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ポール・スミス京都三条店

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昨日のカット・ショップ・ビートルズについで本日も街角シリーズで。ところでカット・ショップって言い方って一般的なんでしょうか。床屋や理容室の場合サロンみたいな言い方が普通のような気がしますが、はたして。

今日の物件は京都の三条通を烏丸通りから河原町通りに向かって歩いてる途中で見つけたものです。世界的なブランドのショップですので何をいまさらと言われそうですが、なにげに街並みを眺めながら歩いていてこのショップに気づいた時には「やるな」と(お前何様や)ほくそ笑んでしまいました。

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ポール・スミスの三条店です。個人的にはお店の中にまでお邪魔することはまずないであろうお店で、考え事をしていたら多分気づかずに通り過ぎていたと思います。それほどに街並みにとけこんでいる感じがする外観で、おそらくは昭和初期とかに建てられた商店かなにかをそのまま利用して赤いドアと「Paul smith」の電光管以外はほとんど昔の外観のままじゃないかと思います。近所にはハイテックな作りのブランド・ショップもありますが、街並みにはやはりこちらの方が馴染んでいます。

ウィキを見るとポール・スミスの服は“ひねりのあるクラシック”をスローガンとすると書かれていましたが、ちょっと納得してしまいました。京都はポール・スミス(社長)のお気に入りらしく三条店のデザインなど直接的な指示もだされていたのだとか。

ということで今日はポールさんの音楽をいくつか。

まずは世界一有名なポールさんといえば、やはりこの人ポール・マッカートニーさんじゃないでしょうか。いまだにソフト化されない「ジェイムズ・ポール・マッカートニー・ショウ」から生ギターの弾き語りによるメドレーを。「ブルーバード」で写真を撮っていたリンダがポールに合わせてハミングするあたりに2人の仲睦ましさを感じてしまいます。「ミッシェル」は歌い出しの前にバースをつけているのが新鮮、原田真二の「キャンディ」への影響はよくわかる弾き語りです。

Paul McCartney - [Medley] Blackbird/Bluebird/Michelle/Heart Of The Country


こちらのポールさんも有名ですね。S&G時代の曲をこちらもアコギの弾き語りで。哀愁味を帯びたメロディが胸をうつのですが、「早く家へ帰りたい」という名邦題のおかげも大きいですね。

Paul Simon "Homeward Bound" 1975


「ダイアナ」のカバー・ヒットもあって日本ではひょっとしたらプレスリーより人気のあったポール・アンカのメドレーです。最後の「史上最大の作戦のテーマ」に、そういや映画に出ていたなぁと思い出しました。金曜ロードショーで見たよな確か。

Paul Anka medley 1966


ポールとポーラさんということで選んだのですが、もちろん曲に合わせた芸名で2人の本名はレイ・ヒルデブランドとジル・ジャクソンというのだそうですが、なんとなく本名でシングル出してたらヒットしてなかったような気がします。この歌も田辺靖雄と梓みちよが歌って当時4歳か5歳の僕でも知ってるくらいに日本でも大ヒットしています。なんですが、最近はちょっと忘れられがちな曲のような気もします。

Paul & Paula - 'Hey Paula' and other songs


ピーター・ヤーロウのフル・ネームは知っていましたがポールさんの名前が ノエル・ポール・ストゥーキーとは知りませんでした。お恥ずかしい・・・。

Peter, Paul, And Mary ~ Live ~ Puff The Magic Dragon ~ 1965


マイケル・ブルームフィールド、エルヴィン・ビショップを擁してギンギンのブルース・ロックを展開した有名なバターフィールド・ブルース・バンド(BBB)の次にポール・バターフィールドが組んだのがベターデイズでした。ロック正史の中での重要性はBBBとは比べ物にならないほど低いのですが、エイモス・ギャレットという唯一無比のギタリストがいるために日本ではBBB以上に人気があるのが面白いところです。

時々、一日中エイモスが参加した曲ばかり聴いてぼーっとすごせたら素敵だろうなと思うことがあります。

Paul Butterfield's Better Days - Please Send Me Someone To Love


最新のライヴ映像見ながら、お腹の出た中年オッサンがいうのもなんなんですが、ポール・ウェラーって1級上の割には顔が老けてんなーという気がしてしまいました。体が筋肉ムキムキでお腹も出ていないから余計にフケ顔が目立つよなーと。おっと音楽と全然関係ないこと書いてしまいましたが、ウェラーにはいつまでも熱血美少年でいて欲しかったなぁ。

Paul Weller My Ever Changing Moods Isle Of Wight 2013


元々子役だったこともあり、シンガー・ソング・ライターになったあとも個性的な役柄で映画に登場していたポール・ウィリアムスですが、まさかジョニー・カースン・ショーで当時出演していた「最後の猿の惑星」の特殊メイク姿のまま歌っていたとは。場内から時折苦笑が聞こえるのですが、お客さんもどう反応して良いのか困りますよね。けっこうめんどくせぇ人なんかもしれないですね。

Paul Williams Comes from the Planet of the Apes Set on Johnny Carson


最後のポールさんも有名です。ギターを弾こうと思ったことのある人だったら本人は知らなくても名前は知ってたりすることでしょう。ギブソンのレスポールを開発者として名前を残し、94歳で亡くなる直前まで演奏を続けたギタリストの中のギタリストでした。長年ギターを引き続けた右手は肘を曲げた状態のまま伸びなくなっていたというエピソードには驚きというより呆れてしまいます。

では、秋の夜長にぴったりの曲で締めたいと思います。RIP。

Les Paul - Sleepwalk

青くなって 尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい

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国語の問題さ出すべ

積極的
進んでことをしようとするさま。物事に、肯定的で、能動的な様子。(日本国語大辞典)

平和主義
戦争や武力行使や暴力に反対し、個人や組織や国家の紛争の解決を求める手段として、例外を認めない絶対的な非暴力・非軍事力により、平和の追求や実現や維持を求める思想のことである。(ウィキペディア)

この二つさ むすびづくど

積極的平和主義
日本の防衛能力の向上に加え、日米同盟を強化し、米国以外の関係国との連携も拡充する必要がある。それには集団的自衛権の行使を可能にすることが急務だ。
例えば、日本の海上交通路(シーレーン)の安全確保のため、自衛隊がペルシャ湾で機雷を除去することが想定される。アフリカで再び邦人が人質になれば、自衛隊を派遣する可能性もあろう。
(9/27 読売社説)

じぇじぇじぇ。
おらの国語力じゃ、180度意味が変わっている気がするけんど、
言葉のマジックけ、あんべちゃん?

