. SPEEDWAGON 23.5
96.ザ・カーズ THE CARS 23.5
97.ビースティー・ボーイ BEASTIE BOYS 23
98.ジミー・バフェット JIMMY BUFFETT 23
99.ジミ・ヘンドリックス JIMI HENDRIX 23
100.ライオネル・リッチー LIONEL RICHIE 22.5

101.アッシャー USHER 22.5
102.ザ・ビーチ・ボーイズ THE BEACH BOYS 22.5
103.ハート HEART  22.5
104.ドゥービー・ブラザース DOOBIE BROTHERS 22
105.ネリー NELLY 22
106.ザ・ポリース THE POLICE 22
107.ニッケルバック NICKELBACK 22
108.TLC TLC 22
109.アウトキャスト OUTKAST 22
110.ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ BOB MARLEY & THE WAILERS 21.5

111.ジェネシス GENESIS 21.5
112.キッス KISS 21
113.ミート・ローフ MEAT LOAF 21
114.アデル ADELE 21
115.ザ・フー THE WHO 21
116.プリンス PRINCE 20.5
117.アラニス・モリセット ALANIS MORISSETTE 20.5
118.メアリーJブライジ MARY J. BLIGE 20.5
119.フーティ&ザ・ブロウフィッシュ HOOTIE & THE BLOWFISH 20
120.R.E.M. R.E.M.



ニール爺さんはどこにいる。

そういやノラも入ってなかったな。

ジャケットでタバコを吸わないで 

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FBの方で「お友達」登録させていただいている出身県が同郷の大先輩Iさんがビートルズの「ハジレコ」(初めて買ったレコード)として4曲入りのコンパクト盤の「ツイスト・アンド・シャウト」を紹介されていて以下のようなコメントを書かれていました。




>初めて買ったビートルズがこのコンパクト盤だけど, 今見直したらポールがタバコを持っている。当時はスルーしてたけど, 今の目で見ると妙な印象を受ける。アイドルとして売り出そうとしてる時に手にタバコなんてよく止められなかったものだ。今とは感覚が違うという事かな。ポールもしかしなんか意識しての事じゃないかな? ついこの前までリーゼントに革ジャンだった訳だし。


上にそのコムパクト盤の画像を貼ったのですがサイズが小さいので問題のポールの部分を拡大してみます。



確かにその右手にしっかりとタバコを持っています。僕も正直いってIさんの指摘を読むまでこの事実に気づいていませんでした。

調べてみるとこの「ツイスト・アンド・シャウト」「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」「シーラヴズ・ユー」の4曲が入ったコンパクト盤は1964年の8月5日に発売されているようです。ビートルズでは初めてのコンパクト盤でした。ビートルズが日本で発売されたのは64年の2月5日の「抱きしめたい」(諸説あり)なのですが、その怒涛のリリースが続き、このコンパクト盤が発売されるまでの半年間に何と9枚のシングルと2枚のアルバム(日本独自編集)が発売されています。

そしてコンパクト盤に収録された4曲もすでにシングル、アルバム収録曲として収録済み。このリリース・ラッシュでは日本デビュー後すぐにビートルズに飛びついた嗅覚の鋭いファンもサイフはすっからかんだったと思うのですが、そんな時に全曲発売済みのコンパクト盤出してどうすんのと思います。しかしながら東芝音工(まだEMIはついていない)がコンパクト盤を出したのはこれが日本初のビートルズのステレオ盤だという「売り」があったからじゃないかと思います(知らんけど)。

ステレオなんてのは当たり前でわざわざ強調されることもない現在からするとそんなことが「売り」になるのかという気もしますが、なにせ時代は半世紀以上前。ご存知のように日本のレーコード会社はそのほとんどの親会社は家電メーカーということもあり、親会社からするとアナログ・レコード、カセット、CDといったメディアはそれを再生するプレイヤーを売るための手段でもあったわけです。ステレオの産業史というウエッブを見ると1964年という年は「日本のレコード売り上げが、アメリカに次いで世界第2位に。」とあるようにおそらくはレコードの売上とあいまってステレオ・プレイヤーの売上も急成長しているはずで、とにかく時代は「ステレオだ!」ということで、このコンパクト盤でもジャケットに大きく「STEREO」の文字が(箔押し?)で印刷されているという訳です。



66年の来日時には、ネタが無かったのか(そりゃあのリリース・ラッシュですから)来日記念盤として用意されたのは日本ではモノラルしか出ていなかった1枚目と2枚目のLP(独自編集はされていますが)を「ステレオ!これがビートルズ」のVol.1、Vol.2として発売したくらいですから64年には「ステレオ」という言葉の効果は出かかったんじゃないかと想像いたします。

現在では初期のビートルズのステレオ音源って片チャンにボーカルもう方チャンに演奏なんていうひどいのを初めかなり定位がいいかげんなので絶対モノで聴くべしとなっているのですがね。ところで今ではビートルズ・ファンだったらみんなご存知のステレオの「プリーズ・プリーズ・ミー」のジョンのボーカルが途中歌詞を間違えその後の「カモンカモン」のとこでちょっと噴き出してるっていう件、当時このコンパクト盤を買った人は気づいていたのでしょうか。気づいていたとしたら「なぁなぁみんな知ってるか?」とけっこう鼻高々じゃなかったのかなと(笑)。




(このコニパクト盤の音源の詳細についてはコチラのブログが詳しいようです→OLD WAVE


閑話休題

ポールのタバコの件についてでした。64年今から半世紀以上も前のことですからタバコについては成人男子であればほとんどの人がたしなんでいる時代で当時22歳のポールがタバコを手に持っていようと何の問題もないと言えば言えそうです。気になって何かタバコ・ジャケないか探してみると64年当時26歳の人気絶頂の映画スタア小林旭の「恋の山手線」なんてのが見つかりました。




ただIさんがご指摘のようにデビューからしばらくのビートルズはブライアン・エプスタインによって揃いのスーツを着せられたり、コンサートの最後にはお辞儀をさせられたりとけっこう厳しく「しつけ」られていました。そしてこれまたIさんもご指摘されているように十代の子供たちが熱狂するアイドル的な人気があったので、20歳前後の青少年のかっこいいアニキ的人気の小林旭の場合とは少し違う気もして(日英がごっちゃですみません)、なぜこのようなアー写(アーチスト写真)が撮影されたのかちょっと不思議な気がします。ビートルズといえば記者会見で人を喰ったような受け答えをしたり、王室主宰のコンサートでは「安い席の方は拍手を、それ以外の(王室の)方は宝石をジャラジャラいわせてください」とかお茶目な部分が魅力ではあったのですが、エプスタインやスタッフといった衆人環視の下の撮影でなぜこんな「お茶目」なことになってしまったのか、たしかにちょっと興味をひかれてしまいます。

