AKB48-まゆゆ- なんてったってアイドル-Live Ver.-
(浅倉大介ってこんなことやってたんですね。しかし”アイドル”が”愛奴”に聞こえるのはおじさんだからか)
内田樹 まぁアイドル文化ってね、アイドルのいいところって、アイドルだったら何してもいいってのあるじゃない。そのぉ定形がないっていう。だから・・・
大瀧詠一 はいはい
内田樹 アイドルでかつクリエィティヴな才能を持った人がいたら何やっても許してもらえるってさ、これってやっぱりねある種の定型をを打破していってブレイク・スルーする場合の大きな推力になるんじゃないの
(ラジオ・デイズ「大瀧詠一的2011 3/3」より)
なるほどね、”アイドルでかつクリエィティヴな才能を持った人”っていうのに一番当てはまるのはやっぱりビートルズでしょうね。だから次々と新しいことをやっても許されてしまっていた。「意味」があって事を成すのではなく、直感的に選択した事に大衆が巻き込まれ後から「意味」付与がなされて行ったという感じだったんじゃないでしょうか。
A Hard Days Night
プレスリーも最初は”アイドルでかつクリエィティヴ”だったのでしょうが、パーカー大佐がマネジャーとなってからはアイドルの面だけを強調されるばかりでした。ビーチ・ボーイズも初期はバランスが取れていましたが、ブライアンのスタジオ班とマイクのライヴ班に二分してからは”かつ”ではなく”アイドルとクリエィティヴ”に分裂してしまい、結局はブライアンの討死でクリエィティヴさは失われていってしまいました。ビートルズと並び、否ビートルズ以上に”アイドルでかつクリエィティヴ”だったのがボブ・ディランだったのじゃないかと思います。ただディランの場合は自分の方からファンを裏切る(選別する)ことでアイドルの部分を切り捨てていってしまい、音楽的には強い影響力はあっても大衆への直截的な影響力はビートルズにはかなわなかったように思います。
もっと近場の例で言えば、中田ヤスタカがcapsuleではちょこっとの成功だったのにperfumeでは大ブレイクしたみたいなもんでしょうか。やってることはそんなに変わらないのにね(笑)。
パフューム 氷結 レーザービーム
しかしあらためて見るとこのCMもすごいですね。コピーが「かなりすっきり、かなり爽快、かなり好き」ですよ、「可なり」なんですよ、安いけど美味しいじゃなくて安いけどそれなりに美味しいって・・・。これもアイドルだから許されるのかもね。まぁ晩酌でビールじゃなくって発泡酒しか呑めない身分としては「かなり」旨ければOKなんですけどね、トホホ。
アイドルでかつクリエィティヴな才能
今度は元春レディオ・ショウ ナイアガラーの皆様への業務連絡
ラジオ・デイズの対談は終わってしまいましたが、今度は元春レディオ・ショウです。『トライアングルVol.2』の30周年、番組の100回を記念して元春、大瀧師匠、杉真理のトライアングルによるスペシャル・プログラム。こちらもお聞き逃しのないように。
■新年1月10日は佐野元春、大瀧詠一、杉 真理による「Motoharu Radio Show ~ナイアガラDJトライアングル~」放送決定!
オンエア100回を記念する特別企画!
2012年の新年あけて最初の放送は1月10日となります。そしてこの日はスペシャル・プログラムでの放送が決定しました。 一日に二回(99回目、100回目)放送し、その内容は2012年で発売30周年を向かえる「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」に参加した3名、大瀧詠一、杉 真理、そして佐野元春によるリレーDJショーです! 3人がそれぞれDJとして番組を担当し、テーマに沿った関連曲を交互にかけていくという実験的な試みを行ないます。
放送時間:2012年1月10日(火)21:10~22:45(前半)、23:00~24:00(後半)
A面で恋をして
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ナイアガラトライアングル vol.2 30th Edition/ナイアガラトライアングル 佐野元春 杉真理 大滝詠一
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Don't Treat Me Like A Child
Helen Shapiro - Don't Treat Me Like A Child (1961)
本日は成人の日。成人の日というと1月15日という気分がいまだ抜けていないのですが、今年は上の娘が成人ということでカレンダーにもでかでかと印が付けられていて忘れることはありませんでした。
しかし「光陰矢の如し」とは良く言ったものでついこの間までギャアギャア泣いていたと思っていたのに、朝早くから着付けや美容室に行って振袖姿で戻ってきた娘を見るとわが娘ながらもうすっかり大人のお嬢さん。本当は褒め言葉の一言もいいたいのですが口をついてでるのは”馬子にもやなぁ”では女性陣にひんしゅくを買うのも当たり前ですね。昨年末から母が加わったので4:1、圧倒的に男が不利なのです。
20歳の娘を見ながら自分は20歳の時何してたっけと昔のノートを広げていたら20歳の1980年に買ったレコードのリストが見つかりました。ちょうど村上春樹の「風の歌を聴け」に影響されて主人公の「僕」を真似て買ったレコードや観た映画なんかを逐一メモっていたんですね。おかげでその頃自分がどういった音楽を聴いていたかを思い出すことができました。
結構パンクやニュー・ウェイヴを聴いていたという記憶があるのですが、圧倒的にリアル・タイムものでなく古い物を買っていますね。(頭の数字は購入月日です。)
106 雪村いづみ / スーパー・ジェネレイション 1974
112 バーズ / ミスター・タンブリンマン 1965
112 ロジャー・テリスン / ロジャー・テリスンズ・アルバム 1970
114 ドン・ニックス / イン・ゴッド・ウィ・トラスト 1970
115 ジーン・クラーク / ホワイト・ライト 1971
115 ジェシ・ディヴィス / ウルル 1972
126 ウィルトン・フェルダー / インヘリット・ザ・ウィンド 1980
127 モビー・グレープ / グレイト・グレープ 1973
128 ヴァン・ダイク・パークス / ヤンキー・リーパー 1975
201 フランク・ザッパ / いたち野郎 1970
218 はっぴいえんど / HAPPY END 1973
223 ヴァン・モリソン / ウェイヴレングス 1978
223 ランディ・ニューマン / 小さな犯罪者 1977
403 キャロル・キング / パールズ 1980
403 VA / 20ヒッツ’70S
405 プリテンダーズ / プリテンダーズ 1979