加川良/教訓1


青くなって 尻込みなさい
逃げなさい 隠れなさい

お国は 俺たち死んだとて
ずっと 後まで残りますよね
失礼しましたで終わるだけ
生命のスペアはありませんよ


この歌は消極的なのが それとも積極的なのが?
おらは落武者にはなりだくねぇぞ。

ザ・クラッシュ/憎悪・戦争


憎悪・戦争 きょうび そんなことばっかりだ

Nick Lowe - Whats So Funny About Peace Love & Understanding


愛と平和と理解しあうこと そんなにおかしなことかい?

Glen Campbell - Galveston


Mississippi You're on My Mind - Jesse Winchester (Learn to Love It LP)


たれか こきょうを おもはざる・・・

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トラぬたぬきの皮算用

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試合終了後の桧山コールが全てを物語っていました。

結局2試合で阪神ファンがカタルシスを感じたのは桧山の一発だけ。まぁそれも前の回に西岡がゲッツーになっていなければ、満塁で桧山→ホームラン→同点なんていう「もし」を思い描かせて悔しさの倍返しを感じてしまったりもするが・・・。

マエケンに晋ちゃんをぶつけるというのは、いろんな考えがあったのでしょうが、僕には和田監督の逃げにしか思えなかった。能見を使わずに負けたという後悔だけが残ったCSでした。

広島には阪神戦をバネに巨人を打ち破っていただきたい、今の阪神じゃ勝てなかったでしょうからね。

4+20


結局、普段以上の力をだせたのが代打桧山だけじゃ勝てんわなぁ

どかーんと一発 やってみようよ

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米英の無人機攻撃、民間人479人犠牲 国連依頼で調査

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【ニューヨーク=春日芳晃】潜伏するイスラム過激派を殺害するとの名目で米英軍などが実施した無人飛行機による攻撃で、パキスタンなど3カ国で少なくとも2004年以降、民間人479人が犠牲になっていることが、国連人権理事会が依頼した専門家チームの調査でわかった。朝日新聞が入手した調査報告は米国を名指しし、作戦や民間人犠牲者のデータを最大限公開し、説明責任を果たすよう求めている。(朝日デジタルより)

記事内容はコチラ→ http://www.asahi.com/international/update/1019/TKY201310180803.html

記事の元となったと思われるCNN記事→ http://www.cnn.co.jp/usa/35022243-2.html


>米政府が無人偵察機を「米国を安全にするための極めて正確で効果的な道具」と位置付けている

米国の平和が「世界の平和」というパクス・アメリカーナをどこまで続けるのか、まったくもってナンセンス。この記事を読みながらまっ先に思い出したのがロック界一の皮肉屋ランディ・ニューマンの40年も前の「政治学」といういかめしいタイトルの曲のことでした。ランディ曰く”アメリカの外交政策を歌った歌”なのですが、40年経った今もその皮肉は120%有効なままというのが、情けないぜバラク・オバマさん。

Randy Newman/Political Science (Let's Drop The Big One)


誰からも好かれない なぜなんだ
そりゃ俺たち完璧じゃないよ でも頑張ってるって神様だってご存知さ
けどみんな 昔からの友達でさえ ダメ出しをする
しゃぁないな でかいの一発落とすしか 見てろよ

やつらに金をくれてやったけど 感謝したってか?
ノー! 逆恨みし 俺たちを憎しんでいる
俺たちを敬わないっていうなら サプライズを与えてやろう
でかいの一発落として 粉々にしたる

アジアは人でいっぱい ヨーロッパは古臭すぎる
アフリカは暑すぎるし カナダは冷たすぎる
南アメリカは 名前をパクりやがった
だから でかいの一発落としたれ
そしたら文句を言うやつもいなくなる

オーストラリアだけは見逃そう
カンガルーがかわいそうだから
「全アメリカ遊園地」を作ってやろう
あそこではサーフィンもできるしね

ロンドンにドカン パリにドカン
空き地ができる君のため 空き地ができる俺のため
世界中の都市という都市が
みんなアメリカの都市みたいになるんだ
どんなにか平和な世界になって
人々はどれほど自由になるだろう
きみは日本の着物をまとい
俺はイタリア製の靴をはく

どっちみち みんなに嫌われてんだから
いますぐ でっかいやつを落としてやろう
でっかいやつを ドカンと一発ね 




セイル・アウェイ+5/ランディ・ニューマン


Songbook 1/Randy Newman



PR: あなたを満たす、VOLVOのクオリティ。

Take Me to the Land of Hell

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ポールがオノ・ヨーコと和解、米誌で語る 「時が癒しを与えてくれた」
元ネタはコレでしょうか→Paul McCartney Ends Feud With Yoko Ono, Tells Rolling Stone John Lennon's Widow Is "a Badass"

24日ヤフーのトップに上のような見出しがあって、へぇーポールも人生の決算を意識して丸くなってきたのかと思ったのですが・・・。

>"思うんだよね、ジョンが彼女(ヨーコ)を愛してたんだとしたら、(彼女には)それだけの何かがあるってことだよね。だってジョンはアホやないし。”

とか

>"ジョージだったら言うだろうね「君の人生にそういうくだらない事を残したまま終わりたくないだろ」って”

とか、「ジョンやジョージがさぁ、あの世から僕に語りかけんだよ」みたいな調子で何か自分の本心じゃなくて”Back to the Beatles”というコピーの新作『NEW』のプロモーション、はたまた来日公演を控えての日本のファンへのリップ・サービスなんて感じてしまうのは邪推でしょうか(笑)。とにかく「いやいや」感を感じます。

ところで故人ということでジョンとジョージが引用されてんでしょうけど、も一人忘れてませんかポールさん?