>日英ごっちゃですみません

って書きながら考えたのですが、タバコの写真が使われたのは日本編集のコンパクト盤なのですが、このアー写イギリスでもはたして使われていたのかということ。



ちなみに英国盤の「ツイスト・アンド・シャウト」は上のようなジャケットで残りの収録曲は「蜜の味」「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」「ゼアズ・ア・プレイス」というまったくの別内容で、どうやらくだんのアー写はイギリスではシングルやコンパクト盤に使われてはいないようです。じゃぁ日本が初出?と思ったりもしたのですが実は日本より8か月ほど前にアメリカで使われていました。それがこいつ。



そうです、「抱きしめたい」です。発売日は1963年のホリデイ・シーズン明けの12月26日で、年が明けるとアメリカでのビートルズの快進撃がスタートします。




ビートルズのアメリカでのレコード・デビューは1963年の2月25日に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」によってでした。本来であればビートルズの英国での発売元EMI(性格にはパーロフォン)傘下の米国のレコード会社キャピトルから発売されるのが筋なのですが、EMIの売込みにも拘わらずキャピトル側は「今の時代R&Rバンドは時代遅れだ」と発売を拒否してしまいます。それでもアメリカ進出を狙うビートルズとマネージャーのブライアン・エプスタインはなんとかシカゴの弱小インディーズ会社ヴィージェイ(VeeJay)と話をつけ発売にこぎつけます。

英国では飛ぶ鳥を落とす勢いのビートルズでしたが、弱小メーカーからの発売ということで販売網もいいかげんだし宣伝もろくにしてもらえず、まったく売れることはありませんでした。その後もエプスタインはEMIを通じてキャピトルからの発売を要望するのですが断り続けられ、結局キャピトルから「抱きしめたい」が発売される前にヴィージェイから2枚(「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」)、スワンから1枚(「シー・ラヴズ・ユー」)が発売されるのですがすべて鳴かず飛ばずに終わります。(このヴィージェイ、スワンからシングルが出ていたことが「全米チャートの1位から5位を独占」ビートルズの奇跡の一つを生むこととなります。それについてはコチラを⇒1964年4月4日のビートルズ

こうした中、EMIからのリクエストを全く無視していたキャピトルがついにビートルズの新しいシングルの発売を決めます。キャピトルを動かした大きな要因は当時アメリカのエンターティンメント番組でNO1の視聴率を誇っていたエド・サリバン・ショーへの出演契約をビートルズが勝ち取ったからでした。ビートルズが契約できたのは、サリバンが63年の10月にたまたま立ち寄ったロンドンの空港でスウェーデン公演から帰国し大勢のファンに熱狂とともに迎えられるビートルズに出くわし興味を持っていたためとされます。これによりようやくキャピトルは重い腰をあげたというわけです。




ということでメデタシメデタシなのですが、なにゆえキャピトルはポールがタバコを持つアー写を使ったのでしょうか(本題はそこですよ忘れてません)。日本と違いシングル盤はジャケットがなくレコードが入った紙袋のレーベル面に穴がありそこから歌手名、曲名が分かるという状態で売られています。ジャケットが付くのはヒットが見込める歌手のシングルだけです。むろんビートルズはエド・サリバン・ショーというまたとない露出が決まっているのでヒットはほぼ間違いなしです。だからこそIさんのコメの

>アイドルとして売り出そうとしてる時に手にタバコなんて

ってキャピトルのスタッフも思うんじゃないかと。だったらなんでこのアー写なのか、もっとクリーンなアー写は無かったのか?

ということで、ここからは完全に妄想に入ります。

キャピトルはこのアー写を選んだんじゃなくて、選ばざるを得なかったんじゃないか。もっと言ってしまえば手元にはこのアー写しかなかったんじゃないか、と。キャピトルが重い腰を上げたのは嬉しかったビートルズ・サイドですが、今までさんざん袖にされてきたことに対する苦々しい思いはあったはずです。だったら何かお返しをしてやろうということで、ジャケを作るからアー写を送れというキャピトルのリクエストに、休憩明けの撮影でポールがタバコを持ったまま写ってしまいNGとなっていた写真をあえて1枚だけ送ったのではないか。ビートルズらしいお茶目なイタズラというわけです。くりかえしますが、あくまで妄想です。


ところでこのタバコの一件、後日談があります。1984年にキャピトルはビートルズのアメリカ発売20周年を記念して「抱きしめたい」を再発売することになりますが、その時ジャケットをエアブラシで処理しポールの手からタバコを消してしまったのです。



ビートルズの写真からタバコを消すといえば2003年にポスター会社がアビーロードのポスターを発売する際に世界的な流れとなっている禁煙運動に配慮しやはりポールの手からタバコを消してしまったということが話題となったことがありました。(記事はコチラ⇒【タバコトリビア】ビートルズの『アビイ・ロード』のポスターからは、タバコが消されている

2003年だったら禁煙運動でというのは分かるのですが、84年といえばキャメルやマルボロのペインティングのF1カーとかがバンバン走っている頃で、タバコを消す理由として「禁煙運動」というのはあまりにも弱い気もしますし、じゃぁなんで消されたのかということになります。実はキャピトルが例のアー写の一件を恨みに思っていて20年後に意趣返しをしたなんて考えると辻褄があいませんか?

なにしろ、20周年からさらに22年後の2006年にキャピトルは米国編集のアルバムを集めたBOXセット『キャピトル・アルバム』のVol.2を発売した際にもジャケットの4人のうち、今度はポール、リンゴ、ジョンの3人が手に持っていたタバコを消しています。




オリジナルの写真はコチラ。




2006年なので「禁煙」の流れに配慮してということなのでしょうが、そもそもたくさんあったであろうアー写の中からわざわざ3人がタバコを持った写真を選び、そしてわざわざタバコを写真から消すという無駄な作業をあえてしているのか、何か納得できないものを感じます。


アップル側から提供されたアー写がタバコ写真だった、とすれば84年のキャピトルの意趣返しに対するビートルズ側からの再度の意趣返しってことになるし、キャピトルがあえてこの写真を選びこれ見よがしに消して見せたとしたらキャピトルの嫌がらせ、どっちなんでしょうか?