407 ジャム / セッテング・サンズ 1979
407 ポリース / 白いレガッタ 1979
407 ツーリスツ / ツーリスツ 1979
412 CCR / ウィリー&プア・ボーイズ 1969
412 ジェファーソン・エアプレイン / シュール・リアリスティック・ピロウ 1967
423 バッファロー・スプリングフィールド / アゲイン 1967
507 イングランド・ダン&ジョンフォード・コーリー / ファブルス 1971
601 カウボーイ / ファイブル・ゲッチャ・テン 1971
601 ライ・クーダー / ロング・ライダース 1980
605 J.D.サウザー / ジョン・デヴィッド・サウザー 1972
621 荒井由実 / ユーミン・ブランド#2
621 はっぴいえんど / ゆでめん 1970
627 スペシャルズ / スペシャルズ 1979
627 ジェシ・ウィンチェスター / ジェシ・ウィンチェスター 1970
628 ドン・マクリーン / アメリカン・パイ 1971
628 マリア・マルダー / マリア・マルダー 1973
705 ジャクソン・ブラウン / ホールド・アウト 1980
729 ウシャコダ / パワフル・サラダ 1980
814 リヴィングストン・テイラー / LIV 1971
910 チャンバース・ブラザース / タイム・ハズ・カム 1967
910 クレイジー・ホース / クレイジー・ムーン 1978
910 ジョニ・ミッチェル / 夏草の誘い 1975
910 モビー・グレープ / モビー・グレープ 1967
910 ジャック・ニッチェ / ハート・ビートOST 1980
910 斉藤哲夫 / ベスト
910 スライ / ライフ 1967
910 リンゴ・スター / リンゴ 1973
910 ジェシ・コリン・ヤング / ソング・フォー・ジュリ 1974
911 リトル・フィート / リトル・フィート 1971
911 ムーン・ライダーズ / カメラ=万年筆 1980
925 ガイ・クラーク / テキサス・クッキン 1976
1108 エリック・カルメン / エリック・カルメン 1975
1209ジョン・レノン&ヨーコ・オノ / ダブル・ファンタジー 1980
1225 ジョー・サンプル / 虹の使者 1978
不明ウルトラヴォックス / ヴィエナ 1980
不明オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダーク / エノラ・ゲイ 1980
不明ドゥルッティ・コラム / ザ・リターン・オブ・ドゥルッティ・コラム 1980
不明モノクローム・セット / ストレンジ・ブティック 1980
不明 PANTA / 走れ熱いなら 1977
不明 ストラングラーズ / Xサーツ 1978
不明 ブルース・スプリングスティーン / リバー 1980
不明 スティリー・ダン / ガウチョ 1980
不明 クラッシュ / サンディニスタ 1980
不明 ヤング・マーブル・ジャイアンツ / コロッサル・ユース 1980
はっぴいえんどなんて高校の頃に買ったと思っていたのですが、それは『風街』のみで1st、3rdは20歳の時だったのか、やっぱ記憶というのはいいかげなとこあります。こうしてみてみると70年代前半のものを買ってますね。三つ子の魂百までもじゃないですけど、今もやっぱりこの辺りの音を良く聴いていますから、やっぱり20歳くらいまでにその人の趣味嗜好というのは決まってしまうものなのでしょうか。
それじゃ最後に80年という年を感じるナンバーを何曲かお聴きください。
Orchestral Manoeuvres In The Dark - Enola Gay
タイトルはちょっとひっかるものの、暗闇で演奏するオーケストラという名前が冗談に思えてしまうエレ・ポップ。80年代前半はこういう音が大好きでした。
he Monochrome Set - Strange Boutique
なんてったってラフ・トレードの第一号アーチストですからね。アルバム・タイトル通りの何ともストレンジなサウンドはサイケかつエスノかつテクノなハイ・ブリッドでいかがわしいロックン・ロール!もっと評価されてもいいバンドじゃないでしょうか。
Young Marble Giants - Searching for Mr. Right
彼等もラフ・トレードでしたね。ヤング・マーブル・ジャイアンツの曲を聴くと子供の頃の砂場の棒たおしを思い出します。ポップという砂場にうず高く積まれた砂山から砂を削り取っていきどこまで棒を立てたままでいられるか、ギリギリのポップという感じ。今でも一年に一回くらい無性に聴きたくなります。
Steely Dan ‐ Babylon Sisters
パーフェクト! 砂金で出来た砂場に立てられた棒みたいな、YMGとは正反対の、だけどどっちも好きです。変でしょうか。
The Clash - The Magnificent Seven
ジョーがいなくなって10年ですか、いつの間にかジョーの歳を追い越しちゃったな(プロフィールの文変えなきゃなぁ)。60超えてどんな音楽をやっていたかのか聴いてみたかったです。そうジョン・レノン以上に。
PS.20歳の娘が聴いているのはYUIやいきものがかり、そしてキャラソン。教育間違えたなぁ、あっそれでいいのか・・・。
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レココレ2月号はスペクター特集です
業務連絡までしておきながら元春レディオ・ショウの前半を聞き逃し落ち込んでいます。再放送に期待。番組は与えられた「お題」にそった曲を大瀧詠一、杉真理、佐野元春のナイアガラ・トライアングル2の3人が選曲していくというものでした。しかし大瀧さんに「ブライアン・ウィルソン」というお題を振るとは佐野さんって天然というかなんというか。佐野さんの選曲は「ドント・ウォーリー・ベイビー」ですからね。直球ど真ん中、この人の性格なのでしょうね。対して師匠は植木等の「サーフィン伝説」。わかります、一曲にしぼれないですよ、ネタにいきますって、師匠であれば。
さて「ドント・ウォーリー・ベイビー」といえばブライアンがフィル・スペクターの「ビーマイ・ベイ・ビー」へのアンサー・ソングとして作った(というかロネッツに歌ってほしかった)曲として有名です。スペクターといえば週末に発売されるレココレ2月号はスペクター特集です。
いい表紙ですね。今回の特集のきっかけとなったスペクターのBOXを買った際に93年1月号の特集を読み直したのですが、さすがに20年近く経つと情報としてはものたりなぁという気分がしていたところだったのでコレはうれしいです。だって「Drカプラン」に触れながら師匠の「GO!GO!ナイアガラ」に触れないというのはちょっと、と思いませんか。