Paul McCartney - Queenie Eye (Official Video)


ジョニー・デップ、メリル・ストリープ、ジュード・ロウ、ケイト・モス、ショーン・ペン、クリス・パインといった超豪華メンバーが参加した新曲のPV、こんなのポールでしか作れないですね。超豪華メンバーの間にリンゴがチラっと登場しています。忘れられてなくて良かったですね。

NEW/ポール・マッカートニー


オン・エア~ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2/ザ・ビートルズ


地獄の果てまで連れてって/Yoko Ono Plastic Ono Band

気持ちは分かりますが・・・・


Doo doo doo doo doo doo doo doo doo

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Walk On The Wild Side


ギター弾きのポールはキャシーと共にニュージャージーの高速の渋滞で車を眺めながら”みんなアメリカを探しにやってきたんだ”と歌った。
髭面のレヴォンは旅に疲れた男に”重荷を下ろして自由になりなよ”と諭していた。
ひとりぼっちのジャニスはバスの中で運転手が知っている歌を歌いきってしまうと”自由っていうのは失うものが何もないことよ”と叫んだ。
重荷を降ろさざるを得なかった五人のイーグルは車を飛ばし女の子をひっかけながら”気楽に行こうぜ”とハモった。
北の国からハリウッドにやってきたニールは”僕は心の黄金を探しながら年老いていく”と歌った。

平均的アメリカ人が老後に住みたい場所NO.1のマイアミからやってきた若者ホリーはアメリカ中をヒッチ・ハイクで旅しながらたどり着いたニューヨークですね毛にカミソリをあてストッキングをはきながらつぶやく

”ねぇぼうや ワイルド・サイドを歩きなょ”

そして革ジャン姿のルーが口ずさむ

Doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo doo doo doo doo doo doo doo doo
doo

僕の十代後半はそんな音楽たちを道しるべに幻想のアメリカを旅していた。だからルーの死はとても悲しいし大切なマイルストーンをひとつ失ってしまった気がする・・・。

PS.
90年4月に転勤で大阪住まいとなった僕は6月に初来日のマリアンヌ・フェイスフルを観に行きました。今は亡き先輩M原さんから誘われてのことだったかと思います。会場で久しぶりに再会した後輩R子に頼まれていた翌月にあるルー・リードのコンサートのチケットを何枚か渡します。その時R子は友だち何人かと来ていたのですが、翌月のルー・リードの時も同じメンバーで来ていました。終演後ルー・リードを肴にお酒で盛り上がったのですが、そこで僕は仕事の関係で手に入れていた翌8月にあるFM802のミート・ザ・ワールド・ビートという野外フェス(その時はスカパラやボガンボスがメインでした)の招待券を渡し、同じメンバーたちと再々度出会うことになります。で、そのR子の友達の中の一人が今のカミさんというわけで、マリアンヌ・フェイスフルやルー・リードが好きなら気もあうだうという何ともいいかげんななれそめでした(笑)。実はビーチ・ボーイズが嫌いなんてことはその時はまだ知る由もなく・・・。

というわけで、おかげでワイルド・サイドを歩かずにすんだと、ルー・リードには足を向けて寝られないという感じがしてしまうのでした。

Lou Reed - Satellite of Love


Lou Reed (Original Album Classics)/Lou Reed


人生いろいろ

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最近仕事のせいで時間が無いのと集中力が続かずなかなかブログの更新もままならぬ状態が続いています。ルー・リードの訃報のすぐあとに岩谷時子さんの訃報があり、追悼に何か書かねばと思っているところに今度は島倉千代子さんの訃報とは。

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島倉さんには個人的な思い出があるので、少し。

東京の本社勤めだった94年の12月の初めに島倉さんが新曲の宣伝かな?でうちの本社にいらっしゃることが決まりました。当時販促課の一員だった僕は歌手がお客様でいらっしゃる時に1階のエントランスにウェルカム・メッセージを用意する役をしていました。来訪の前日に大晦日の紅白歌合戦の出演者の発表があり島倉さんは4年ぶりの出場が決まっていました。

そのため、当日朝大慌てで文面に「32回目の紅白出場おめでとうございます」と付け足しました。そして来訪された島倉さんを社長室まで案内し歓談となりました。冒頭に島倉さんから「紅白出場のお祝いのメッセージがエレベーター横に貼ってあってとても嬉しかった」の一言があり、その際同席していた課長が「あれは彼が作成したものです」と僕のことを紹介してくれたおかげで、直接お礼を言われ握手ツーショット撮影とこちらは普通に仕事としてやったことだったのですが、思いっきり感謝され大御所らしからぬ腰の低さというか純粋に喜んでいただいている様子に本当に失礼なんですけど「可愛い」と思ってしまいました。

本当はその時のツーショット写真をアップしたかったのですが、いつものことながら、整理が悪くて見つけることができませんでした、嗚呼。

94年の紅白で島倉さんが歌ったのは「人生いろいろ」でした。



ウィキを読んでいただければ分かるように島倉さんの人生は波乱万丈の人生で「人生いろいろ」のような歌を歌うというのは本来であれば自分の人生とオーヴァーラップして辛いと思うのですが、ネガティヴさの欠片もないあっけらかんとした歌唱で聴くたびに心が明るくなります。島倉さんの人徳なんでしょね。