しつこいですが、あくまでも妄想ですので・・・。





ほとんど余談だらけの文章なので今更なのですが、ここからは完全な余談。

84年の「抱きしめたい」のいざこざをさっそくパロってしまったのがかのラトルズで。78年のアルバムを90年にCD化した際にジャケを「抱きしめたい」から引用したものに変更しています。そしてポール役のエリック・アイドルにしっかりとタバコを握らせています。流石。







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先日のエントリ「音楽史上、最もレコードを売った歌手は?」に対していつも以上のコメントをお寄せいただいたのですが、その中で特に印象的だったのがガース・ブルックスやジョージ・ストレイト、シャナイア・トゥエインといった日本ではほとんど話題にもならないカントリー歌手がランク・インしていることが意外であるというコメントが見受けられたことです。

80年代くらいまでは日本で聴かれる洋楽はビルボードのチャートと連動しているというか、ビルボードの上位に入るような曲であれば、たとえそれがカントリーであれ日本盤として紹介されていたような気がします。その後「渋谷系」を経てJPOPという言葉が定着する90年代半ばころから日本で聴かれる洋楽とビルボードのチャートが連動しなくなっていったような気がします。

80年代くらいまでのバンドや歌手はけっこう洋楽の影響を受けていてファンはその歌手やバンドを通じて洋楽を聴きだしたりみたいなことがあったように思われるのですが、JPOPというジャンルが定着後に現れた歌手やバンドは洋楽ではなく先輩にあたる日本の歌手やバンドの影響を受けて歌い始めるみたいなパターンが増えてきて、その音楽に直截的な洋楽の影響が見えにくくなったこともあって、日本での洋楽のシェアは徐々に下がっていくことになります。

そんな洋楽離れの中で真っ先に切り捨てられてしまったのが「カントリー・ミュージック」だったという気もします。洋楽のシェアがシュリンクしていく中でレコード会社がいかに洋楽を売るかという方法論としては、ひとつはビッグ・アーチストのような世界で愛されているという「箔」で売るか、「渋谷系」以降の聴き方として顕著な「洋楽=おしゃれ」として売るというのがあったように思います。この「洋楽=おしゃれ」というところから最も遠い音楽と判断されてしまったのが「カントリー・ミュージック」じゃなかったのかと想像されます。結果、90年代以降日本ではほとんど紹介されなくなってしまった。

とまぁ、そんな事情でアメリカにおけるカントリー・ミュージックの人気がまったく日本では分からないなんてことになってしまった。

なんてことを考えている時に、今アメリカでこんな歌がヒットしていることを知りました。




アーチスツ・オブ・ゼン、ナウ・アンド・フォエバーという名義で曲名は「フォエバー・カントリー」。アメリカのカントリーミュージック協会(Country Music Association)略してCMAが主宰するCMAアワードが50週年を迎えるのを記念してCMAアワードの受賞歌手30人を集めてカントリー・ミュージックは不滅だと訴えるものとなっています。日本で言えばレコード大賞を受賞した歌手が勢ぞろいして歌ってるみたいなものと言えばその豪華さが分かるかも(とは言えある種の人々にとってはどうでもいい歌でもあるような気もしますが・・・)。

カントリー・チャートではもちろんNO.1、HOT100でも21位のヒットとなっていて5700万回ストリーミングされているんだそうです。

楽曲自体はジョン・デンバーの「故郷に帰りたい」に、ウィリー・ネルソンの「オン・ザ・ロード・アゲイン」そして今やホイットニーの曲と言う印象ですが元はドリー・パートンのカントリー・ヒットである「オールウェイズ・ラヴ・ユー」がマッシュ・アップされ、最後は全員での「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の合唱があり最後をドリー・パートンが締めるというものです。

といったこと位はカントリー門外漢の僕でも分かるのですが出てくる歌手やバンド、誰が誰やら全然分かりません。かろうじてフェイス・ヒル、トリーシャ・イヤウッド、ウィリー・ネルソン(流石にこの人はねぇ)そして最後のドリー・パートンくらいしか分かりませんでした。

ネットで調べたら以下のような面々のようです。あなたは何人分かりましたか?

Verse 1: Brad Paisley, Keith Urban, Tim McGraw & Faith Hill

Chorus 1: Little Big Town, Luke Bryan, Miranda Lambert,Blake Shelton & George Strait

Verse 2: Kacey Musgraves, Eric Church, Ronnie Milsap, Charley Pride, Dierks Bentley & Trisha Yearwood

Chorus 1: Lady Antebellum, Blake Shelton, George Strait, Darius Rucker & Martina McBride

Bridge: Jason Aldean, Rascal Flatts & Willie Nelson

Chorus 1: Brooks and Dunn, Alabama, Darius Rucker, Little Big Town, Brett Eldredge & Keith Urban

Verse 3: Reba McEntire, Alan Jackson & Vince Gill

Chorus 2: Carrie Underwood, Brad Paisley, Martina McBride, Little Big Town, Dierks Bentley, Kacey Musgraves, Trisha Yearwood, Tim McGraw, Alan Jackson, Luke Bryan, Keith Urban, Faith Hill, Eric Church, Brett Eldredge, Ronnie Milsap, Reba McEntire, Miranda Lambert & Dolly Parton

それにしてもドリー・パートンって日本で言えば美空ひばり並みの大物なんでしょうね、これを見る限り。


ジョン・デンバー/故郷に帰りたい



ウィリー・ネルソン/オン・ザ・ロード・アゲイン


ドリー・パートン/オールウェイズ・ラヴ・ユー







ミスター・タンブリン・マンができあがるまで

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FBでザ・バーズのデビュー・ヒット「ミスター・タンブリンマン」を「FB友達」のSさんが取り上げていらっしゃいました。バーズのデビュー・アルバムはメンバーじゃなくレオン・ラッセルなどのスタジオ・ミュージシャンがバック・トラックを作っていたともとれる内容にTさんが米ウィキを引用され”スタジオ・ミュージシャンを使ったのはデビュー曲の「ミスター・タンブリンマン」だけ”とコメントされているのを読んで、いや正確に言うとシングルのB面の曲(その時点では失念)もそうだったよなとコメを入れようと、今日がたまたま有休なのをいいことに、あらためてネットやCDのライナーなどを調べてるうちに、これは一回ディランのオリジナル(これもオリジナルと呼んでよいのかなんて疑問も)も含め時系列で整理してみようと思い立ってのエントリとなりました。なにを今更と思われるかもしれませんが、ぜひおつきあいを。

The Byrds Mr Tambourine Man Remastered


ザ・バーズのデビュー・シングル「ミスター・タンブリン・マン」は1965年4月12日に発売され全米、全英ともに見事に1位を獲得し、新しいサウンド「フォーク・ロック」のひな型としてその後の英米の多くのバンドに影響を与えていきます。

この「ミスター・タンブリン・マン」はボブ・ディランが作詞作曲した楽曲で、ディランによるシングルはなく65年の3月22日に発表されたアルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』の中に収録されていました。

ちなみにフォーク・ロックというのは、くだんのFBでSさんが「フォークロックとは何ぞや?と聞かれたらエレクトリックなバック演奏が付いたフォーク・ミュージックと辞書的に答えます。と、なるとビートルズ+ボブ・ディランの図式から誕生」と書かれているように、ディランなどの歌詞に意味があるフォーク・ミュージックと若者の心をガッチリつかんだビートルズのようなロックン・ロール・サウンドを融合したものとするならば。

