PR: あったかスマートハイムで家事効率がアップ!
December 25
JAMES BROWN Soulful Christmas
James Joseph Brown (May 3, 1933 – December 25, 2006) R.I.P
2011年12月25日(日)のスマイル
「スマイル」それもダブルでっせ。 at 我が家のトイレ
MELEKALIKAMAKA(A.K.A. Kona Christmas) / THE BEACH BOYS
やってみたいなぁと心に秘めた思いがあるんだ
クリスマスをサーフィン三昧で過ごしたい 抑えきれないんだ
ハワイのコナ海岸でクリスマスを過ごしたいんだ
長年の間 小銭を貯めて計画してたんだ
思いは大いなる太平洋に
ハワイのクリスマスで全てを使い果たすんだ
夢のハワイへ行こう
”メレ カリキマカ” ハワイの”メーリー・クリスマス”
ラハイナで流れ星を数えよう
君と僕だけのハワイ
『スマイル』ほどではないけれど幻だったクリスマス・アルバム『メリー・クリスマス・フロム・ザ・ビーチ・ボーイズ』のアウト・テイクだった「メレ カリキマカ」、クリスマスにハワイでサーフィンをやって過ごそうといういかにもビーチ・ボーイズらしいクリスマス・ソングです。
この曲、元々は、アル・ジャーディンが頑張ったアルバム『M.I.U』に収められていた「コナ・コースト」というハワイ讃歌の歌詞をクリスマス向けにした「替え歌」です。
Kona Coast / Beach Boys
途中「夢のハワイ」のワン・フレーズが飛び出してくるのがご愛嬌です。
「メレ・カリキマカ」といえばビーチ・ボーイズよりこちらの方がスタンダードかもしれないですね。
Bing Crosby - Mele Kalikimaka
”メレ カリキマカ” 輝けるクリスマスの日
ハワイのみんなが口にする
ヤシの葉ゆれる島からの
君にあてたグリーティング
緑とお陽さまのクリスマスもあるんだよ
昼はあたたかな陽射し 夜は満天の星
”メレ カリキマカ”
君にあてたハワイ流のメリー・クリスマス
「ホワイト・クリスマス」を歌ったビング・クロスビーが正反対のクリスマス・ソングを歌っています。途中から出てくる女声コーラスは、分かりますよね歌い方で、アンドリュース・シスターズです。
クリスマス・アルバム(完全版)/ザ・ビーチ・ボーイズ
¥2,548
Amazon.co.jp
1966年12月27日(火)のスマイル
1966年12月27日(火) スマイル・セッション42/英雄と悪漢・セッション8
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド
「ワンダフル」挿入音、「キャビネッセンス」の「フー・ラン・ジ・アイアイン・ホース」セクションのための異なるボーカルを録音。この日のセッションは「英雄と悪漢」に追加ボーカルをオーバー・ダブして終了。
Cabinessence ー Wonderful
いつものようにスタジオに閉じこもるブライアンに対しマイク・ラヴを中心とするライヴ・バンドとしてのビーチ・ボーイズはワシントン州シアトルのザ・コロシアムで年末公演の初日を迎えていた。夜の8時にスタートしたコンサートではコン&ザ・グッドタイムズ、エマージェンシー・エグジット、ウェイラーズ、ソッピーズ・キャメル、ロイヤル・ガーズメン、スタンデルズといったバンドが演奏を行なった後の11時過ぎにビーチ・ボーイズは登場、約42分間のステージを務めた。
シアトルタイムズ紙のウェイン・ジョンソンは翌日のコンサート評に当時のビーチ・ボーイズの人気の高さ、しかしながら微妙に時代の流れと乖離しつつある様子を次のように記している。
”昨晩11時、ようやくビーチ・ボーイズがコロシアム中央の回転ステージに姿を見せると、思ったとおり10代の観客を中心に相当な騒ぎとなった。少女たちは金切り声を上げ、少年たちは大声で叫び、誰もかれもが足を踏み鳴らし、その騒音は苦痛をもたらすほどのレベルに達していた。熱狂ぶりは誰の目にも明らかで、観客たちが興奮しているのは確かだったが、この時点で既にティーンエイジャーたちはこのショーに退屈し始めているのが見て取れた。”
”最近磨きのかかったビーチ・ボーイズは、健康的な魅力をふりまきながらヒット曲を次から次へと演奏して観客たちを満足させた。しかし他のグループと一緒に、ビーチ・ボーイズを大音量のサウンドで聴くしかなかったということは、彼らの音楽を本当に聴くのは不可能だったということだ。”
The Sopwith Camel - The Great Morpheum, Postcard from Jamaica
Standells / Dirty Water
Smile Sessions/Beach Boys
¥2,870
Amazon.co.jp
Sopwith Camel/Sopwith Camel
¥819
Amazon.co.jp
Dirty Water / Why Pick on Me Sometimes Good Guys/Standells
¥1,639
Amazon.co.jp
1966年12月28日(水)のスマイル
1966年12月28日(水) スマイル・セッション43/英雄と悪漢・セッション9
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド
「英雄と悪漢」に新しいボーカル・パートをオーバー・ダブ。これにて66年のブライアンの仕事納め。
一方ビーチ・ボーイズ・ライヴ班の方も66年最後のコンサートをサンフランシスコのシヴィック・オーディトリアムで行なっています。共演はジェファーソン・エアプレイン、シーズ、ソッピーズ・キャメル、ミュージック・マシーン、ロイヤル・ガーズメン。
ビーチ・ボーイズ/蛍の光
わたくしも本日が仕事収め、一年間おつかれさまでした、ってブログは明日も続きます。
PR: スリッページなし、即約定!約定力No.1のマネパ!