93年に読んだ時には知らないことばっかりだったのですが・・・
この間にインターネットだなんだかんだで情報革命みたいなのがおきちゃってますからね。
とはいえまだまだ気づいてないことは多いですね。この間もロイド・プライスのCD聞いていて、ありゃこれってと思ったことがありました。
ボブBソックスのこの曲ってきっとロイド・プライスへのアンサー・ソングですよね。
Bob B. Soxx & The Blue Jeans - "Not Too Young To Get Married"
Lloyd Price - I'm Gonna Get Married
1967年1月6日から13日のスマイル
1967年1月6日(金) スマイル・セッション46/英雄と悪漢・セッション12
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド
「英雄と悪漢」パート2のための更なる録音が行われる。エンジニアハチャック・ブリッツ。
参加ミュージシャンはハル・ブレイン(Dr)、レイ・ポールマン(B)、ライル・リッツ(Vc)、ヴァン・ダイク・パークス(楽器不明)
1967年1月9日(月) スマイル・セッション47
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド(1:00PM~)
「ワンダフル」の再レコーディング。この時点ではシングル「英雄と悪漢」のB面候補だった。
1967年1月12日(木) レコーディング
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド
ブラザー・レコードのためにカールとデニスがスタジオ・ミュージシャンを使いセッションを行う。参加したミュージシャンはデニス・ウィルソン(dr)、カール・ウィルソン(G)、キャロル・ケイ(B)、ライル・リッツ(Uplight B)、ビル・ピットマン(G)、ブルース・ジョンストン(Key)、トミー・モーガン(Hca)。
タイトルを決めずにセッションに望んだデニスは、この曲に「アイ・ドント・ノウ」という仮題をつけている(そのままやんけ)。このセッションが『スマイル』のためのものだったのかどうかは不明。
1967年1月13日(金)
この日は「英雄と悪漢 C/W英雄と悪漢パート2」の当初の発売予定日でした。しかしながらブライアンは何一つまとめあげることができず、キャピトルの焦りはさらに高まっていくことになります。
The Beach Boys - Heroes and Villains - Unreleased parts
つけまつけま つけまつける ぱちぱち つけまつけて
今日はお昼からJRの駅までの5km強をわけあって歩くことに。こういう散歩の様な時には普通に音楽を聴くんじゃなく落語や講演の音源を聞くようにしているのですが本日選んだのは鈴木大拙の60年の講演「禅と科学」。MP3プレイヤーにファイルを入れて「哲学の道」を行く西田幾多郎よろしく思索に耽りながら歩こうとしたのですが・・・
実は家を出る前にとある筋から手に入れたきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」のPVを見ていたのが間違いで思索に耽るはずの灰色の脳細胞の中ではきゃりぱみゅの”つけまつけま つけまつける ぱちぱち つけまつけて”というフレーズがエンドレスでリピートされる始末で思索どころではありません。
きゃりーぱみゅぱみゅ/つけまつける
この曲2週間ほど前に車を運転しているときにFMラジオのスウィッチを入れると流れてきて、何だこりゃ、ふざけてるけど妙に耳に残る歌だなぁ、一体誰?と思ったときに何故か”あぁこれがきっと「きゃりーぱみゅぱみゅ」に違いないと思ったのでした。きゃりぱみゅについてはYOUTUBEでめちゃくちゃ話題になっているとかいった情報はそれなりに知っていたのですが肝心の動画も見たことなく、知っているのはネットにアップされているアー写だけだったのですが、そのイメージとFMの楽曲が僕の頭の中でぴったりきたというわけで。で家に帰って”つけまつけ”と検索するとビンゴ!やっぱり「きゃりーぱみゅぱみゅ」でした。
そして一度聞いたら頭から離れなくなるこの曲を作詞作曲しプロデュースもしているのがあの中田ヤスタカだと知って、道理でね、と納得してしまいました。ご存知のように中田ヤスタカといえばPerfumeをブレイクさせた張本人で今最もポップな作家ですもんね。ただこの曲を最初FMで聴いたときに思い浮かんだのはPerfumeではなく同じテクノ歌謡でも30年ほど前のジューシー・フルーツの方でした。
ジェニーはご機嫌ななめ / ジューシィ・フルーツ
去年の「マルマルモリモリ」も一度聴くと頭の中で鳴り続けましたが、「つけまつける」は、はっきりいってそれ以上。頭にすぐ入ってくるのは変形の七五調のような歌詞のせいもあるような気がします。”同じ空がどう見えるかは 心の角度次第だから”という歌詞はちょっと禅の思想を感じます、って無理やり鈴木大拙に結びつけてしまいました(笑)。
PS.大拙さんの訛りがなんか懐かしいなぁと思ったら石川県の出身とのこと、同郷でしたか。
つけまつける (初回限定盤 フォトブック仕様パッケージ)/きゃりーぱみゅぱみゅ
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大河を往くタルカス
日曜の夜、パソコンを打ちながら家人が見ているNHKの大河ドラマ「平清盛」の音だけ聞いていたら、何やら聞き覚えのあるBGMが流れてきました。これってもしやと画面を見るとタイトル・バックのキャスト/スタッフのクレジットの音楽担当は吉松隆、あぁやっぱりなぁ。
50代以上のロック好きの方が「平清盛」を見ていたら僕と同じように「おやっ」と思い次に「にやっ」とTVの前で微笑んでいるのではないでしょうか。何故って流れていた曲がオーケストラ用にアレンジはされていますが、エマーソン・レイク&パーマーの代表曲「タルカス」だからです。
佐渡裕/タルカス(吉松隆編曲)
クレジットではしっかり挿入曲「タルカス」キース・エマーソン、グレッグ・レイク作という文字も映っていました。しかし何故「平清盛」で「タルカス」なんでしょうね。このオーケストラ版「タルカス」は「平清盛」用に編曲されたわけではなく、既に昨年吉松隆さんの編曲でオーケストラ版のCDが発表されています。
タルカス~クラシック meets ロック/吉松隆
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大河の音楽担当に選ばれた吉松隆さんが「タルカス」を引き出しからひっぱり出してきたのか、それとも「大河」のプロデューサーが吉松さんのアルバムを聴いて「タルカス」を使いたくて音楽担当に選んだのか?