 

ディランのアルバムの中の一曲に目をつけ、それをビートルズ・マナーのロックン・ロールに料理してカバーしたものをシングルとして発売したら大成功したと一瞬思ってしまうのですが、ディランのアルバムからバーズのシングルの発売までわずか20日たらず、スタジオで録音してレコードをプレスして流通に乗せるにはちょっと無理のある短さです。頭のシングルの写真を見てもらえば分かるようにちゃんとピクチャー・スリーヴのシングルになっています。ということは発売元のコロムビアとしても期待の新人だったと想像できますが、わずか20日では宣伝もなにもあったものではありません。

実際、バーズが「ミスター・タンブリン・マン」をスタジオで録音したのはいつなのか調べてみると65年1月20日にコロムビア・スタジオで録音されています。

これだったら録音からシングル発売まで3か月くらいありますから十分に余裕がありますね。うん、ちょっと待ってくださいよ1月20日ってディランが発表する前にバーズが録音していたことになりますよね、それってどうやって曲を知ったの?同じコロムビアだからディランがもっと前に録音していたやつを発表前に聴いていたのか?




ってことでまた調べてみるとアルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』の中の一曲として「ミスター・タンブリン・マン」が録音されたのは65年の1月15日と記録されています。うん、これだったらディランが先、でもこれまたたったの5日・・・。

それに、よくよく考えればバーズはコロムビアからのデビュー前にジェット・セットという名前で活動していてレコード・デビューを目指してスタジオでデモ音源を録音してます。そしてその音源はのちのちプレ・バーズとしてまとめられレコードやCDで発売されていて、その中に確か「ミスター・タンブリン・マン」もあったよなと。YOUTUBEで調べてみると出てきました、それもエレクトリック・バージョンとアコーステック・バージョンの2パターンもありました。


the byrds - Mr. Tambourine Man (The Preflyte Sessions)




この2曲が録音された日は特定できなかったのですが、このデビューを目指したスタジオ・セッションは64年の半ばから、コロムビアとの契約が決まる11月10日までの間行われたと書かれていますので、少なくともディランが『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』セッションで録音する前になります。

では一体全体バーズは「ミスター・タンブリン・マン」をどうやって知ったのか?それを知るためにディランが最初にこの曲を作った時まで遡って調べてみたいと思います。

ことの起こりは1964年ディランと友人がニューヨークからロサンジェルスまで放浪の旅をします。ケルアックの「路上」にならいハッパ(マリワナ)を決めながらの放浪の途中でニューオリンズにたどりついたディランと友人はマルディ・グラを体験します。

Mardi Gras - Easy Rider


「友人」「放浪」「マルディグラ」といったキーワードから映画「イージーライダー」を思い出してしまうのですが、あの映画でもハッパをきめてマルディグラを体験しぶっとぶ姿が描かれていましたが、ディランはマルディグラの最中に「ミスター・タンブリンマン」を思いついたといわれています。

放浪の旅からニューヨークに戻ったディランは『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』のためのセッションを64年6月9日に行います。



録音にランブリン・ジャック・エリオットが立ち会っていたのですが、ディランはジャックに放浪の旅で書いた「ミスター・タンブリンマン」を歌うように促します。しかし歌詞を覚えていないジャックは歌うことは断ったもののリフレインのコーラスに参加したバージョンがこの時に録音されます。

セッションでは14曲が録音され8月8日に発売されますが、アルバムに収録されたのは11曲のみで「ミスター・タンブリン・マン」はアルバムから外されてしまいます。

この時に外されたジャックとの「ミスター・タンブリン・マン」、および一人で歌ったものが当時、ディランの楽曲を管理していた出版社ウィットマークの管理楽曲として登録されます。

ブートレグ・シリーズも買っているディランのファンの方でしたらピンとくるでしょうが、シリーズ#9として発売された『ザ・ウィットマーク・デモ』で聴くことができる「ミスター・タンブリン・マン」はこの時に録音された一人で歌ったテープで、ジャックと歌ったバージョンは#7の『ノー・ディレクション・ホーム』で聴くことのできるバージョンです。



ここで話をバーズに移します。64年ニューヨークのコーヒー・ハウスでフォーク歌手として活動していたジム・マッギン(後にロジャー・マッギンに改名)は、64年にアメリカに上陸し一大ブームを引き起こしていたビートルズに強い感化を受けロックンロール・バンドを目指し、知り合いのフォーク歌手デヴィッド・クロスビーやジーン・クラークなどを誘いジェット・セットを結成します。

この時にジェット・セットのマネージャーになったのがジム・ディクソンでした。

エレクトラでディラーズなどのブルーグラスのレコードを製作していたディクソンはディランがお気に入りでディラーズのアルバム『Live!!!! Almost!!!』ではディランの「ウォーキング・ダウン・ザ・ライン」をカバーさせています。



この「ウォーキング・ダウン・ザ・ライン」も前述のブートレグ・シリーズ#9『ウィットマーク・デモ』に収録されています。つまり出版社ウィットマークの管理楽曲だったということです。そしてジェット・セットのデモを録音していたディクソンはレコード会社への売込みのひとつの話題作りとして自分の大好きなディランの歌を歌わせようと考えたのではないかと思います。

そして64年8月のある日ディクソンはウィットマークで手に入れた「ミスター・タンブリン・マン」のアセテート盤を持ってスタジオに赴きディランの未発表音源だとしてジェットセットに聴かせます。ジェットセットのメンバーは聴かされたデモ音源にピンときませんでしたがディクソンのプッシュもあって一応自分たちのレパートリーに組み入れます。



先ほど「ディランの未発表音源だ」と言ったとか勝手な想像で書いてしまいましたが、実際はジェット・セットが聴く前の月の7月24日、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルで新曲として披露されていました。





閑話休題
こうしてジェットセットは「ミスター・タンブリン・マン」をカバーし先にアップしたエレクトリック、アコースティックのふたつのデモも録音します。しかしカバーにあんまり乗り気でないジェットセットたちにやる気を出させるために、ディクソンはコネを使いジェットセットのライヴにディランを誘い「ミスター・タンブリン・マン」を聴かせます。ディランはジェットセットの演奏に驚き「わぉ、踊れるぜ!ow , you can dance to that !」というコメントをジェットセットに残します。