PR: 育児ママ必見!★知っておきたい家庭で出来る感染対策★
わすれたいのに
前々から書こうと思いながら中々に手のつかない「ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』は何故よくないのか?」というのを今度こそ書こうとあらためてその『ロックン・ロール』や同じ頃の同趣向のアルバムを聴き直しておりました。あらためて聴き直すと『ロックン・ロール』もそんなに悪くはないのですが、例えばバンドの『ムーンドッグ・マチネー』やブライアン・フェリーの『愚かなり、我が恋』に比べると何ども聞き返そうという気にならない・・・。
その件についてはまたあらためてちゃんと書きたいと思いますが今日はそのブライアン・フェリーのアルバムの中に入っている「わすれたいのに(I Love You How You Love Me)について。
何故か最近この曲を聴くことが多いんですよ。
Bryan Ferry I Love How You Love Me
キスをする時の
きみの目の閉じ方が好きだ
きみのもとを離れている時に
寂しがるきみが好きだ
いつも優しいきみが好きだ
だけどそんなことよりも
僕を愛するきみが好きだ
(僕を愛するきみを愛する)
抱きしめる時の
きみの鼓動が好きだ
言葉はなくても
僕を思うきみが好きだ
いつだって素晴らしい
きみの触れ方が好きだ
だけどそんなことよりも
僕を愛するきみが好きだ
(僕を愛するきみを愛する)
キスをする時の
きみの目の閉じ方が好きだ
きみのもとを離れている時に
寂しがるきみが好きだ
いつだって素晴らしい
きみの触れ方が好きだ
だけどそんなことよりも
僕を愛するきみが好きだ
(僕を愛するきみを愛する)
僕を強く抱く時のきみが好きだ
(僕を愛するきみを愛する)
僕の手を強く握る時のきみが好きだ
僕をじらすきみ 甘えるきみ
僕を愛するきみが好きだ
僕を愛するきみが好きだ written by Barry Mann/Larry Kolber(aka Kolberg)
けれんたっぷりのイントロからフェリーならではのキャンプ感覚を感じさせる名バージョンだと思います。こうやって歌詞をあらためて読んでみるとまるでフェリーのために書かれた曲のような気がしてきます。シンプルに”君が好きだ”じゃなくて”僕を愛する君が好きだ”というのがなんともナルシシズムを感じされると思わないでしょうか?”君が僕のことを愛していることを一番理解しているのは世界中でこの僕ひとりだよ。そう、そんな僕って素敵でしょ、だから僕のこといつまでも愛しておくれ、世界中で一番素敵な僕のことをね、いいだろ(by加山雄三)”みたいな、ねっ。
ご存知の方も多いかもしれませんが、この歌のオリジナル・ヒットは61年にパリス・シスターズが歌ったヴァージョンで全米5位の大ヒットとなっています。
The Paris Sisters - I Love How You Love Me
パリス・シスターズのヴァージョンをあらためて聴くと歌詞がフェリーのヴァージョンと基本的に同じなんですね。僕はてっきりフェリーのヴァージョンは男が歌うように歌詞を修正しているものと思っていました。欧米では日本のように女の気持ちを歌った歌詞を男がそのまま歌う「女歌」みたいなスタイルは基本的に無いみたいですからね。必ず人称などを変えて歌手と歌詞を一致させることになっています(Ex カーペンターズの「涙の乗車券」等)。そうすると気になるのが頭の歌詞"I love how your eyes close, Whenever you kiss me."で、これを聞いて”ん?”と思ってしまわないでしょうか?
キスする時に目を閉じるのは女の子と相場が決まっている(違うんですかね)のでこの歌詞を女性が歌うとなんとも違和感を感じてしまいます。歌詞全体もどっちかといえば男からの視線で書かれている気もします。何故なんだろうと調べてみると実はこの曲は最初トニー・オーランドのための曲を考えていたラリー・コルバーがレストランで閃きナプキンに5分で書きあげたものだったようなのです。
最終的にオーランドはこの曲を歌っていないようなのですが(未確認です)、アルドン・ミュージックのオフィスでこの曲を見つけた若きフィル・スペクターはアップ・テンポでアレンジされたこの曲を「逢ったとたん一目惚れ(To Know Him Is To Love Him)]のようなスローにリアレンジし女性に歌わせることを思いつきます。そしてパリス・シスターズを使い録音されたこの曲は大ヒットを記録しています。
元々男性歌手用に作られたので男視線なのは分かりましたが、今度は何故スペクターは歌詞をそのままにパリス・シスターズに歌わせたのかという新たな疑問が生まれてしまいました(笑)。
違和感と言えばフェリーのヴァージョンの「わすれたいのに」というタイトルと歌詞の内容にも違和感がありますよね。
ネットで検索したのですがパリス・シスターズのヴァージョンには邦題はついていなかった、ひょっとするとシングルとしては発売されていなかったものと思われます。「わすれたいのに」という邦題が定着したのは68年にモコ・ビーバー・オリーブのシングルとしてカヴァーした時にこの邦題を使用したからです。
モコ・ビーバー・オリーブ/わすれたいのに
-
わすれたいのに
あなたのことは思い出しても苦しいだけね
いつか恋の夢も消えてひとり残る涙の中に
思い出だけが昨日のように私を呼ぶの
けれど今はすべておわり
ひとりぼっちのわたしがいるの
わすれたいのあなたのことは
思い出しても苦しいだけ
いくら涙を流しても
あなたはもどってこない
涙がむだになるだけ
いつか恋の夢も消えてひとり残る涙の中に
わすれたいのに
わたしは何故かあなたを呼んでいる
いついつまでも心の中で
わたしは何故かあなたを呼んでいる
いついつまでも心の中で
わたしは何故かあなたを呼んでいる 訳詞 オクヤマミチノブ