この曲がヒットする前年の紅白で島倉さんは30回連続出場という輝かしい記録をつくります。この30回という数字を節目に翌年からは紅白の出場を辞退することを考えていたようなのですが、「人生いろいろ」が動画でも共演している山田邦子やコロッケのモノマネというかパロディも手伝って従来の演歌ファンだけでなく世代を超えてヒットしたこと、そしてなんといっても闘病生活を続けていた作曲の浜口庫之助さんを元気づけたいという気持ちで紅白に出場します。ハマクラさんは大晦日ベッドの上で島倉さんの歌う姿を見ながら涙を流したと聞きます。

ハマクラさんと島倉さんのコンビといえば忘れられないのは「愛のさざなみ」です。

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68年の作品なので当時僕は小学3年くらい。なのでTVで歌ったものを観るだけでオリジナルのレコード音源は聴いたことがありませんでした。そして10年近くたってラジオから流れる「愛のさざなみ」を聴いた時にそのほとんど洋楽な音像にちょっとしたショックを受けます。それもそのはずでハマクラさんの提案によりこの曲のバック・トラックはLAまで出向き録音されたということで、シングルのジャケにもボビー・サマーズと彼のグループと写真付きでクレジットされています。それにしても着物姿の島倉さんと髭面のヤンキー・ミュージシャンが一緒にうつるジャケというのもかなりシュールな感じがします。もちろん両者の共演があったわけではなく、歌とコーラスは後からコロムビアのスタジオでオーバーダブされたということなのでしょうが。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music

日本の歌手で初めて海外録音を行ったのは69年の森山良子のアルバム『イン・ナッシュビル/思い出のグリーングラス』だと言われていますが、それより1年前にバック・トラックのみではありますが海外録音が行われていてそれが島倉さんだったとは、デビュー15周年のシングルとはいえずいぶんと思い切った「実験作」を作ったものだと思います。それにしても洋楽のオケに島倉さんの声がハマると踏んだハマクラさんも流石といえるのではないでしょうか。

ところで、ボビー・サマーズって何者とかねがね思っていたのですが、今回いろいろと調べてみるとカーブ・レコードの社長などで業界では有名なマイク・カーブがカーブ・レコードの前身のサイドウェイ・レコード時代にサントラ盤をよく作っていたようなのですが、その時にコンビをくんでいたギタリスト兼アレンジャーにボブ・サマーズという人がいます。マイク・カーブは日本コロムビアとのつながりもありそうだし、おそらくこの人ではないかと思います。

$鳥肌音楽 Chicken Skin Music-

前述のツーショット撮影の際に「「愛のさざなみ」大好きなんです」みたいなことを伝えさせてもらったのですが、リアル・タイムというよりは上のように後追いでの評価だったので今になって思うとなんかいちびってしまったなぁとちょっぴり恥ずかしくなります。もう一度お会いできるならば、素直に「子供の時「ほんきかしら」をよく歌ってました」と言い直したいなぁ。



先日の岩谷時子さんの訃報の際に岩谷さん作詞のナンバーをYOUTUBEで探していてこの歌も岩谷さんだったかぁへぇーと思ったものですが、まさかその後で島倉さんの亡くなるとは・・・。ラテンっぽいリズム歌謡で他の歌手が歌ったら下世話な感じになりそうな気もしますが島倉さんが歌うとなぜか「品」があるんですよね。その歌がもう聴けないことは本当に残念です。




PS.

昨日、今年の頭に大阪市役所で昼休みに半世紀近く流されていたBGM(元歌は島倉さんの「小鳥が来る街」)を「変な曲」として放送を中止させたという橋本のあいかわずの傲慢さについて投稿しました。

>市役所昼休み島倉千代子の曲 橋下市長「変な音楽」中止に

>女性職員の声で「市民サービスの向上のために、前例にとらわれることなく、これまで実施してきた方法を見直す」「職員ひとりひとりが『何をすべきか、何ができるか』自分自身で考えて行動する」

こんなスローガンを耳にした市民は「そないな当たり前のことをいわなあかんのかい」とかえって鼻白んでしまうと思うのですがね。

それにしても島倉さんの曲を「変な曲」というあたりは「品」のない橋下さんならでは鋭い感性かと思います。

PS.

島倉さんの人生は本当にいろいろありました。その無垢な人を信じる心に付け入られる場合が多かったようです。ウィキなどには書かれていませんが借金を肩代わりしたことを恩に着せヤクザとともに島倉さんから全てを貪りつくそうとした某占い師のことは忘れちゃいけません。→島倉千代子ピンハネ事件


PR: 私たちの暮らしを守る 自衛隊の活動-政府ネットTV

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今回は、「国際平和協力活動」や「海賊対処」などの活動についてご紹介します!

Smells Like Teen Spirit

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先週が誕生日(11/12)だったこともあり、最近ニール・ヤングをよく聴いています。

昨日聴いていたのはアーカイヴ・シリーズの『ライヴ・アット・マッセイ・ホール1971』。録音されたのは1971年1月19日、70年の『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』と72年の大ヒット作『ハーヴェスト』の狭間となる時期です。『ハーヴェスト』の録音が71年1月から9月、収録曲の一部はすでに出来ており『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』の曲を中心に『ハーヴェスト』の曲も一部披露するギターとピアノの弾き語りのライヴとなっており、この時期のニール・ヤングを聴いてファンになったものとしてはたまらないライヴ・アルバムです。

Live at Massey Hall 1971/Neil Young
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このアルバムで2曲目に演奏されているのが『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』のオープニング曲である「テル・ミー・ホワイ」です。

 

心の船で さびれた港をめぐり
夜の海に 船出する
何かを求める者は 
いつも穴馬に乗らねばならず
怯えながら 独りレースに挑んでいる
どうしてなのか 教えてくれよ

自分自身と折り合いをつけるのは難しいかい
払い戻しするには歳だし 売り払うには若すぎる
嘘は後にして 会いに来なよ
しばらく ぶらぶらしてるから
淋しい僕を 君は自由にしてくれる
君の笑顔がすべてなんだ
どうしてなのか 教えてくれよ