The Beatles - I Should Have Known Better


このディランのコメントに勇気づけられたジェットセットは8月に封切られた映画「ア・ハードデイズ・ナイト」での「恋する二人」の演奏シーンでジョージ・ハリスンが弾いているリッケンバッカーの12弦ギターもすぐさま演奏に取り入れ、さらに自分たちのフォーク・ロック・サウンドを改良し11月10日にディランと同じコロムビアと契約を結びます。そして新たなメンバーとしてディクソンの推薦のクリス・ヒルマンとマイケル・クラークを加えたジェット・セットはその月の感謝祭の日にバンド名をザ・バーズと改めます。

そして、コロムビアの歌姫ドリス・デイの息子でブルース&テリーやリップコーズで数々のサーフィン・ヒットを生み出し、コロムビアのプロデューサーとして雇われたばかりのテリー・メルチャーがアルバムのプロデューサーとして起用されます。

テリーはアルバムの録音に先駆けてディラン楽曲という話題性のある「ミスター・タンブリン・マン」をシングルとして発売することを決めます。こうして65年1月20日にセッションが行われることとなりますが、バーズのメンバー特にドラムのマイケル・クラークの演奏能力に疑問を抱いていたメルチャーは自分がサーフィン・ヒットを放っていたころにお世話になったドラムのハル・ブレインなどのセッション・ミュージシャンを起用することを決めます。

ジェット・セットのデモにあるマルディグラでの行進を意識したかのようなマーチング・バンド然としたマイケル・クラークのドラムがロックンロールにはほど遠く、きっと気に入らなかったのじゃないかと想像いたします。

こうしてハル・ブレインのドラム、ビル・ピットマン(グレン・キャンベルという資料もあり)、ジェリー・コールのギター、ラリー・ネクテルのベース、レオン・ラッセルのピアノそしてザ・バーズ・サウンドの要となっていた12弦ギターだけはロジャー・マッギンに任され、マッギン、クラーク、クロスビーのボーカルというメンツで「ミスター・タンブリン・マン」とB面用の「君はボクのもの」が3時間で録音されます。

録音に際しメルチャーがハル・ブレインらいわゆる「レッキング・クルー」の面々に指示したのはレッキング・クルーとの関わりも深いビーチボーイズのヒット曲「ドント・ウォーリー・ベイビー」を頭に入れてアレンジをすること。

The Beach Boys - Don't Worry Baby (HQ Stereo)1964/5/11


ご存知のように「ドント・ウォーリー・ベイビー」はビーチボーイズのブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターによるプロデュースで発売されたロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」に感化され作曲した曲であり、「ビー・マイ・ベイビー」で演奏していたのはハル・ブレインらレッキング・クルーでした。

バーズのというかレッキング・クルーの演奏する「ミスター・タンブリン・マン」は前述したように英米でNO.1に輝き「フォーク・ロック・サウンド」のひな型となります。

ということでフォーク・ロックについてはディランとビートルズの融合とロックの教科書には書かれていますが、それに加えウォール・オブ・サウンドやサーフィン・サウンドといったカリフォルニア・サウンドも大きな要素になっていたことも忘れてはいけないと個人的に思っています。実際バーズに続いてヒット曲を出したフォーク・ロックの歌い手たち、ソニー&シェール、バリー・マクガイア、ママス&パパス、PFスローンといった人たちのバックにはレッキング・クルーが絡んでいます。

シングル用のセッションにはレッキング・クルーを用いたメルチャーですが、アルバム用の楽曲の収録にはバーズのメンバーのみで臨んでいます。ただしセッションは4月22日までの3か月間に渡っており、「ミスター・タンブリマン」をお手本にするように、かなりのダメ出しをされながらの録音ではなかったのかと想像いたします。

The Byrds - I Knew I'd Want You



「ミスター・タンブリン・マン」でリード・ボーカルをとったマッギンは「ビートルズの出現が、僕にとっての状況を全く変えた。2つの要素を溶け合わすのにうってつけの領域がみつかったんだ。レノンとディランをひとつに合わせたら・・・・今までそんなことをした奴はいなかった」とビートルズからの影響を公言するマッギンですが、ビートルズの影響によって作られた「ミスター・タンブリン・マン」は「倍返し」でビートルズにも影響を与えることとなります。

ひとつはサウンド面。アルバム『ミスター・タンブリン・マン』の発売後に録音された『ラバー・ソウル』にはバーズからの影響が顕著な曲が含まれています。




ふたつめはファッションへの影響、『ミスター・タンブリン・マン』のバーズの服装の影響かと思われるのですが、それまで揃いのスーツを着ていたビートルズがラバー・ソウルでは四様の個性を出し始めます。また歪んだ写真もバーズの影響ではないかと思うのですが。












おまけ


The Byrds - 1964 Preflyte




BOB DYLAN AT THE HARDBOILED WONDERLAND

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>それから私はレコード店に行って、カセット・テープを何本か買った。ジョニー・マティスのベスト・セレクションとツビン・メータの指揮するシェーンベルクの『浄夜』とケニー・バレルの『ストーミー・サンディ』とデューク・エリントンの『ポピュラー・エリントン』とトレヴァー・ピノックの『ブランデンブルグ・コンチェルト』と「ライク・ア・ローリング・ストーン」の入ったボブ・ディランのテープという雑多な組み合わせだったが、カリーナ1800GT・ツインカムターボの中でいったいどんな音楽が聴きたくなるものなのか自分でも見当がつかないのだから仕方がない。







>私はボブ・ディランのテープをデッキにつっこんで「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー」を聴きながら長い時間をかけてパネルのスウィッチをひとつひとつためした。







>「これボブ・ディランでしょ?」
「そう」と私は言った。ボブ・ディランは「ポジティヴ・フォース・ストリート」を唄っていた。二十年経っても良い歌というのは良い歌なのだ。
「ボブ・ディランって少し聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。
「ハーモニカがスティヴィー・ワンダーより下手だから?」
彼女は笑った。彼女を笑わせるのはとても楽しかった。私にだってまだ女の子を笑わせることはできるのだ。







>「そうじゃなくて声がとくべつなの」と彼女は言った。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」
「良い表現だ」と私は言った。良い表現だった。私はボブ・ディランに関する本を何冊か呼んだがそれほど適切な表現に出会ったことは一度もなし。簡潔にして的を得ている。私がそう言うと彼女は少し顔を赤らめた。
「よくわからないわ。ただそう感じるだけなんです。」
「感じたことを自分のことばにするっていうのはすごくむずかしいんだよ」と私は言った。
「みんないろんなことを感じるけど、それを正確にことばにできる人はあまりいない」
「小説を書くのが夢なんです」と彼女は言った。
「きっと良い小説が書けるよ」と私は言った。
「どうもありがとう」と彼女が言った。
「でも君みたいな若い女の子がボブ・ディランを聴くなんて珍しいね」
「古い音楽が好きなんです、ボブ・ディラン、ビートルズ、ドアーズ、バーズ、ジミ・ヘンドリックス そんなの」
「一度君とゆっくり話したいな」と私は言った。
彼女はにっこり笑ってほんの少し首を傾けた、気の利いた女の子というのは三百種類くらいの返事の仕方を知っているのだ。そして離婚経験のある三十五歳の疲れた男に対しても平等にそれを与えてくれるのだ。私は彼女に礼を言って車を前に進めた。ディランは「メンフィス・ブルース・アゲイン」を唄っていた。







>ボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」を唄い始めたので、私は革命について考えるのをやめ、ディランの唄に合わせてハミングした。我々はみんな年をとる。それは雨ふりと同じようにはっきりとしたことなのだ。







>正面には海が見えた。荷を下ろして吃水線の浮かび上がった旧い貨物船も見えた。かもめが白いしみのようにあちこちにとまっていた。ボブ・ディランは「風に吹かれて」を唄っていた。私はその唄を聴きながら、かたつむりや爪切りやすずきのバター・クリーム煮やシェーヴィング・クリームのことを考えてみた。世界はあらゆる形の啓示に充ちているのだ。








>初秋の太陽が波に揺られるように細かく海の上に輝いていた。まるで誰かが大きな鏡を粉々に叩き割ってしまったように見える。あまりにも細かく割れてしまったので、それを元にもどすことはもう誰にもできないのだ。どのような王の軍隊をもってしてもだ。
ボブ・ディランの唄は自動的にレンタ・カー事務所の女の子のことを思いださせた。そうだ、彼女にも祝儀を与えねばならない。彼女は私にとても良い印象を与えてくれたのだ。彼女をリストから外すわけにはいかない。
私は彼女の姿を頭の中に思い浮かべてみた。彼女はシーズン初めの野球場の芝生を思わせるような色合いのグリーンのブレザーコートを着て、白いブラウスに黒のボウタイを結んでいた。たぶんそれがレンタカー会社の制服なのだ。そうでなければ誰もグリーンのブレザーコートを着て黒のボウタイを結んだりはしない。そして彼女はボブ・ディランの古い唄を聴き、雨ふりを想うのだ。
私も雨ふりのことを考えてみた。私の思いつく雨は降っているのかいないのかわからないような細かな雨だった。しかし雨はたしかに降っているのだ。そしてそれはかたつむりを濡らし、垣根を濡らし、牛を濡らすのだ。誰にも雨を止めることはできない。誰も雨を免れることはできない。雨はいつも公正に降りつづけるのだ。
やがてその雨はぼんやりとした色の不透明なカーテンとなって私の意識を覆った。
眠りがやってきたのだ。
私はこれで私の失ったものをとり戻すことができるのだ、と思った。それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。
ボブ・ディランは「激しい雨」を唄いつづけていた。





あぁ 何をしてるんだい 青い目の息子よ
あぁ 何をしてるんだい 愛しい息子よ
雨が振り出す前に 出かけたいんだ
うっそうとした森の奥深くへ歩いていきたい
そこでは 多くの人々いて 手には何もない
そこでは 毒の錠剤が洪水の中に漂い
そこでは 谷間の家は泥まみれの監獄と向き合う
そこでは 死刑執行人の顔はいつも隠れている
そこでは 醜いまでの飢えで 魂は忘れ去られている
そこでは 黒のみが色で 無こそが数
そのことを 話し 考え 喋り 息をする
それを山に反射させ みんなの魂に見えるようにする
そして沈み始めるまえに 海に立ち 
だけど歌い始めるまえに 歌の意味を知る 
そして とても激しく 激しく 激しく 激しく
とても激しく雨は降るだろう 



追記:

 


「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が発表された30年前には特に気に留めていませんでしたが、文中では「ライク・ア・ローリング・ストーン」の入ったテープをカーステで聴いたことになっていますが、流れてきた曲

「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー」
「ポジティヴ・フォース・ストリート」
「メンフィス・ブルース・アゲイン」
「ライク・ア・ローリング・ストーン」
「風に吹かれて」
「激しい雨」

を見ると少なくとも2本のテープ『グレイテスト・ヒッツ第1集』と『グレイテスト・ヒッツ第2集』が無いとこの選曲にはならないし、しかも途中でテープを第2集→第1集→第2集→第1集→第2集と入れ替えないと上記の順にはならない。せわしないですね。

あと、曲目表記についてなのですがFB友のI畑さんから「ポジティヴ・フォース・ストリート」というのは間違いじゃないのかご指摘があったのですが確かに原題は "Positively 4th Street"ですので「ポジティヴリイ」じゃないとおかしいですね。この曲日本では通常は「寂しき4番街」という邦題で表記されます。関係ないですけどポジティヴリイなのになんで「寂しき」なんでしょね。表記の件でいえば1曲目は「川の流れを見つめて」6曲目は通常は「激しい雨が降る」という邦題の表記になるのですが、春樹さん記憶だけで書いちゃってるのかなと思ってしまいます。今話題の「校閲」で直さないのかとも。

ただ、「国境の南太陽の西」では物語のカギとなる楽曲「国境の南」がナット・キング・コールが歌ったものとして出てきますが、実はそんなレコードはなく、春樹さんの間違い?と一瞬思いますがその無いはずのレコードが主人公の初恋の人「島本さん」の存在についての大きなヒントになっているという、あえて嘘をつくというようなことがあったので一概に「間違い」とは結論づけられないのでしょうが「ポジティヴ」は単純ミスじゃないでしょうか。

→国境の南、太陽の西 小説家は嘘をつく

ただ2本のテープが交互にっていうのは何か意味ありげ(もともとこの本自体が2本のストーリーが交互に出てくるというものなので)な気もします。果たして・・・。


South Of The Border....FREDDIE, FLACO, AND CO..