いづれにせよ、NHKから「タルカス」のメロディが流れてくるなんて、ちょっと嬉しい気分になります。
それにしても、オリジナルを知らない人が吉松版「タルカス」を聴いたら、まんまクラシックの曲だと思ってしまうことでしょうね。言っときますけどオリジナルはロックですから。
Emerson, Lake & Palmer - Tarkus
PS. 大河でキース・エマーソンとくればCircle Skyさんの専門分野。記事お待ちしていますよ。
タルカス(K2HD/紙ジャケット仕様)/レイク&パーマー エマーソン
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霧の中の二人
一週間ほど前に書いたスペクター特集のレココレ2月号を読みました。記事の流れでフィル・スペクターについて書くべきなのでしょうが、テーマが大きすぎるので今日はちょっと別の話題でお茶を濁します。
レココレは特集も勿論楽しみなのですが、実は連載記事も楽しみにしています。中でも「ビートルズ来日学」、岡田則夫さんの「続・蒐集奇談」(復活嬉しかったです)、「ロックの歌詞から見えてくるアメリカの風景」などなど。中でも楽しみなのが2年ほど前からスタートした日本に洋楽を根付かせたレコード・メーカーの洋楽担当者を紹介する「洋楽マン列伝」。曲さえ良ければヒットは生まれるのか?ヒットというのは「作られる」ものだと考える僕の様な人間にとっては実に興味深い話がテンコ盛りで非常に参考になります。
今月号ではCBSソニーでおもにエピック・ソニーを担当した高橋裕二さんが紹介されています。
ビヨルン・アンド・ベニーの「木枯らしの少女」やアルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト」といった日本独自のヒットを生み出した高橋さんですが、入社当時のエピソードに注目してしまいました。
ラジオから流れるイントロに「おやっ」と思わせるのがヒットの第一歩ということで高橋さんは先輩と一緒に会社の倉庫で海外から送られてくるシングルの頭10秒だけをとっかえひっかえ聴き続けます。
ある晩ね、頭にハモンド・オルガンがずっと続く曲がある。なんじゃこれと思ったらその後すっごいインパクトのある「チャラチャラチャラ」(笑)。カナダのマッシュマッカーン「霧の中の二人」だった。
MASHMAKHAN/As The Yerrs Go By
で、アタマ45秒のハモンドをアメリカに内緒でカットして「チャラチャラ」から始まるシングルにして出したらオリコン1位の大ヒットになった。
マッシュマッカーン/霧の中の二人
タイトルは「アズ・ザ・イヤーズ・ゴーズ・バイ」、カタカナのタイトルじゃラジオで耳に残らない。でも「時が流れゆくままに」じゃなぁ。カナダっていえば霧じゃないかって「霧の中」(笑)。
この歌、高橋さんもいってるように71年初めにオリコン1位になり日本で40万枚以上も売れた大ヒットなのですが、僕が聴いたのは70年代後半それもオムニバスのLPの中でのことでした。そして僕の聴いた「霧の中の二人」は頭にハモンド・オルガンが入るオリジナル・バージョンの方でした。
ということもあり僕は当然、頭にハモンド入の「霧の中の二人」がNO1になったものと思っていたのですが、違ってたんですね、まったく知りませんでした。高橋さんは”アタマ45秒”といっていますが、おそらくは15秒の間違いかと思われますが、いづれにせよ、カットした方が聞き手の食いつきは断然よくなるという気はします。
厳密に言えばアーチストの意向を無視した行為ではあるのですが、結果的にはアメリカでは31位というまぁまぁのヒットが日本では40万枚売れ見事NO.1ですから高橋さんの判断は正しかったといえるでしょう。
実はこういう例ってけっこうあるんですよね。有名どころで言えばショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」。
こちらが日本発売のシングル・バージョン。
ショッキング・ブルー/悲しき鉄道員
現在国内で発売されているベスト盤などに入っているオリジナル・ヴァージョンはこちら。
Shocking Blue /Never marry a railroad man
いかがでしょうか、曲のスピードにのぞみとこだま位の違いがありますよね。日本盤の方がせっぱつまった感じがあって”悲しき”という邦題に相応しい気がします。オリコンの順位で言えば69年の「ヴィーナス」が3位、翌年の「悲しき鉄道員」は2位と順位を上げているのですが、現在ショッキング・ブルーといえば「ヴィーナス」で「悲しき鉄道員」がほとんど忘れ去られているのは日本盤のシングル・ヴァージョンがCDで復刻されていないことにも原因があるような気がします。ビクターさんお願いボートラでいいから収録して。
僕たちの洋楽ヒット Vol.4 1970~71/オムニバス
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マッシュマッカーン恐るべし・・・ コダクローム再録
昨日、書いたマッシュマッカーンのエントリにたくさんのコメいただきありがとうございます。カウンターを見てみると271件となっており、記憶する限り最高の数字をたたき出してくれました。キラーカーンじゃないや、マッシュマッカーン恐るべし。しかしきゃりーぱみゅぱみゅではほとんど反応なくマッシュマッカーンで最大値というのは拙ブログの読者の年齢層がはっきりと分かりますね(笑)
でも本当にマッシュマッカーンで訪問されてんのとアクセス解析で昨日19日の検索ワードの項目を見ると。
1位 僕のコダクローム 歌詞
2位 平清盛 タルカス
3位 ヤング・ミュージック・ショー
4位 小泉今日子
5位 A LONG VACATION
マッシュマッカーンの「ま」の字もありませんね。当たり前ですよね、今頃「マッシュマッカーン」で検索かける人がそんなにいるわけないですもんね、キラー・カーンならいざ知らず・・・
1位の「僕のコダクローム 歌詞」というのはコダック倒産のニュースが流れたので、僕らぐらいの年代の方が”そういや昔コダックのフィルムについて歌った歌があったよな、そうそう「僕のコダクローム」確かポール・サイモンの曲、そういやどんな歌詞やったんかな?”ってことで検索されたのではないでしょうか。
それならばと、拙い訳詞を載せた6年前のエントリを再掲載させていただきます。手抜きかな。
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昨日YAHOOのトップページにこんな見だしがありました。