どうしてなのか 教えてくれよ


この時期のニール・ヤングらしい「孤独」がテーマの佳曲なのですが、聴きながら何故か思い出したのが『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』の輸入盤LPの紙の匂いです。ニール・ヤングを聴くようになったのは高1の時からで、『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』が初めて買ったニール・ヤングのアルバムでした。75年ですから発売から5年の後追いでしたが、鼻にかかった寂しげな声に一発でやられてしまい、何度も何度も繰り返して聴きました。

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LPを持っていた人ならご記憶のように『アフター・ザ・ゴールド・ラシュ』は見開きのジャケットで内ジャケにはギターがいっぱい置かれた部屋(?)のソファーで横になりくつろぐニール・ヤングの写真が印刷されています。LPに針をおろしジャケをひろげるとその度に国内盤では嗅げない輸入盤特有の紙の臭いが漂ってきます。そしてチリチリというスクラッチ音の後「テル・ミー・ホワイ」のイントロが聴こえてくる。何度も何度もLPを聴くことでこの輸入盤の匂いと「テル・ミー・ホワイ」という組み合わせがパブロフの犬のように脳内に刷り込まれてしまったのでしょうね。それで今回「テル・ミー・ホワイ」を聴いたときに条件反射的に”あの匂い”が蘇ってきたんだと思います。

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おかげで、高校時代のいろんな想いがフラッシュバックしました。裏ジャケのパッチワークのジーンズを真似たくて、かといってオカンがやってくれるワケもなく、家にあった足踏みのミシンを使って自分でパッチしてニールをきどっていました。ある時となりの県に住む母方の祖母が遊びにやって来て、その帰りに最寄りのJR(まだ国鉄か)の駅までバスで送っていったのですが、別れ際に”これで新しいズボン買いなさい”とお小遣いをもらったこともありました。あれはどうしたんだっけかな、レコードに化けたんだっけ(笑)。

『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』が初めて買ったニール・ヤングのアルバムと書きましたが、思えばこれが初めて買った輸入盤でもありました。育った石川県の南の端の温泉街には輸入盤を置いているようなレコード店はなく、高校に入って行動範囲が拡がり金沢の輸入盤を置いていた武蔵ヶ辻の山蓄もしくは竪町のVanVanで買ったはず。輸入盤を買うというだけでなんかちょっとえらくというか音楽通になったような誇らしげな気分になったものでした、このへんの気持ちは地方育ちの洋楽ファンだったら分かっていただけるのでは。

ちなみに、前にも書きましたが僕のハジレコ(初めて買ったレコード)はビージーズの「マサチューセッツ」でアルバムは国内盤の1st『ザ・ビートルズ』でした。初めて買ったCDが何だったかは覚えていませんが・・・。

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『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』といえばニール・ヤングと老婦人がすれ違う瞬間をとらえた、それは後に大ヒットする「孤独の旅路」の”僕は心の黄金を追い求めて そして年老いていく”というフレーズを予感させる交錯に見えます、ジャケットの写真が強く印象に残ります。ニールの顔の白黒が反転していて顔が分からなくなっているのも”孤独な男(ローナー)”の象徴しているようにも思えます。

この写真を撮ったのはロック・フォトグラファーの巨匠ジョエル・バースタイン。ただし、当時のジョエルは18歳のカメラ小僧。ニール・ヤングのフォトセッションを行うチャンスを得たジョエルはニールとともにグリニッジ・ヴィレッジの街に出ます。撮影中にこちらに向かってくる老婦人を視角に捉えたジョエルはニールと老婦人がすれ違う瞬間をカメラに収めることを思いつきます。そして二人が交錯する瞬間、タイミングはばっちりだったのですが焦点がニールの顔からわずかにフェンスよりの位置にあったようで意図せずソフトフォーカスの写真になってしまいます。 構図はバッチリだった写真をあきらめきれないジョエルはニールの顔をシャープに見せようとソラリゼーションという効果を加えてみます。出来上がった写真は少々気味が悪いものになりましたが予想に反してニールはいたく写真を気に入りジャケットに採用することになります。

そのピントが合わなかったオリジナルの写真というのが下にアップしたものですが、僕のような素人が見るときれいに撮れていると思うのですけど。手前に写っているのはグラハム・ナッシュ、一緒にいたんですね。

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ナッシュが73年のアルバムでジョエル・バースタインを起用したのはこの時のセッションがきっかけだったのかもしれないですね。

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『ワイルド・テイルス』はバックのメンバーがニール・ヤングの『ハーヴェスト』とけっこう被っていて、僕は姉妹アルバム的に好きな一枚でした。久々に聴いてみようかな。

Graham Nash - Prison Song

Grow Old With John

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鳥肌音楽 Chicken Skin Music

グレーのタートル・ネックのセーターにブラウンのジャケット、まるで大学の老教授のようなこのお方どこかで見たことあるような・・・。そうこれはジョン・レノンが73歳になっていたらどんな顔になっていたか サックス ・メディア ・グループとフォージョーという写真加工を行う会社によって合成されたものです。

See What John Lennon Would Look Like at 73 (Hint: Kind of Like a College Professor!)