君は君の道を往くように僕は僕の道を往く by ボブ・ディラン

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ボブ・ディランのノーベル平和賞受賞のニュースを受けて、ディランの影響なしではその音楽を語ることのできないブルース・スプリングスティーンが自叙伝の中の文章を引用して賛辞を贈っています。

その文章の最後に、1997年にディランが当時の大統領ビル・クリントンからアメリカの芸術に貢献したアーチストに贈られるケネディ・センター名誉賞を贈呈された時の祝賀公演でディランの「時代は変わる」を唄った際のエピソードが語られているのですが、とてもすてきな一文です。

>僕はケネディ・センター名誉賞を受賞したボブのために「時代は変わる」を歌う機会を得たんだ。
僕たち(ボブとブルース)は吹抜けになった階段でしばらくの間、二人きりになった。
彼は僕に感謝の言葉を述べた後でこういった「君のために何かできることがあれば、言ってくれ」って。

僕は心の中で思った「からかってんのかい?」、そして答えたんだ 「もう、すでにもらってるよ」。


いいでしょ、これを読んで思いだしたのがさかのぼること10年前にロイ・オービソンがロックンロール殿堂入りした際にスプリングスティーンが行ったスピーチ。

1975年に『Born To Run』を作るためにスタジオ入りした時、僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌おうと努力したんだ

この二つの賛辞から感じるのは、今回のディランの受賞理由の「アメリカンソングの伝統に、新たな詩的表現を創造」の「アメリカン・ソングの伝統」に対するリスペクトと自分もその継承者であることの自覚。だからボブ・ディランもブルース・スプリングスティーンも草の根に根差した素晴らしい音楽を創造する。

The Times They Are A-Changin' (Bob Dylan Tribute) - Bruce Springsteen - 1997 Kennedy Center Honors


もうひとつ印象的だったコメントを。レナード・コーエンからです。

「 彼(ボブ・ディラン)がノーベル賞を受けたことについてコメントしよう。それは僕にとってはエベレストに「最高峰」だってメダルをピン止めするみたいに思える。」

今更、言われなくったってそんなこととっくに分かってるよってことでしょうね。

Bob Dylan - "Hallelujah" LIVE



「ボブ・ディランさん電話して」 ノーベル賞連絡とれず


ところで、発表後にノーベル財団がディランに直接連絡をとろうとしたが、連絡がとれなかったことからディランが話をするのを避けていて賞を辞退するのではないかという噂がとびかっているようです。

ネットでは以下のようなコメントが散見されるようです。

「本人からしたら違和感あるんじゃない。シンガーなのに文学賞って」
「権力に逆らってきたから、権力に栄誉を与えられることに興味なしなんじゃ」
「ノーベルよりディランの方が偉大だからな」
「一番違和感を感じているのは本人」
「彼がノーベル賞受賞を1番認めたくないんだ」
「そんなもんいらない、と言った方がかっこいい」
「辞退した方が尊敬する」
「ポリシーがあるのだろう」

コメントを見て思うのは、結局この国のボブ・ディランに対するイメージっていうのは「フォークの神様」のまま、よくって『追憶のハイウェイ61』『ブロンド・オン・ブロンド』まで、言いかえるとオートバイ事故でいったん人前からその存在を消してしまう前のディランでストップしちゃってんだろうなぁと。

ウッドストックでの1年間の隠遁生活の後にシーンに復活した後のディランの活動は「フォークの神様」時代の「反体制」の旗頭といったイメージとはほど遠いものになっていて、大雑把に言うとそのまま現在に至っているわけなのである。つまり「反体制」の看板を背負っていたのは初期の5年間くらいでその後の50年近くはまるっきり「反体制」ではなかったとは言わないけどディランの看板ではなかったのは確かなことであると思う。




その辺を詳しく書くほどの余裕もないので一つの例をあげると、隠遁から復活した翌年に「フォークの神様」時代にコミットしていた公民権運動の指導者であったキング牧師(この人もノーベル賞もらってます)が暗殺され人種差別に対する抵抗運動はラジカルさを増していきます。またベトナム戦争に反対してドロップアウトしたヒッピーたちの聴く音楽としてサケデリックな音楽がブームとなっていきます。

反体制を指向する歌手であれば、そんな風潮に乗ってラジカルな歌詞のサイケな音楽をやってもよさそうなものなのですが、そんな時代にディランが発表したのはカントリーのメッカであるナッシュビルの名うてのミュージシャンを使ったカントリー・アルバム『ナッシュビル・スカイライン』だったのです。しかも、かって評論家たちから「クマが唸っているようなヘンな声」言われ「クマにだって言いたいことがあるからじゃ」と不服申し立ての象徴のように自ら言っていたあのしわがれ声を封印し、ツルっとした美声で歌ってみせファンをびっくり仰天させます。おまけにジャケットも『時代は変わる』の時の悩める青年ではなく、気のいい田舎のにいちゃんといった風情。

このディランは「反体制」でしょうか?むしろ「反体制」を勝手に期待するファンたちへのカウンターだったように思います。まさに我が道を行く(Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine)、これがディランのその後のスタンスであって、「反体制」ってわけじゃなかったと僕は理解しています。

だから、もしディランがノーベル賞を辞退するとしたら「反権威」のような単純な理由をつけるのではなく「俺はエベレストだから」みたいな言葉で世人を煙に巻いて欲しいなぁと思うし、その方がディランらしいかなと。

Yardbirds/Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine) (17th March 1967) (BBC Session)



PS.ボブ・ディランはグラミー賞以外で以下のような賞や勲章をもらっています。

1963年トム・ペイン賞
1970年プリンストン大学(ニュー・ジャージー州)音楽名誉博士号
1982年ソングライターの殿堂
1990年フランス芸術文化勲章
1997年ケネディ・センター名誉賞
1997年ザ・ドロシー・アンド・リリアン・ギッシュ
2000年ポーラー音楽賞
2002年ナッシュヴィル・ソングライターの殿堂
2004年セント・アンドルーズ大学(スコットランド)
2007年アストゥリアス皇太子賞
2008年ピューリッツァー賞特別賞
2009年アメリカ国民芸術文化勲章
2012年大統領自由勲章
2013年レジオンドヌール勲章 

いまさらノーベル賞だけ断る必然性はないような気はしますが、必然を嫌えば(笑)


全然「反体制」じゃないこの歌が大好きです。にしてもスタジオ・バージョンとは偉い違いやなぁ。

Bob Dylan Is Your Love In Vain Live Springfield 1978

How does it feel ? Like a complete well-known ?

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なんかよく分からないのですが先週末に行われた一大イベント「デザート・トリップ」ですが、今週末の14日にも同じ会場でボブ・ディランとローリングストーンズがライヴをやってたみたいです。ディランはノーベル賞発表後の13日にラスベガス公演を行いましたが、受賞についてのコメントは一切なし。

で、この日は何かコメントするかという期待と、ディランとストーンズが同じステージにとなれば二組がコラボして「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌うのではないかと期待とで会場は普段とはまた違った雰囲気につつまれていたようです。

で、結果的に言うと「ライク・ア・ローリング・ストーン」は歌われたのですがストーンズとの共演はなし、ただしディランがこの曲を歌うのは3年ぶりになるのだそうです。あっこの日も受賞についてのコメは無かったようです。

Like A Rolling Stone - Bob Dylan @ Desert Trip, Coachella, 10-14-16



下に先週末の「デザート・トリップ」のセットリストと、ノーベル賞発表翌日のラスベガス公演、そして14日の「デザート・トリップ」リヴィジットのセット・リストを載せてみました。

本編は3日とも同じでアンコールが先週末は「戦争の親玉」であったのが、13日は「風に吹かれて」とシナトラのカバー「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」に、そして14日はくだんの「ライク・ア・ローリング・ストーン」と「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」。