オクヤマミチノブ氏による訳詞(じゃなくて作詞ですねこれは)を読むと確かにタイトルは「わすれたいのに」以外ないですね。
モコ・ビーバー・オリーブのプロデュースを行なったのは洋楽ポップス・ファンだったらお馴染みの朝妻一郎さんです。今ではフィル・スペクターと言えば大瀧詠一師匠みたいになっちゃっていますが、師匠の師匠筋にあたるのが朝妻さんで、朝妻さんなくしては『ロンバケ』は生まれなかったというくらいの方でスペクター研究の第一人者でいらっしゃいます。なのでモコ・ビーバー・オリーブという和製ガール・グループにフィル絡みの曲を歌わせるのは分かるのですが、何故に歌詞をこうも変えてしまったのでしょうか。曲調に合っているのは日本語詞のような気もしてしまうので良い詞だなぁとも思います。ちょっと「イエスタデイ」を思い出させたりします。
日本語ヴァージョンを由紀さおりも今話題のアルバム『1969』でカバーしています(68年の曲なのにね)。20代のモコ・ビーバー・オリーブが歌うのと60代の由紀さおりが歌うのでは歌の向こうに見えてくる風景のようなものが全然違いますね。こういうのが「歌」の面白さでもあります。
由紀さおり/わすれたのに
この歌と「イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?」(リーバー/ストーラー作)が個人的にはお薦めです。いいアルバムです。
愚かなり、わが恋/ブライアン・フェリー
¥1,800
Amazon.co.jp
コンプリート・フィル・スペクター・セッションズ/パリス・シスターズ
¥2,415
Amazon.co.jp
わすれたいのに(紙ジャケット仕様)/モコ・ビーバー・オリーブ
¥2,300
Amazon.co.jp
1969/由紀さおり
¥3,000
Amazon.co.jp
ねぇ ねぇ ねぇ
Hotwax presents Girls,It ain’t easy 1970’s
12月14日のビクターの70’sアイドル・コンピレーションについて書いたエントリーにaogakiさんから
>ジャケット写真見ただけですが、なんか凄そうなラインナップですねー♪
この中だったら、森まどかの「ねえ・ねえ・ねえ」が気になります。
というコメントをいただきました。森まどか!このコンピを買ったのは先のエントリにも書いたビーチボーイズ参加の「波乗りパイレーツ」が一番の目当てだったのですが、実を言いますと裏のお目当てはaogakiさんも気になったという森まどかの「ねぇ、ねぇ、ねぇ」でした。ちょっと遅れましたが今日はそのへんを・・・
森まどか/ねぇ、ねぇ、ねぇ
-
調べて見ると森まどかは77年のポプコンにピクルスというコーラス・グループの一員として参加し譜面応募曲「蒼い炎」のソロ部分を歌いスカウトされ翌年「ひまわりの夏」という曲でビクターからデビューしています。ポプコンでの独唱が認められたというデビューの経緯も納得できる歌唱力をもったアイドル歌手なのですが、この79年の2ndシングル「ねぇ、ねぇ、ねぇ」はなんと14才の時の録音ということですからたいしたもんです。
森まどかはアイドルとしては大成できませんでしたがその歌唱力で現在も演歌や昭和歌謡を歌う歌手として音楽活動を続けているみたいです。(→オフィシャルHPはコチラ)
さて、問題なのは森まどか本人ではなくて楽曲の方なんです。森まどかや「ねぇ、ねぇ、ねぇ」というタイトルは知らなくても”あれっ、この曲どこかで聴いたことあるゾ”と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。そうですこの曲ですね。
小泉今日子/私の16才
-
82年3月21日発売の小泉今日子の記念すべきデビュー・シングル「私の16才」です。そうなんです実はキョンキョンのデビュー曲はカバー曲だったんです。森まどかがほとんど売れていなかったこともありデビュー当時その件についてあまり語られることもなかったので僕も後から知ったことでした。歌詞は同じですがタイトルが変更されているのは恐らくは同じビクターから前年の10月の松本伊代のシングル「センチメンタル・ジャーニー」がデビュー曲にしてスマッシュ・ヒットとなったせいではないかと思います。”伊代はまだ16だから”というアレです。曲についてはイントロから何からアレンジがほとんど同じに聴こえて、同じビクター発売ということでひょっとして森まどかのオケの使い回しか?と思いましたが、よく聴くと違いますね。さすがにそこまでのリサイクルはしないか。
それにしても2年前の楽曲を何故小泉のデビュー曲として選んだのでしょうか。14才の森が持ち前の歌唱力で歌いきった世界、何度も出てくる”ねぇ~”への感情の込め方を聴けばタイトルは「ねぇ、ねぇ、ねぇ」だろ、を失礼だけど歌唱力の劣る小泉がしかも16才で歌うっていうのは後退以外のなにものでもないんじゃないのか。(小泉に対しひどいこと書きましたが、念の為に言うときますと僕は小泉のアナログ・シングルをコンプリートに持っている小泉ファンです)
ひとつ言えるのは82年という年は後に「82年組」と言われるアイドル豊漁(前年デビューですが松本伊代、小泉、堀ちえみ、中森明奈、早見優、石川秀美・・・)の年でアイドルという概念に大きなパラダイム・シフトが起こった年だったということです。乱暴にいってしまえば歌唱力もあって可愛いアイドル(麻丘めぐみ、キャンディーズ、ピンクレディー、岩崎宏美、松田聖子、河合奈保子etc)から歌唱力があってもなくても可愛くてバラエティもこなせてというキャラ立のアイドル(ルーツはキャンディーズか?)が主流となり、おニャン子へと至っていきます。
ということで歌ではなく可憐な”16才”というキャラ立でデビューさせたということなのかとも思うのですが、続く2ndシングルが「素敵なラブリー・ボーイ」だったってことを考えると単純に制作サイドが小泉がトップ・アイドルになるとは考えていなかったのではないかという疑惑も膨らみます。