カメラ業界 フィルム事業縮小…愛好家に波紋
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060128-00000020-maip-soci
デジタル・カメラに押されてフィルム式のカメラがほとんど売れず、メーカーの撤退があいついでいるという記事です。
カメラについて門外漢の僕でもニコンやミノルタの名前は知っているように、かっては日本の技術力を代表したメーカなのですが時代の流れには抗えないということみたいです。
ところで何故このブログに場違いなニュースを取り上げたかというと記事の中にこんな一文があったからです。
戦後、その性能を世界に認められた>ニコンは、英語で「ナイコン(Nikon)」と発音され、70年代にポール・サイモンが「僕のコダクローム」で「ナイコンのカメラを手に入れたんだ」と歌ったほど親しまれた。
それだけニコンのカメラが世界的だったっていうことを言いたかったんでしょう。たしかに日本でもかなりヒットしたナンバーではありますが、若い人達が知っているようなスタンダードかといえばそうでもない曲ですからね。この記者さん若い時にポール・サイモンが大好きだったんだろうなと思ってしまいました。
この曲が発売されたのは1973年、僕は中一でAMラジオから流れるポップ・ソングに夢中になりはじめた頃でした。ちなみに当時どんな音楽が流れていたかTBS今週のポップスベスト10で「僕のコダクローム」が1位になった週のベスト10を見つけたので引用いたします。
http://www10.plala.or.jp/Pops70s/POPS_38.htm
1位 ポール・サイモン「僕のコダクローム」<
2位 ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラヴ」
3位 スリー・ドッグ・ナイト「シャンバラ」
4位 ジョージ・ハリスン「ギヴ・ミー・ラヴ」
5位 カーリー・サイモン「愛する喜び」
6位 ギルバート・オサリバン「ゲット・ダウン」
7位 カーペンターズ「イエスタデイ・ワンス・モア」
8位 スティビー・ワンダ「サンシャイン」
9位 ブレッド「オーブレー」
10位 >ロギンス&メッシーナー「愛する人」
うーん書きながら「イエスタデイ・ワンスモア」の歌詞のように素敵なメロディたちが頭の中に浮かんでは消えていきました。誰でもこういう時代にラジオ聞いてたらポップス・ファンになっちゃいますよね。
閑話休題
高校で教わったあのガラクタたちのことを思い出すと
不思議だね そう思わない
だって学校の勉強ができなくても
それで傷ついたことなんてありゃしない
壁の落書きだって読めちゃうんだからさ
コダクローム
素敵な明るい色と
夏の緑を僕らにくれる
世界中の太陽輝く1日だってね
ナイコン(ニコン)のカメラを手にいれたよ
写真を撮るのに夢中なんだ
だからさ母さん、僕のコダクロームを取り上げないでよ
僕が独身だった頃の
知り合いの女の子全部を写真に撮って
この夜のために持ってきたとしても
僕の甘い想像力のためには
役に立ちそうもないな
白黒の写真だと
すべてがつまんなく見えちゃうんだよ
コダクローム
素敵な明るい色と
夏の緑を僕らにくれる
世界中の太陽輝く1日だってね
ナイコン(ニコン)のカメラを手にいれたよ
写真を撮るのに夢中なんだ
だからさ母さん、僕のコダクロームを取り上げないでよ
だからさ母さん、僕のコダクロームを取り上げないでよ
There Goes Rhymin' Simon (ひとりごと)
>僕の甘い想像力のためには 役に立ちそうもないな
っていうのは今になって思うと下ネタ的な意味合いがあったのかなぁ・・・。
楽曲的にはカラっと乾いたちょっとラテンっぽい陽気なナンバーで、白黒からカラーになってイマジネーションがバァーっと拡がり自分の世界も明るくなってんだから、写真撮ってばっかりいるからって僕のコダクロームを取り上げないでよ、っていう昔ながらの親子の断絶を歌う歌詞がよくはまっています。
お袋にコダクロームをとりあげられるっていうくだりはなんとなく”パパあたしのTバードを取り上げないでよ”って歌われるビーチ・ボーイズの「ファン・ファン・ファン」を思い出させたりもします。
撮ってすぐ画像を確かめられるデジカメは確かに便利なんだけど、いっぱいになったフィルムを現像し焼いてもらい数日後にドキドキしながら写真を見る一瞬の楽しみが無くなってしまうのは寂しいと思うのはアナログ世代のノスタルジーなんでしょうかね。
さてと、「コダクローム」を夢中になって聴いていた中学生の時には気づいてなかったんですが後年クレジットを見てびっくりでした・・・以下のようなクレジットです。
Guitar:Paul Simon,Pete Carr
Elec,Guitar:Jimmy Johnson
Bass:David Hood
Drums:Roger Hawkins
Keyboards:>Barry Beckett
Engineers:Jerry Masters & Phil Ramone
Recorde at Muscle Shoals Sound Studios Muscle Shoals Ala
そうサザン・ソウルのメッカ、マッスル・ショールズ・スタジオの名うてのミュージシャンをバックに録音されているのです。
アルバム「ひとりごと」から2nd(3rd?)シングルとなった「母から愛のように(Love Me Like a Rock)」もマッスル・ショールズの面々にゴスペル・グループ=ディクシー・ハミング・バーズのコーラス入りでした。
当時は単純にポップ・ソングを聴いているという意識しかありませんがその後聴くようになる南部指向のロックのグルーヴみたいなものを知らず知らずに刷り込まれていたのですね。
思えば大好きなハル・ブレインのドラムとの初めての出会いもS&Gの「明日に架ける橋」だったりするし
Bridge Over Troubled Water
ポール・サイモン侮りがたしと思ったりした鳥肌音楽でした。(ほんとはアーティの方が好きなんですけどね)
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6年前のエントリを書くきっかけはデジタル化により異業種が進出して老舗カメラ・メーカーが苦戦しているという記事があったからなんですね。その後もフィルムのカメラは衰退し続け当然のことながらコダックのようなフィルム・メーカーも先行かなくなったとういうことなんでしょうね。諸行無常とはいえ寂しい気分です。
1967年1月20日のスマイル
1967年1月20日(金) スマイル・セッション48/英雄と悪漢・セッション13