ノーベル賞発表前後のアンコールの変更にはディランの「文学賞」への気持ちが投影されているのかな?なんて邪推してしまうのですが、はたして。

あんたは何も持ってないから 失うものもない
あんた誰にも見えないから 隠す秘密もない
どんな気分なんだい
どんな気分なんだい
一人で生きのは
帰る家もなく
誰にも相手にされず
転がる石みたいでいることは
(LIKE A ROLLING STONE)


どうして 僕はもっと賢くいきれないのだろう?
人々は話し 人々は見つめる 僕のやり方を
それは僕のためではない 僕には理解できないから
狂った世の中が 通り過ぎていく

人々を驚かせ 人々を苦笑いさせろ しかめっ面にさせろ
月が上りそして沈む間 ずっと君を愛してる
覚えているかい 僕はいつも君のための道化師だった
どうして僕を変えようとするんだい?
(Why Try to Change Me Now)

Frank Sinatra “Why Try To Change Me Now”


まぁ、ディランの場合セット・リストを変えるのって普通にあることなのでね・・・。


07/10/16 at Empire Polo Grounds, Indio, CA, USA

1.Rainy Day Women #12 & 35
2.Don't Think Twice, It's All Right
3.Highway 61 Revisited
4.It's All Over Now, Baby Blue
5.High Water (For Charley Patton)
6.Simple Twist of Fate
7.Early Roman Kings
8.Love Sick
9.Tangled Up in Blue
10.Lonesome Day Blues
11.Make You Feel My Love
12.Pay in Blood
13.Desolation Row
14.Soon After Midnight
15.Ballad of a Thin Man
encore
16.Masters of War

13/10/16 at The Chelsea, Las Vegas, NV, USA

1.Rainy Day Women #12 & 35
2.Don't Think Twice, It's All Right
3.Highway 61 Revisited
4.It's All Over Now, Baby Blue
5.High Water (For Charley Patton)
6.Simple Twist of Fate (Bob on guitar)
7.Early Roman Kings
8.Love Sick
9.Tangled Up in Blue
10.Lonesome Day Blues
11.Make You Feel My Love
12.Pay in Blood
13.Desolation Row
14.Soon After Midnight
15.Ballad of a Thin Man
Encore:
●16.Blowin' in the Wind
●17.Why Try to Change Me Now
(Cy Coleman cover)

14/10/16 at Empire Polo Grounds, Indio, CA, USA

1.Rainy Day Women #12 & 35
2.Don't Think Twice, It's All Right
3.Highway 61 Revisited
4.It's All Over Now, Baby Blue
5.High Water (For Charley Patton)
6.Simple Twist of Fate
7.Early Roman Kings
8.Love Sick
9.Tangled Up in Blue
10.Lonesome Day Blues
11.Make You Feel My Love
12.Pay in Blood
13.Desolation Row
14.Soon After Midnight
15.Ballad of a Thin Man
Encore:
●16.Like a Rolling Stone
17.Why Try to Change Me Now
(Cy Coleman cover)



ALL

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会社でボブ・ディランを聞いたことがないという同期のために、ディランのCDRを焼くこととなりました。どんな曲を選ぼうか迷ったのですが、結局こんな内容となりました。

1 見張り塔からずっと All Along the Watchtower 『ジョン・ウェズリー・ハーディング』
2 ライク・ア・ローリング・ストーン Like a Rolling Stone 『ブロンド・オン・ブロンド』
3 追憶のハイウェイ61 Highway 61 Revisited 『追憶のハイウェイ61』
4 ブルーにこんがらがって Tangled Up in Blue 『血の轍』
5 風に吹かれて Blowin' in the Wind 『フリーホイーリン』
6 マギーズ・ファーム Maggie's Farm 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
7 やせっぽっちのバラッド Ballad of a Thin Man 『追憶のハイウェイ61』
8 ミスター・タンブリン・マン Mr. Tambourine Man 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
9 くよくよするなよ Don't Think Twice, It's All Right 『フリーホイーリン』
10 悲しきベイブ It Ain't Me, Babe 『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ィラン』
11 雨の日の女 Rainy Day Women #12 & 35 『ブロンド・オン・ブロンド』
12 戦争の親玉 Masters of War 『フリーホイーリン』
13 女のごとくJust Like a Woman 『ブロンド・オン・ブロンド』
14 サマー・デイズ Summer Days 『ラヴ・アンド・セフト』
15 シングス・ハヴ・チェンジド Things Have Changed 『エッセンシャル』
16 ラヴ・シック Love Sick 『タイム・アウト・オブ・マインド』
17 メンフィス・ブルース・アゲイン Stuck Inside of Mobile With the Memphis Blues Again 『ブロンド・オン・ブロンド』



18 It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)/ Bringing It All Back Home
19 High Water (For Charley Patton)/"Love and Theft"
20 Simple Twist of Fate /Blood on the Tracks
21 Honest With Me / "Love and Theft"
22 Thunder on the Mountain /Modern Times
23 Silvio / Down in the Groove
24 The Times They Are A-Changin' /The Times They Are A-Changin'
25 It's All Over Now, Baby Blue /Bringing It All Back Home
26 Leopard-Skin Pill-Box Hat /Blonde on Blonde
 Girl From the North Country /Nashville Skyline
28 Spirit on the Water /Modern Times
29 She Belongs to Me /Bringing It All Back Home
30 Tweedle Dee & Tweedle Dum / "Love and Theft"
31 Watching the River Flow /Bob Dylan's Greatest Hits Vol. II
32 I Shall Be Released /Bob Dylan's Greatest Hits Vol. II
33 Desolation Row /Highway 61 Revisited
34 A Hard Rain's A-Gonna Fall /The Freewheelin' Bob Dylan
Forever Young /Planet Waves
36 I'll Be Your Baby Tonight /John Wesley Harding
37 Cold Irons Bound /Time Out of Mind
38 Beyond Here Lies Nothin' /Together Through Life
39 Gotta Serve Somebody /Slow Train Coming
40 Love Minus Zero/No Limit /Bringing It All Back Home
41 Lay Lady Lay /Blonde on Blonde
42 Shelter From the Storm /Blood on the Tracks
43 Knockin' on Heaven's Door /Pat Garrett and Billy the Kid
44 I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met) /Another Side of Bob Dylan
45 To Ramona /Another Side of Bob Dylan
46 Positively 4th Street /Bob Dylan's Greatest Hits
47 Boots of Spanish Leather /The Times They Are a-Changin'
Early Roman Kings /Self Portrait
49 Cat's in the Well /Under the Red Sky
50 The Lonesome Death of Hattie Carroll /The Times They Are a-Changin'

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