リンク先を見ていただければジョン・レノンだけでなくエルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーンの「現在」の姿が掲載されています。

こうした早世したロック・スターたちの「現在」の姿を合成した訳は、彼らが死んだ時の「まま」で熱狂的なノスタルジーとして語られることに異を唱えたいといったことのようです。

確かに僕自身もジョンのことを語るときに無意識に頭に描いているのはトレード・マークの丸めがねをかけた30代のジョン・レノンだったりします。へたをすると「イマジン」を歌った時のジョンのままだったり、60年代後半のキリストみたいなジョンであったり、いたずらな目をしてガニ股で歌うジョンだったりして、当たり前なのですが40代のジョン、50代のジョン、60代のジョンとだんだんと年老いていくジョンなんて夢想だにしない。

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ジョン・レノンは「平和を我らに」や「イマジン」のような「共同幻想」の世界で自分の名声が利用されることに嫌気をさしてリタイヤし「主夫業」へと逃避します。子育ても一段落したしたジョンは働く「父親」の姿を見せるために一人の音楽家として活動を再開します。そこで歌われていたのは妻や息子への愛という「対幻想」的な世界であり、ジョンを「共同幻想」のカリスマとして崇める狂信者により射殺されてしまいます。

『ダブル・ファンタジー』は世界的な大ヒットとなりますが、ジョンの突然の死というファクターがなければあれほどの大ヒットとなっていたのでしょうか。おそらくはジョンを「愛と平和」のカリスマとして捉える往年の<ロック>ファンからは”何 日和ってんだよジョン”と批判されていたんじゃないかと思いますしティーンのパンク/ニュー・ウェイヴのファンからは”今更ジョン・レノンかよ、けっ”と唾されていたかも。だけど、そういった負の評価は「死」によってチャラになった気がします。

もし生きていたとしたらジョン・レノンにとっての80年代は自分のオールド・ファンからの見当違いの期待とや若い世代からのつぎあげに悩まされ続けたんじゃないかという気もします。

まぁ、そのへんは「神のみぞ知る」世界となってしまうのですが・・・。

映画「イマジン」の中でジョンの大邸宅に忍び込んだヒッピーのファンに対し「俺はカリスマじゃなくて普通の人間なんだ」みたいなことを朝食を一緒に食べながら諭すシーンがありますが、そのジョンの想いは「死」によって閉ざされ、望まないカリスマ化が進んでしまったように思えます。それはジョンの代弁者(?)のヨーコのジョンを「愛と平和」のイコンとして折に触れアピールしてきたというのも大きな要因に思えます(このへんがどうにもヨーコが好きになれない理由)。

なんだかなぁ。

73歳のジョン・レノンがいたら、はたしてどんな顔でどんな歌を歌っているんでしょうか?


John Lennon - Grow Old With Me (acoustic version)



なんか、まとまりなくなっちゃったなぁ。

MacArthur Park

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MacArthur Park - Jimmy Webb feat. Brian Wilson


ブライアン・ウィルソンがフィーチャリングということなのですが、声が綺麗すぎる・・・。コーラスのアレンジでの参加?

I Forgot to Remember to Forget

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レコードコレクターズの12月号の特集は11・11に発売になったビートルズの『オン・エア ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』。

ビートルズ特集となれば必ず出てくる本秀康くんの描く「レコスケくん」。ビートルズ愛、特にジョージ愛に溢れたレコスケくんなのですが、今回も中々に深い言葉を残してくれています。

最年少のメンバーでジョンとポールという二人の天才に隠れた存在でありその才能はビートルズの後期になって二人の影響を受けながら現れてきたみたいなパブリック・イメージがあるジョージなのですが、『ライヴ・アット・BBC』を聴けば、実は初期のビートルズではジョン、ポールと並ぶヴォーカリストとしてファンに認知されていたんじゃないかというのです。

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レコスケ
(リンゴ以外の三人がボーカルをとる)この点の認識がイギリスと他国では大きくずれていたのでは?俺らはジョージをレノン=マッカートニーより地味な存在と思ってるいけど・・・。
テレビやラジオでオールディーズ・カヴァーを山ほどやってたビートルズを知るイギリス人にはジョン、ポール、ジョージは等しくビートルズのリード・ヴォーカリストだと、他の国の人々より感じていたはずだよ。
だからジョージのショボさが案外ばれてなかったのかも。
よかったね。」


レコガール
「この人本当にジョージのファンなのかしら?」

ジョージのファンでありながら「ジョージのショボさが案外ばれてなかった」とレコスケに言わせるあたりは日本のジョージ・ファンの気質をよく表している気がします。

ということで、『ライヴ・アット・BBC』をジョージに注目して聴き直してみるとたしかにジョージのボーカル曲が多いことにあらためて気がつきます。『Vol.2』はオリジナル・アルバムに収録されたナンバーが中心(39曲中30曲)なのでジョージのボーカル曲は4曲のみとオリジナル・アルバム同様に少なくなってしまっているのですが、『Vol.1』については意図的に未発表曲中心に選曲されていた(57曲中29曲が未発表)せいもあってかジョージのボーカル曲は(ジョン、ポールとのデュオ含め)10曲も収録されています。



BBCのライヴをラジオやTVでビートルズに接していたイギリスの音楽ファンは当然、ジョージが歌う姿を日常的に耳にし、そしてこれが大事なのですが、目にしていたことになります。それに比べ日本の音楽ファンは64年の夏休みに映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」が公開されるまでは4人の動いて歌う姿はほとんどの人が見ることができず、ラジオ音源も聴けず、レコードのみで接していたわけでジョージって「ショボ」いと思ってしまうのはいたしかたのないことだったのかもしれません。

というか多くの音楽ファンにとってはジョージのボーカルどころかジョンとポールのボーカルの区別もあんんまり意識していなかったのかもしれないですね。単純にビートルズという塊として聴いていたというか。そもそも、64年に2月にビートルズの「抱きしめたい」が日本で発売されるまでは洋楽のヒット曲というのはソロの歌手かバンドでもソロ・ボーカルとその他メンバーみたいなのがほとんどで(63年にビーチボーイズがシングルを出してはいますが)メンバー全員が歌い演奏するというスタイルはなかったわけで、この画期的なバンドの4人のキャラクターを把握するまでには時間がかかったのではとも思います。

この点、解散後の後追いの僕たちのような世代はビートルズと並行して4人のソロを聴いていたわけで、最初から4人のキャラや「声」を知っていてビートルズの曲を聴くときも(完全にとはいいませんが)はなから4人各々を意識して聴いていたと言え、リアル・タイム世代とはかなり違った聴き方をしていたといえます。