小泉今日子/素敵なラブリー・ボーイ
-
作詞:千家和也、作編曲:穂口雄右というキャンディーズの「年下の男の子」コンビの作で弾けるポップな楽曲なのですがいかんせん82年にしてはちょっとアナクロな曲調です。それもそのはずでこれも75年の林寛子のカバーだったのですから。
林寛子/素敵なラブリー・ボーイ
-
カンコのヴァージョンはオケはそのまんまでキャンディーズが歌ってもいいようなアレンジですね、この頃の穂口さんはやっぱキャンディーズのイメージです。これまた歌唱力のあるカンコの歌により完成されたヴァージョンなのにまたまた歌唱力の劣る小泉に歌わせなくともと思います。
とまぁ否定的に書いちゃっていますが、それは後から冷静な気分で元歌とカバーを聴き比べて思うだけで、当時TVに出てきて歌う小泉、否キョンキョンを見ていた時にはオリジナル曲だとばっかり思っていたし、なんてったって脳内は今で言う”カワユス”だけが充満し歌唱力なんて・・・
その”カワユス”視線からすると歌唱力なんて無いほうがより”カワユス”と思えてきたりしたものです。この辺の感情は石野真子あたりから感じていたのですがキョンキョンで完全にパラダイム・シフトした感があります。
ちなみに「素敵なラブリーボーイ」のシングルは最初地味目の水着姿のジャケだったのですがセカンド・プレスからはバストを強調したジャケに差し替えられました。売上を伸ばそうという戦略なのですが見事にひっかかってしまいました、だってね男ですもん。
とはいえ小泉って可愛いんだけどちょっと地味目な感じでようやくオリジナル曲で出された3rdシングルの「ひとり街角」や4thの「春風の誘惑」もファンだけが注目といった感じだったような気がします。
小泉今日子/ひとり街角
小泉今日子/春風の誘惑
小泉のすごかった所はどうみてもブレイクのためのバック・アップ体制が十分でない状況を自分でブレイク・スルーしてしまったところです。それはデビュー時からのアイドルの常識であった聖子ちゃんカットをばっさりと切ってしまったことです。次作の「真っ赤な女の子」に合わせて切ったと記憶されている方もいるでしょうが動画を見ていただければお分かりのように、実際は「春風の誘惑」の時に突然ショートになっちゃったんです。スタッフは困ったでしょうね聖子ちゃんカットのイメージで曲作りや衣装を決めていたのが全てパーですから。
結果的に小泉の暴走に引きずられる形でショート・カットに合わせて作られたのが「真っ赤な女の子」だったんじゃないでしょうかと思うのですが。ただ作曲が筒美京平さんということでビクターも結構本気になっているところをみると(徐々にですが売れてきてましたからね)髪ばっさりもなんらかの仕掛けがあったのかもしれませんけど。とにかく見事なイメチェンでした。
小泉今日子/真っ赤な女の子
PS.”聖子ちゃんカット”をばっさりと書きましたが当の松田聖子自体が82年4月発売の「渚のバルコニー」でばっさりやっていますから、追随と言えなくもないですね。
PR: ヘーベルハウス都市型住宅カタログプレゼント中
ナイアガラーの皆様へ業務連絡 ラジオ・デイズ大滝詠一的2011 2/3 アップされました
ラジオ・デイズによる大瀧詠一師匠を囲んでの鼎談の第2回分がアップされました。
ダウンロードはこちらから→大瀧詠一的2011(2/3)
大阪都構想の話から始まり、野球の話、伊藤銀次の乱入、相撲についてのとんでもない薀蓄から導き出される日本人にとっての神とは、実に興味深く為になる45分間です。
Baseball Crazy
ナイアガラ・カレンダー 30th Anniversary Edition/大滝詠一
¥2,100
Amazon.co.jp
1966年12月31日(土)のビーチ・ボーイズ
英国メロディ・メイカー誌の「ポップ・アルバム・オブ・ジ・イヤー」に『ペット・サウンズ』と『リボルバー』が選ばれる。__
本来ならば一作品に絞られるところで、議論に議論を重ねたが合議に至らず、二作品への投票で決めることになったが票はまっぷたつに割れ、結局二作品を選ぶという前代未聞の結果となった。
”素晴らしい前作に続き、ビートルズは今回も彼らの新たな名曲「エリナー・リグビー」を含んだ、これも最高傑作『リボルバー』を生み出した。「タックスマン」の皮肉なユーモアに始まり、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の奇抜さや逆回転テープに至るまで、どのトラック1つとっても、そこには何か新しい要素が見られる。
一方ビーチ・ボーイズからは、夏の間にサーフィンU.S.A.サウンドから一転した新しいサウンドが、『ペット・サウンズ』と共に届けられた。ブライアン・ウィルソンによる作曲やプロデュース作品を集めたこのアルバムは、あまりにオリジナリティ溢れた画期的なアルバムだったため、イギリスではすぐのリリースを差し控えていた。しかし、ウィルソンのファンからの講義が高まる中、これまでポップ・ミュージックでは聴かれたことのない壮大なオーケストラ絵巻が、私たちのもとに運ばれたのである。”
全英チャートで2位まであがり、MM誌のアルバム・オブ・ジ・イヤーにまで選ばれる作品なのにサウンドが”画期的”すぎるためにリーリースが一旦見送られてしまっているあたりが悲しいです。ビートルズの場合はどんなに画期的な内容であろうと問題なく前向きに受け取られていたのとはかなりの温度差があった気がします。