コロンビア・スタジオ 、カリフォルニア州ハリウッド 7:00-8:00PM
「英雄と悪漢」パート1のあらたなるインストゥルメンタルをレコーディング。メンバーはニック・ペリーコ(Perc)、アラン・ロビンソン(French Horn)、クロード・シェリー(French Horn)。
その後メンバーが全員参加でヴォーカル録りも行われるが、ブライアン曰く「実験のひとつ」だが「まるっきり駄目」。いよいよ混迷を極め出すスマイル・セッション否ブライアンでした。
ちなみに66年のこの時期はブライアンは『ペット・サウンズ』のセッション、ライヴ組は日本ツアーの真っ最中でした。日本ツアーの日程は。
1月7日(金) 渋谷公会堂(東京) 2回公演
1月8日(土) 名古屋市公会堂(名古屋)
1月9日(日) 大阪サンケイ・ホール(大阪)
1月10日(月) 京都会館ホール(京都)
1月12日(水) 神戸国際会館(神戸)
1月13日(木) 大阪サンケイ・ホール(大阪)
1月14日(金) 福岡九電記念体育館(福岡)
1月15日(土) 大手町サンケイ・ホール(東京) 2回公演
1月16日(日) 新宿厚生年金会館(東京) 2回公演
1月18日(火) 宮城県民会館(仙台)
1月20日(木) 駿府会館(静岡)
1月21日(金) 横浜文化体育館(横浜)
1月22日(土) 新宿厚生年金会館(東京) 2回公演
1月23日(日) 大田区体育館(東京) 昼公演
新宿厚生年金会館(東京) 夜公演
セット・リストは
ファン・ファン・ファン
夢のハワイ
サーフィンU.S.A
サーファー・ガール
リトル・ホンダ
パパ・ウー・モウ・モウ
モンスター・マッシュ
レッツ・ゴー・トリッピン
悲しみをぶっとばせ
リトル・デュース・クーペ
シャット・ダウン
バーバラ・アン
カリフォルニア・ガールズ
アイ・ゲット・アラウンド
ジョニーBグッド
踊ろよベイビー(アンコール)
14日間19公演。当時の外タレのコンサート事情は知りませんが、規模としてはトップ・クラスだったんじゃないでしょうか。オフはたった2日間のめまぐるしい日本滞在ですが、京都公演の翌日の11日には太秦の東映撮影所に行きサムライの扮装をして写真をって、『ペット・サウンズ』の裏ジャケを飾ったのはファンだったらご承知のことですね。
達者でナ
今日は朝からJRの駅までの5km強をわけあって歩くことに。って一週間前にもこんな出だしのエントリがありましたが、今日の散歩のBGMは三橋美智也の全曲集。なんで?って、そりゃ名曲が多いからですね。
三橋美智也全曲集/三橋美智也
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「哀愁列車」「おさらば東京」「夕焼けとんび」「古城」「星屑の町」などなど、でも60年の「達者でナ」かな。
三橋美智也/達者でナ
民謡歌手出身という三橋の出自を強く感じさせる民謡調の歌謡なのですが、よく聴くとコンガによって刻まれているリズムはラテンのような感じです。このバック・トラックはどことなくスリー・サンズの演奏による「ジェルソミーナ」(フェリーニの「道」のアレですニーノ・ロータ作曲の)の思い出させるなとYOUTUBEで探したのですが残念ながら見つかりませんでした。フェリーニの「道」が56年の映画なのでスリー・サンズもその頃だと思われるけど、ちょっと間があきすぎているのでふたつの曲に関係はないのかもしれませんが、単なる民謡調の歌謡曲では無いところが面白いです。
作曲は中野忠晴さん。中野さんは元々はコロムビアで服部良一の作る和製ポップスの歌い手として活躍しましたが、戦後、喉をいため作曲家に転向しキングの専属となった人なので民謡の中にラテンのリズムを潜ませるという(いい意味の)イタズラをやったというところじゃないのでしょうか。ロックン・ロールなんかもそうなのですが、ジャンルを超えたハイブリッドから面白い音楽は生まれるんですね。大瀧詠一師匠も三橋美智也のファンであることを公言していますが「ナイアガラ音頭」のルーツにあたる作品と言えるのかもしれません。
とか何とか書いていて、「ナイアガラ音頭」をアップしようと検索かけていたら布谷文夫さんの訃報に気づきました。
日本ロック草分け 布谷文夫さん死去
ロック歌手の布谷文夫さんが15日午後9時47分、脳出血のため茨城県牛久市の病院で死去。64歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者らで済ませた。
日本のロックの草分け的存在として60年代後半から活躍。ブルース・クリエーションの初代ボーカルで大瀧詠一の旧友。代表作に「ナイアガラ音頭」「悲しき夏バテ」など。 2012年1月20日06:00スポニチ.com
P.I.P
I’d rather go blind, Then to see you pass away
Etta james / I'd Rather Go Blind
あの娘と語り合うのを見たときに
終わったのよと分かった
あの娘と一緒に歩くのを見たときに
何かが お泣きなさいとささやく
盲に 盲になるべきだわ
あなたが去っていくのを見るくらいなら
分かってるでしょ どんなに愛してるか
あなたが離れるのを見たくはないの
だって 独りに 独りにはなりたくないもの
座ったまま 動けすに 思い出すの
優しく抱いてキスしたくれたことを
鏡に向い 口紅を塗りながら
頬をつたう涙に気づくの
盲に 盲になるべきだわ
あなたが離れるのを
私から去っていくのを見たくはないの
あぁ ベイビー 盲になるべきだわ
トーチ・ソングの名曲中の名曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」ですが、恥ずかしながら映画「キャディラック・レコード」を観るまでこの曲がエタ・ジェイムスのもち歌とは知りませんでした。映画ではエタに扮したビヨンセが歌っていました。なかなかの名唱です。
Beyonce - I'd Rather Go Blind
達郎さんもこの歌のシーンでグッときたとSSBで語っていましたね。エタの持ち歌とは知らなかったのですが曲自体は中学の頃から知っていました。恋のイロハも知らない中坊にもロッドの歌うこの歌は心にグットきました。そう歌詞の中の”Something deep down in my soul said, 'Cry, girl'”ちょうど、そんな感じでした。
The Faces I'd Rather Go Blind 6-4-73
ロッドは大好きな歌手なんでロッドが一番といいたいけど、エタ・ジョーンズを聴いてしまうとやっぱりエタかな。
R.I.P.