The Beatles "Don't Ever Change" ポールとのデュオ


9月20日に放送されたNACK5の「坂崎幸之助のK's Transmission」の中でゲストの大瀧詠一師匠が、バディ・ホリーが亡くなった後クリケッツがエヴァリー・ブラザースのバックを務めていて60年に英国公演を行うのであるが、それが後のビートルズを初めとするイギリスのバンドに大きな影響を与えたという意味のことを言っていました。ビートルズのコンボ・スタイルはバディ・ホリーから、コーラスはエヴァリーズの影響が大きかったと物の本にはよく書かれていますがエヴァリーズwithクリケッツっていうのはまさにそのものなわけで、上にアップしたBBCでの「ドント・エヴァー・チェンジ」なんてのはまさにビートルズのルーツをストレートに表したものといえるんじゃないかと思います。注目したいのはポールとジョージという珍しい(これしかない?)組み合わせで歌われていること、カントリー趣味っていうことで言えばこの二人のほうがポールとジョンが歌うよりは相性がいいような気もします。

そういえば今回の『Vol2』の一曲目はバディ・ホリーとクリケッツの『ワーズ・オブ・ラヴ』でした。現在バディ・ホリーの版権をポールが持っているからなんていうゲスの勘繰りは置いといて、上記のようなわけで、何か深い意味が込められてるのではと思ってしまいました。

The Beatles - Words Of Love


ちなみに『Vol.1』でジョージがボーカルをとっていた曲は先のクリケッツの「ドント・エヴァー・チェンジ」をはじめコースターズの「ヤングブラッド」、エルヴィスの「クライング・ウェイティング・ホーピング」「アイ・フォガット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォゲット」、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズの「ユー・リアリー・ガゴッタ・ホールド・オン・ミー」(ジョンとデュオ)、チャック・ベリーの「ロール・オーヴァー・ベートーベン」、エディ・フォンティンの「ナッシン・シェイキン」、カール・パーキンスの「グラッド・オール・オーヴァー」「みんないい娘」、エヴァリーズの「ソー・ハウ・カム」(ジョンと)という当たり前なのですがアメリカンな楽曲ばかり。この辺がキャピトルのお偉いさんの耳に届いていたらビートルズのアメリカ上陸はもう少し早くなっていたかもしれませんね。


PS.
4人のソロで最初に好きになった曲はジョージのこの曲でした。



愛と平和でんな、ジョージはん安らかに。


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あまちゃんよりごちそうさんの方が面白いかも

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先週の「ごちそうさん」の一番のシーンが引っ込み思案の西門家の末っ子希子が 義姉め以子に感化され人前で喫茶店「うま介」の宣伝のために「焼氷のうた」を歌うシーンでした。

いつも下ばかり向いていた希子が回を重ねるごとにだんだん上を向くようになってくるのですが、今回は上を向くだけでなく笑顔で歌う、それにしても歌上手いやん希子ちゃん。実は希子役の高畑充希ちゃんて5年前に竹内まりやが作った「夏のモンタージュ」というドラマ主題歌を歌っていた「みつき」だったんですね、いやぁ全然気づいていませんでした。

杏、東出昌大というでかい二人に囲まれているためにちっちゃくて幼く見えてしまう高畑充希ちゃんですが、実際は21歳の大学生「ちゃん」づけは失礼か・・・。今回の希子役でブレイクしそうです。

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>東京電力福島第1原発事故の汚染水対策や燃料取り出しなどの実施計画のうち、核物質防護の措置の内容について、原子力規制庁は4日までに、日本共産党の笠井亮衆院議員の求めに応じて資料提出しました。資料は全135ページが完全に黒塗り。いま秘密保護法案をめぐって、「核物質防護」の口実で原発情報が無制限に「特定秘密」に指定されることが心配されていますが、それを先取りするような事態です。
 資料は、東電が作成し規制庁が認可した、同原発の「特定原子力施設に係る実施計画」の第4章「特定核燃料物質の防護」の内容。規制庁のウェブサイトで該当部分は「防護措置に関する詳細な事項が含まれるため、別に管理する」として非公開の扱いです。
 規制庁が提出してきた資料は、A4判とA3判の計135枚が完全に黒塗り。「詳細な事項」どころか、項目のタイトルやページも含めて、まったく文字が見えない状態です。
 笠井議員は「この資料は“何が秘密なのかも秘密”が、どういうことなのかを象徴するものだ。もし法案が通れば、これまで以上に原発情報が国民の目の届かないところに置かれてしまうのは明らかだ」と話します。
しんぶん赤旗 12/5 より

まさに「黒くぬれ」です。

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特定秘密保護法案のゴリ押し採決前でこれですから、今後どうなるのか考えるだけでも恐ろしくなります。

今日の朝刊で福島第一原発周辺で25シーベルト(ミリじゃないですよ)という、やっぱりかという放射能が検知されたというニュースが載っていました。これは安倍のいう「完全にコントロールされている」という言葉がいかに嘘っぱちであるかを示すものですが、こういった情報も今後ちゃんと僕たち市民に伝えられるのだろうか?