ところで、僕がビーチ・ボーイズを聞き出した70年代『ペット・サウンズ』が『リボルバー』と並ぶような評価をされたアルバムであったという情報は黙殺されていたような印象があります。ビートルズについては73年に出た『赤盤』『青盤』がありましたが個々のオリジナル・アルバムもきちんと評価され「買うべき」アルバムとしてユーザーにリコメンドされていました。ところがビーチ・ボーイズの場合は雑誌などでリコメンドされるとしたら74年にでたベスト・アルバム『終わりなき夏』くらいで、オリジナルで紹介されるとしたら『ペット・サウンズ』より波乗りの写真がジャケの『サーフィンU.S.A.』がリコメンドされていた記憶があります。あくまでサーフィン・ミュージックのバンド、それ以上でも以下でもなかったということでしょう。実際に中学、高校時代に通ったレコード店のエサ箱の中でベストや『サーフィンUSA』を見つけても『ペット・サウンズ』を見た記憶がありません。
ですから、当然ビーチ・ボーイズに対する僕の評価も「ベスト盤を聴いとけばいいオールデイズ・バンド」程度のもので、ビートルズに対する「ロックの元祖」(厳密には違うんですけど・・・)という評価とは大きな違いがありました。なので以前にも書いたようにポール・ウィリアムズの評論集「アウトロー・ブルーズ」を読んだ時に”なんでビーチ・ボーイズのことをこんなに評価してんだ、この人?”と思ったのでした。
音楽自体は昔も今も変わらないのにね、聴く側の変化によって評価が大きく変わってしまう。まぁこれは音楽だけじゃなくて、すべて神のみぞ知ることかもしれません。
Beach Boys/God only Knows
ということで2011年最後もビーチ・ボーイズで締めさせていただきました。皆様今年も拙ブログ「鳥肌音楽」をご愛顧いただきありがとうございました。2012年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願い致します。
では、よいお年を。
大滝詠一/お正月
Pet Sounds/The Beach Boys
¥1,475
Amazon.co.jp
京都大学小泉今日子事件について
30日のエントリ「ねぇ ねぇ ねぇ」にいただいたまーしーさんのコメントにある京大でのキョンキョンのイベントの件、ちょっと長くなるのでコメ返しではなく別エントリとさせていただきます。
その前に「素敵なラブリー・ボーイ」のセカンド・プレスのジャケが好評だったので、おまけのピン・アップをサービスで。
京大グラウンドでの小泉今日子のイベントについてググッってみたら京大新聞のダイジェストが見つかりました。
小泉今日子コンサート中止 京都大学新聞(82年11月16日付)
《11月21日、吉田グラウンドの11月祭のお祭り広場で、4時から予定されていた、アイドル歌手、小泉今日子さんのコンサートにファンが殺到し、危険を感した主催者が中止を発表したところ、怒ったファンが暴れ、舞台、PAなどを壊す騒ぎになった。
このコンサートは「アイドル研究会」が主催したもので… ところが前日からファンが百人泊り込むど、続々とグラウンド内人が集まり出し、間始2時間前には予想を上回わる一万人余のファンがつめかけ、11月祭事務局の話によると「人波が揺れ出し、女の子の悲鳴が聞こえてきた」状態だった…もともと、アイドル研究会は小泉今日子さんのプロダクション、ファンクラブの関係団体で11月祭での小泉今日子さんのコンサートをするためにつくられたものである。最近、大学祭は新入歌手キャンペーンの絶好の場となっているが、ブロモートの効果を狙うあまり主催者(アイドル研)は野外コンサートの運営に甘さがあったと思われる》
以前どこかのエントリに書いたかもしれませんが、まーしーさんと同じく僕も当日京大のグラウンドにいました。後にテレビマン・ユニオンのプロデューサーとなる田口賢二と一緒に開始の1時間くらいまえからグラウンドに行っていたと思います。記事では1万余が集まったと書かれていますがそんなに多くは無かったと思うのですが、3,4千人くらいじゃなかったのかな。当日の説明ではグラウンドのイベントの前に学内の教室でイベントがあったのですが、そこがかなり混乱したためにステージは中止するといったものだったと記憶します。
>11月祭事務局の話によると「人波が揺れ出し、女の子の悲鳴が聞こえてきた」状態だった
僕と田口のふたりはステージからちょっと離れたところにいたのでステージ前の状態は分かりませんが、女の子の悲鳴なんて聞こえたかなぁ・・・まーしーさんはどうでした?
>アイドル研究会は小泉今日子さんのプロダクション、ファンクラブの関係団体で11月祭での小泉今日子さんのコンサートをするためにつくられたものである
これは知りませんでした。新人とはいえそこそこ名の売れたアイドルを呼ぶなんて京大もやるなぁと思っていたのですが、そういう仕掛けがあったんですね。ということであれば教室のイベントが混乱とか人が集まりすぎて危険とかいった事務局の発表もそのまま鵜呑みにはできませんね。以前京大西部講堂でのポリス事件について書いたときにもあったように京大もまだまだ自治会の力が強く「商業主義」が学内に持ち込まれることを強く拒否していたわけですから、プロダクションの息のかかったサークルによるプロモーションであるイベントが許されるわけはないでしょう。きっと教室でのイベント時にスポーツ新聞記者がいたとか何とかトラブルがあってダミーのサークルであることがバレてしまいイベントが中止となったということではなかったか。
そんなことも知らず、中止の報を聞き帰ろうとする僕の横で田口賢二はどこで見つけたのか、グラウンドにはあるはずもない石をステージに向けて投げつけていました。アホかこいつと思ったのですが、後年新人類3人組の一人として小泉のビデオに登場しているのを見つけた時は”あぁ、ああいうアホ・パワーが無ければこういうとこにはいけへんのやなぁ”としみじみ思ったものでした。
なんてったてアイドル
懐かしいですこのPV。レーザーで持っていたんですけど見れないからなぁ今は。しかし「わたしの16才」という控えめなアイデンティティ・ソングでデビューした<キョンキョン>が「なんてったってアイドル」という究極のアイデンティティ・ソングを歌う<コイズミ>に成長するとは誰が想像しえたでしょうか?