歌手のエタ・ジェームズさん死去
エタ・ジェームズさん死去、ビヨンセらに影響 (読売新聞) 2012年01月21日 10時37分
米メディアによると、米歌手のエタ・ジェームズさんが20日、カリフォルニア州南部の病院で、白血病による合併症のため死去。73歳。
1950年代からR&B、ジャズ、ソウルなどで才能を発揮。情感あふれる歌声を持ち味に、「アット・ラスト」などのヒット曲を放った。93年には「ロックの殿堂」入りを果たした。ダイアナ・ロス、ティナ・ターナー、ビヨンセら多くの歌手にも影響を与えた。一方で、薬物依存や極度の肥満などに苦しんだことでも知られる。(ロサンゼルス)
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1967年1月23日のスマイル
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st 、カリフォルニア州ハリウッド 3:00-6:00/6:30-10:00PM
「サーフス・アップ」は年末までに一旦は完成トラックができていたはずなのだが、この日ブライアンは「サーフス・アップ」のバック・トラックのためのセッションを再開している。
参加ミュージシャン
ハル・ブレイン(Dr)、ライル・リッツ(Uplight B)、ビル・ピットマン(G)、カール・ウィルソン(G)、ロイ・ケントン(Tp)、ビリー・グリーン(Horn)、ジム・ホーン(Sax)、ジェイ・ミグリオリ(Sax)
スタジオ・ミュージシャンをミュージシャンを使ってバック・トラックを作りBB5のメンバーは歌うだけというこの時期のブライアンのレコーディングですが、唯一カール・ウィルソンのギターだけは(あとブルース・ジョンストンのキーボードもか)OKと考えていたようですね。
Carl's big chance 1964
1967年1月25日のスマイル
1967年1月25日(水) ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st 、カリフォルニア州ハリウッド 3:00-6:00PM
この日は『スマイル』のためではなくブラザー・レコードのための新しいセッションが行われている。それは昨年発売された『スマイル・セッションズ』にも収録されていたジャスパー・デイリーの「ティッター・トッター・ラヴ」(Disc4/Track21)のレコーディングでした。
Teeter Totter Love (Jasper Dailey)
お聴きいただけばお分かりのようにジャスパー・デイリーは『スマイル』用の写真撮影のために雇われたカメラマンで歌はズブの素人。さらに曲の方もトイ・ホイッスルやお茶目な女性コーラスの入った実験的なノヴェルティ・ソングではたしてブライアンはこれを本当にブラザーからのシングルとして出そうとしていたのでしょうか?それともプレッシャーから逃れるための気まぐれな息抜きだったのでしょうか?
ティッターもトッターも「ゆらゆらする」という単語でティッター・トッターでシーソーという意味になるようです。とういうことで恋愛の時に揺れ動く恋心をシーソーにたとえ面白可笑しく歌った歌ということになるんでしょうが、あんまり笑える歌でもないなぁというのが正直なところ(笑)。
曲を作ったのは勿論ブライアン、同名曲をマーセルズも歌っているようですが同名異曲のようです.こちらの方がいいなぁ。
The Marcels - Teeter Totter Love 1962
マーセルといえばやっぱりこの曲でしょうか。61年の全米NO1「ブルームーン」。
The Marcels-Blue Moon
元々はリチャード/ハートが39年に書いたバラードでスタンダードになっていたものをメル・トーメが49年春にカバーし全米20位というヒットに。その後54年にはみなさんご存知のエルヴィス・プレスリーのカバーがデビュー・アルバムに収められロックン・ロールのスタンダードに。そして61年のマーセルズというわけで3者3様のカバーを聴き比べるのも楽しいかと思います。
Mel Tome / Blue Moon
Elvis Presley / Blue Moon
once in a blue moon (めったにない、特別な)という成句を踏まえて作られた歌のようなのですが、ブルー・ムーンには直訳の青い月という意味と一箇月のうちに満月が2回ある時の2回目の満月を言います。今年だと8月31日の満月がブルー・ムーン。いずれにせよ滅多に起こらない奇蹟みたいな意味合いでしょうか。
この歌では孤独な人生を過ごしていた僕の前にあるブルー・ムーンの夜に運命の女性が現れてくれるという逆白馬の王子様パターンの曲です。メル・トーメのシルク・ヴォイスで歌われるバージョンは摩天楼の間から見える満月を思わせるしエルヴィスのものは南部の暑苦しい夜を涼し気な青い光で照らす満月、そしてマーセルズのものはどでかいアメ車に乗って通りを流しながら見える満月、そんな風に僕は感じます。同じ月でも随分違うものですね。
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抱きしめて byクリスチャン・マクヴィー
Fleetwood Mac / Hold Me
私のこと分かって
私をひっぱって
難しくはないわ
二人には時間はあるの
未来は二人だけ
あなたに愛を捧げたいの
ステップなんて知らないけど
私の手をとって欲しいの
抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて
抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて
傷を負いたくはないの
だけど あなたと一緒にいたい
あなたは見返りをほしがるけど
私はそういうのは苦手なの
街角に私はいる
わたしとの時間をくれるなら
ずっと待ち続けている
あなたがそこにいたいのなら
抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて
抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて
先日のエタ・ジェームスの訃報記事でエタの歌う「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」について取り上げた際にいただいたフィニルさん、S_miley_Smileさんのコメントに、その歌クリスティン・パーフェクト(a.k.a.クリスティン・マクヴィー)も歌ってますよと教えていただきました。そこでYOUTUBEで試聴したり、クリスティンについてウィキペディアとかでちょっと調べたりしていたら、82年のフリートウッド・マックのアルバム『ミラージュ』からカットされ全米4位に輝いたクリスティン作の「ホールド・ミー」についてこんな記述がありました。
>この作品には、クリスティンの作による全米シングルチャート5位を獲得した「Hold Me」が含まれている。この曲は、バンドにとって初のミュージックビデオでもある。この曲は、彼女とビーチボーイズのデニス・ウィルソンのねじれた関係からインスピレーションを得ている。ウィルソンは、数年後に事故で溺死し、彼女をひどく悲しませた。
そうでした、すっかり忘れていましたがクリスティン・マクヴィーは一時期デニス・ウィルソンと一緒に暮らしていたのでした。そう思って「ホールド・ミー」の歌詞を見直すと感慨深いものがあります。
スティーヴン・ゲインズの「ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー」によると。
デニスとクリスティンが初めて会ったのは1978年の11月でした。クリスティンはダニー・ドゥーマのソロ・アルバムのレコーディングに参加するためヴィレッジ・レコーダーズ・スタジオに訪れましたが、同じスタジオでデニスは2ndとなるはずであったソロ・アルバムのレコーディングを行なっており、運命の出会いでした。
当時デニスは2度目の奥さんカレンとつかず離れずといった状態。クリスティンは9ヶ月前にジョン・マクヴィーと離婚をし、フリートウッド・マックの照明ディレクター、カリー・グラントと交際中でしたが、デニスに一目惚れをしてしまいます。そして出会いの夜にデニスを家に誘い二人の恋愛がスタートします。デニスは元々、酒やクスリに溺れ自堕落な生活を送っており、妻カレンの努力があってようやくドラッグをやめアルバム作りという前向きな生活に戻れるかと周囲から期待されていたところでした。しかしクリスティンと暮らすようになり再び自堕落な生活に戻ってしまいます。結局2ndアルバムも完成されませんでした。(セッションの音源は現在発売中の『パシフィック・オーシャン・ブルー』のボーナス・ディスクに収録されています。)
デニスという男は母性を強くくすぐるのか、本来なら自堕落などうしようもないヤツと三行半をたたきつけられるべきところなのに”こんなデニスを放ってはおけない””私がいないとデニスはもっとダメになる”と(分かっていても)思ってしまうようで、女たちはますますデニスに惹かれていってしまうようなのです。
フリートウッド・マックの大成功で大金持ちになっていたクリスティンはヒモのようなデニスに湯水のようにお金を与えデニスはそのお金でますますドラッグにはまり、奇行、悪行を繰り返しますがそうなるとクリスティンはますますデニスを救おうと援助を行うという悪循環の恋だったみたいです。
クリスティンの誕生日にデニスはクリスティンの邸宅の裏庭にハート型の花壇を作りサプライズ・プレゼントとして贈ります(上の写真がそうでしょう)。そして弦楽団を雇い盛大な誕生日パーティも行いますが、数日後にはクリスティン宛で庭師と楽団からの請求書がとどきます。滅茶苦茶。それでもデニスは一切悪びれないし、クリスティンは笑って許す、一般人には理解できない関係です。
結局デニスと暮らした2年間でクリスティンはデニスのヨット、ハーモニー号の修理代2万ドルを含め10万ドルにもおよぶ金額を与えたということです。
最終的には周囲に説得され80年末にはデニスはクリスティンの家を追い出され二人の関係は終わります。その後デニスはマイク・ラヴの隠し子ショーンと結婚しますが、マイクへのあてつけの意味もあったのか、年の離れたショーンにはデニスを更生させる力はなく83年12月28日の悲劇を迎えてしまいます。
「ホールド・ミー」が書かれたのは『タスク』ツアー中の81年と思われ、デニスとは破局を迎えていましたが、歌詞を読むとデニスへの未練というか救ってやれなかった後悔のようなものが感じられる気がします。
それだけにデニスの死を知った時のクリスティンのショックは大きかったことでしょう。
>"秘書が朝8時に私に電話をかけてきたの。悪い報せと思ったわ。彼女は「デニスが溺死したわ」と言ったの。最初に出た言葉は「あぁ神様、彼は大丈夫なの?」、信じられなかったの。彼は不死身に思えたもの”
You Are So Beautiful - Dennis Wilson
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Pacific Ocean Blue/Dennis Wilson
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1967年1月27日のスマイル
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st 、カリフォルニア州ハリウッド
「英雄と悪漢」の中の”エッグ・アンド・グリッツ”の部分と差し替えるための”イン・ザ・カンティーナ”セクションのヴォーカル・パートをブライアンとマイクが中心になってレコーディング。この部分のバック・トラックも録音している。
(『SMILE SESSIONS』のDISC2 TRACK17参照)
この日作られた「英雄と悪漢」のラフ・ミックスのファースト・ヴァースではマイクとブライアンがリード・ヴォーカルを交互に取っていた。
余談です。
CDを整理していたらL⇔Rの『Land Of Riches』が出てきました。ご存知のように黒沢君は萩原健太さんと一緒にコピー・バンドをやったりしているビーチ・ボーイズの大ファンで「君と夏と僕のブルージン」も詞の世界といいサウンドといいビーチ・ボーイズ愛に溢れた名曲です。
L⇔R - 君と夏と僕のブルージーン EQUINOX Tour /1994.3.30 渋谷公会堂