>20分未満で死亡…過去最高、屋外設備で放射線
東京電力は6日、福島第一原子力発電所の屋外にある設備「主排気筒」の下部で、配管表面の放射線量が毎時約25シーベルトに上ると発表した。
 周辺の計測値から推計したもので、屋外の放射線量としては過去最高値。人が浴びると20分足らずで死に至る強さだ。事故時に1号機の格納容器から強制排気(ベント)を行った際、排気中の放射性物質が配管内に残った可能性があるという。東電は今後、主排気筒や配管の撤去などを検討するが、「非常に高い線量で、新しい工法が必要になるかもしれない」という。
YOMIURI ONLINE

1億円のストラトキャスター

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写真はNYのオークションでギターとして世界最高値となったものです。価格は $965,000現在のレート(102.933円)で計算すると9933万円、約1億円のギターです。これまでの最高値は2004年のエリック・クラプトンの、ファンならお馴染みの”ブラッキーBlackie” で$959,000、それを約60万上回っての記録更新です。

何の変哲も無いストラトキャスターが何故?なのですが、元々の所有者がボブ・ディランで65年のニューポート・フォーク・フェスティバルで使用していたギターといえば”成程”と思われる方もいらっしゃるかと。

この1本のエレキギターこそがロックの歴史を変えた、否、ロックを誕生させたギターなのです。

ビートルズが再生させたロックン・ロールの肉体性にボブ・ディランのフォーク由来の言葉という知性が融合した瞬間がロックの誕生であったとするならば、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでディランがポール・バターフィールド・ブルース・バンドをバックに従えフォーク・ファンの前でエレキギターを弾き、ブーイングが巻き起こった時こそが「ロックの誕生」の瞬間でした。

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この瞬間を山口大教授で「ビートルズ都市論」「ロックンロールからロックへ:その文化変容の軌跡」などの著作のある福屋利信さんは「ボブ・ディランと対抗文化」という論文の中でこのように書いています。

>ディランはこうした音楽会の「社会階層組織」(hierarchy)の中で、ビートルズをはじめとするブリティッシュ・グループのライブ演奏に接しアメリカで失われつつあるロックン・ロール・パワーをイギリスの若いミュージシャンたちが継承・増幅していることに衝撃を受ける。(中略)ディランは1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルのステージに、ロックンロール・バンドを従えて登場することになる。それは当時の音楽業界の社会階層図式を根底から覆す「禁じ手」(taboo)であった。
 
 ロックンロールを商業主義に犯された悪魔の音楽と見なしていたフォーク・ファンからは、激しいブーイングが巻き起こり、ディランは途中で演奏を切り上げることを余儀なくされた。しかし、そのときこそ、ロックンロールの野性とフォークの知性が融合して新しい音楽ロック・ミュージックが誕生した瞬間であった。ディランは、ロックンロールに新しい機知と言語運用能力を持ち込み、同時にフォークに電気増幅に伴う直接性をもたらした。このようにして、ティーンエイジャーと大学生の音楽市場を力ずくで接続したディランは、インテリもエレキギターを手にする新たな音楽シーンを創造したのであった。


ということでこのギターこそが「ロックを生んだ」ギターであることが納得いただけたでしょうか?

1億円という値段、果たして相応なのか高いと思うのか・・・

ディラン・ファンの私としてはそのくらいの価値はあると思います。

(ちなみにオークション主催者は3000万位で落札されると考えていたようです。それだとブラッキーに比べて安すぎるでしょう。)

Bob Dylan - Live at the Newport Folk Festival

この時の「マギーズ・ファーム」はパンキッシュでほんとカッコイイです。みうらじゅんじゃないけど「ディランがロック」です。





PS.このギターが本当に65年にディランが弾いていたギターなのか?オークションの1年ほど前に米国版「何でも鑑定団」みたいな番組で「本物」と鑑定されていたようで、それが今回のオークションの結果に結びついたようです。

Dylan's 1965 Newport FF Electric Guitar Mystery



Other Side of the Mirror: Live at Newport Folk .../出演者不明


Bob Dylan: Complete Columbia Albums Collection/Bob Dylan


Highway 61 Revisited (Reis)/Bob Dylan


Subterranean Homesick Blues/Bob Dylan


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良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ

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鳥肌音楽 Chicken Skin Music

残すは来週の最終回のみとなった「八重の桜」、先週は新島襄先生の「彼等は世より取らんとす、我等は世に与えんとす」という多数決の論理で市民の権利をどんどん奪い取らんとする某首相に聞かせたい深いお言葉がありましたが、今週も新島先生亡き後に臨時学長として同志社を運営した八重の兄山本覚馬による印象的な言葉がありました。

覚馬のもとを訪ね、逆賊の汚名を着せられた会津藩の名誉を挽回するために覚馬から京都時代の会津藩の勤皇ぶりを聞き出そうとする東京帝大教授(後の総長)山川健次郎に対し、会津に「義」があったように、薩摩にも長州にも「義」はあったとする覚馬。

シーンは変わって同志社の卒業式。大日本帝国が「義」によって日清戦争へと進もうとしている時に覚馬は学生たちの前で卒業の言葉を贈る。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music

諸君は学業を終え、これからそれぞれの仕事に就かれる。どうか弱い者を守る盾となって下さい。
かつて私は会津藩士として戦い、京の町を焼き、故郷の会津を失いました。その償いの道は半ばです。
今、世界が力を競い合い、日本は戦に向げて動き出した。どうか「聖書」の一節を心に深く刻んで下さい。

「その剣を打ち変えて鋤となし、その槍を打ち変えて鎌となし、国は国に向かいて剣を上げず二度と再び戦う事を学ばない

諸君は一国の…、いや、世界の良心であって下さい。いかなる力にもその知恵であらがい、道を切り開いて下さい。それが身をもって戦を知る私の願いです。


偶然にも、否、今日が12月8日だということを踏まえた上で書かれた脚本であり、「八重の桜」というドラマからの、憲法を改悪し”戦う事を積極的に学ぶ”国にしようとしている人々への、メッセージなのだと僕には聞こえました。

常常NHKの番組が偏向している(=自分個人の思想と違う)として、自分の思い通りの放送局に変えたくてしょうがない安倍晋三が見ていたとしたらかなりカリカリときてたのではないでしょうか。

NHK経営陣、安倍首相カラー強まる~本格化する次期会長人事、中立報道に懸念の声も

上のニュースのような事態が進めば報道だけではなく「八重の桜」のようなドラマも作れなくなるかもしれないですね。ほんとに嫌な世の中になりそうです。

来年が30年遅れの「1984」にならないことを祈ります。

DAVID BOWIE - 1984



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