30日に放映された「踊る大捜査線3」で日向真奈美を演じる小泉を見ながらこれがあのキョンキョンかとまたまた驚かされています。いったいこの人どこまでいっちゃうんでしょうか。ちょっとレクターっぽすぎる気もしますが・・・
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
2012年も拙ブログ「鳥肌音楽Chicken Skin Music」をご愛顧のほど宜しく御願い致します。
年明け一発目は小泉今日子の京大での事件のエントリをアップしてしまいましたが、本来はこちらが第一弾のはずでした。毎年恒例の干支絡みの一曲を今年もお贈りしたいと思います。
今年は辰年ですので辰=竜にちなんだ歌を。昨年ブライアン・ウィルソンが『イン・ザ・キイ・オブ・ディズニー』という素晴らしいカバー・アルバムを発表いたしました。残念ながらその中には収録されていませんでしたが僕がディズニー作品の中で最も大好きな曲です。
It's Not Easy
邦題は「それはむずかしい」、”なんやねん「竜」と関係ないやんけ”と思われるかもしれませんが、ディズニー絡みということでもちろんこの曲も劇映画の挿入歌でして、その映画というのが「ピートとドラゴン」(原題:Pete's Dragon)といいます。「竜」絡みでしょ。
CDの出はじめの頃に買ったディズニーのベスト盤の中にこの曲が入っていて一度聴いただけでお気に入りのナンバーになったのですが、その時には「ピートとドラゴン」という映画を知りませんでしたし、歌っている歌手についてもクレジットが無く知りませんでした。数年前にリサイクルショップでたまたま「ピートとドラゴン」のビデオを見つけ(出てたんですね)て早速観てみたのですが、配役を見てびっくり、ピートの教師役でヘレン・レデイの名前が。そうなんです「それはむずかしい」を歌っていたのはヘレン・レデイだったのです。何故かちょっと得した気分になりました(笑)。
「竜」の曲をもう一曲。たぶん「竜」と聞けばこちらを思いだされる方は多いと思います。
Peter Paul & Mary / Puff The Magic Dragon
由紀さおりとピンク・マティーニの話題のアルバム『1969』でもカバーされていたピーター・ポール&マリーの「パフ」です。邦題では「パフ」と短縮されていますが原題は「Puff The Magic Dragon」です。魔法の国ハナリーのドラゴン<パフ>と幼子<ジャッキー・ペーパー>の友情が歌われますが不老の<パフ>に対し<ジャッキー>は成長し、いつしか魔法の国へ訪れることもなくなりドラゴン<パフ>との友情のことも忘れてしまいます。大人になることで失ってしまうものについて歌われているちょっぴり切ないナンバーです。ヒットした後にドラッグ・ソングだという噂が流れますが、深読みのしすぎだと思います。
「竜」からは離れますが「パフ」を聴くとこの歌を思い出してしまいます。
大滝詠一/スピーチ・バルーン
「パフ」と「スピーチ・バルーン」については過去記事をお読みください→「思い出のブラス・バンドが耳元すぎる・・・ ロンバケ再訪その3」
おまけ
キャプテンことダリル・ドラゴンとキャサリン・テニールのおしどりコンビによる全米NO1の「愛ある限り」をどうぞ。
Captain & Tennille 1975 Love Will Keep Us Together
それでええんか
年末年始酔っ払いながらTVやラジオを視聴していて思わず”それはないやろ”とぼやいてしまったことを2つ3つ。
まずは「紅白歌合戦」から。といっても大晦日の夜はほとんど「ガキ使スペシャル!!」を観ていたのですが、愛菜ちゃん&福くんのとこだけチャンネルをNHKに。二人は紅組でも白組でもない特別枠での出場でヒット曲「マルマルモリモリ」を熱唱(?)、それで終わりかと思っていたらミッキーマウスはじめディズニーのキャラクターが大挙して現れ司会の嵐も加わり「星に願いを」「小さな世界」を歌い踊るというスペシャル・コラボ・・・
と、ここで思わず”なんでディズニーやねん!ていうかNHKよこんなん出してええんか”とつっこんでしまいました。
全盛期の勢いは無いにしても未だ40%を超える視聴率、NHKの代名詞ともいうべき紅白に一私企業のキャラクターが大挙して出るっていうのは、それでいいのかNHK!細かく見ていなかったのですが、スティッチも出てたのかな?スティッチは昔テレ東で放映されていたみたいなので、他局のアニメ・キャラがOKならピカチュウやアンパンマンやどらえもんやしんちゃんや何でも出てええんちゃうの?どこで線を引くねん。
気になって「NHK ディズニー」というキーワードで検索してみたらやっぱり原則的には「ディズニー・ランド」という言葉はNHKではNGのようですね。ただ企業名に対する自粛もかなりゆるくはなってきているようです。「小さな世界」なんてのはディズニー・ランドのアトラクションのテーマ・ソング、言うてみたらCMちゃうんかいと思いましたが「マルマル・モリモリ」もドラマ主題歌ですしね、タイアップ付きがダメというタブーはとうの昔になしくずしになっていますもんね。にしてもディズニーなんていうアメリカの企業を出演させるくらいなら日本発のキティちゃんとかにせーへんかいとも思います。あっディズニー・ランドも日本企業か。
TOM WAITS / HEIGH-HO
ところで「NHK ディズニー」で出てきた検索結果の中にちょっと古い話題ですが、こんなものがありました。
映画「アトランティス」が、数年前にNHKで放映されていた「不思議の海のナディア」の盗作
2001年のディズニー映画「アトランティス」が90年にNHKで放映された「ふしぎの海のナディア」をパクっているのではないかというものです。両作共にベルヌの「海底二万哩」をベースにしているので大まかなストーリーなどが似るのはありえるでしょうが、引用した比較を見ると細部での類似点が多過ぎると思います。
知らなかったのですが「ナディア」の原案は元々は宮崎駿監督がNHKに持ち込んだもので、その時にはNHKはアニメ化を見送ったため宮崎監督は設定を替えて「天空の城ラピュタ」を作ったということのようです。そしてその後宮崎監督の原案を元に庵野秀明がアニメ化、ヒロインが不思議な力を持つペンダントを持っているという共通点がるのも原案が同じだからなのですね。このヒロインは「海底二万哩」にはないキャラで完全にナディア・オリジナルなのですが「アトランティス」のヒロインが似ているのもディズニーに言わせると偶然の一致だということみたいです。
ほんとディズニーって嫌な会社です。って、あれNHKに物申してたはずなのに、まっいいか。
続いては元旦に聴いた山下達郎のサンデイ・ソング・ブック。SBBは放送開始から19年間ずっとジャックス一社にスポンサードによる番組として続いてきました。しかしながら、どのような事情があるのかは知るところではありませんが2011年いっぱいをもってジャックスはスポンサーを降板することとなり、元旦の放送はあらたに新スポンサーによる放送となりました。事前にスポンサー名は明かされていなかったので果たしてどこが?と興味津々でしたが、まさかのTSUTAYAでした。
本日よりスポンサーが変わります。新しいスポンサーとなりました。なんと、TSUTAYAさんがスポンサーについて下さいました。
しかもですね、我々の年代のために昨年オープンしたばかりのですね代官山蔦谷書店。広大なところに、様々がカルチャーがある場所ですが。私もここ、拝見しましたが。代官山蔦谷書店提供のサンデーソングブックとなります。ジングルはTSUTAYAサンデーソングブックですが、いずれにしましてもですね、TSUTAYAさんがスポンサーに来るとは思ってもみなかったので非常に嬉しい驚きであります。
TSUTAYAさんはレコード、書籍、カルチャー一般のですね小売業者さんでございますのでですね。私も昔からTSUTAYAさんには、たくさんレコードでお世話になっております。今まで以上にですね、そういう意味ではスポンサーと番組が、ばっちり直結したものですので、この番組の、いわゆるオールディーズソング、CD紹介しますと、それがTSUTAYAさんに直接フィードバックするという、今まで以上にクロースなスポンサーが付いて下さいましたので、たいへん嬉しく思っております。
引き続き、何卒サンデーソングブック宜しくお願いします。
番組冒頭の達郎さんによるあいさつです。
>スポンサーと番組が、ばっちり直結したものですので、この番組の、いわゆるオールディーズソング、CD紹介しますと、それがTSUTAYAさんに直接フィードバックするという、今まで以上にクロースなスポンサー
はたして達郎さんが言っているようにTSUTAYAのスポンサードというのは番組にとってプラスに働くのでしょうか?
聴いたことのある方だったらうなづいていただけるでしょうが、サンデイ・ソング・ブックという番組は達郎さんが「非常にカルトな番組」と言っているようにかなり趣味性の高い番組だと思います。そんな趣味性の高い番組をジャックスが長きにわたりスポンサードしてこれたのは、ジャックスが音楽とはまったく関係のない会社だったからだと思います。音楽を知らないからCMの訴求効果が感じられる一定以上の聴取率さえ取ってくれてさえいれば番組の趣味性が高かろうが何だろうがOKですよということだったんじゃないかと想像します。
それがもし”この番組の、いわゆるオールディーズソング、CD紹介しますと、それがTSUTAYAさんに直接フィードバックする”つまりは番組でかかったCDがTSUTAYAの店頭に並ぶなんてことになった場合、今までのように聴取率さえキープしていればOKという訳にはいかなくなることは目に見えていると思います。最初はいいでしょうけど、紹介されたCDが売れ残ってきたら、”もっと売れるヤツを紹介してくれよ”という事になってくるかもしれませんが、もしそんな事で選曲が左右される(達郎さんの場合まずありえないことでしょうが)なんてことになれば、番組の魅力は半減してしまいます。
そんなことになる前にTSUTAYAにはスポンサーを降りてもらいまた音楽とは関係ない業種の会社があらたにスポンサーになってくれることを望みます。
JACCSカードCM-10年後の俺編
1967年1月3日(火)のスマイル
1967年1月1日(火) スマイル・セッション44/英雄と悪漢・セッション10
コロムビア・スタジオ Ast カリフォルニア州ロサンゼルス(6:00PM開始)
元旦の日までにはキャピトルの倉庫に見切り発車で発注された『スマイル』ジャケット・スリーブ46万6千枚と41万9200部のLPサイズのブックレットが届けられていました。
これによりキャピトルからの催促は一段と激しさを増すこととなります。アルバムが駄目ならせめて繋ぎのためシングルを発表してくれという再三再四のプレッシャーを受けたブライアンはアルバムのためのセッションを一旦ストップし「英雄と悪漢」のセッションに集中しようと試みます。
”あの時「英雄と悪漢」には全く頭を抱えてしまった。どうやって手をつけたらいいかも分からなかった。それでそのまま放ったらかしにしたんだ。”
Heroes And Villains:sessions 3/1/67
今回の『スマイル・セッションズ』にはスタジオでのブライアンの会話やメンバー、ミュージシャンたちへの指示する声が沢山入っています。セッションが開始された時期のブライアンは自信たっぷりという感じでしたが、この頃になるとそう思って聞くからか声に元気が無くなってきているよう感じられてしまいます。
それにしてもイニシャル(初回数のこと)から40万枚以上の準備っていうのは何のかんの言われながら人気は高かったことを証明していると思います。そりゃキャピトルのプレッシャーもきつくなりますわな。
スマイル・コレクターズ・ボックス/ザ・ビーチ・ボーイズ
¥20,000
Amazon.co.jp
Skating star Johnny Weir Married On New Years E
米ヤフーのトップを見ていたら表題の”Skating star Johnny Weir Married On New Years Eve”という見出しが目に入りました。
ウィアーくん今シーズンはお休みしていると思ったら密かに愛を育んでいたのですね。日本でも人気の高いスケーターなのでショックを受ける女性ファンも多いのだろうなぁと思いながらリンクされた記事をクリックしてみると。
コチラ→Skating star Johnny Weir Married On New Years Eve
わぉ!ウィアーくんの結婚相手は男性のようです。中性的で優しく繊細な身のこなしのスケーティングが魅力のウィアーくんでしたが、やはりゲイだったんですね。自叙伝でもカミングアウトをしていたようです。
公私共にハッピーと語るウィアーくん来シーズンはどんな滑りをみせてくれるのか楽しみです。
Johnny Weir Figure Skates To Lady Gaga's 'Poker Face' At 2010 Nationals
1967年1月5日(木)のスマイル
1967年1月5日(木) スマイル・セッション45/英雄と悪漢・セッション11
ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ 3st、カリフォルニア州ハリウッド(6:00-10:00PM)
前回のセッションでいちおう「英雄と悪漢」のパート1が完成したため、この日からはチャック・ブリッツをエンジニアに「英雄と悪漢」のパート2のインストゥルメンタル・トラックのためのセッションを行う。キャピトルはこれを見て1月13日の発売予定リストにカタログNO。57045として「英雄と悪漢パート1 C/Wパート2」を加えている、おいおい。録音に参加したのはライル・リッツ、ビル・ピットマン、ヴァン・ダイク・パークス。この日はビーチ・ボーイズのメンバーも全員参加。元々は「ドゥ・ユー・ライク・ウォーム」用だった”バイシクル・ライダー”として知られるパートのヴォーカル・コーラスを録音。最後にライル・リッツのファズ・ベースを加えてセッションは終了。
The Beach Boys - Do You Like Worms?
前回書き忘れていましたが、アメリカ陸軍より届けられた召集令状に対しカール・ウィルソンは良心的徴兵拒否を行なっています。当時のリベラルなミュージシャンたちに比べてビーチ・ボーイズにはノンポリなイメージを抱かれる方が多いかも知れませんが、コンサバであれリベラルであれラジカルであれ多くのアメリカ国民は徴兵というものによりベトナム戦争と向き合わなければいけないわけで、全くのノンポリいることなんて出来ないのが現実だったことと想像します。いやですね。
Jesse Winchester / Mississippi You're On My Mind
67年ジェシ・ウィンチャスターも良心的徴兵拒否を行い徴兵を拒否しカナダへ逃れます。故郷ルイジアナを流れるミシシッピーの事を思いながら歌ったナンバーで74年のアルバム『ラーン・トゥ・ラヴ・イット』に収録されています。
Learn to Love It/Jesse Winchester
¥983
Amazon.co.jp
ナイアガラーの皆様へ業務連絡 ラジオ・デイズ大滝詠一的2011 3/3 アップされました
連絡が遅れましたがラジオデイズによる大瀧詠一師匠を囲んでの鼎談「大瀧詠一的2011」の最終回分がアップされています。
ダウンロードはコチラから → 大瀧詠一的2011(3/3)
以下少し対談内容に触れます。ネタバレ嫌な方は読まずにダウンロードしてください。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
今回は大瀧師匠から嬉しい予感ならぬ嬉しい発表があります。まだNHKのHPにはまだ載っていませんが3月にFMで「大瀧詠一の日本POPS伝」の続編として「アメリカROCK史」「イギリスROCK史」という番組を5回くらいに渡り放送する予定だそうです。
今回は「日本POPS伝」のようにアシスタントの女の子に分かりやすく説明して聴かせるといった万人向けのものは想定しておらずかなりコアなものにするおつもりのようです。
大瀧 いやぁもう(アシスタントは)邪魔だからいい。
平川 邪魔っていうか、僕けっこう良かったんですけど。
大瀧 あぁ素人の人にはね、でもね合わしてるのはかったるい。だから分かんないやつは分かんなくていい。もうめんどくさいから。だからそういう人は知る必要がないんだと思って聞かないのが一番だと思うよ。万人に向ける必要ないんだよそんなもん、万人になんか誰がどうやって向くんだよ?その人が何か分かんないなぁとか、面白くないなぁってのは自分に必要ないことなんだよ。そんなもんに時間を割いているんだったらせっかく与えられた短い生命なんだからさなんか有効なもんに使った方がいいよ。
今年は新春放談がお休みでしたが、それに勝る楽しみが出来ました早く3月がこないですかね。あっ忘れていましたが30周年記念リイシュー、今年は『トライアングルVol.2』でボートラは『ロンバケ』で好評だったアルバムまるまる一枚の純カラCDがついた2枚組仕様になるようです。「A面で恋をして」については完全カラオケとコーラス入カラオケの2バージョン収録になるようです。ことらも楽しみです。
PS.
ウキウキWATCHING いいとも青年隊
しかし伊藤銀次の最も世間で知られたこの曲がハーマンズ・ハーミッツの引用だったとは。言われてみればそうなのですが、言われなきゃ気づきませんでした。
Herman's Hermits /Mrs. Brown, You've Got a Lovely Daughter
ナイアガラトライアングル vol.2 30th Edition/ナイアガラトライアングル 佐野元春 杉真理 大滝詠一
¥2,625
Amazon.co.jp